フルタDX

【革命(かくめい)】

【革命(かくめい)】

実に便利な言葉だと思う。

 

「革命起こしてぇ」

 

ぼくらは気軽に言えてしまう。

電車の中でツレと駄弁りながら「革命」って単語を発したとしても

他の乗客から通報されたりなんかしないってことだ。

それぐらいポップであり通俗的なんだ。

 

ならば、あとは強い意思があるかどうか。

それでしか「ポーズの革命」なのか「ガチの革命」なのか判断が付かない。

 

劇団を結成して10年が経った。

 

ぼくが作品の中でやってきた色んなことを「革命」と呼びたくなって、

次回公演『うつくしい革命』のチラシ裏面にも、そう書いた。

でも、それが「ポーズの革命」だった可能性がある。

ガチだったのかどうか。

正直、少しだけ自信が持てなくなったのだ。

ぼくは過去のことを美化してるだけなのかもしんないな、ってね。

 

でも、美化するのが人生だろ?

 

自分が歩んで来た道を、

自分が美化しなくて誰がしてくれるって言うんだい?

 

次回作『うつくしい革命』で、

ぼくは自分の中の美化を突き詰めたいのかもしれない。

 

この作品を作るための10年だったんだよ。

 

        <2012年8月16日 6時23分 自宅>

【劇団(げきだん)】

ご無沙汰。

 

何をしていたかと言えば、

劇団のことばかりを考えて生きていました。

もちろん、ドラゴンズのこと、娘のこと、考えることはそれなりにあった。

それでも、劇団のことが頭から離れなくなっていました。

もっと言えば、僕は劇団しかやりたくなくなっていました。

全てを放棄しても、

僕は劇団だけを集中してやるべき時が来たような気がしていました。

これを逃したら「もうないな」とまで思いました。

言うならば、事実上、最後のチャンスか。

本当はもっと早く気付くべきでした。

これまでは命を燃やしていませんでした。

燃やしているフリをしていました。

もう気付きました。

命を燃やし始めました。

燃やし始めたってことは、消えたら終わりってことでもあります。

風にでも吹かれて自然と消えるのか、消えないままいつまでも燃え続けるのか。

ギャンブルですよ、ほとんど。

 

劇団結成して10年目。

連れ添った夫婦のような人間関係は、時と共に変化しました。

でも、変わらないモノが一つだけあります。

 

僕だ。

 

フルタジュンは劇団をやっている。

その名前はフルタ丸っていう。

 

来週から新作を上演する。

 

こんな宣伝まがいなコラムになってしまい申し訳ない。

でも、これは僕の興味のあることを書くという趣旨だったので、

そこに嘘は1ミリもありはしないよ。

 

雨の降る下北沢で、僕は一人作戦会議だ。

君を笑わせたいし、心の隙間に入り込みたいんだな。

        

<2012年5月3日 11時43分 下北沢事務所>

【取材メモ】

フルタ丸の次回公演に向けた取材で長野県に来ている。

山間の町だ。

 

調べたかったことを調べるのが取材だろうか。

未知との遭遇こそが取材だろうか。

 

昨晩、窓を開けたまま眠ってしまった。

長野県のひんやりと冷たい空気が気持ち良かった。

起きて、むくむくとパソコンに向かい始めて気が付いた。

部屋に大きなスズメ蜂が2匹も進入している。

ブンブンうるさい。

というか、刺されたら死ぬ。

スズメ蜂に2回連続で刺されたらショック死すると子供の頃に言われた。

部屋にあった靴ベラで2匹をあっけなく殺生。

僕の動きは冴えていた。罪悪感が薄い。

きっと東京にいる時とは、感覚が異なっている。

見知らぬ土地というのは、そのへんの感覚さえも麻痺させる。

 

昨日の夕暮れ、山間の道を歩いていたら、大きな山を覆う大きな雲が現れた。

山はあっという間に拡大した雲に飲み込まれてゆく。

しかし、山はその雲を受け入れていた。

飲みこまれることを受け入れる。

雲も飲みこむことに遠慮や躊躇がない。

 

全力で飲みこみ、全力で飲みこまれる。

 

男女の性行為を思わせる、自然の性的なやり取りを見てしまった気がした。

僕はナンダカ恐くなってしまい、歩くスピードを速めた。

 

これは取材メモである。

 

        <2011年9月14日 5時54分 長野県のホテル>

【三砂慶明(みさごよしあき)】

大学時代に知り合った友人に

三砂慶明という男がいる。

このコラムが掲載されている「歩行」を発行している人間でもある。

 

重要なのはその時間軸にある。

彼とは先に友人関係にあった。

「歩行」で文章を書かせてもらうことになったのは、その後のことだ。

 

男同士の出会いにロマンもクソもない。が、

僕は友人との出会いを忘れないというロマンに駆られたクソでもある。

 

だから、書く。

 

大学1年の夏。

夏休みに入る少し前。

五限の講義が終わった夕暮れ前。

僕は校内の売店付近で菓子パンを齧りながら、

 

「大学が思ってたより楽しくない。

空回りしている内にもう前期が終わってしまう。

女の子との出会いも皆無だった。

オナニーの数だけが増えた。

バイトもぜんぜん決まらない。

旅サークルとボクシングサークル、すぐに辞めちゃったな。

何に打ち込んでいいのか、さっぱり分からない。」

 

概ね否定的な気持ちでいた。

食い終わると、第一校舎方面に向かって歩き始めた。

すると、前方から、確か同じクラスだったはずの彼が近付いて来るのが見えた。

 

三砂慶明、その人である。

 

何を話したのかは、さっぱり憶えていない。

ただ、お互いに立ち止まり無駄に会話が弾んだ。

 

それ以降、連絡を取り合い遊んだりするようになったことを思えば、

あの瞬間こそが始まりだった。

 

誰にも相談できなかった鬱々とした気持ちが

少しだけ好転し始めた瞬間でもあった。

 

だから、憶えている。

彼は憶えていないはずだ。

いや、憶えていてほしくない。

ロマンは僕だけのものだ。

 

あの夏から、ちょうど10年。

 

僕は自分で立ち上げた劇団にいる限り、

主宰であり劇作家であり演出家であり俳優である。

クビはない。あり続けられる。無能であっても。

そこには永遠がある。

 

人はたった一人の読者がいれば作家になれる。

三砂慶明がいれば、僕は永遠に作家である。

クビはあるかもしれない。でも読んでくれるだろう。

僕は作家であり続けられる。

そこにも永遠がある。

 

僕は「いかに永遠を手に入れるか」をとても重要視して生きている。

彼は僕の永遠の一つを担っている。

これは彼へのプレッシャーではない。

「これからもよろしく」というアイサツであり、

「結婚おめでとう」というハナムケである。

 

事務所にて、結婚を報告するポストカードを握りしめながら。

        <2011年4月2日 20時55分 事務所>

【旅(たび)】

しばらく旅をしてない。

だから余計に分かる。

 

旅ほどいいものはない。

 

旅と旅行の違いは、

パッケージングの有無でもなければ、

同伴者の有無でもない。

ましてや移動距離でもない。

 

どちらも入口は同じだが、

出口が違うだけなのだ。

 

「楽しかった」という出口から出るのが旅行であり、

「楽しくなかった」という出口から出られれば旅となる。

 

「写真に残せたもの」が旅行であるならば

「写真に残せなかったもの」が旅である。

 

旅はいつも余白にある。

 

旅とは退屈である。

旅とは時間の無駄遣いである。

 

退屈を恐れている気がする。

時間の無駄遣いを恐れている気がする。

 

ああ、旅してぇ。

        <2011年3月21日 23時46分 自宅>

【コラム(こらむ)】

コラムについて書くコラムで、

2011年が始まるのも悪くないと思う。

 

コラムの定義がよく分からず困っている。

仕事で書いているものもあるし、

劇団関連で書いているのもあるわけだが、

正直分かっていない。

義務教育で誰も教えてくれなかったから、分かるわけがない。

筆が止まると「コラムってなんだろう?」という禅問答に逃げてしまう。

気付いたらなんとなく筆をスルスルと進ませていて、

納得できる形に文章を折り畳もうとしている。

こうゆう時はだいたいおもろくない。

自分で書いていて分かる。

つまらん文章を書いていると気付く。

折り畳みかけたものを伸ばす(Delete)。

白紙に戻して、また途方に暮れる。

そんなことの繰り返しだ。

繰り返す内に陽が暮れて迷子になる。遭難。

遭難すると、発煙筒を打ち上げるがごとくドーンと視界が開ける時がある。

書ける時。

 

昨年、コラムの仕事がコロコロと増えた時に悩んだことがあった。

その中の一つに、書くことをがっつりと指定されているような、

そういったコラムがあった。

あまりにも自由度がなく、正直、僕は悪態をつきながら書いていた。

今思えば、最低な行いだ。

 

「こんなものを書いて金もらっても、さっぱり嬉しくねぇ」

 

本当にそう思っていた。

何度か断ろうと思ったけど、ずるずると続けている内に打ち切りが決まった。

 

あんなに辞めたかったはずなのに悔しかった。

自分の中で理想とするコラムがあったことを思い出したから。

いかなる条件でも、その理想に近づくことを放棄してはならなかった。

喉元に長い剣先を突き付けられたような苦しさが、しばらく続いた。

 

詩でもなければ小説でもない、

およそ800文字とか1200文字とかそれぐらいの短い文章を

コラムであると乱暴に定義するならば、

 

ものすごい角度から、

ものすごいスピード感で

ものすごい気持ちの良いボタンを押されるような

そんなあっという間の文章の連なり。

詩でも短すぎるし小説でも長すぎる、

ちょうど800文字という字数に表面張力のようにぴったりと収まる文章。

そこには詩のように選び抜かれた文章が肩を組み、

小説のように誰かの物語が垣間見えて人生を想わせる。

そうゆうやつ。

 

たまにある。

そうゆうすごいやつが。

 

そうゆうのを読んでしまうと

愕然とすると同時に、

いつか僕にもこんなものが書けないだろうかという憧れを抱く。

 

そんな憧れがあるのでコラムを書いています。たぶん。 

        <2011年1月4日 0時00分 自宅>

 

【M-1グランプリ(えむわんぐらんぷり)】

M-1グランプリという漫才の大会があったことを

この文章を読んでいる人はもちろん知っている。

けど、もしもだ。

もしもこの駄文が時を越え50年後のあなたが手にしているのならば、

あなたは「アイドントノー」と答えるかもしれない。

この文章は2060年を生きるあなたに向けて書いているつもりで書き始めるが、途中で、その「つもり」がどうでもよくなる可能性が大いにある。

どうか勘弁と容赦を。

 

こんなことを考えたことがある。

 

できるだけ道具も使わず、

できるだけ場所も選ばず、

できるだけ客も選ばないのに、

べらぼうに人を楽しませる。

 

そんな表現方法ってあるだろうか。

 

己が主戦場にしている演劇は全てが真逆だ。

全てにそむいたら大いに不利な状況に追い込まれる。

音楽ならどうか。アカペラ以外なら楽器が必要になるし、

人を楽しませることを考えれば、何から何まで色々と必要だ。

 

どう考えてもそんな都合の良い表現方法はないようが気がするが、

一つだけある。

 

それが「漫才」だった。

 

ということを証明したのが「M-1グランプリ」だった。

 

出囃子が鳴り、

中央に置かれた一本のスタンドマイクに、

芸人が歩み寄ってくる。

彼らは何も持っておらず丸腰だ。

 

およそ4分間。

 

人と人が向かい合い掛け合うだけのシンプルな表現方法。

あなたに友人が1人でもいれば漫才はできる。

友人がいなければ母親でも父親でもいい。

「一緒にやる人がいないから」という牌は通らない。

また、漫才をやるのにお金は一切掛らない。

「服が一着もないから」と言うのなら、

僕が1000円あげるからユニクロへ行きなさい。

要するに、誰にでもできると言いたかった。

だから難しい。

だから奥が深い。

だからオモシロい。

 

2000年から2010年までの10年間、

そんな「漫才」で一番面白いコンビを決める

M-1グランプリという大会があった。

        <2010年12月26日 23時44分 自宅>

 

 

【ケーキ(けーき)】

実家が洋菓子店を営んでいることから、

幼少期の僕の太っている理由が

「ケーキの食べ過ぎ」と結びつくことが多々あった。

 

「太っていてもしょうがないよ。実家がケーキ屋だからね。」

 

この短絡的な慰めが一番僕を傷つけた。

ケーキに対して嫌悪感を抱いていた時期があったのはそのためだと思う。

僕が太っていた理由は他にある。

その頃、スナック菓子を自家製オーロラソース(ケチャップとマヨネーズを混ぜた高カロリーでぶソース)に付けて食べることにハマっていたのだ。

間違いなくそれが原因。ケーキではなかったのだ。

 

その後、僕がケーキに歩み寄りを見せた背景には、

「本当はケーキのことが好きだったのに、その気持ちに気付かないフリをしていたことに気付いたから」という面倒くさいドラマがある。

 

鎖国から開国へ。

僕は堰を切ったかのようにケーキを食べるようになった。

 

父親と外食でケーキを食べる時が最も緊張した。

無言で目の前のケーキを食べた後、父親から一言「美味いか?」と聞かれる。

ケーキに対する僕の舌を確かめられているのだ。

美味いと思ったので「美味い」と答えると、必ず「不味いわ!」と叱咤された。

親父が他所のケーキを褒めている所を僕は見たことがない。

 

この天の邪鬼な性格は、対象物を変え、僕がまんまと引き継いだ。

僕も同業者をあんまり褒めない。

<2010年10月22日 16時40分 千歳船橋のカフェ>

【マクドナルドのフライドポテト】

マクドナルドのフライドポテトを美味しく食べる唯一の方法は、油で揚がったばかりのソレをかなりアツアツ状態のソレを口に放り込むことである。そして、次に取るべき行動も決まっている。咀嚼もままならない内に、次のソレを口に放り込むことだ。とにかく急がなければならない。咀嚼など後でかまわない。マクドナルドのフライドポテトは美味しい。美味しいが、その鮮度は生魚を越える鮮度で劣化の道をひた走る。1秒後、10秒後、1分後、それはメキメキと不味くなる。夏のセミよりも儚い。死に急ぐかのようでもあり、マリオがスターを取った瞬間を連想させる。あの有限な煌めきであり、刹那の集合体でもある。

そして、なんとなくアメリカっぽい。I LOVE フライドポテト。戦争は反対。

        <2010年8月31日 16時12分 自宅>

 

【娘(むすめ)】

2010年8月10日。17時24分。3118グラム。

僕の娘が誕生した。

 

僕自身が父親になった瞬間でもあった。

 

生まれてもうすぐ24時間が経とうとしている。

今のところ、顔が非常に僕に似ている。

第一子は異性の方の親に似ると言われている。

とても不安である。

僕に似た娘の人生を勝手に心配してしまう。

病院からの帰り道、夏の日差しが照りつける中、自転車をこいでいた。

蜃気楼の奥に成長した娘が見えた気がした。

その娘が結婚相手を連れており「会ってほしい人がいるの」と言われた瞬間をリアルに想像してしまった。そして、僕が父親として、どんな言葉をその男に投げかけようとしているのかも全部。娘が産まれてまだ24時間経っていないのに、もう予行演習が済んでしまった。僕のセリフは完ぺきに出来あがっている。

あーダメだ、仕事も手に付かない。また病院で娘の顔を見て来よう。 

 

        <2010年8月11日 17時23分 自宅>

【青春(せいしゅん)】

青春の正体が分からずに生きてきた。

その尻尾が何度か見えたことはあったが、すぐにどこかへ行ってしまった。

正直分らないままである。

皆さんに青春はありましたか?

それは汗を伴いましたか? それは涙ではなかったですか?

青春は汗も涙も要らないものだということを誰か証明してもらえませんか?

そんな人がいたら、そんな宗教があったら僕に紹介して下さいよ。

証明が不可能であれば、僕は汗と涙が青春であるという事実にもっと首を締められながら生きて行く。汗と涙を分泌しなかった代償は大人になっても払い続けてる。色んな青春のカタチをしたものを集めながら生きて来た。音楽、映画、小説。地に膝をついて、かき集めながら生きて来た。でも、それは全部借り物であって、僕の青春じゃなかった。誰かの青春は僕の青春にはなってくれなかった。そこには圧倒的な距離感があった。ヤングジャンプの巻頭グラビアで

微笑む広末涼子と、それを眺める僕との距離感に似ていた。

「青春なんてどうでもいいじゃねぇか」と言う人もいる。

どうでもいいやと思いたい自分もいる。思えたらどれだけラクだろう。

高校時代の担任よ、どうしてこの仕組みを教えてくれなかったんだい?

どうして「数学」や「日本史」の代わりに「青春」という授業がなかったんだろう。

バカみたいに白球を追い掛けている高校球児を見ていると、たまらなくなる。 

        <2010年8月7日 19時26分 下北沢の事務所>

【バラシ(ばらし)】

演劇とかイベントで使われる用語。その名の通り、一体を成すものをバラバラにする作業を指して言うわけだが、こと演劇に関して言うならば、芝居の千秋楽が終わった後の劇場片付けのことである。芝居が「祭り」であるならば、バラシとは完全に「祭りのあと」。僕は根っからの「祭りのあと大好き人間」だ。話はそれるが、高校野球で敗退した農業高校の選手達が、甲子園から帰った翌日にユニフォームではなく作業着に袖を通し黙々と畑を掘り起こす姿にグッと来る。あえてもう野球のことを考えないようにしているのを表情から読み取れた時、「あーこれが人生だな」と思う。ドラマの後というドラマが確実にある。まだどこにも行けない感情が未整理のまま詰まっている閉塞感。人生は金太郎飴のように、どこを切り取ってもドラマ。そこに優劣はない。

バラシ。そこもまた、劇団の数だけ公演の数だけドラマの詰まっている時間だと思っていた。僕も何度も経験して来た。芝居の数だけバラシがあった。そんなバラシを芝居として上演しようと思った。劇団のバラシを題材に描くのだ。それが劇団の解散公演であったというオプションを付けて。

真夏の7月28日から、下北沢の「劇」小劇場で。

 

劇団フルタ丸第15回公演『バラシて終わりと思うなよ』特設ページ

http://furutamaru.com/15thbarashi_mov.html

 

        <2010年7月14日 11時22分 自宅 >

 

【ベーコンエピ(べーこんえぴ)】

ツイストした堅いパンであり、その中にねじ込まれた存在感の薄いベーコン。

それがベーコンエピの正体である。逃げも隠れもしない、ベーコンエピはそこにいる。君の住む街にあるパン屋の端っこの方にいる。名前に「ベーコン」と付いているワリにはベーコン感はあまりない。僕が責任を感じ、勝手に謝っておく。過大広告ではないのでジャロにだけは電話しないで欲しい。そして、「エピ」であって「エビ」ではないよ、これは小学生時代の僕に言っているのだ。ベーコンとエビが入ったかなりバーベキューなノリのパンだと信じ込んでいた。でも、毎回エビが入っていないもんだから、これはパン屋の不注意ではなく、おそらくエビがパンに練り込まれており、その状態を「エピ」と呼ぶのだろうと結論付けたこともあった。エピとはフランス語で麦の穂。あの形を言っていることを知ったのは、今さっきのことである(調べました)。こうして項目として取り上げるぐらいだから、大の好物であることは薄々バレている。恥ずかしいったらありゃしない。これから好きなものをありたっけの言葉で褒めようとしている。けど、べーやん(恥ずかしい気持ちを誤魔化している)の美点を上げろと言われてもキャッチーな言葉は出て来ない。嫌いな人にベーやんをホレさせる自信はまるでない。嫌いな人はホイップクリームがモーセの海のごとく真ん中に乗っかった甘いパンを食べているが宜しい。好きな理由は一点のみ、「堅い」ことである。究極的に言えば味ではないのだ。あの堅さこそが快感なのだ。そして、あの堅い部分を増やすために意図的にツイストしてあるのだ。決して気まぐれじゃない。ねじれる度に焼き上がったベーコンエピはその部分に堅さを蓄える。チンポと同じである。女性の方にはほぼチンポだと思ってもらっていいかもしれない。パン屋のチンポ的存在。僕は毎日そんなチンポを食べて生きている。えーっと、とりあえず謝っておきます。ごめんなさい。 

        <2010年6月11日 1時05分 自宅 >

 

【給食委員長(きゅうしょくいいんちょう)】

中学三年生の時、学校で最も給食に関してエライ役職に就いていた。給食委員長である。権力を持つというのはとっても怖いことだということを学んだ気がする。僕は給食の頂点に君臨してしまった結果、まずプリンなどの人気デザートの横領に手を染めてしまった。給食後の昼休み、僕が給食室に行けば全校から集められたプリンが出て来る仕組みになっていた(なっていたというか、自分でそう仕組んでしまったのだが……)。同様に集まってくる牛乳も毎日三パックは飲んでいた。「牛乳をダースで欲しい」と言った友人に便宜を図ったこともある。友人の家はしばらく牛乳を買わずに済んだという。そりゃそうだろう。横領・談合・収賄……悪そうな熟語はだいたいやった。日本の政治家を悪く言う資格は僕にはない。そんな思いもあってか、自身の劇団の第二回公演で『給食委員長ダメッ!!』という芝居を上演している。

<2010年5月28日 0時17分 馬事公苑のカフェ >

 

【おっぱい(おっぱい)】

おっぱいのことを人生で嫌いになったことは一度もない。

これがイエスでなければ人間をやっている意味は1ミリもない。

だとすれば、どんなサイズが、どんなカタチが、という話になってくる。

おっぱいの種類である。

この正解を端的に導けるほど僕はまだ成熟してない。

おっぱいの正解を決め切れずにいる。

決め切れないまま二十代最後をジタバタと生きている。

二十歳の頃、何かにとり付かれたように検索エンジンに打ち込んだ「巨乳」という言葉のことは忘れていない。けれど、AVを借りる際に「巨乳」というキーワードが引き金になることはなくなった。今の僕は、おっぱいの向こう側にあるもっと大切な何かを見つめようとしている。それが何なのかは分らない。巨乳至上主義でもなければ貧乳至上主義でもないことは確かだ。

さっき京王線に乗っていたら、友人同士だと思われる男子学生と女子大生がベシャっていた。女子大生が「友人のKちゃんがカレと別れたから紹介しよっか?」と男子学生に薦めた。それを聞いた男子学生の第一声は「へぇー」でも「マジで?!」でもなければ「どんな子なの?」でもなかった。

 

「何カップ?」

 

おっぱいのサイズを尋ねていた。

獲物に対するなんという直線距離の短さだ。

僕はその学生のハイパー即物的な感性に惚れ惚れした。

地球が滅びる間際に子孫を残せるのはこうゆうメンズだろうな。 

        <2010年5月23日 16時27分 桜上水のファミレス>

【三村大作(みむらだいさく)】

大学の後輩に三村大作という男がいる。4つぐらい年下だけど、僕は彼からロックを学んだ。演劇をやっているのにロックを学んだ。間違ったのかもしれない。受けた影響が演劇に染み出してしまったから。演劇とロックは食い合わせが悪いから。でも、確実に彼と出会ってロックを意識するようになった節がある。フルタ丸の『世界鉄道』という公演の時、僕が彼から拡声器マイクを奪ってそれで叫ぶというシーンがあった。稽古でも散々繰り返して練習してきた。もちろん、奪うというのはストーリー上の意味合いであって、そんなものは奪われるように見えればいいのだ。実際は渡しているわけで。稽古ではそれを何度もやった。上手く行った。で、千秋楽の本番直前だった。「フルタさん、拡声器、本気で奪いに来て下さい。本気で来ないと僕から取れないと思いますよ」と言いやがった。仕掛けて来たのだ。しかも、もうすぐ幕が開くという直前に。本番、僕は力づくで大作から拡声器をぶん取った。その千秋楽には悪魔の方の神様が降りて来た。その辺のシーンから、舞台上はありない方向に無茶苦茶になった。今ならその時の全てを最高だと思える。僕の中から別の価値観を引き出した。社会に出てても彼のギラ付いた精神性は全く失われていないと僕は思っている。自慢の後輩の一人。 

     <2010年5月18日 0時28分 自宅>

 

【銀杏BOYZ(ぎんなんぼーいず)】

ロックバンドの銀杏BOYZが好きである。おそらく音楽というジャンルで、本当に自分がファンになったと実感できるのは、今のところ「銀杏BOYZ」しかいないかもしれない。大学を卒業する年の冬、彼らの最初のアルバムが出た。一気に2枚。僕はそれを買った発売日のことも、その頃まだ住んでいた八幡山のアパートで聴いたことも、それをCDウォークマンで聴きながら甲州街道の横断歩道を渡ったことも忘れられずにいる。どれも冬の寒い日だった。たぶん音楽の鮮烈さに日常が引っ張られていた。引っ張られた日常は彩り豊かで忘れることが難しい。僕がどれだけ熱っぽく語ろうとも、銀杏BOYZをあなたは知らないかもしれないし聴いたこともないかもしれない。でも、それでいい。星の数ほどある音楽の中で、その音楽に自分がコミットする確率なんて天文学的な可能性なわけだから。僕だって知らない音楽は山ほどあるよ。でも、それを恥ずかしいことだなんて思っていない。きっかけとタイミングと何かしらで曲に出会い、そん時のほとんど恋みたいなパチーン! とした一瞬さえあれば、音楽なんて1曲知っていれば充分じゃないか。たとえ、それが小学生の頃に歌った校歌であっても。音楽は知識でも量でもないと思う。

銀杏BOYZの事務所は下北沢にある。実はフルタ丸の事務所からすぐ近くだったりする。事務所を決めてから偶然知ったのだ。フルタ丸事務所の方が下北沢の駅に近いので若干の優越感がある。バンドのメンバーが下北沢をウロウロしていることがあり、すれ違うことも多い。一方の僕は、銀杏BOYZのTシャツやパーカーを頻繁に着ては同じく下北沢をウロついている。これがね、すれ違う時、猛烈に恥ずかしい。「好きです」と告白しながら歩いているようなものだから。当然、咄嗟に顔を伏せて素通り。声なんて掛けられない。 

     <2010年5月14日 9時53分 自宅>


【万年筆/原稿用紙(まんねんひつ/げんこうようし)】

分けても良かったんですが、限りなく同じ内容になりそうなので合わせ技で書かせて下さい。台本を書いたり原稿を書いたりする時、僕はパソコンを使ってます。このフルタDXもいつもパソコンのワードでしこしこやっております。圧倒的に便利です。パソコンっていうのは「文章を書き直す」という作業においては手書きのソレと比べると、競走馬とポニーぐらいの差があります。これは天地がひっくり返ろうとも認めざるをえません。

けど、僕は万年筆と原稿用紙を持っているんです。これまでに一度も原稿用紙に万年筆で書いた文章を「仕事の原稿」として提出したことはないのですが。きっといきなり原稿用紙で提出したら先方も迷惑だと思うし。ならば、何故に持っているのかと。それは、たった一言で説明が付く。

 

「憧れ」

 

学生の頃から憧れを抱いてきた椎名誠さんやリリーフランキーさんといった文筆家の人たちが原稿用紙に万年筆で文字を書き、それをFAXで出版社に送るというやり方をしていたから。僕はその様式美に猛烈な憧れを抱いて来た。リリーさんは書き直しも校正もしないという。万年筆のペン先から文字が生まれた瞬間から、それが完全原稿になっていくという。よく分らないが、手塚治虫みたいだ。それについて、リリーさんがこう言っていた。「書き直せる」とか「書き直そう」と思いながら書く文章は、その気持ちが読み手に伝わってしまう。ロックミュージシャンがステージ上で何度も歌い直さないように、俺は1発で完全な面白い原稿を書き切るようにしてる。そんな言葉だったような気がする。それを知った時、グサっと来た。だって僕は書き直しまくっていたから。パソコンで文章を書き直して完成させている。小学生の頃、書き初めで細い筆を使って線を立派にしていた記憶が蘇った。なんとなく恥ずかしくなった。今尚、憧れは憧れのままだ。

 

ちなみに持っている万年筆は何本かあるんですが、親父が「モンブラン」という栗のケーキみたいな名前のやつをくれたのでそれを使ってます。あと原稿用紙ですが、これは明治大学の文具屋に売っている「明治大学の原稿用紙」です。学生時代によくレポート提出の宿題で使っていたやつです。卒業してまでも、大学の名前入り原稿用紙を使っている。別に出身大学名をアピールしてるわけではなく、単純にその原稿用紙のデザインが格好いいと思っているから。50枚綴りの原稿用紙で、表紙の紫色のカンジがたまんないんです。

     <2010年5月9日 15時02分 馬事公苑のカフェ>


 

【ジブリ(じぶり)】

ジブリ作品を観ていると、懐かしいのか何なのかよく分らない種類の涙が出そうになる時がある。僕も充分大人なので我慢するから泣かないけど、自信はない。いつか我慢できない日が来たら泣いてしまうと思う。何でもない街の風景のシーンとか、何でもないキャラクターのしぐさに目頭が熱くなってしまう。そういった「何でもない」部分の凄さ。ジブリ作品の魅力はそういった細部に宿りまくっている。そして、その細部に何故惹かれるのか、僕らはそれを上手に説明する言葉を持ち合わせていない。だから何回も観るし、誰かに薦めることで説明の代わりにしたがっている。だって、上手く説明できないんだから。

 

「私、ジブリ好きなんだよね」

「えっ、俺も好きだよジブリ! ジブリの中でどれが一番好きなん?」

 

この会話はたぶん日本中のコンパでさんざん繰り返されて来たはず。

僕も聞かれたことがあるし答えたこともある。けど、自分からその質問を誰かに投げ掛けたことは一度もない。なぜなら「そうゆうことじゃないんだよなー」という宮崎駿の声が聞こえて来そうでビビっているから。

 

ジブリ作品の中で優劣を付けるということは

「読売ジャイアンツと浦和レッズってどっちが強いんですか?」

ぐらいの愚問ではないかと思っている

のですが、宮崎駿さん、僕は間違っているでしょうか?

あなたのモノを創る姿勢に心酔し過ぎでしょうか?

 

そう思ってしまうのは、あなたが4年に1本しか映画を創らないからです。

4年分の魂が込められた作品を僕は好意的にしか受け取れない。

もうそれはそれだけで豊かであり価値のあることだと思ってしまうのです。

僕は冷静な判断と批評が下せる批評家にはなれそうにない。なりたくもない。

 <2010年5月8日 11時49分 馬事公苑のカフェ>

 

【藤沢(ふじさわ)】

大学4年の夏(7月)から、神奈川の「藤沢」という街にほぼ週一で来ている。もうすぐ丸6年になる。これは全ての人には当てはまらない、ちょっと「稀」な習慣だと思っている。週一で6年間、ピアノ教室とかSMクラブに通っている人がいたとしたら、その人にとっては「フルタ、稀でもなんでもないぞ!」と言われるかもしれない。けど、大人になれば、そんな人はなかなかいないでしょ? けど、僕は週一で藤沢に来ている。いや、自慢でもなんでもない。ただ来ているだけだ。藤沢という街に6年越しの恋人でもいるのか。だとしたら、相当に甲斐甲斐しい男だ、僕は。それも違う。タネを明かせば、毎週金曜日の21時から、藤沢にあるFMラジオ局「レディオ湘南」で『らぶ&MUSIC』というラジオ番組をやらせてもらっている。神田陽太さんという6年越しの付き合いになるミュージシャンの方と一緒にダラダラ喋り続けて来た。FMなのにいつ終わってもおかしくないAMっぷりを貫いてきたが、先月放送300回という大台を迎えた。レディオ湘南の密かな長寿番組となっている。そんなラジオのために、僕はこの藤沢という街に通い続けている。6年間も来ていれば、藤沢の細かい道も覚えたし、美味い店もそこそこ知っている。3時間も早く藤沢に着いてしまった場合の時間の使い方も熟知している。そんな藤沢の街で3時間をつぶす黄金ルートを紹介しておく。駅からすぐ近くのビックカメラ5階にあるマッサージチェアでマッサージをタダで受けること30分(マッサージを受けたい方は店員に一言お掛け下さいと書いてあるが、一度も掛けたことがない。勝手に使ってごめん。)蕎麦屋「新月」でたぬき蕎麦&ミニ牛すじ丼を食うこと15分(ひたすら安い蕎麦屋。が、麺が太く味も美味い。牛すじの量はもう少し多くてもいいと思う。)ブックオフで本を選ぶこと30分(藤沢のブックオフには必ず掘り出し物がある。そんな本を見つけた瞬間は、なぜか東京人への優越感で胸がいっぱいになる。僕も東京人なのに。)ベローチェカフェにて本を読むこと1時間(ソファ席に座ると良いアイデアが浮かぶ気がしている。でも、だいたいアイデア倒れになることが多い。)あれ?まだ時間が余っているな。どうしよう。そうだな、その後は......早目にレディオ湘南に入る。CS放送でドラゴンズ戦を観ながら、生放送が始まる21時を待つ。そんな3時間。どうでしょう?(僕は一体誰に薦めているんだろう)これを書いているのも、そんなラジオの前のベローチェだったりします。そろそろ、局に向かいますわ。

<2010年5月7日 20時31分 藤沢のカフェ>

 

【成城SPA(せいじょうすぱ)】

成城SPAという温泉娯楽施設がある。住処のある千歳船橋の駅からシャトルバスが出ていて、ものの5分もあれば行くことができる楽園。僕にとっての楽園はタヒチにもドバイにもなく、間違いなく成城SPAにある。以前、脱衣所で「俺は都内の色んな温泉施設に行ったけど、ここが一番だよ」と友人に激プッシュしている中年がいた。フルタ丸公演が終わった次の日、出張の仕事から帰った次の日、とにかく非常に疲れた次の日に行くことが多い。休むことが下手だと自認している僕はココに来て、「つぼ湯」という一人用の露天風呂温泉に五右衛門のごとく浸かり空を見上げる。俗に言う、サイコーのひととき。正直、温泉に入ったからと言って、疲れが急激に取れるわけじゃない。そんな簡単に疲れが取れたら逆に怖い。そんなお湯、ぜったい何か入ってるぜ。重要なのは「あー俺、今休んでるんだなぁ」という実感。この実感シグナルを脳に送るための入浴なんである。話は逸れるが、この施設の1階はユニクロになっている。都内最大級の取り揃え&敷地面積を誇る店舗。ユニクロという会社は世界中に11人のスーパー店長と呼ばれる店長がいると言われている。店長は店舗の数だけいるが、その11人は重要な店舗に配属されるという。その11人のスーパー店長の内の1人が、この成城SPA一階のユニクロ店舗にいるらしい。そんなこんなで、おススメの楽園。

<2010年5月6日 20時52分 馬事公苑のファミレス>

【徳島(とくしま)】

四国は徳島県徳島市。仕事のイベントで来るようになって3回目。いずれも「マチ★アソビ」というイベントの仕事で、観光らしい観光は一度目に「眉山」へ行ったっきりだ。阿波踊りも見たことないし、美味しい店の徳島ラーメンも食べたことがない。丸めた旅行雑誌「徳島るるぶ」で頭を殴られても文句は言えない程に何も知らない。しかし、一度目に「このまま帰るのは癪ですわ」と思い、早朝のロープウェイで山頂まで登った。この街で生まれたロックバンド「チャットモンチー」の曲を聴きながら歩いた。悪くない演出だった。そんな山登り&景色眺めを満喫したわけだが、この眉山経験を観光と呼んでいいのかどうか迷ってしまった。ただ山に登り、街を眺めただけなのだ。これは観光なのか。観光という言葉の違和感を感じてしょうがなかった。この違和感はなんだ。眉山は徳島市の真ん中にどーんと存在感を示す山以外の何物でもなく、それはただいつもそこにあり、不動で構えている。徳島市のどこにいても見上げれば視界に入ってくるという代物だ。そんな街に何日も滞在すると、その眉山が当たり前過ぎる風景になってしまう。次第に山を見上げることもなくなる。だけど、その当たり前こそが、徳島市が眉山のお膝元である何よりの証。この街は眉山に守られていると思った。父のように、母のように、街を守っている。その関係性が「観光」に感じた違和感と言えなくはないか。徳島を去る時、眉山を見やる。徳島に来れば目で眉山を探す。そこにある眉山を当たり前のこととして受け入れる。これは最高の贅沢だと思うよ。皆さんも徳島に来たら眉山を眺めればそれでいい。他にはなにもおススメできない。だって何も知らないから。知らないのに満足感を得る。「眉山のせい」以外に理由は思いつけない。

<2010年5月4日 8時56分 徳島のホテル>

 

【ビル(びる)】

ビルのある街が好きだ。

もっと詳しく言えば、背の高いビルが建ち並ぶ無機質な街が好きである。
都内であれば西新宿は相当熱い。誤解なく言えば、上京以来あの街のファン。
あの街に通いたいという理由から、あの街でアルバイトをしたこともあった。
バイトの休憩時間には、天高く聳えるビルの窓に映る白い入道雲を眺めた。
雲は風に流されてしまい、
窓が青空の水色に染まったり、
再び、雲の白色に染まったりした。
ただただ、僕はそれをボーっと見ているのが好きだった。
そして、今まさにこの文章を書いている霞ヶ関。
政府機関のビルが乱立している土地で、この街に来るのは2度目。
歩きながら街を眺めているだけで相当ウキウキした気分になって来る。
ディズニーランドが好きな人はきっとこんな気分なのか。
ここは僕のディズニーランドかもしれん。
何故にこういった街が好きなのか。
ある意味、いつもいる下北沢とは間逆の街だ。
でも惹かれてしまう。
ただ「ビルがある」だけではダメなのだ。そんな街は至る所にある。
僕が求めるのは、どこか寒々しさえある「無機質感」かもしれない。
シンプルで人の生活感が全くない街。
そんな街には概してコンビニも牛丼屋も少ない。いや、ない。
あったとしてもナチュラルローソン。
このナチュラルローソンという1ランク上の空気感が嫌みなく溶け合う。
そんな街にあるカフェに入りパソコンを開く。極上の時。

<2010年4月26日 13時16分 霞が関のカフェ>

 

【日曜日(にちようび)】

日曜日を日曜日として感じられなくなったのは大学生になってからでした。

日曜日を日曜日として感じられるまま年を重ねるという幸せが確実にある。

28にもなると、家庭を持つと、それなりに感じる時がある。
そこに背を向けてしまった人間の日曜日はいったいどこにあるのか。
今の僕は日曜日という名の精神的な安心に恋焦がれている半面、
まだまだそんな日曜日に中指を突き立てたい気持ちがある。
もしも一週間が七枚のポーカーならば、
七枚全てが日曜日という「セブンカード」を狙っています。

<2010年4月25日 15時35分 馬事公苑のファミレス>

 

【図書館(としょかん)】

図書館は勉強をしたり読みたい本を借りる場所だと思ったら大間違いだ。

真実はそんな所にないよ。
オシッコを漏らしてしまった中有知小学校の図書館も、
不良グループのアジトみたいになっていた美濃中学校の図書館も、
階段を上る女子生徒のスカートが風に舞った関高校の図書館も、
深夜ラジオに投稿するネタを考えるために籠った明治大学の図書館も、
初版で絶版になった三谷幸喜の『オケピ』が普通にあった杉並区立図書館も、
あっけなく取り壊され姿を変えてしまった美濃市立図書館も。
そんな全ての図書館が、
世界に存在する全ての図書館が、
存在する理由なんて、おそらくたった一つしかないはずだ。
図書館は、好きな子に会える場所。
それ以外にあるものか。

<2010年4月23日 16時05分 自宅>

 

【会議(かいぎ)】

劇団で月一の会議を持つようにしたのは2010年の1月からだった。それまでも思い付きのように行う会議は多々あったが、定例という時間軸を設けたのは今年からだ。場所は言わずもがな下北沢の劇団事務所である。月に一度、皆が決まった時刻(だいたい18時)に決まった場所(事務所)に集まってくる。劇団の事務所は下北沢のとある坂を上った所にあるんだ。僕は誰が来たか足音で分かったりする。一つの会議が終わると、来月の会議に向けてレジメを作り始める。それは僕の役目。新たに決まった案件を書き込み、引き続きの案件について進展具合を並べる。僕らみたいな小さな劇団であっても、そういったものは刻一刻と変わったりする。「ナメんなよ」と思う。それをメンバーが皆で共有する。当たり前のようなことだけど、それはとても大切なことだ。共有するという感情は10代の頃はもう少し簡単に持てた気がする。けど、年を取れば取るほど、一人の人間が抱え込む事柄が増えれば増えるほど、難しくなってくる。共有するという心の余裕がなくなっていくから。そして、共有が疎かになると集団としての後退が始まる。劇団というのは集団で向かっているという意識を全員が持ってないと弱くて脆い。「見せかけ」が上手く行っても、それは決して長くは続かない。一つの劇団が消滅する理由なんて、掃いて捨てるほどあるわけだから簡単に飲みこまれてしまうんだ。僕はいわゆる会社に勤めた経験がないので世の会社がどんな定例会議をやっているのかあんまり知らない。けど、似たようなものだろうと思っている。会議の意味も、やっている内容もね。僕らのような劇団にも会議はある。繰り返すが「ナメんなよ」と思う。

<2010年4月22日 14時46分 下北沢の事務所>

 

【カレーライス(かれーらいす)】

ラーメンが嫌いな人には会ったことがあるけど、カレーライスが嫌いだという人には会ったことがない。まずいラーメンを作るのは簡単だが、まずいカレーライスを作るのは大変にムズカシイ。繊細さを求められるのがラーメンならば、大胆さを求められるのがカレーライスである。晩秋の夜10時を思い出させるのがラーメンであり、初夏の夕暮れ6時を思い出させるのがカレーライス。

はたまた、昔の恋人との外食は大通り沿いのラーメンにあり、昔の恋人がこじんまりとした部屋で作ったのはカレーライスだった。猫がラーメンの残り汁を舐めてニャーと鳴けば、犬はカレーライスの残りをもらってしっぽを振る。ラーメンは仕事と共にあり、カレーライスは家族と共にあり。ラーメンとカレーライス、どちらも好きで毎日どちらかを食べている。だけど、人間の最後は、結局カレーライスだと思っている。

<2010年4月20日 17時41分 下北沢の事務所>

 

【リリー・フランキー(りりー・ふらんきー)】

世間では「リリーさん」と呼ばれている。僕がリリーさんを知ったのは遅かった。名前は知っているけどそれ以上興味を抱くことがない学生時代を過ごし、大学を卒業した年(2005年)に、リリーさんは『東京タワー』という小説を出してベストセラーになった。それを読んだのとほぼ同時期だと思うが、J-WAVEの深夜にやっていたラジオ番組を聴いた。後にも先にも、何気なく付けたラジオで誰が喋っているのかも分らないのに笑い続けその番組を毎週聴くようになったことはない。それぐらいのショックを受けた。それまで聴いて来たラジオのどこにも分類できない面白さ。ネタコーナーもなければ台本も一切なしの2時間半。なんなんだこれは。そのパーソナリティがリリーさんであることを知ったのは確か3週目ぐらいだった。その当時、僕は結婚もしていないし、恋人もいなかった。週に一度の深夜0時半からの番組だけが楽しみだった。あの類の楽しみを、僕はあれ以来一度も経験していない。その年の10月にTBSラジオで番組構成の仕事を頂き、その現場で一度だけリリーさんにお会いしたことがある。向かいに座るリリーさんに「ラジオ、毎週聴いてます」と言った。その晩は興奮して眠れなかった。その時の放送はMDに録ってあり、宝物です。

<2010年4月19日 14時52分 馬事公苑のファミレス>

 

【平野智子(ひらのともこ)】

大学時代からの友人に平野智子さんという人がいる。同じクラスメイトだった。

彼女はピアノの弾き語りというスタイルで音楽を作っている。その声もピアノも、なんかまるで幼馴染と陽だまりのベンチに座り、横からふと話し掛けて来たような優しさと懐かしさがあった。上手く言えないけどそんな感じだった。劇団の音楽を担当してもらい芝居の楽曲もたくさん作ってもらった。どれもこれも僕の宝物になっている。芝居が終わっても何回も聴き返している。一つの鍵盤が指で弾かれ、その次の鍵盤が弾かれるまでの間、そのわずかコンマ数秒間に平野さんが仕掛けた郷愁がある。吸い込まれるように、僕はボーっとする。その隙間が僕をその芝居を作っていた時の生活に連れて行ってくれる。

不思議だ。その時の劇団員の顔や会話、そんな隅々まで思い出させてくれる。
音楽はタイムマシーン。嘘じゃない。平野さんはそんな音楽を作れる人です。

<2010年4月16日 16時38分 下北沢の事務所>

 

【ギャンブル(ぎゃんぶる)】

松尾スズキの『老人賭博』。それにしても良いタイトルだなぁ。賭博=ギャンブルですが、僕はほとんどしません。大昔ですが、ゲームセンターに置いてある競馬のコインゲームにハマったことがありました。当時は小学生でしたが、あーこのままメダルはいつしか紙幣に変わり、ゲームセンターは大井競馬場に変わり、競馬は、パチンコ、カジノと際限なく姿を変えて行き、そのまんま僕は雪だるまになって地獄を見るという予感がありました。それもこれも現時点では杞憂に終わりました。僕の唯一のギャンブルは年1回の有馬記念。そこでも5000円以上使ったことがありませんわ。ま、その代わり、当たったこともありませんが。ビキナーズラックなんて信じてません。費やした人間が最後の最後を手に入れる。ギャンブルも夢もみんなそうだと思います。僕は劇団をやっていることが最大のギャンブルかもしれません。だから、他のギャンブルに興味がないんでしょう。今日もそんなギャンブルのために働き、ギャンブルがもたらしてくれる何かに夢を抱いて眠るでしょう。

<2010年4月15日 12時04分 馬事公苑のファミレス>

 

【犬(いぬ)】

今、足元に犬が丸まって眠っている。黒マメシバを飼い始めてこの夏で2年が経つ。ジョンという名前だ。保育園の頃から飼い始めたクロスというダックスフンドは小学1年生の時に血のオシッコが出る病気で死んでしまった。その直後から飼い始めた銀という柴犬は4年前に息を引き取った。その時、実家の母が泣きながら電話を掛けて来たことが今も頭にこびり付いている。考えたくないが、命あるモノは必ずいつかその命の終着駅がある。命の電車がゆっくりと最後の駅に到着する。それは本当にゆっくりと減速をして停止線の所でちょうど止まる。車内の明かりが丁寧に消え、駅構内に優しい声で「おつかれさまでした」というアナウンスが鳴る。

<2010年4月14日 9時43分 自宅>

 

【脚本(きゃくほん)】

初めて書いたのは高校2年生の頃でした。それは文化祭で上演する舞台の台本でもなければ、クラスで撮ることになった短編映画の台本でもなかった。数学のテスト中に解答をとっくに諦めた僕は、問題用紙の裏にコントを書き始めた。それは上演する宛てもないコント。誰に依頼されたわけでもないコント。書きたいから書いた。シャープペンシルが走った。それがなぜ脚本の体裁を持ったコントだったのか。小説でもなければ歌詞でもなかった。それは脚本の体を為していた。人を介して上演したい気持ちがあったのか。そんな理由も全ては後付けでなんとかなる。だから、理由の詮索は無意味だ。僕はコントを書いていた。あの夏のうだるような5時間目に。書きながら自分で笑い始め、ワクワクする気持ちを抑えるのが大変だった。それが面白い作品かどうかは問題ではない。僕がその行為を心底楽しんでしまったことが問題だった。本屋やレンタルDVD屋に行って、選ぶ段階のワクワクに似ていた。急にうんこがしたくなるアレだ。僕は幸せだった。モノを作る幸せとは、きっとこうゆうことなんだと思った。あんな気持ちで書ければ、それが傑作になると思っている。でもなかなか難しい。あんな気持ちになれないんだ。でも、まだなれると信じてる自分もいる。初期衝動っていうやつを。アンコントロールな何かを。

<2010年4月8日 16時34分 東新宿のカフェ>