【革命(かくめい)】

実に便利な言葉だと思う。

 

「革命起こしてぇ」

 

ぼくらは気軽に言えてしまう。

電車の中でツレと駄弁りながら「革命」って単語を発したとしても

他の乗客から通報されたりなんかしないってことだ。

それぐらいポップであり通俗的なんだ。

 

ならば、あとは強い意思があるかどうか。

それでしか「ポーズの革命」なのか「ガチの革命」なのか判断が付かない。

 

劇団を結成して10年が経った。

 

ぼくが作品の中でやってきた色んなことを「革命」と呼びたくなって、

次回公演『うつくしい革命』のチラシ裏面にも、そう書いた。

でも、それが「ポーズの革命」だった可能性がある。

ガチだったのかどうか。

正直、少しだけ自信が持てなくなったのだ。

ぼくは過去のことを美化してるだけなのかもしんないな、ってね。

 

でも、美化するのが人生だろ?

 

自分が歩んで来た道を、

自分が美化しなくて誰がしてくれるって言うんだい?

 

次回作『うつくしい革命』で、

ぼくは自分の中の美化を突き詰めたいのかもしれない。

 

この作品を作るための10年だったんだよ。

 

        <2012年8月16日 6時23分 自宅>

【劇団(げきだん)】

ご無沙汰。

 

何をしていたかと言えば、

劇団のことばかりを考えて生きていました。

もちろん、ドラゴンズのこと、娘のこと、考えることはそれなりにあった。

それでも、劇団のことが頭から離れなくなっていました。

もっと言えば、僕は劇団しかやりたくなくなっていました。

全てを放棄しても、

僕は劇団だけを集中してやるべき時が来たような気がしていました。

これを逃したら「もうないな」とまで思いました。

言うならば、事実上、最後のチャンスか。

本当はもっと早く気付くべきでした。

これまでは命を燃やしていませんでした。

燃やしているフリをしていました。

もう気付きました。

命を燃やし始めました。

燃やし始めたってことは、消えたら終わりってことでもあります。

風にでも吹かれて自然と消えるのか、消えないままいつまでも燃え続けるのか。

ギャンブルですよ、ほとんど。

 

劇団結成して10年目。

連れ添った夫婦のような人間関係は、時と共に変化しました。

でも、変わらないモノが一つだけあります。

 

僕だ。

 

フルタジュンは劇団をやっている。

その名前はフルタ丸っていう。

 

来週から新作を上演する。

 

こんな宣伝まがいなコラムになってしまい申し訳ない。

でも、これは僕の興味のあることを書くという趣旨だったので、

そこに嘘は1ミリもありはしないよ。

 

雨の降る下北沢で、僕は一人作戦会議だ。

君を笑わせたいし、心の隙間に入り込みたいんだな。

        

<2012年5月3日 11時43分 下北沢事務所>

【コラム(こらむ)】

 

コラムについて書くコラムで、

2011年が始まるのも悪くないと思う。

 

コラムの定義がよく分からず困っている。

仕事で書いているものもあるし、

劇団関連で書いているのもあるわけだが、

正直分かっていない。

義務教育で誰も教えてくれなかったから、分かるわけがない。

筆が止まると「コラムってなんだろう?」という禅問答に逃げてしまう。

気付いたらなんとなく筆をスルスルと進ませていて、

納得できる形に文章を折り畳もうとしている。

こうゆう時はだいたいおもろくない。

自分で書いていて分かる。

つまらん文章を書いていると気付く。

折り畳みかけたものを伸ばす(Delete)。

白紙に戻して、また途方に暮れる。

そんなことの繰り返しだ。

繰り返す内に陽が暮れて迷子になる。遭難。

遭難すると、発煙筒を打ち上げるがごとくドーンと視界が開ける時がある。

書ける時。

 

昨年、コラムの仕事がコロコロと増えた時に悩んだことがあった。

その中の一つに、書くことをがっつりと指定されているような、

そういったコラムがあった。

あまりにも自由度がなく、正直、僕は悪態をつきながら書いていた。

今思えば、最低な行いだ。

 

「こんなものを書いて金もらっても、さっぱり嬉しくねぇ」

 

本当にそう思っていた。

何度か断ろうと思ったけど、ずるずると続けている内に打ち切りが決まった。

 

あんなに辞めたかったはずなのに悔しかった。

自分の中で理想とするコラムがあったことを思い出したから。

いかなる条件でも、その理想に近づくことを放棄してはならなかった。

喉元に長い剣先を突き付けられたような苦しさが、しばらく続いた。

 

詩でもなければ小説でもない、

およそ800文字とか1200文字とかそれぐらいの短い文章を

コラムであると乱暴に定義するならば、

 

ものすごい角度から、

ものすごいスピード感で

ものすごい気持ちの良いボタンを押されるような

そんなあっという間の文章の連なり。

詩でも短すぎるし小説でも長すぎる、

ちょうど800文字という字数に表面張力のようにぴったりと収まる文章。

そこには詩のように選び抜かれた文章が肩を組み、

小説のように誰かの物語が垣間見えて人生を想わせる。

そうゆうやつ。

 

たまにある。

そうゆうすごいやつが。

 

そうゆうのを読んでしまうと

愕然とすると同時に、

いつか僕にもこんなものが書けないだろうかという憧れを抱く。

 

そんな憧れがあるのでコラムを書いています。たぶん。

 

 

        <2011年1月4日 0時00分 自宅>

【ケーキ(けーき)】

 

実家が洋菓子店を営んでいることから、

幼少期の僕の太っている理由が

「ケーキの食べ過ぎ」と結びつくことが多々あった。

 

「太っていてもしょうがないよ。実家がケーキ屋だからね。」

 

この短絡的な慰めが一番僕を傷つけた。

ケーキに対して嫌悪感を抱いていた時期があったのはそのためだと思う。

僕が太っていた理由は他にある。

その頃、スナック菓子を自家製オーロラソース(ケチャップとマヨネーズを混ぜた高カロリーでぶソース)に付けて食べることにハマっていたのだ。

間違いなくそれが原因。ケーキではなかったのだ。

 

その後、僕がケーキに歩み寄りを見せた背景には、

「本当はケーキのことが好きだったのに、その気持ちに気付かないフリをしていたことに気付いたから」という面倒くさいドラマがある。

 

鎖国から開国へ。

僕は堰を切ったかのようにケーキを食べるようになった。

 

父親と外食でケーキを食べる時が最も緊張した。

無言で目の前のケーキを食べた後、父親から一言「美味いか?」と聞かれる。

ケーキに対する僕の舌を確かめられているのだ。

美味いと思ったので「美味い」と答えると、必ず「不味いわ!」と叱咤された。

親父が他所のケーキを褒めている所を僕は見たことがない。

 

この天の邪鬼な性格は、対象物を変え、僕がまんまと引き継いだ。

僕も同業者をあんまり褒めない。

<2010年10月22日 16時40分 千歳船橋のカフェ>

 

【銀杏BOYZ(ぎんなんぼーいず)】

ロックバンドの銀杏BOYZが好きである。おそらく音楽というジャンルで、本当に自分がファンになったと実感できるのは、今のところ「銀杏BOYZ」しかいないかもしれない。大学を卒業する年の冬、彼らの最初のアルバムが出た。一気に2枚。僕はそれを買った発売日のことも、その頃まだ住んでいた八幡山のアパートで聴いたことも、それをCDウォークマンで聴きながら甲州街道の横断歩道を渡ったことも忘れられずにいる。どれも冬の寒い日だった。たぶん音楽の鮮烈さに日常が引っ張られていた。引っ張られた日常は彩り豊かで忘れることが難しい。僕がどれだけ熱っぽく語ろうとも、銀杏BOYZをあなたは知らないかもしれないし聴いたこともないかもしれない。でも、それでいい。星の数ほどある音楽の中で、その音楽に自分がコミットする確率なんて天文学的な可能性なわけだから。僕だって知らない音楽は山ほどあるよ。でも、それを恥ずかしいことだなんて思っていない。きっかけとタイミングと何かしらで曲に出会い、そん時のほとんど恋みたいなパチーン!とした一瞬さえあれば、音楽なんて1曲知っていれば充分じゃないか。たとえ、それが小学生の頃に歌った校歌であっても。音楽は知識でも量でもないと思う。

銀杏BOYZの事務所は下北沢にある。実はフルタ丸の事務所からすぐ近くだったりする。事務所を決めてから偶然知ったのだ。フルタ丸事務所の方が下北沢の駅に近いので若干の優越感がある。バンドのメンバーが下北沢をウロウロしていることがあり、すれ違うことも多い。一方の僕は、銀杏BOYZのTシャツやパーカーを頻繁に着ては同じく下北沢をウロついている。これがね、すれ違う時、猛烈に恥ずかしい。「好きです」と告白しながら歩いているようなものだから。当然、咄嗟に顔を伏せて素通り。声なんて掛けられない。 

     <2010年5月14日 9時53分 自宅>

 

【会議(かいぎ)】

劇団で月一の会議を持つようにしたのは2010年の1月からだった。それまでも思い付きのように行う会議は多々あったが、定例という時間軸を設けたのは今年からだ。場所は言わずもがな下北沢の劇団事務所である。月に一度、皆が決まった時刻(だいたい18時)に決まった場所(事務所)に集まってくる。劇団の事務所は下北沢のとある坂を上った所にあるんだ。僕は誰が来たか足音で分かったりする。一つの会議が終わると、来月の会議に向けてレジメを作り始める。それは僕の役目。新たに決まった案件を書き込み、引き続きの案件について進展具合を並べる。僕らみたいな小さな劇団であっても、そういったものは刻一刻と変わったりする。「ナメんなよ」と思う。それをメンバーが皆で共有する。当たり前のようなことだけど、それはとても大切なことだ。共有するという感情は10代の頃はもう少し簡単に持てた気がする。けど、年を取れば取るほど、一人の人間が抱え込む事柄が増えれば増えるほど、難しくなってくる。共有するという心の余裕がなくなっていくから。そして、共有が疎かになると集団としての後退が始まる。劇団というのは集団で向かっているという意識を全員が持ってないと弱くて脆い。「見せかけ」が上手く行っても、それは決して長くは続かない。一つの劇団が消滅する理由なんて、掃いて捨てるほどあるわけだから簡単に飲みこまれてしまうんだ。僕はいわゆる会社に勤めた経験がないので世の会社がどんな定例会議をやっているのかあんまり知らない。けど、似たようなものだろうと思っている。会議の意味も、やっている内容もね。僕らのような劇団にも会議はある。繰り返すが「ナメんなよ」と思う。

<2010年4月22日 14時46分 下北沢の事務所>

 

【カレーライス(かれーらいす)】

ラーメンが嫌いな人には会ったことがあるけど、カレーライスが嫌いだという人には会ったことがない。まずいラーメンを作るのは簡単だが、まずいカレーライスを作るのは大変にムズカシイ。繊細さを求められるのがラーメンならば、大胆さを求められるのがカレーライスである。晩秋の夜10時を思い出させるのがラーメンであり、初夏の夕暮れ6時を思い出させるのがカレーライス。
はたまた、昔の恋人との外食は大通り沿いのラーメンにあり、昔の恋人がこじんまりとした部屋で作ったのはカレーライスだった。猫がラーメンの残り汁を舐めてニャーと鳴けば、犬はカレーライスの残りをもらってしっぽを振る。ラーメンは仕事と共にあり、カレーライスは家族と共にあり。ラーメンとカレーライス、どちらも好きで毎日どちらかを食べている。だけど、人間の最後は、結局カレーライスだと思っている。

<2010年4月20日 17時41分 下北沢の事務所>

 

【給食委員長(きゅうしょくいいんちょう)】

中学三年生の時、学校で最も給食に関してエライ役職に就いていた。給食委員長である。権力を持つというのはとっても怖いことだということを学んだ気がする。僕は給食の頂点に君臨してしまった結果、まずプリンなどの人気デザートの横領に手を染めてしまった。給食後の昼休み、僕が給食室に行けば全校から集められたプリンが出て来る仕組みになっていた(なっていたというか、自分でそう仕組んでしまったのだが……)。同様に集まってくる牛乳も毎日三パックは飲んでいた。「牛乳をダースで欲しい」と言った友人に便宜を図ったこともある。友人の家はしばらく牛乳を買わずに済んだという。そりゃそうだろう。横領・談合・収賄……悪そうな熟語はだいたいやった。日本の政治家を悪く言う資格は僕にはない。そんな思いもあってか、自身の劇団の第二回公演で『給食委員長ダメッ!!』という芝居を上演している。

<2010年5月28日 0時17分 馬事公苑のカフェ >

 

 

脚本(きゃくほん)
初めて書いたのは高校2年生の頃でした。それは文化祭で上演する舞台の台本でもなければ、クラスで撮ることになった短編映画の台本でもなかった。数学のテスト中に解答をとっくに諦めた僕は、問題用紙の裏にコントを書き始めた。それは上演する宛てもないコント。誰に依頼されたわけでもないコント。書きたいから書いた。シャープペンシルが走った。それがなぜ脚本の体裁を持ったコントだったのか。小説でもなければ歌詞でもなかった。それは脚本の体を為していた。人を介して上演したい気持ちがあったのか。そんな理由も全ては後付けでなんとかなる。だから、理由の詮索は無意味だ。僕はコントを書いていた。あの夏のうだるような5時間目に。書きながら自分で笑い始め、ワクワクする気持ちを抑えるのが大変だった。それが面白い作品かどうかは問題ではない。僕がその行為を心底楽しんでしまったことが問題だった。本屋やレンタルDVD屋に行って、選ぶ段階のワクワクに似ていた。急にうんこがしたくなるアレだ。僕は幸せだった。モノを作る幸せとは、きっとこうゆうことなんだと思った。あんな気持ちで書ければ、それが傑作になると思っている。でもなかなか難しい。あんな気持ちになれないんだ。でも、まだなれると信じてる自分もいる。初期衝動っていうやつを。アンコントロールな何かを。

<2010年4月8日 16時34分 東新宿のカフェ>

【ギャンブル(ぎゃんぶる)】

松尾スズキの『老人賭博』。それにしても良いタイトルだなぁ。賭博=ギャンブルですが、僕はほとんどしません。大昔ですが、ゲームセンターに置いてある競馬のコインゲームにハマったことがありました。当時は小学生でしたが、あーこのままメダルはいつしか紙幣に変わり、ゲームセンターは大井競馬場に変わり、競馬は、パチンコ、カジノと際限なく姿を変えて行き、そのまんま僕は雪だるまになって地獄を見るという予感がありました。それもこれも現時点では杞憂に終わりました。僕の唯一のギャンブルは年1回の有馬記念。そこでも5000円以上使ったことがありませんわ。ま、その代わり、当たったこともありませんが。ビキナーズラックなんて信じてません。費やした人間が最後の最後を手に入れる。ギャンブルも夢もみんなそうだと思います。僕は劇団をやっていることが最大のギャンブルかもしれません。だから、他のギャンブルに興味がないんでしょう。今日もそんなギャンブルのために働き、ギャンブルがもたらしてくれる何かに夢を抱いて眠るでしょう。

<2010年4月15日 12時04分 馬事公苑のファミレス>