中央突破

2/12 福本伸行 『最強伝説 黒沢』 

 

ざわ...ざわ...

ざわ...

ざわ......ざわ......ざわ......


状況説明なのかセリフなのか判然としない。

コマの中に「ざわ...」と書き込まれている。

それは「ざわ......」でしかない。

得体の知れない空気をこんなにも分かりやすく伝える2文字は他にない気がする。

漫画家・福本伸行。

映画化もされた漫画『カイジ』を読んだのは大学を卒業した翌年だった。
あれは確か春の下北沢。
薄暗い漫画喫茶だった。
当時、恩師から漫画を2つ薦められた。
『ハチミツとクローバー』そして『カイジ』だ。
何の予備知識もないまま、『ハチミツとクローバー』と『カイジ』を
ごそっと手にした僕はその順番で読み始めた。
結果は想像に難くない。

僕はもう立ち直れないんじゃないかと思った。

2作品の間に流れる明確な38度線。韓国と北朝鮮か。
いや、もっと違う気がした。


現にたった今読んだばかりの『ハチミツとクローバー』の内容をほとんど思い出せなくなっていた。思考回路に「ざわ...」がウイルスのように侵入し、「淡さ」や「キュン」といったヌルイ感情を根こそぎ踏み潰して行った。踏み潰した後には真黒なヒマワリが咲いた。ざわのヒマワリが咲いた。それが福本伸行初体験。

それ以降、福本さんの作品を読んだ記憶はなかった。

先日、全く接点のない2人から薦められた漫画『最強伝説 黒沢』を読みたくなった。作者は福本伸行氏。ウマトラかウルトラマンか知らないが、とにかく記憶が「読むな、読むな」と言っている気がしたが、結果的に僕は全11巻を読んでしまった。


読み終えたのは赤坂のカフェだった。



すごいものを読んでしまった。



そう思った。
だからこうしてルポを書くべき中央突破に、漫画のレビューなんていう甘っちょろいものを書き始めている。

作品のキャッチコピーはこうだ。


「建設会社のダメ社員、独身、44歳、友人なし、恋人なし、目標なし」

 

「日本の底辺から「最強伝説」を作り上げる!」

黒沢なる中年のダメ人間が孤軍奮闘して最強な伝説を次々に作っていく。
それだけの漫画だ。
黒沢のダメっぷりを笑い、黒沢の空回りを笑い、人ごとだと思って笑う内に
黒沢は自分なんじゃないかと思えてくる。
笑いながら笑えなくなってくる。
黒沢が直面している現実は、僕も直面したことのある現実なんじゃないか。
あの風景を僕も知ってる。
そして、ギリギリまで追い詰められた黒沢が、己の限界値と常識の限界値を超える。
そういったシーンが何度か出てくる。
その瞬間、鳥肌が立った。
そして、泣けた。
悲しいからじゃない。
憧れが感極まったから。


追い詰められたギリギリの所で自分を賭けるということ。
自分を自分の生き方に賭ける。
最大の博打だろう。
黒沢の場合は、死んでも構わないという博打を打ってしまう。
僕らはなかなかそれができない。
限界を超えたつもりでいても、それは全然超えていない。
守るものがあるからできないでいる。
最後の最後ができていない。
そんな限界値というのがある。

黒沢はずっとどうしようもない人生を歩んできた。
幸か不幸か、守るものが何もない。
そんな人間の本気の様、限界の様が描かれている。

本気になったり、己の限界を超えたりする必要がない人にとっては響かない漫画かもしれない。でも、それでいいと思う。万人がこんな漫画に意味を見出してしまったら日本は崩壊するに違いない。

僕が演劇で実現したい普遍的なテーマに
「為す術ナシと言われている現実に演劇でなんとかして抗いたい」
というのがある。

なんとかして演劇で現実と闘えねぇかと思う。

悔しい現実に抵抗したい。
一矢でも報いたい。
このまま終わりたくない。

最後の最後、黒沢のつぶやきは本当に優しい。

 

 

 

詳しくは読んで下さい。
黒沢、ありがとう。

 

 

 

 

1/18 「愛について」

「恋愛」を分解すれば「恋」と「愛」という二文字に分かれる。

「恋」「愛」の順番。
「恋」があっての「愛」。「恋」を経ての「愛」。
「愛恋」などという言葉が存在しないように、それは強固なものにも思えるが。

なんて具合に、

この『中央突破』の連載が始まって以来、取材をせずにこの文字の集合体を書こうとしている。取材対象が不明確な突撃ルポ。果たしてこれはルポなのかどうか、どこに突撃していくのか僕も分からないので、当然皆さんも分からない。

僕自身に突撃する線も考えた。
しかし、如何せん、自分の恋愛体験めいた文章は書き散らかして来た感があるので腰が重い。重いままで指がピタリと止まったままだ。かと言ってね、
愛について哲学めいた文章など書いてもツマラナイでしょう。
甚だFUCKなことでしょう。

困った。
はい、非常に困った。


というわけで、AVについて書こうと思うのです。

 


僕にとってこんなにも愛が溢れ、僕の日常に寄り添う優しいものは「AV」だけだから。映画を見なくなったり、小説を読まなくなったり、芝居を観なくなったりする時期はあれど、AVを観なくなった時期は一度もない。
上京して8年、僕にとっての不滅の優良コンテンツになっている。
ネット環境さえあれば、毎日何かしら無料のモノを拝見させて頂いている次第だ。そして、多大なる満足を得ている。「感謝」以外の言葉は浮かばない。いや「顔射」という言葉も浮かびます。
すでにワード的にノーセンキューなモノが出て来たぞという方は速やかに退出なさってほしい。決していつもの中央突破で真面目ぶっているわけではないが、ことさら、自分とAVに対して中央突破しなければならないという責任感からこんな感じにもなっている。どうかご了承願いたい。


まず、これを明確に提示させて頂きたいのであるが、

「フルタはAV女優でAVを選ばず」

という基本理念がある。

「弘法筆を選ばず」という言葉もありますが、僕は選ぶんです。
俗に言う「こんな綺麗な女の子がAVに出ている」という驚きによる興奮。
これが僕にはさっぱりない。だから、レンタルビデオ屋に行っても単体女優ランキングには鼻くそ程の興味も抱けない。
そんな「AV女優先行のAV」を意識的に選ばないという選択をしている。

しかし、「弘法にも筆の誤り」があるように

「フルタにもAVの誤り」

というのが当然ある。

僕は神様ではないのだ。間違って当然。

ごくまれに、妙に自分の琴線に触れるAV女優を知ってしまうことがある。
すると、そのAV女優の名前を追いかけるように作品を追いかけてしまう。
これが、案の定、ダメなAVだったりする。まさに「誤り」。
こんな日は、ムシャクシャして残念でどんよりとした気分になる。

ならば、僕は何でAVを選んでいるのかという話になる。

「企画力」

この一点だ。
そこに出演している女性の容姿は問わない(巨乳であれば確かに嬉しいけど)。
いかに斬新でいかに新しい興奮をもたらしてくれる企画であるかどうか。
これをAVのタイトルとパッケージの裏面に書かれた写真と説明で見抜けるかどうか。僕はそこに絶対的な自信を持っている。
企画モノのAVであればソムリエが出来る自信がある。

西に性癖を暴露する輩があれば、行って企画モノAVを選び
東に単体女優に飽きてAVに失望する輩があれば、行って企画モノAVを選ぶ。

そんな仕事があればぜひやらせて頂きたい。


かつて著名なAV男優さんの話を聞く機会があった。
AV男優さんとAV女優さんの恋についての話だ。

彼らはいわば恋におけるゴールである「SEX」が「出会い」という
非常に稀有な流れを経て付き合い始めるという。
考えてみれば、確かにそうだ。
それが出会いになる。
世にある多くの恋は「SEX」に向かって行く恋だと思う。
どれだけ正論を並べても、どれだけ綺麗事で包んでも、まずはそこに向かう。
それがまっとうだと思う。
でも、その逆を想像してみてほしい。
その現実を想像してみてほしい。
そんな恋はどこに向かって行くんだろうと想像してみてほしい。
僕はそれを想像した時、本当に恋について考えることができた気がした。
それは恋じゃなくて愛かもしれないと思った。
愛から始まる恋かもしれないと思った。

そんな順番だってあるんだよ。

 

 

1/5「君はコミケに行ったことはあるか?」

「カオス」という言葉がある。

わりかし便利な言葉で僕は好き。
眼前の状況が上手く言葉で言い表せない時に「カオスだ」なんて言えばだいたいの事は形容出来た気分になるから。
しかし、僕が東京ビックサイトで見たその光景は果たして「カオスだ」の言葉で形容出来たのかどうか分からない。
今、思い返しても、それは「カオス」という言葉が持つ枠を超えた所にあった気がしてならない。
もう一つ大きな枠でないと、その現実を上手く捉えられないような気もした。

 


コミックマーケット。
通称「コミケ」。

 


どれぐらいの人が、このイベントをちゃんと理解しているんだろうか。
ちなみに僕は名称レベルでしか知らなかった。
どんなことが為され、どんな規模のイベントであるか。
全てが無知。恥ずかしながらの無知状態。
そんな場所での仕事が先に決まった。
ラジオ番組の公開録音の仕事。僕は構成作家としての参加となった。

 


本来であればぬくぬくダラダラすべき年末。
僕は朝から国際展示場駅へと向かった。
早朝の小田急線に乗り、新宿で埼京線に乗り換える。
何かがヘンであることに気付く。
師走29日の早朝の電車が妙に混んでいる。
ギュウギュウの車内。
まさかという思いはあった。
埼京線が国際展示場駅に着きドアが開いた。
それと同時に、車内にいたほぼ全員が一気に飛び出した。
降車などという穏やかなものではない。
もはや合戦だ。
どこからかホラ貝が聞こえそうな合戦。
人の波が津波のように濁流のように駅の階段を掛け上がっていく。
その波に押されながら、半信半疑のまま地上に出た。

 


人の海が広がっていた。

 


かつて夏のロックフェスに行った時、あまりの人の多さに眩暈がしたことがあったが、その時の多さとは質量からして違った。全く違う。圧倒的に多いのだ。
ハリウッドのCGじゃないかと疑いたくなるような多さ。
この衝撃はなかなか文字に起こせない。とにかく尋常ではない。
こうなってくると、もはや眩暈さえ起きなかった。
もしかしたら人間が一カ所にあんなにも集まっている光景を見たのは生まれて初めてだったかもしれない。
聞いた話によれば、コミケの一日の来場者数は13万人を超え、
3日間の延べ数は50万人だという。

 


と、ここまで書いて、僕は岐阜県に帰省した。
お正月休み。
なんとも疲れていた。体調の悪さもあった。
体調が悪いなぁと思っていたら2日の夜に熱が出た。
熱がどんどん上昇を始め、死にそうになった3日の夜に救急病院へ向かった。
診断はインフルエンザ。

 

コミケ2日目の12月30日、周りのスタッフ談によれば、
僕は死にそうな顔で岐路に向かったらしい。
疲れに過ぎないと思っていたが。

 


しかし、潜伏期間の3日間を置いて、
見事にインフルエンザの卵から雛が孵ったのだった。

 


コミケでもらったウイルスと断定して間違いなかった。

 


そんなこんなで僕に厄介なお年玉をくれたコミケ。
流行りのタミフルをバリバリ食いながらコミケのことを思い出してみる。

 

コミックマーケットの会場は
企業が出店しているスペースと個人が出店しているスペースがあった。
僕は仕事として企業スペースにいた。
しかし、コミケの真の醍醐味とは個人が出店しているスペースの方だ。

 

 

素人の人達が自分で描いた漫画を販売できる場所。
そして、それを求めて、全国からこれまた素人の人達が漫画を買いに来る。
そんな市場。
それがコミックマーケット。

 

コミケに対して無知かどうかの線引きはここにある気がする。
僕はこの文化を飲み込めない所にいる。
コミケのシステムを知っても飲み込めない。
素人の人達が描いた漫画に興味がない。欲しいとも思えない。
そこの線引きが明確にあるが故に、無知のまま今日まで来てしまった可能性はある。

 

そこで売られる漫画に「掛け算」というものがある。
分かりますか? 掛け算?
算数じゃないですよ。
あのアニメのキャラとあのアニメのキャラが共演しているっていう意味。
その辺の著作権も無視しているのでそうゆう自由が横行している。
この掛け算が好きな人にはたまらないというわけだ。
これも結局は嗜好性に尽きる話になってくる。

 

一つ思い出したことがある。
僕が小学生時代。
アニメ『ドラゴンボール』のある回にペンギン村が出てきたことがあった。
そう、あのドクタースランプアラレちゃん。画面にアラレちゃんが出て来た時は興奮した。悟空とアラレちゃんが並んでいるのを見た時はドキドキした。
その頃は同じ鳥山明の作品だとか、そんなことはよく分かっていなかった。
どうしてこんなことが起きるのかと胸がいっぱいになったことがある。

 


理解できることもある。

 


コミケは年に2回行われている。
夏と冬。
次は今年の夏だ。
またあの群衆があの東京ビックサイトに集うのかと思うとげんなりもする。
再び夏のコミケで仕事の可能性もある。
その時は意地でもマスクを付けたまま仕事をしようと思う。

 


まだコミケに行ったことがない方へ。
そのイベントのバカでかい規模を体感する価値は多いにある。
それほどぶっ飛んでる規模のイベントだと思う。
しかし、そこで楽しめるかどうかはあなたの嗜好性次第だ。
万人が楽しめる場所でないことは確か。
ディズニーランドへ行くつもりなんかで行ったら、大いに怪我をする。

 

2010年のコミケまであと半年。
覚悟を決めるには充分過ぎる時間がありますが、いかが?

 


3日目のコミケ終了後。バラし始めるイベント会場。
トラックの搬出口に立ち、眺めた有明の空は、ムカつく程にキレイだった。