『法廷劇 ~前説に代えて~』

 

朝9時半、下痢に苛まれたまま「霞ヶ関」に着いた。
体調はベリーバッド。
向かった先は「東京地方裁判所」である。

このルポで「裁判傍聴」を取り上げることには、正直、躊躇いがあった。
理由は簡単だ。
北尾トロさんという裁判傍聴ルポの第一人者がいらっしゃるからだ。
言わずと知れた、超人気ルポシリーズ。北尾さんが、あくまで素人の目線で切り取った「裁判」が時に可笑しく時に物悲しく描かれている。
完全素人の僕が1回フラっと行っただけで、いったい裁判の何が分かるというのか。
正直な話、「原告」や「被告」の意味さえも、3秒間ぐらい思考を働かせないと間違えてしまう可能性もある。
原告が「訴える人」、被告は「訴えられる人」。当たってますよね? 
頭の中を整理する意味合いも込めて書いてみた。
そんな僕が、どんなに足掻いても、薄っぺらいフェイクみたいなものしか書けないような気がした。そして、ここからは陳謝になるが、僕自身、実は北尾トロさんの本を1冊も読んだことがない。上記した北尾トロさんについての文章は、編集者から僕に送られてきたメールを、ほぼほぼで丸写ししただけだ。読んだこともないのに、もう気持ちだけで完全に負けてしまっていた。草食系にも程がある。

けれど、裁判傍聴に行ってみようと思った。
理由は2つある。

ルポで書きたいものが、僕自身ノーアイデアだったこと。
そして「殺人犯を肉眼で見たかった」こと。
俗すぎて申し訳ない。
裁判傍聴に行くことが決まってから3週間ぐらいあった。何度か北尾トロさんのルポを買って読もうかとも考えた。考えたがやめた。原告と被告の意味も若干あやふやな僕が裁判を見て何を思えるのか。何も思わないかもしれないし、何かとんでもない発見があるかもしれないし。電車の網棚に捨てられた週刊漫画雑誌を拾って読むように、そんな気軽さを持ってして裁判に触れたいと思った。うむ、それさえも言い訳かもしれない。

 


初めて歩く霞ヶ関。日本の中枢機関が横並びに乱立している。
来た道をどれだけ振り返っても、コンビニや定食屋は一軒もない。
お店がないのだ、全く。
360度、シャレの通じないオーラがぷんぷんしている。
その一角に東京地方裁判所があった。

入口には列ができていた。
裁判所に入りたい一般人には、荷物検査が課せられている。
空港のように係員に荷物を渡し、夢のないネズミ色をした「どこでもドア」みたいなドアをくぐった。
その間、ものの数十秒。
フルタジュンは裁判所に難なく入ることができた。

1階ロビーは、大学の施設みたいな、企業ビルみたいな清潔感に満ちていた。
(僕の中ではもうちょっと古くて汚らしいイメージがあった)
入口の近くに受付。もちろん、色気の香る受付嬢はいない。
モサっとした警備員たちが睨みを利かすように注視を送り続けている。
受付のテーブルにある開廷表(本日法廷が開かれる事件一覧表)に
人だかりができている。
僕らはその中から見たい裁判を決めることができるわけだ。
どこかの大学の法学部生たちだろうか。男女入り乱れたダブルデートみたいな学生達がシネコンで見たい映画でも選ぶようにして裁判を選んでいる。

今回の取材に関して、用意の良かった僕は前もって見たい裁判をネットで調べてあった。

「殺人未遂、殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反」が罪状となる
「(わ)第1027号」という事件だ。

サービス精神皆無な警備員に傍聴の抽選券について尋ねてみる。

「お前の言ってることがわからん。お前、ちょっとこっちに来い」

そんな言い方はされていないが、ずいぶんぞんざいな言い方で呼びつけられる。
そして、彼の口からあっけない事実が告げられる。
僕が見ようとしていた裁判は立川の裁判所で行われる裁判であったということ。
そして、今から立川に移動しても到底間に合わないということ。
お前、短パン・サンダル・Tシャツ姿だな! ということ。
がっくし来た。
真面目ぶって試みた「用意」が完全に節穴だったこと。
慣れないことはするものじゃない。

しかし、せっかく来たのだ。
傍聴の抽選券が出るような他の人気裁判はないものか。

あと30分後に抽選券の申し込みが締め切られる裁判が一つあった。
殺人事件ではなく、特定商取引に関する法律違反事件だった。
地味な罪状のような気もしたが、訴えられている会社が結構大きな会社だったこともあり人気があったのかもしれない。

僕はその抽選券をもらうために、一度、裁判所を出て列に並んだ。
外にはすでに長い列ができていた。
そこに並び、裁判所に吸い込まれていく人々をぼんやりと見やる。
さっき、裁判所内をウロウロしていた時から気になっていたことがあった。
裁判所にいる女性たちが皆エロそうに見えたことだ。
吸い込まれていく女性たちを見て確信を持った。

「これはエロい!」

法曹界に生きる女性のエロスについて考えたことは一度もなかった。
が、その事実に気づいた今、もう完全にエロにしか見えない。
「法律」という名のがんじがらめの「縄」で縛られた、ある意味徹底的に抑圧された人たち。彼女たちの醸し出すエロについて、僕はそう結論付けた。
エロスはいつだって、抑圧・我慢・背徳からダダ漏れてくる。


30席の抽選に103名の応募があった。
抽選結果を待つ人は、観光客やおばさんが目立つ。
スーツを着たサラリーマンも多い。
もしかしたら原告や被告の知人・友人もいるのかもしれない。
なんとなく、この並んでいる人たちの風景をカメラに収めようと思った。
カメラを高く構えて並ぶ人たちを撮影した。
次の瞬間、怒号と共に警備員が僕に向かってすっ飛んできた。

「おいっ! そこっ!!! 消せっ!!!!」

公衆の面前で叱られた。
どうやら写真は一切撮ってはいけなかったらしい。
目の前で撮った写真を消すことになり、睨みつけられる。
たぶんそのせいで、抽選に落ちたんだと思う。
パソコンで無作為に選んだなんて嘘だろうな。
絶対、僕は策略により落とされた。
そう思わなければ、今日の取材のお先が真っ暗になったことへの言い訳が思い付けない。

肝心の裁判が見られない。
見たくても見ることができない。
見られなければルポもクソもない。
このままでは「不戦勝で負け」という最もカッコ悪い結末だ。

もう一度、受付の開廷表を見に行く。
僕は完全に抽選券というプレミア感に捉われていたが、傍聴の抽選券が必要ない裁判もいくつもあった。つまりそれは、法廷に行って席が空いていれば誰でも見ることができる裁判の類だ。興味を抱けない小さな裁判が並ぶ中、一つの裁判が目に留まった。


「平成21年刑 (わ)第2017号  強盗」


強盗。

......強盗犯か。

見てみたい。


この時点における僕の興味は、やはり「犯罪者の面」にあった。
時計を見れば、上演時間が迫っていた。
僕は急いでエレベーターに乗り、8階まで上がる。

1階ロビーとは違い、物々しいピリッとした空気が張り詰めている。
法廷が並んでいた。

左に曲がって、813号法廷。

劇場のような入口が僕を出迎える。

「お時間となりました。
  本公演の上演時間は1時間となっております。
  一人の強盗犯をめぐる法廷劇。
  最後まで、どうぞごゆっくりとお楽しみ下さい。」

『法廷劇 ~元暴力団員・53歳の男~』

 

法廷の扉を開けた。

ニュースやテレビドラマで見たことがある「法廷」そのものがそこにあった。
そのシンプルな空間は、なんかそのまま舞台セットのようだ。
それにしても「法廷」。
サンダルをぺたぺたと鳴らして歩く自分には現実感がなかった。

まだ傍聴人は5、6人ぐらいしかいない。
こうゆう時は遠慮すべきではない。
僕は一番見やすい最前列に座ることにした。
カバンからノートを取り出して「傍聴慣れ」しているポーズを取ろうとした瞬間、職員らしき男性から「帽子を取りなさい」と叱られた。
まただ。またしても叱られた。
結局、28歳になっても、こんな些細なことで叱られる。
これは全国の小学生たちに声を大にして言っておきたい事実だ。人間はずっと誰かに叱られながら生きていくんだということ。そうこうしている内に、今度は「携帯電話をカバンに入れなさい」と叱られた。「傍聴慣れ」ではなく「叱られ慣れ」し始めていた。


座った僕の前に背の低い木の柵があった。
目の前の法廷と、僕ら傍聴席の境界線はその柵のみである。
跨ごうと思えば跨げる。
するつもりは毛頭ないが、いつでも柵を飛び越えて法廷で踊ることだってできてしまう。そして、何より、僕は裁判所の入口で簡単な荷物検査を済ませただけだ。
たったそれだけで、ここに座ることができた。もちろんタダ。
開かれた裁判は憲法上の常識なのかもしれないが、今朝の芸能ニュースで瑛太と木村カエラの交際発覚に腹が立っていた次元に生息していた自分が、その2時間後に裁判の傍聴席にいるというギャップ。いられるんだという現実感の無さ。ふわふわしていた。


傍聴席に人がどんどん入ってくる。
やはり「強盗」という罪状がキャッチーだからか。
傍聴席が人で埋まった。


いつ開廷したのか分からなかった。

正面の下段には理知的なメガネをかけた書記官の女性。
そして、法廷の向って右手に座っていたのはOLなんかではなかった。
女性の検察官であった。
間もなくして、法廷の向かって左手に長身のイケメンな弁護士が入ってきた。
その後ろにおばさんがいる。おばさんと何かしら話し込んでいる。
おばさんは傍聴席に戻った。あの弁護士の親戚のおばさんだろうか。
「ううう、こんなに偉くなってぇ。あんたの活躍見させてもらうよ」か。

上手のドアが開き、刑務官2人に挟まれるようにして縄を付けられた被告人が登場した。

そして、裁判官が奥の上手から現れて、上段の真ん中の席に着いた。

アレヨアレヨという間に、全ての出演者が登場したのだ。
演劇をやっている身としては、もっともったいぶって、何かBGMや照明効果がほしいところだ。なのに、そんなものは全くない。もちろん、入場を叫ぶリングアナもいない。かなり地味だ。地味過ぎる。

被告人。僕が見たかったその強盗犯は、傍聴席を威嚇するような雰囲気は微塵もなかった。坊主で丸顔。刑務官に挟まれて大人しいものだった。
後の検察側の陳述により、その男が元暴力団員であり、3回刑務所に入った過去がアリ、現在53歳であることが分かった。
その情報を加味すれば、確かに暴力団だった男の面影を感じ取れた。

OL風な検察、そして、イケメン弁護士。
元暴力団の53歳の男。

彼らの法廷劇が幕を開けた。

事件のあらましはこうだ。
被告人は2年前に、ヤクザが経営している新宿の違法賭博の店に強盗に入った。
しかし、売り上げ金がすでに回収された後であったため、その場にいた従業員の日当27000円のみを奪いその場を去った。片手にはハンマーを持っていた。
被告人は、まさか、警察に届けることはないだろうと踏んでいた。
そりゃ、そうだ。強盗に入られた事実を知らせることは、
自分たちの店が違法賭博の店であることを警察に知らせることでもある。
しかし、その店の経営者は警察に届けを出した。
事件は動き出す。
読みが外れた被告人は、そのまま大阪に逃亡。2年間の逃亡生活。
そして、今年の7月9日、大阪で逮捕された。

今、あらましをシンプルに書いた。本当はもっと入り組んでいたし、登場人物もたくさん出てきた。目の前で『実話ナックルズ』(芸能スキャンダル、性風俗、ヤクザ、オカルト、タブーなどの実話しか扱わない実話誌)を音読されているような気分だった。僕はそのイチイチをノートにメモした。僕の隣に法学部生がいたが、そいつよりもたくさんメモしていたと思う。メモしていた点が違うかもしれないけど。とにかく、メモした。
そのメモをここに書き連ねていくと、何ページ掛かるか分からない。
このルポの目的もそこにはない。

メモを読み返す。
僕のメモが一番雑になっていた部分がある。
目の前で起きるドラマを写すのに追い付かなかった部分。
そこを記したいと思う。

前述したイケメン弁護士が連れてきたおばさん。
あれは、弁護士の親戚のおばさんではなかった。
被告人の元妻だった。

証人喚問のために大阪から来ていた。

裁判官からのGOサインが出て、それまで傍聴席に座っていたおばさんが、木の柵を越えた。
法廷に入った。
その瞬間、おばさんは観客から演者になった。
この法廷劇の最後の登場人物である。

 

弁護士の質問に答える形で、おばさんは陳述を始める。
被告人との間に3人の子供がいて、その子供たちにも孫がいると言う。
元暴力団員でも、こんな事件を起こしても、子供たちは自分の結婚式にお父さんを呼びたいと言ったという。
目の前の元夫がいかに子供想いであるか、また、いかに子供達からも好かれているか、元妻はそれを訥々と語った。

最後、弁護士が優しくこう聞いた。

「被告人は刑務所に入ることになると思います。そして、いつか出てくることになります。その時、あなたは更生の手伝いができますか?」

「......はい。今、息子たちと飲食店を経営しています。元夫には調理師免許があります。元夫が良ければ、......家のお店で働いてもらおうと思っています」

元妻はそれだけ言って、傍聴席に戻った。
被告は元妻に一回も目を合わせなかった。

今度は、検察官が大阪に逃げた後の被告の生活を追求し始めた。
新たな事実がどんどん出てくる。

優勢だったかに思えた被告の立場がどんどんよくない方向に転じていく。

大阪に逃げた被告は、元妻の後に籍を入れた2人目の妻と生活をしていたというのだ。2人目の妻とその間にできた子供。そんな3人の生活。
なかなか自首できなかった背景には、その3人の生活がもたらしてくれる幸せを捨てきれなかったからだという。

その2人目の妻は証人喚問に来ていない。
来ているのは元妻であるおばさんだ。

検察管がこう聞いた。

「あなたは出所したら、どうするんですか?」

「......私は、私は、どこかの寮に入って、そこで暮らして......
建築の仕事をしようと考えています」

「元奥さんのお店では働かないんですか?」

「......いま、今、急に聞いたことなので......、急だったので.........
 これ以上、あの人には、迷惑を.........」

被告の言葉が止んだ。
最前列に座る僕には聞こえる音量の涙が流れた。

「......感謝しています.........」

被告人は振り絞るようにそう言った。
僕は被告人よりも、元妻の心情を考えるのに必死だった。
何故に自分を捨てて去って行き、大阪に来ても2人目の妻との生活を大切にしていた男のことを庇うのか。示談金を用意したのもその元妻だった。
今日だって、わざわざ大阪から来ている。
夫婦とはそうゆうものなのか。
僕には理解できなかった。

被告人は涙を拭い、席に戻った。

その法廷劇はエンディングに向かっていた。

検察側は「懲役6年」を求刑。
弁護士は、求刑がもっと短期になることを訴えた。
もしも懲役6年という判決が下れば、あの被告が出所するのは59歳だ。
出所したその日、彼はその足でどこへ行くんだろうか。
どっちの妻に会いに行くんだろうか。

「一週間後、判決が出ます」

裁判官がそう言うと、裁判はあっさりと閉廷した。
もちろん、演劇みたいな暗転もエンディング曲もなかった。
本当にあっさりと終わった。

被告人は再び刑務官に縄を付けられた。
そして、今まさに退廷する時だ。
それまで目を合わせなかった元妻に振り向き「ありがとう」と口を動かした。
被告人はどうでもいい。
僕はそれを言われた時の元妻の表情が見たかった。
どうしても見たくて身を乗り出したが、一斉に席を立った観客たちに遮られて、
その表情を見ることはできなかった。

ほほ笑んだのか、どうなのか。
そこだけが気になった。

この法廷劇のエンディングを見損ねた。大事なエンディングを。
見損ねたので、これ以上の深い感慨はない。

 


裁判員裁判の制度も施行され、裁判がどんどん身近なものになっていく。
しかし、どれだけ身近なものになったとしても、
人は人を裁くことはできるが、感情は感情を裁くことができない。
誰も感情に優劣を付けられない。
感情を裁かれてたまるか。
計算式みたいに裁くことができないものがあることが、僕はたまらなく嬉しい。