こんにちは土地47「宝塚の結婚式」

明石海峡を渡り、淡路島に来た。

快晴。

編集長の案内でドライブインで淡路牛のステーキ丼を食べる。

タマネギも有名だそうで、オニオンスープの素を購入する。(のちに東京に帰るとスーパーで北海道のより100円高く淡路産のたまねぎを発見)

 

古事記によれば、イザナギノミコト、イザナミノミコトの二神が最初に作った子供が、淡路島らしい。その二神を奉る伊弉諾神宮に参った。

「縁結び」か「安産祈願」の神社かと思っていたら、プラスアルファがあった。

毛根の石像が奉ってある。

「神は髪なり」

そんなダジャレが描かれている石像の前で私、山内君、編集長で写真を撮った。

山内君は高校時代から、編集長は大学から知っているが、二人の頭髪はどんどん薄くなっていった。

今から数年前、髪の勢いに陰りが見えはじめた編集長は

「お前もきっと禿げるよ」

と呪いの言葉をよく私にかけていた。

山内君は自分の髪をこう評していた。

「昔は、普通に生えたんだけど、今はツンドラ気候みたいにちょっとしか生えねーんだ。途中でとまるようになった」

三人仲良く並んで撮ってみた。

それから宝塚の編集長宅に招待してもらった。

彼が定住を決めた場所だ。

随分と勾配のきつい坂の上にあり、道も細く入り組んでいて、迷路のようだ。

 

造船業者がデザインした連棟住宅だそうで、えらく大きな窓が印象的だ。

リフォームされていて内装がとてもきれいだ。

日本酒や寿司が出てきて、至れりつくせりの持てなしを受けた。

最後に、サプライズでケーキが出てきて12月に予定されている山内君の結婚式が前倒しして開かれた。

12月は、200名弱も集まる大きな式を挙げるらしいが、わずか新郎新婦含めて5人の結婚式。

 こんなのも最高ではないか。

編集長宅を出たのは18時、丘の上から見える宝塚の夜景がとても美しい。

チケットを先に買っていたので、宝塚から京都まで電車で戻り、新幹線で東京に戻った。

編集長は兵庫県宝塚市に住み、山内君は福島県只見町に住んでいる。

私が今住んでいるのは東京都世田谷区尾山台。

  どうも金持ちが住む街らしく、そろそろ安価な土地へ移住しなければならない。

続く。

<2012.11.25>

こんにちは土地46「淡路へ」

友人の結婚式が始まるまで大雨だったが、終わってホテルを出ると雨は上がっていた。

深酒した翌朝、僕は兵庫県へ向かうべく四条から京都駅へ烏丸通をまっすぐ歩いていった。

夜の裏通りは風情があって楽しかった。

朝、メインストリートを歩くと「なか卯」「ベローチェ」が並んでいた。

神保町を思い出した。

古本屋がどんどん潰れチェーンの店がどんどん増えている。

結婚式前、京都といったら何だろうかと考えると『羅生門』だ。

黒澤明の映画の1シーンでもあり、芥川龍之介の小説の方の門の下の様子も脳裏によぎるが、浮かぶのはとりあえず『羅生門』のことばかり。

 

京都駅で友人の山内君、その彼女と合流し、宝塚で編集長、そしてあんみつやと再会した。編集長は車を持っていた。東京に住んでいると一部の上流階級の人が車を持つ者と錯覚していたが、地方では車は必需品だ。大きく括れば、関西も一地方なのだろう。

しかし、京都から宝塚まで近い。

一時間で着いてしまった。

繁華街目線で京都、大阪、神戸を関東に置き換えるなら、大宮、東京、横浜だろうか。よく仙台に仕事で行くが、仙台は異様に暮らし易い街かもしれないが、よくみると東京への憧れが映る街であり、大宮にもそれを感じる。千年も昔から街があったせいか、関西の街はそれぞれ独立し、味がある気がした。

 

編集長は何故か、車の知識が増えており、ドライビングテクニックも上昇していた。現在の仕事は、編集とも文房具とも遠い肉体労働をしているそうだ。兵庫、大阪はもとより和歌山、京都、奈良、滋賀まで仕事で向かい清掃するらしい。

車の知識はペアを組む同僚から教わったらしい。

筋肉もついたらしい。

山内君は福島に帰って5年経つがどんどん体力が落ちているらしい。

世の中、伝聞形に充ちている。

 

高速道路で淡路島に向かった。

2週間前、福島の田舎に法事で帰った際の紅葉が復活したように兵庫の山は紅葉している。

東京に僕も彼女がいるので、メールすると

「渦をみろ」

と返って来た。渦は見当たらない。

続く。

<2012.11.18>

こんにちは土地45「京都の結婚式」

高校時代の友人、通称エロマサの結婚式に参加すべく京都へ向かった。

エロマサに最後に会ったのは2年前、最後に関西に行ったのも2年前だ。

エロマサは薬品会社のセールスマン。

嫁は、ホテルウーマン。

 

エロマサが嫁さんの勤めるホテルに客として泊まったのが出会いなんだそうだ。

披露宴の余興として落語を半年前から頼まれていた私は、半年間、具体的な策も浮かばずにいた。

毎回やる小噺が2つあるが、どうにもすべる。

毎回やる落語も2つあるが、下ネタだし結婚式では不適切かもしれない。

そこで私は、二人の出会いから恋愛への発展を3択クイズにすることにした。

ただエロマサという名の通り、肉食系男子で、エピソードを複数もっていた。

過去の話ではあるが、もし仮に違う相手とのエピソードだったらどうしようかと心臓がバクバクする。そこで結婚相手を知っているであろう友人に電話をしたが、誰も憶えていない。

自分自身の薄ぼんやりとした記憶を頼りにクイズを作るしかない。

 

完成したクイズを紙にして、京都の会場に着いた。

自分の出番をホテルの方に確認すると、

「乾杯の後です」

思ったより早い出番だったが、私の酔いも思ったよりすぐに回っていた。

高座にあがる。

 

「エロマサ君、○○さん、結婚おめでとう。今回は5分間の落語を頼んでくれてありがとう。

ただまことに恐縮ながら6分目から私の落語は面白くなるのでございます」

 

思ったより受けた。

もう少し世間話をして本題の3択クイズに入った。

 

A:エロマサが、チェックアウト後、フロントに電話をかけ「部屋に荷物を忘れたのでとりに行ってもらえますか?」と伝え、

嫁が実際に行くと、花束と手紙があった。

B:エロマサが、何度目かの宿泊時の帰り際、名刺を渡した。嫁が裏をみると「かわいいね。よかったらここに電話して」と書かれていた。

C:ホテルのフロントで、泥酔し、部屋に戻れなくなったエロマサを嫁が部屋まで連れて行ったところ、エロマサが「連絡先を教えて欲しい」

と泥酔しつつ駄々をこねた。

 

観客に挙手を求めた。

AとBが多かったが、Cもぱらぱらといた。

 

「正解はエロマサ君、どうぞ」

「ちょっと違うけど、Bが近いかな」

 

エロマサも恥ずかしそうに答えていた。

成功だったのか失敗だったのかー―。

酒がまわってきて、半分すべっちまったような気分で高座を降りた。

雪駄を忘れたので裸足で、トイレに駆け込み、スーツに着替えて会場に戻ると芸者がステージで舞を踊っていた。

 

これも余興。

私のしたのも余興。

 

式の後、新郎新婦はそのまま新婚旅行に行くらしく二次会はなかった。

新郎が帰り際、

 

「よかったよ。そうくるとは思わなかったよ。普通の落語かと思ってたよ」

 

新郎の言葉がとてもありがたかった。

高校時代の友人達と四条で飲んだ。

そして何故か宝塚に帰郷した「歩行」編集長と次の日会うことになった。続く。

<2012.11.17>

こんにちは土地44「知らない土地はすぐ傍にある」

常々、よく思うことがある。

それは「家から学校への道なら、もう知っている」と思い込んでいる人が多いということ。

そして、それは僕も当てはまる。

別の例だと、観光名所には地元住民はあまり行かない。

他の地域から遊びに来た友人に気づかされることが多いのではなかろうか。

8月12日に僕は田舎へ帰った。翌13日、弟が帰郷するの車で最寄り駅まで迎えに行った。

弟はこの春、大学院を卒業し、めでたく東京都の高校教師となった。

多忙のためか電話もメールも反応がない。親でさえも弟は連絡がとれないらしい。

連絡は一方通行、帰郷の連絡は弟側からのメール。随分と偉くなったものだ。

就任早々、剣道部の顧問になったらしい。

これは疲れそうだ。

家から駅まで車で1時間かかる。

弟は、随分とやせ細っているのだろうと思ったが、逆に丸太のようになっていた。

ちょうど、祖父が近くの南会津病院に入院してるので、見舞った。

母の話によれば、8月に入って妹の娘(姪っ子)が体調を崩し、次に飼犬が崩し、そして祖父が崩したらしい。

病室の祖父はとても元気だ。

そして僕らは家に帰らず、兄弟二人で喜多方へ向った。

先日、大学時代の友人、加藤君がラーメンと日本酒を求めに喜多方へ旅行した話をfacebookに投稿していた。

触発された。

実家や駅がある南会津から会津若松を突き抜けると喜多方市。

僕も弟も会津若松に下宿をしていた。今更、貴重だったなと思う。

弟は喜多方に行ったことがない。

僕も数えるほど。

つまりは井の中の蛙は、井の中をよく見てないと思います。

「喜多方といえば蔵の街だな」

「でもあんまり(蔵が)ないな」

「近代化だ。ラーメン屋はどこにする?」

「有名店は混んでるって」

「大丈夫だって喜多方なんだから」

たわいも無い雑談をしつつ向った。

とりあえず有名店、『坂内食堂』へ行った。

信じられない混み具合。

僕らは諦め、別の店『くるくる軒』に入った。

うまし。喜多方ってだいたい美味いのではないだろうか。

ガイドブックには「喜多方市では朝からラーメンという家庭も多い」と書かれている。

本当であれば、すごい地域だ。

その後、弟が「B級グルメで有名なラーメンバーガーが道の駅にあるらしい。食べよう」と提案した。

二人とも腹は八分目だが、無理をして食べた。

麺を焼いてパン上に固め、具にチャーシュー、ネギ、メンマを入れて挟む。

驚いたのは麺の食感の良さを投げ捨てて、パンにしていることである。

ラーメンだけで終えていれば、よかったのですが、後悔は先にたちません。

<2012.8.26>

こんにちは土地43「老人と静岡」

老人と静岡へ向った。名前は五郎(仮)湘南出身の70歳である。

五郎さんには週2日、会社に出勤してもらい、さまざまなことを手伝ってもらっている。

今週は会社に出勤してもらう代わりに静岡への運転手となっていただいた。

小田原、三島、沼津と回る。静岡出身の友人は多いが、静岡はまだ2度目だ。

五郎さんが教えてくれる。

「湘南で悪さをしたら沼津に半年ぐらい隠れるんですよ。そうして落ち着いてから戻るんです」

「いろいろ知ってますね」

「ええまぁ」

五郎さんは車の運転が上手い。

車の運転が上手い男性は、女性の扱いも上手い。

 

私が書店を営業で回っている間、車で待機する五郎さん。

静岡駅付近は都会で道路も混み合っていた。

五郎さんは携帯を持っていないので、私が小一時間後に同じ場所で再会を約束する。

いなかったら、どうしようと思いつつ車を降りる。

 

ブルーオーシャン作戦という言葉をきいた。

文字通り「青い海」で敵のいない市場を自ら作りだす作戦。

逆がレッドオーシャン、血の海。バトルだらけの世界だ。消費が激しい世界。

水木しげるの漫画に「まちこみ」という妖怪の話がある。

「まちこみ」が取憑くと一時的に有名になるが、エネルギーを吸い取られ廃人寸前となる。

ブルーオーシャンもすぐに赤くなる。

 

五郎さんは別れた場所から50メートルくらいの場所で待っていてくれた。

 

浜松の激安宿にとまる。一泊2,900円。あたりはゴーストタウンのように人がいない。

廃校を利用したかのような施設。近くにコンビニすらない。

宿の1階に寿司屋『栄寿司』(仮)があったので寄ってみた。

新鮮なネタがカウンターに並ぶが小蝿も飛んでいる。

「元々、闇市があって、そこから卸町になったんです。ここらは。」

マスターが教えてくれる。

「静岡は家康さんのとこだから京都みたいなもので、老舗じゃないと難しいけど、浜松は違うよ。

私も流れ者だし、世界に誇る企業が4つある。ヤマハ、スズキ、ホンダ、栄寿司」

「客が1人でも栄寿司」

そんな返しはしなかったが、楽しい夜は更けていく。

翌日、浜松、掛川、藤枝を営業し帰路についた。

 

それと前後して静岡出身、三浦和良著『やめないよ』を読んだ。

新聞に掲載された短いエッセイをまとめた本。

カズファンは周囲に多いが、私はイマイチそれがわからなかった。

「ドーハの悲劇」以降にサッカーに関心を持ち出したから、選手としては晩年のカズしか知らない。

キングカズという言葉を中学生当時の自分は半分「道化師」の意味で使用していた。

「無理なことを続ける愚かな人」「踊る人」

その人は2012年7月現在も現役を続けている。

 

チームが勝てないと、どんどん志気が下がっていく。それで手を抜かないといったエピソードに感嘆する。

選手が親会社の経営を気にしてもしょうがないが、伝わってくる親会社の経営状態。

それでも、よいプレイを心がける。

 

過去の結果が現在を形成するのだが、かっこいいと思わず唸るとこ数箇所。

どの仕事に通じる話だ。

 

先日、スポーツと禅が合わさると「道」がつく話を聞いた。

「弓道」「合気道」「柔道」「剣道」

 

さしずめカズは「蹴球道」。<2012.7.8>

 

こんにちは土地42『​​八丈島日記』

イルカに会いたい。

その気持ちが私を突き動かした。

よしGWは八丈島に行こう。

2006年に小笠原諸島に行ったときはボートで沖へ出て、イルカの群れと一緒に泳いだ。

その楽しさと羊水に浮かんでいるような心地良さが体と頭にこびりついている。

 

さすがに小笠原は遠い。

八丈島なら羽田から40分。異様に近い。そして満席。

飛行機に乗ると隣は有名人。

どっかで見た顔。こそこそとグーグル検索をしているうちに離陸体制に入り圏外へ。

 

「◯◯さんですよね」

が出てこない。脳みそに蜘蛛の巣が張っている。

結局、着陸してから連想したキーワードは、「テレビ」「政治家」「顔面迫力」。

検索画面に打ち込んでいるとでてきた。

なるほど。

しかし何故一人で八丈島にきたのだろう。

まさかの島流しか。

そうこうしているうちに有名人はどこかへ消えた。

 

それより問題は、どの港からイルカに会えるボートが出ているのかである。

はやる気持ちを押さえて情報を集めた。

宿の人に聞くと、

「えっ? 何言ってるの? 八丈島と言えば釣りでしょ」

と返答。

 

イルカは、いない。

そのことを理解するのに数秒かかった。

御蔵島のイルカは有名だが、それより南なら、OKだろうと高を括っていたのが悪かった。

失望と無力感に襲われ、レンタサイクルで島を回った。

暑い。

風が強い。

魚がうまい。

くさやが臭い。

八丈島は上空から見ると瓢箪のような形をしている。

「ひょっこりひょうたん島」のモデルだという説がありトラヒゲやドンガバチョ像が立っている。ひょうたんの上半分をぐるりと回る頃には汗だくで尻が痛くなってきた。

イルカを諦め八丈島植物園でキョンを見物。鹿のような犬だ。

よく見たら鹿だ。

公園で居眠りをして八丈島名物の明日葉うどんを食べた。

ねっちょりしとる。練り込んでいいものとそのままがいいもの二種類がこの世には存在する。

そして夜はとりあえず飲んだ。古民家のようなところで飲んだ。すると深夜に座敷童が現れた。

熱帯夜かと思っていたらけっこう涼しい。いや寒いくらいだ。

<2012.5.29>

こんにちは土地41『​富良野』

5月7日、再び北海道にきた。

前回にきた11月は雪が降り出した頃で車が使えずに、大きな北海道のごく狭い範囲を電車で移動した。今回は新千歳空港に降りて、すぐさまレンタカーを借りて札幌周辺を巡る。

 

5月8日。

空港から北東に100kmくらい離れた旭川まで行ってから、南下して富良野を通過する。

道行く中学生に

「ラベンダー畑はどこでしょう。今は見頃ですか?」

と尋ねる。

困った顔で

「まだ早いですよ」

と返された。

夕方17時、遅い昼食をとる。

雑誌に載っていた北海道ローカル料理ランキング1位「富良野オムカレー」を食す。

地場の野菜とハンバーグにカレーをかけたオムライス。

 

食前に富良野の牛乳が出てきた。

珍しいな。

オムカレーは普通だ。

最後にブルーベリーアイスとハバネロが出てきた。

珍しいな。

同僚がハバネロをアイスにパラパラとかけた後

「これなんだ?」

と私に問いかけた。

「辛い粉だよ」

と私は教えた。

「確かに辛いな」

と彼はうなずき、それを見て私もかけた。

辛くて甘いアイスは新鮮で、妙に納得した。

さすが倉本聰だなぁ。

店員に

「富良野風アイスは違いますね」

と伝えたところ、元々ハバネロはカレー用としてテーブルに置かれていたそうである。

アイスととも目の前に出現したハバネロがイリュージョンだったとは。

富良野は劇的だ。

ソメイヨシノは北海道にはないけれど、違う種の桜は見られるようです。

夜、帯広へついた。

<2012.5.9>

こんにちは土地40『​仙台と福島』

ずっと更新しないでいたら、億劫になっていた。

何度も同じ場所へ行くと、

「こんにちは」

という挨拶をし忘れていた。

初心忘るべからず。

 

4月は東京と仙台、福島を行ったり来たりした。

しかも車。

ドライブといえば楽しそうだが、長距離移動を繰り返すので疲労困憊。

本来、本を売るのが仕事だが、この月はイベントが仕事だ。

やっていて気づいたが、一番大切なのは集客だなと思った。

当日イベントをうまく進行させることは勿論だが、人が集まらないのはメンタルにこたえる。

予約を開始しても一向に人が増えない。

そうなると不安の声が上がり、プレッシャーを感じてくる。

 

2週間くらい前になると、DMやマスコミ連絡の効果がチラホラ出はじめた。

人数がある程度見込めると不安は半分くらい軽減される。

集客の次の心配事は当日の進行。

今回のイベントは瞑想や呼吸法の実践だったから観客と一緒にやっているうちに終了。

 

4月14日仙台のイベント後、我々は仙台市中心にある古い旅館に泊まった。

異様に古いが異様に安い。留学生が長期滞在に利用するらしい。

さながら修学旅行のようだ。

喫煙者と非喫煙者で3人ずつの部屋に別れたが、一方の部屋は深夜まで盛り上がり、一方の部屋は深夜に読書をしていた。

 

4月15日、福島は仙台に負けないほど集まった。

19時、会場片付けを終えると体が軽くなった。

東京班はこれからが大勝負。家が遠い。

春先は嵐の中のようなことが多い。

<2012.5.6>

こんにちは土地39『東銀座にて』

突然、地元の友人、ヒデキからメールが届いた。

「今日、暇なら飲もう」。

私の出身は福島県南会津町(旧南郷村)という山深く過疎化の進む地域だ。ヒデキは、その中学の同級生だ。

集合場所も東銀座で、職場からすぐだ。

ヒデキとユージとユキと私の四人で飲んだ。

ヒデキは地元の商工会で働いており、東京国際フォーラムで開かれる福島復興イベントに出店するため上京してきた。

二年ぶりで緊張するかと思ったが、すぐに当時の空気に戻った。

中学一年時、通称イヒカルという帝王がいた。

ヒデキは右腕を務めていた。

何故イヒカルが何故それほど権力を持っていたかは覚えてはいないが、とりあえず彼は王だった。

イヒカルがいないところで平民は陰口を叩いていた。

そしてある時、群衆が反旗を翻した。

イヒカル退治を三年生の怖い先輩、アツシさんに託したのである。

「イヒカルが我々を苦しめてしょうがないんです」

「わかった」

怖い人というのは味方になると心強い。剣道部の部室で儀式は行われた。

「お前、調子に乗ってるらしいな」

不良もほとんどいないのどかな中学校でも、問題は起こるものだ。

教師は気づいていたのだろうか。

王政は崩れ去り、いつのまにかヒデキまでも危うい立場になっていた。

「あれは恐ろしかった。覚えていねーのか?」

ユージもユキにも微かに記憶はあるが、ヒデキほど鮮明ではなかった。

ヒデキは抜群のコミュニケーション能力を武器に盛り返し、新しい関係性を作り出していった。

わずか1クラス31名での出来事である。

よくある社会の縮図がここにもあった。

と、

こんな話もしたが大半は笑い話であった。

<2012.3.21>

こんにちは土地38『本の大交流会』

つい先日、ウェブ歩行編集長の結婚披露宴改め「本の大交流会」が青山のスパイラルホールで開かれた。私は司会を頼まれていたので、開場1時間前に着いた。

新婦しかおらず、少し経って新郎が戻り、受付係、ロッカー係とスタッフも揃い始めた。

スタッフの中で圧巻だったのが山谷さんで、式用の服、交流会用の本を置いて来たそうで、フォーエバー21や青山ブックセンターで揃えたそうである。

「バッチリでしょ」

と本人は語っていた。

姿も本、どれも間違いない。

慌てん坊だが、なんとか間に合わすタイプだ。

山谷さんからは逆に

「何で普段着?」

と質問を受けた。皆がフォーマルスタイルの中、カジュアルな格好で来ていた私は浮いてしまった。

「あははバカだな」

と笑っている奴こそが、バカというのはよくあることだ。

開演までの時間、プロジェクターから思い出のスライドショーが流れていた。

新郎が新婚旅行中、田舎の川で泳いでいた画像が映った。

熊野に行ったそうで、通だなと思う。

今思い出したが、彼はカナヅチのはずだ。熊野の力が、彼を泳がせたのだろうか。

 

ほどなくして式が始まった。始まったというより、私が始めた。慣れていないので声が上ずる。

式を始めて、すぐに新朗新婦の恩人が祝辞を読み上げた。

新郎の指導教官である武田先生は「配偶者」についての話をされていた。

「偶」然、「配」られた「者」と、書くでしょうと。

そこから武田先生は「偶然」の話をし、それを受けて新婦側の恩師・岩松先生は「必然」について語っていた。

返しがうまいなと思った。

それを受けて話を続けると

「右往左往」

という言葉がある。通常は「迷い」を指した言葉だが、かの糸井重里氏が

「右往左往と言うけれど、右を選んだとしても、左を選んだとしても、それが最善であったとしましょうよ」

みたいな話をしていた。

これは先日行った青山にある老舗書店、山陽堂のイベントでのことである。

話は脱線したが、偶然か必然かは知らないが、目の前にあることが事実である。

おめでとう。

新婦友人の高野氏によるハープの演奏があって、「本の大交流」が行われた。

アイポッドをスピーカーに通しアップテンポな曲を流す。

約80名が持ちよった本をフルーツバスケットの要領で輪になって本を回す。

 

音が止んだ。

 

私の手の中にあったのは『ファンタジア(著・ブルーノムナーリ)』

 

式は終わり、久々に再会した友人同志が多いようで、各々が各々の二次会に向かった。

 

私は3ケ所に顔を出した。

最後に顔を出したのは新郎新婦他3名のグループで

「彼(新郎)は昔からエネルギーはありました。ただ、いい方に向かうこともあれば悪い方に向かうこともありました。ただ彼女(新婦)とあって、いい方に向くようになったんじゃないですかねえ」

と話をしたところ、

「何で式の最中に言わないの?」

と駄目だしを受けた。

 

タイミングというやつがとてもむつかしい。

<2012.2.18>

こんにちは土地37『新宿の本屋』

新宿の本屋へ来た。

営業に来たわけではないし、自分が読む本を買いに来たのとも違う。

プレゼント用である。しかも、その相手は不明。

職業だってわからないし、性別もわからない。

私が今書いているこのサイト『web歩行』の編集長が結婚披露宴を近々する。

編集長にとってのキューピッドの矢が本であるため、披露宴の核として「本の交換」がある。

イベント自体の名称も結婚披露宴ではなく『本の大交流会』。「大交流会」の名前通り、大勢が持ち寄った本をランダムに交換する。

 

まず紀伊国屋書店本店へ寄った。1階から2、3、4、5と上っては下り、下っては上るを繰り返すうちに疲弊してきた。それもそのはず。何を選んだらいいか見当がつかない。

例えば、マラソンにはゴールがあるからよいのであって、いつ終わるかわからないマラソンは恐ろしい。

 

新郎の編集長は演劇学専攻出身のクラスメートである。つまりクラスメートが多く顔を出す。

しかしクラスは演劇学専攻であるにもかかわらず、さほど演劇に関心のある人間がいなかった。

戯曲のコーナーに近づいたが、やめた。

それから私の職場の本が並ぶ仏教コーナーに向かった。

「ちゃんと置いてくれている新刊『仏教大辞典』、オッケー」

と思う反面、その分野に関心のない者の手に渡った場合、悲しいことになる。

待てよ。

つまり何を選んでも、喜ばれる確証はないのではないか。

 

新婦が勉強していたのは国文学。

彼ら2人の共通項を探るなら、小説、哲学系、美術書その辺りが手堅そうだ。

しかしプレゼントは先ほども言った通り、誰の手に渡るかわからない。そして私は既定路線が好きではない。

 

悩みに悩む。私はだいたいで済ませるアバウトな性格をしているのだが、どつぼにはまると妙に神経質になる。

「人が喜ぶものを選びたい」

という思いと、

「興味のない本かもしれない」

ということが私を混乱させる。

とりあえず、流れを変えるべくジュンク堂に移動した。

 

「新宿三越アルコット 3月閉店」の文字が目に入る。よし、閉店前に貢献しとこう。

ジュンク堂で買うことにした。

選んだ本が喜ばれるかどうかはわからない。そこで私は自分らしい選択をしようと思った。

自分を形作ったものを探し始めた。

福島→フクシマ→震災関連本。プレゼント交換には、そぐわない気がする。

落語研究会→落語の本。うーん・・・・・・好きな人に当たる確率が低そうだ。

 

読み易そうな本を探して、高野秀行さんのコーナーに立ち寄った。

『イスラム飲酒紀行』

おもしろい。

いけない。

これは自分がはまって読んでしまう。

自分が読みたい本だと、自分用プレゼントにしたくなっちゃうことに気づいた。

本を探し出して三時間が経過し出した。困った。

 

演劇→松尾スズキ→『ニャ夢ウェイ』。これも面白い。世代的に松尾スズキ好きがけっこう多いから、被りそう。

困りに困った。

そうだ!

誰が読んでも役に立つ本。実用書だ。

ヨガやダイエット、料理本コーナーに近づいたはいいが、また悪い癖が出てきた。

痩せてる人はどうする?

料理しない人にあたったらどうする?

 

坂本龍一のCD付きの本があった。坂本龍一好きじゃなかったらどうする?

ダブルバインドだ。何にしたって賛否両論あるだろう。

1冊の本を選んだ。

昔、誕生日に『未確認生物UMA大全』を貰った。こんなものくれやがってという第一印象だったが、3度の引越しによる選別に負けず『未確認生物UMA大全』は私についてきた。

そして足掛け7年でついに先日、高野秀行さんの本に出て来た『幻獣ムベンベ』を調べるのに役立った。人生、何がどう転ぶかわからない。

すぐに捨てられない本になりますように。

<2012.1.30>

こんにちは土地36『国立競技場』

2012年1月9日、重い腰を上げて高校サッカーの決勝を観に行った。

大学時代にラグビーを観に行って以来、10年ぶりの国立競技場だ。

サッカーは好きだが、実際に競技場で観たのは初めて。

日韓ワールドカップの時は横浜国際競技場で警備のバイトをし、桜の季節に等々力競技場のそばで花見をしたこともある。しかし試合を観たことはない。

青山一丁目から歩いていると、歓声で会場の位置がわかる。

盛り上がっとる。

途中、未使用のコンドームが一つだけ落ちていたので、手にとり、じっくりと眺めた。

「土がついている」

これが決勝戦というものだろうか。

周辺は犬を散歩する老人や、ジョギングする若者ばかりで、ほのぼのしている。

夜の国立は熱いのか。

 

競技場に入るとほぼ満席。

家族連れと「箱根駅伝」と書かれた帽子の酔っぱらいオヤジに挟まれて試合開始。

四日市中央工業(通称:四中工)と市立船橋(通称:市船)の対決。

いきなり四中工がコーナーキックから先制点を入れた。

何故今更、高校サッカーを観に来たのかと振り返れば、福島県代表の尚志高校が福島県初のベスト4に勝ち上がったからで、なんとなくソワソワしだしたのだ。

よし行くかと思った時は既に遅く敗退決定。

そしてなぜか決勝にきた。

両校に何の思い入れも無い。

 

試合は膠着が続くが、四中工の方が動きが良い。

市船は攻め続けるが、きちっと守りきられ、四中工が早いカウンターでもう1点追加しそうな状況だ。家で見るのとも、飲み屋で見るのとも違う。

応援歌がよく聞こえる。チアリーダーがいる。

高校時代、応援団にいたことを思い出した。当時、男子校だったので妙に恨めしく思ったりした。

 

寒い。人間はアナログだ。

体全身で感じる。

ハーフタイムで隣の「箱根駅伝」が消えた。

「このまま終わるのかなぁ」

「1点返して、逆転して、再逆転すればいいのに」

と大人の声。

劇的な、プロレス的ストーリーを期待しているようだ。

「なでしこも出た方がいいと思うよ」

と子供の声。

斬新な発想で、一理ある。

つい先日のサッカー、天皇杯は実家のコタツで観た。

予定調和な正月だったが、試合もまた予定調和に終わった。

寒いなぁと思っているうちにロスタイム。携帯でヤフーニュースを見始めた。

「おれ、飽きてる」

と心の声がする。

 

コーナキックで四中工のゴール前が混戦しはじめた。

「わーーー」

歓声が上がり、市船、同点。

劇的だ。たまんねぇ。お客さんの期待通りの展開だ。

そしてなんと、延長で市船が逆転し優勝。

2得点した市船のエースは四日市出身の選手だったようで

「地元に戻ったら恨まれるんじゃないですか?」

とインタビューされていた。

ちょっと面倒で普段しないことを試みると、案外新しい経験ができるものだ。

<2012.01.27>

こんにちは土地35「​さよならとこんにちは​」

何かを手に入れれば何かを失う。

何かを失えば、何かを得る。

これは世の常だ。

正月に郷里に帰ると妹の赤ん坊に初めて対面した。

五十嵐家は曾祖父母までいた四世代家族だったので毎年のように死者が出た。

そうか生命が生まれるということもあるんだなと思った。

家の居間には、自分、妹、弟の小さい頃の写真が飾ってあるが、それも変わるときなんだな。

まだ元気な祖父も八十七歳。

近くの温泉に連れて行くと喜んだ。

「人間、八十五を超えると体が思うように動かなくなるから注意した方がいいぞ」

と言われた。

そうか、けっこー人間て丈夫なんだと笑った。

周囲の友人達も結婚したり、子供できたり、付合ったり、別れたりが多い時期だ。アラウンドサーティーってこのことかもしれぬ。

年末に周囲が慌ただしい。 手に入れた時は幸福だったのに、それがいつのまにか苦痛に変わることもあるだろうし、また苦しい経験が後の糧にもなりうる。 その時々の判断が化学反応を繰り返し続ける。

私自身も年末に引っ越したが、知らない世界が多いことに驚く。

不要の洗濯機を捨てようと業者をネットで調べた。

トップページには幾つか業者が出てきた。『激安クリーン(仮)』とコンタクトをとった。

料金表はない。電話で

「ざっくり幾らくらいですか?」

と尋ねても実物見ないとわかりませんの一点張りだ。

無料で見積もってくれるとのことで、呼んでみると、一万三千円とのこと。

「今は忙しい時期なのと、リサイクル料が電化製品はかかるので最低でもこれくらいですかね」

と補足を受ける。

次の日、道端でチラシを配っていた業者を呼び見積もってもらうと五千円。

こっちは事前にだいたいの値段を教えくれた。

「せっかく呼んだのに只帰すのが申し訳ない」

と思ったり、インターネットのトップページにくると信用してしまうのかも。

比較しないとわからないんだな。

「なんとなく」

が人生を狂わせるのかもしれぬ。

結局、二番目の業者が人柄もよいので、洗濯機+いろいろを引き取ってもらい六千円で手をうった。

その業者は引越しもするらしく後日、一万円で引越した。

いっぱい捨てて、少し補充した。

引越しをすると、自分の執着や残念具合が捨てざるを得ないという結果で表れるのが良い。

携帯電話も『iPhone3GS』から『iPhone4S』に変えた。勿論、データも移し替えた。

昔なら、機種変更時、データを移行できるのは電話帳くらいだった。

しかし今回、いろんな画像やら音楽やら、何から何までそっくり移すことができた。

便利と言えば便利だが、年老いた博士が、赤ん坊に脳みそを移し替えたような気分で、不思議な気がした。

去年はいろんなことに怯えトラブルも多々あった。

今年も悩みトラブルは例年通りだろうが、いろいろメンタルも含め余計なものは捨てていければと思う。

本年もよろしくお願いいたします。

みなさんが幸福でありますればいいですね。

<2011.1.8>

こんにちは土地34 「続・北へ」

青函トンネルを超え、函館で乗換え札幌についたのは夜の九時。車中、一泊二千八百円という安宿をネットで予約した。

グーグルマップで見ても駅から近いし抜群だ。路面つるつる、雪ひゅーひゅー。何故か黒ごまのような物がたくさん落ちている。アスファルトが削れているのだろうかと考えたが、違った。滑り止めの砂を北海道では撒くようだ。青森まではそんなものなかったのに。妙なところで、さすが北海道と感心した。

 

宿が遠い。グーグルマップで縮小し過ぎたのか、北海道が広いのか結局三十分歩いた。マイナス三度。寒いし荷物重いし。しかも繁華街がある南口とは真逆の北口方向にあるホテルは、ほぼ住宅街で寂しい。

「札幌着いたらラーメンだろ」

という野望があったが、近所の店は閉まっていた、というかない。夜十時なのに。

約六時間の電車。

次からもっと効率のいい手段を探さねば。

 

映像作家のマツケン(松平健似)と連絡をとった。ツイッターやらフェイスブックで、よく札幌の話をしているので、もしかしたら、と思ったら札幌にいた。

翌晩、屋上に観覧車のあるビル「nORUBESA・ノルベサ」前で待ち合わせた。

待っている間、折角なので観覧車にも乗ったが、高所恐怖症なので立ち上がることができない。落ちるかもしれないから。マツケンは札幌の子供向けアートスククールの手伝いをしていた。同僚の蛍さん(『北の国から』の蛍役の女優似)と三人で飲んだ。

アートスクールやインドや北海道の話をした。

マツケンが私との共通の知人を「野蛮人」と称した。

私は思わず膝を叩いた。うまい。勿論、悪い意味ではない。かのレヴィストロースも『悲しき熱帯』で文明人と熱帯に住む人々、どちらがほんとうに野蛮かという話をしていた……と私は解釈している。

野蛮人は、豪快で熱く、頭でも考えるのだが、時に論理を超え、奔放であるが、悪い人ではない。

今日の日本で絶滅危惧種である。

マツケン曰く

「北海道には野蛮人が残っている。貴重だから大事にしないといけないよ」

なるほどと、なんとも頷ける。しかし、面倒くさい。

頭でっかちの気持ち悪い人は増殖し続けるだろうが、躍動感のある気持ち悪い人は減少傾向にある。

「何をしでかすかわからない」

これが重要なのだ。

そんな人はすぐそばにいた。

蛍さんは十四歳のとき

「テレビを見ると想像力がそがれる」

とアートスクールの先生に教わってからテレビのない生活をしている。

飲み屋で流れる報道番組に向かって

「こんなハーフみたいなニュースキャスターあり? ここは日本だよ」

別にハーフだっていいと思うんだけど。

二人の今日の仕事は

「子供達に神様っていると思う?」

というインタビュー。

親の影響、環境もあるだろうが、みんなそれぞれ持っているらしい。

マサオ君(仮)は、かみさまが怒るから悪いことしないとかルールを定めたり、階段で転げ落ちそうだったけど、かみさまが足を持ってくれたとか、あるという。

昔、心的現象が現実だと精神分析ゼミで習ったし、仏教のフィルターを通しても心で起こっていることが世界なのだろうから、マサオ君にはいるんだろう。

アイパッドで見せてもらった子供達の作品は輝いていた。

道産子ばんざい。人は簡単に変わるものだ。

<2011.12.16>

こんにちは土地33 『北へ』

先日、突然の宣告があった。

「お前の担当は九州でなく北海道だ」と。

行く度にトラブルはあったが、九州が好きだった。

あっけなく担当エリアというのは変わる。

「その代わりアジアも担当していいぞ。台湾、中国、韓国」

小さな出版社としては大きな話であるが机上の話。

しかし紙飛行機を飛ばす権利は誰にでも平等に存在する。

奇妙だが、日本で頑張るより、成長期の子供のような国の方が希望がありそうだ。

東北を営業している最中、郵便局勤めの母から、へりくだったメールがあった。

「年賀はがきを買っていただけたらうれしいんだけど」

今年から配達部と局勤務の二つの会社に分離したらしい。しかしノルマは変わらず。

「これは大変だ」

そこで、会社の経理にお願いした。

なかなか大変だ。

おそらく新年の挨拶はメールで済ます人が増えているだろう。ネットやらクラウドやらで便利になる分、お金は回りづらい世になってきている。

さらに一番の問題は、自分は営業、編集すべて半人前なのである。

元々、データの打ち込みとして雇われたのが口を出すうちに枝葉が広がった。

「打ち込みだけします」

と言っても、状況が当時と今では違い、そうも言ってられない。

私は生きていていいのだろうかと太宰治の郷里で悩むのである。

今年の青森は暖かいなと思っていると雪が降りだしてきた。

悩みというのは頭の中で成長するらしい。

細かくみてみる。

まぁ冒頭の突然の宣告は、別段なんでもない話で

「東北を回るなら、真逆の九州より北海道が近いじゃん」

ということだ。

営業も編集も少しは進歩しているだろう。

何より私の大きな進歩はまず、自動車免許をゲットし、車をぶつけつつも、なんとなくバックできつつある。

牛歩に近い歩みだ。

その日できることをする。

津軽から蝦夷地へ。リンゴを齧りむかう。なんだか気持ちは屯田兵である。

<2011.12.3>

こんにちは土地32『それいけマトンケバブ隊』

彼らは時々、上京してくる。

郷里、南会津の名産マトンを大量に持ってやってくる。

地方物産展の名のあるところに彼らはやってきて、マトンを焼いてパン生地で包みケバブにして売るのだ。

 

私は10月と11月、八王子と池袋へ手伝いにいった。

思い返せば、不思議だ。思い返さなくても不思議だ。

マトンとは羊の肉で、ラムに似ている。

ラムは若い羊の肉、マトンは老いた羊の肉。もっとも有名なマトン料理は北海道の「ジンギスカン」だろう。

東京でも健康にいいという理由でジンギスカンの店が増えブームになった。

それが何故、南会津で頻繁に食べられていたのか。

 

幼少の頃、焼き肉と言えば、ジンギスカンだった。それが当り前かと思いきや、会津内の他の地域にその習慣はない。しかも地元の羊ではなくオーストラリアの羊だ。何故、名産なのか。謎は謎を呼ぶ。

昔は羊を飼っていたのだが時代の流れとともに牧場が消えるも、美味しいので輸入に頼り出したという説が有力だ。

ケバブ隊隊員の山内君の話によれば、

「こないだの別府の人と飲み屋であったんだけど、別府もマトン食うんだって。もりあがっちった」

とのこと。

北海道、南会津、別府でマトンは食べられているらしい。

 

小学校の国語の教科書にあったドイツの少年の話を覚えている人はいるだろうか?

おそらく東京書籍で1980年代前半の生まれの人達が読んでいると思う。主人公の名前は忘れたが、確か放課後にソーセージを作っているのを目の当たりにするという話だった。

正午に学校が終わるドイツの教育システムに嫉妬したのと、

「動物を食っている」

とはじめて気がついた。

脂身が気持ち悪いと思ったことはあったが、動物を食っていると意識したことはそれまでなかった。とても気持ち悪くなった。

羊もかわいそうということになり、一時的に、にわかベジタリアンとなったが、数か月で終わった。

「それでも生きていくっきゃかない」

といった格好いい理由ではなく、自然忘却装置により食べるのを再開した。

 

映画「コーヴ」というドキュメンタリーが和歌山のイルカ漁を痛烈に批判しているのを、今書いていて思い出した。みんな何かしら食っているのにおかしな話だ。確かにイルカはかわいい。その監督はベジタリアンなのかは知らないが、西洋の人も豚や牛を食うのに。

ベジタリアンだって草を食うのだ。

食わないと死ぬのに、おかしいのだ。

話がとんでいったのでもどす。

 

マトンをパンに挟んでケバブにしたのがオーナーの目黒さんである。

三年程前に発案したのだが、今では福島県内を超え、関東、東北の様々な地域でマトンケバブを売っている。

八王子でのイベントを撮影した。写真中央が目黒さん。大変恐縮ながら羊に時々見える。

目黒さんは元々デザイン系の仕事をしていた。マスコットキャラの「ケバブちゃん」なる女の子のキャラも発明し缶バッジをいっしょに無料プレゼント。

「見かけたら食べてくてくんつぇー」

「くんつぇー」

とは方言で「ください」だ。映画『フラガ―ル』を見たら蒼井優ちゃんも使っていた。

いい映画だったが「くんつぇー」を多様しすぎではないか。

いわきと南会津は福島の東西両端に位置するのだが、共通の方言に近しさを覚えた。高校時代、友人が「祖父は常磐炭鉱で亡くなった」とぽろっと言った。

時を同じくして「『フクシマ』論」を読み終えた。

原発の話だ。

以前、映画監督の想田さんに取材した際、

「原子力の問題は、こんがらがっている糸を解くようなもので、あっちを引いたらこっちがまたほつれる」

というのを思い出した。「『フクシマ』論」は、糸がどうほつれたのかを書かれていた。

そこには似た境遇として南会津にある奥只見のダムの話も出ていた。

「お国のため」というキーワードはどちらも一緒だ。

生活の苦しい地域に作るのも同じだ。

そして犠牲者であると同時に甘い汁も多少は吸うことになるという仕組み。

あな恐ろしや。

あ、もしかして当時マトンが豚や牛と比べ安かったという理由もあったのかも。

そのダムに『歩行』編集長とかつて行ったことがある。

国道沿いから入るとダムの上を歩けるが現在は途中で閉鎖されている。当時は柵も大したことなく、それを超えてダムの対岸へ行くことができた。慰霊碑があった。

なんとなく生きているうちに8カ月が過ぎた。

合掌。

<2011.11.11>

こんにちは土地31「ざっくりいって故郷、東北」

九州から戻り、ほっとしたのもつかの間、9月12日から16日は東北を回る。

福島、宮城、山形、岩手、青森を回った。

仙台に会社の本部があり、そこに車もあるので、仙台を根城にいろいろな街へ向かう。宿代もレンタカー代もかからない。

節約だ。

福島、山形、仙台は2人。

福島の本屋を回っていて驚いたのが、避難した人がいると知ってはいたものの、主要購買層の母子が夏休み期間だけの避難をしたらしく、8月はがくんと売り上げが落ちたという話を聞いた。

この問題は善悪二元論で解決できないし、構造をちょっとずつ変化させてくしかないと思う。

盛岡、青森は1人で回る。

青森で宿をとった。いつもなら当日でも宿は空いているが、どこに連絡しても満室と断られる。学会があるらしい。やっと見つけた民宿で一泊するが、どうも体調がおかしい。青森が寒いからではないようだ。この日、青森は30度を超えた。

長距離運転がたたったのか風邪をひいた。

青森から仙台まで車、そこから新幹線で東京へ戻る。

翌17日。

去年から始まった福島県南会津町で開かれる音楽フェス『大宴会』の手伝いへ向かう。

1年ぶりだが、そんなに時間が経ったとも思えない。

とにかく今年は震災があって告知が遅れ、集客がやばいのだそうだ。

必死の追い上げをする。

そんな時、ツイッターで知人らしき人を見つけた。

小学校1年の時の担任の息子だ。呼んだら来てくれそうだった。ほんとに来るのかと思いつつ、イベントで実際に会えた。無理矢理、いろんな人間とネットで繋がっている必要はないと思うが、ありえない邂逅というのはいいなと思った。

去年の経験もあり、イベントはスムースに進行した。

春先に会社の企画で著名な海外の作家の来日が原発で中止になった。時期が秋だったというのもあるが『大宴会』は不安要素満載の中、実行できた。

悲惨な状況で、防御するのも1つ。

何か手を打つのも1つ。

いいと思ったことはとりあえずやってみる。

そんな精神が大事なのだろう。

来年は先手を打って実行できればいい。

24日。

著者のイベントで仙台日帰り。

月が変わって10月5日6日。

仙台、福島を回る。

今回の車での事故は、ちょっと駐車場のコーンを倒したくらい。

安全第一でゆきたいものである。

『大宴会』の風車を撮った。

<2011.10.26>

こんにちは土地30「鹿児島記」

15時過ぎ、熊本から鹿児島へ行くには何本か長いトンネルを通らなければならない。穴の中というのは闇夜と同じで景色の変化が乏しくスピードが知らず知らずに上がる。

今回は慎重に行こう。

しかしメーターを見て慌てて速度を緩やかにする。

海岸沿いのショッピングモールにある大型店を回る。もう夜だ。夜になると次第に目当ての担当が帰っていなくなるし、19時を過ぎると常識的ではないようにも思う。ただ、鹿児島はそうそう来られない。もうひとふんばりし、宿にゆく。

最後だ。飲んじゃえと思い、近場のbarに行った。

店主はロン毛の川平慈英みたいだ。友達以上恋人未満みたいな男女1組と女性が1人。

女性はマスターの高校の後輩らしい。いいところだなというよりか、居やすいところだなと思った。

「ラムはありますか?」

とたずねると

「お客さんラム好きですか」

「ええまぁ」

と返すと珍しいものを出してくれた。徳之島の酒造が作る「ルリカケス」というラムで、ボトルには「ルリカケス」の絵が描かれている。

「ルリカケス」という単語を十数年ぶりに耳にした。小学生の頃、家族間のしりとりで「る」がきた時の父の常套句が「ルリカケス」。変な単語で

「ルリカケスとは何か?」

と聞くと

「鳥だ」とだけ教えてもらった。

以来、しりとりで「る」が来ると「ルリカケス」を無意識に使った。

それから中学に上がり、本当はそんな鳥も存在しないし単語もないのではと思い使うのをためらうようになった。

しかし図鑑で調べると載っていた。

友人とのしりとりで一度使ったが誰も知らなかった。証明することもなく、恥かしさを覚え「ルンバ」や「ル―大柴」を使った。

「『ルリカケス』が恥ずかしい」という思春期。

まさかここで遭遇するとは思わなかった。

店主がラムより凄いのありますと言って、奥から箱に入ったアルコール度数50度の蒸留酒を出してくれた。

メーカーは同じ「ルリカケス」。その頃には、私を含め横の数人で回し飲みをする程、雰囲気がよくなっていた。

飲んだ感じは泡盛に近い。店主は幻のスピリッツだと教えてくれた。

そこへサラリーマン風の男性がやってきた。

「お久しぶり」

1カ月ぶりの来店らしい。

話は流れて鹿児島の離島の話になった。

「沖永良部島がいいですよ。地理的には鹿児島から数百キロ南下するので、ほぼ沖縄です。沖縄程観光地化されていないのがおすすめのポイントで、波が光るんです。景気がいい時は年に1回くらい仕事で行ってたんですけど」

それから軽快なリズムで観光ガイドのようなトークが進み、酒も回る。

はてしてこのおにいさんの仕事は何か。

何だ?

ここで書きかけの鹿児島記はとまってしまった。

何だったけ?

おにいさんの仕事なんだっけ。

ああ餌を作る仕事だ。ペットや家畜の。

不思議な仕事だ。アグラ牧場の倒産で不眠不休が一ヶ月続いたと言っていた。

それでもなんとか生きている。

<2011.10.17>

こんにちは土地29「熊本記」

島原と熊本の間で昼から夜へ変わった。

船から天草が見えた。

船は好きだなと思う。

車より飛行機より船が好きだ。

熊本港を降りて「じゃらん」でその夜の宿を検索する。シーズン以外は大抵、宿がある。熊本と鹿児島を回れば終了、ゴールが遠くに見えた。

宿に着くと21時を回っていた。熊本市中心部まで飲みに行こうかと思ったが遠い。よく見ないで店を決めてしまった。

徒歩圏内に焼き鳥屋を見つけたので入ろうとしたが、客がいない。いや、よく見ると1人いる。

入ってみると客は実は女将さんだったようで、食べかけのもろきゅうそのままにカウンターに回った。

「あんた中国人じゃなかとね? どっから来たと?」

「東京です」

「ならよか」

変な店にきてしまったと思ったが、聞いているうちに理由がわかった。

数日前にダイエー熊本下通店で刃物を振り回した中国籍の男性が逃走する事件があった。

容疑者が人質を連れて、今いる焼き鳥屋のすぐ裏のコンビニに立てこもり、そこからまた逃走し、佐賀で一旦発見されるも、逃走しているという。まだ捕まったというニュースは聞かない。そこへ酒屋のおじさんがやってきて、勝手にサーバーにビールをつぎはじめた。

「どうしてそんなことしたんやろか?」

「金がなかったんじゃろか」

「どうして佐賀まで金のない奴が逃げられたんじゃろか?」

「仲間がおるんじゃなかと、やつらは」

けっこう極端だなと思った。

それから話は宗教の話題へ移っていった。

「わしはいいとこもあると思うよ宗教も、ただいかんのは広めようとするとこたい」

「そうやね」

「最初は誰かに教えたいくらいなのかもしれんけど、だんだん強引になっていくばい」

「そうやね」

「南米にスペインがいった時だってそうたい。元々、土着のがあったのを変えようとして、人をいっぱい殺したと」

話がすすむとともに酒もすすみ記憶が薄れていったので後はよく憶えていない。

このおじさんの発言には思い当たる節がある。

 

私は仏教の本を作る出版社に入り、現在にいたる。

発端はバイト情報誌で聞いたことのない会社を見つけた。HPを見ても怪しい。

動機は怪しいものはリサーチしなくてはだった。

そしてそこで今も働いている。

ミイラ取りがミイラになったと言えば、それまでだが、それにはひとつの理由がある。

仏教への勧誘が一度もないことである。それが会社の妙な解放感を生んでいるのだと思う。

 

昔、弟の友人(♀)がとある新宗教に入ったので、実際どんなものかとノートとペンを持って会いに行った。

その子は、教祖様のすばらしさを大いに語って下さり、絶対に入った方がいいと私は勧められた。

とても苦しくなって取材は断念した。

 

営業という仕事と今の話は矛盾するのではとも考える。

だから軽くすすめるくらいにしている。そうすると注文があまりとれない。気持ちの力は強い。

「その瞬間には絶対に負けない」

という気持ちを持ちつつ執着はしない営業。それができればいい。

 

書き忘れていたが、出張前夜に遠い親戚が雨のバイク事故で亡くなった。

冥福を祈るとともに、恐怖心が僕に植えられた。小倉から博多へ戻る大雨の移動に強くシチュエーションを想像した。

ずるずると車の事故を引きづっても意味がないが、ついてくる。

瞬間に集中しなければ。

発想が仏教的になっている。

<2011.9.7>

こんにちは土地28「島原記」

これは博多記の続き。

文字通り。本来なら久留米のホテルからのはずが、現場検証のために戻った博多のホテルに泊まった。

こすった駐車場は満車でほっとした。近くのコインパーキングへとめた。1台の車もない割高のパーキングに悠々自適で停車してやった。

前日、墓穴を掘ったために大急ぎで回る。久留米、佐賀、長崎とスムースにすすんだ。

長崎の立体駐車場もなかなか怖かった。カーブに差し掛かる時に、アクセルを踏むというよくない癖がある。

ブレーキ、ブレーキ。

「1回の出張で事故は1回まで」と自分に言い聞かせた。デパートの中というのは本当に狭い。車体を前向きに停めてくださいと書かれていたが、勘弁していただき頭から突っ込んだ。長崎の中心も道が混み合っている。

夕方4時。

次の目的地は熊本である。

行き方は2通り。陸路と海路がある。陸路だと高速道路で福岡経由。V字状に高速道路で行かねばならない。海路の場合は島原まで行ってフェリーだ。時間的には大差がないが、船の方だと1時間程空白ができ体を休めることができる。

島原までが遠い。着いたころには日が暮れ始めていた。フェリーはまだあるだろうか。

会社のS君にネット検索してもらうと到底出航時間には間に合わない。

島原市内が渋滞している。何かと思うと今日は島原の花火大会らしい。自分はそういう星の下に生まれたと感じた瞬間である。

「祭旅」

まさに「祭旅」だ。

狙って島原の花火大会の日に来れるものではない。

宿選びは後にしてとりあえず島原港へ向かった。

係の者が駐車場1000円との案内をしている。よし停めるかと思ったその時、隣で熊本港行きのフェリーを案内している。え?

「まだあるんですか?」

「ありますよ」

もうすぐ夜7時である。

忘れていた。島原熊本間はフェリー会社が2社あるため競合しているので、サービス争いが熾烈なのである。

この数日間を走馬灯のように振り返った。マイナスが多い。挽回せねばと思い、後ろ髪ひかれる思いで、島原を後にした。くそったれ。

<2011.9.1>

こんにちは土地27「博多記」

3、4カ月に1度の頻度で九州に行っている。

その度に車を運転する。

出張で九州、東北、松本と行ったが、毎度、車をどこかにぶつけたり、こすったりと、何かしている。今回こそは何もないようにと思っていた。

 

その日は、博多、小倉、そして関門海峡を越え下関まで行った帰りだった。

雨が激しく、洪水警報も出ている。

夜8時過ぎに博多のホテルへついた。1階が車6台分くらいの狭い駐車場になっていた。マグロの刺身盛りのように車が斜めに並んでいる。

入口から数えて5番目が空いている。これはレベルが高いと感じた。

ぶつけると。

そこでフロントに頼んで補助をしてもらうことにした。その人は片目がない。

猜疑心が生まれた。片目がないから、全体がよく見えないのではないかと。この人の誘導にしたがってはまずいのではと思った。

しかし、何も言わず、従うがままに駐車した。バックで駐車せずに前から奥へとつっこんだ。柱、すれすれだ。車の運転が上手い人間を尊敬するようになったのは、免許をとってからだ。

その日の宿はとても古く、部屋にフナムシがいた。雨のやむ気配もない。つげ義春の話に出てきそうだが、布団につくと安堵したのかすぐ眠れた。

眠って起きていざ出発。幸い奥に停車しているはずの6番目がいなくなっていた。時計周りに壁沿いをぐるっと回ろうとしたらガリガリした。

まずい。バックで回避だと思うが、さらにガリガリした。もう動けない。その日は支配人がいて、車を出してもらうことができた。

それから私は何かに憑かれたようになった。

レンタカーのガイドには警察に連絡しなさいと書いてある。

「やだ警察やだ」

と思った。自分の心が不安感で灰色になっていく。午後に大分で約束があったので、保留し、高速に乗った。さてどうすべきか。大分についたが気持ちは晴れない。とりあえず、車に詳しい知人へ連絡してみた。

「こすった。どうしよう?」

「ばれる感じですか?」

「ばれる」

会話後、約束の時刻がきて商談をしにいった。

「商談している場合じゃねーよ」ともう一人の自分が言っている。

心が分裂していく。立場は違うが市橋容疑者の気持ちが少しわかった気がした。なんて自分は小心者だとも思った。このまま済むなら、しらばっくれるかとも思った。しかし、どうにも傷が深い。

レンタカー屋、そして警察に連絡した。

警察「どこにいますか?」

私「大分です」

警察「現場検証しないといけないんで戻れますか?」

私「はい。夜でもいいですか?」

警察「何時でもいいです」

それから本屋を数件回り、ホテルへ戻り警察と現場検証をした。

どってことはないことだった。

多少、雲は減ったもの晴れるには少々時間がかかった。

<2011.8.30>

こんにちは土地26「さようなら、荒川」

6月で荒川区町屋の一戸建てのシェアが終わる。そのことに気がついたのも、6月だった。

以前、引っ越す話をweb歩行に寄稿したが、それからだらだらと1年を過ごしてしまった。

いつか人は死ぬ。そしてシェアも終わる。

神保町・御茶ノ水の近くに住みたいと思っていた。

知らない町がいいと思い神楽坂か大塚を狙った。

 

4日。

神楽坂を物件を探していると友人に遭遇した。

友人はデートに来ていた。

 

10日。

作家の講演会で仙台に行く。そのまま福島、郡山、山形、盛岡、八戸と営業まわりをし、最後に久慈市の漁港を眺めた。

久慈港は営業再開に向け、船を修理していた。

福島、郡山を通るときドキドキした。

放射能は目に見えない。

ただ淡々と結果に現れる。

見えない努力はプラスの結果をもたらす。今回は逆だ。もう気にしないようと決めて生活していたり、気にしている人もいる。

 

15日。

東京に戻ったが何も決まっていない。

神楽坂も条件が合わず、ひとまず諦めた。

2人の同居人はすでに上野と綾瀬にそれぞれ新居を決めていたので少し不安になるが、何となくいけるんじゃないかとも感じる。物件探しをしていると欲望や妄想が湧いてくる。

「ここに住みたい。でもここも気になる。家賃が高い。日当りが悪い」

何かを切り捨てないと何も決まらない。

ここで何となくの条件を整理した。

「ぱっと見た印象がよければいい」

上京して来て早10年。

京王線仙川駅、中央線西荻窪、千代田線町屋駅と移り住んだが、どれもそれなりによかった。

そのせいか、これだという決め手が無い。

 

18日。

住所を決める。

 

25日と26日。

福島から来た山内君に手伝ってもらい引っ越す。ドンドン捨てる。結局、広い家でも、家具を有効に活用しないなら使わなくてよいのだ。しかし粗大ゴミ代が馬鹿にならない。予定だと6000円くらいかかる。

山内君からハードオフというリサイクルセンターを教えてもらう。家具、パソコン、楽器の中古販売店だ。そこでたくさん売った。-6000円が-1000円に代わり、最終的に+2000円になった。つまり差し引き7000円得をした。

これでいいやと住居を決めた。

住宅地にきた。

世田谷区なり。

どうやら物件は6月を過ぎると安くなるそうです。

おかげさまで安く物件と出会うことができました。

<2011.7.5>

 

 

こんにちは土地25「最後で気づいたこと」

年に数回、僕は書店営業で九州をぐるぐる回る。今回から一人で車の運転をすることになった。

三月に自動車免許をとったのだが、取得後、二度目の乗車でレンタカーのフロントライトを破損し、八万円払った。

トラウマを振り切るには今回、何事もなく旅を終えることができればと思った。

とてつもない移動距離で、途中、何度か眠りかけた。

噂には聞いていたが高速道路がこんなにも眠くなるとは知らなかった。

 

営業トークが、うまくないので書店に行く度、とりあえず震災の話題をして回ったのだが、同じ日本でもやはり現実感は薄いようだ。

 

博多、小倉、別府、大分、久留米、熊本、鹿児島へ回った。

一日分としての移動がもっとも長かったのが鹿児島から長崎である。

昔はフェリーもあったらしいが今はない。鳥栖経由の高速道路か熊本からフェリーの二択だ。

船で寝ようとフェリーで、うとうとしていると島原第一小学校の児童が、どかどかと騒ぎはじめた。

修学旅行の帰りだろうか。

前回までは上司と二人で回っていた。

正直、こうるさい上司がいない方がプレッシャーが少なく気が楽だが、騒ぐ児童を見て若干羨ましくも思った。

 

選ぶことは捨てることだ。駆け足の出張に虚しさを憶えながら眠りについた。

長崎、佐賀と回り、レンタカーを無事に返すことができてトラウマを解消することができた。ただし、初日に会おうと思っていたら休日だった書店が残っていたので地下鉄を使った。

 

ブックスキューブリック。

福岡市内に二カ所ある書店で雰囲気がとてもいい。2011年6月1日号のBRUTUSが特集「本屋好き。」でもインタビューが掲載されている。

以前訪問した際、店長の大井さんの両親が福島県の出身とおっしゃっていたので話ができればと思っていた。

赤坂一号店と箱崎二号店があるのだが、一号店にはいらっしゃらず二号店で会えた。

震災の話をした。

ご自身は九州生まれだが、親戚は福島県浜通りが多い。

今回の出張で、初めて震災に対する共感が生まれた気がする。

「募金を集めて送る」。

福岡からできることは何かを考え、実行されている。

 

前夜にキューブリック二号店二階のカフェスペースで雑誌『switch』の創始者で有名編集者・新井さんのトークイベントがあったとのこと。

ニアミスだ。イベントのテキスト『鏡の荒野』を勧められるがままに購入し帰路につきながら読んだ。

その中の沢木耕太郎さんの言葉に頷いた。

「同じ場所に何度も行くこと」

そうかもしれないなと思った。

同じ瞬間は二度と訪れることはない。しかしながら、わずかであれ関係性が作られていく。帰りの飛行機で、それがキューブリックのことだったのかなとも思った。

熊本で朝食をとった喫茶店のマスターが「本は楽天で買います」と言っていた。地方に行けばいく程、書店への本の到着は遅くなる。ネットならすぐだ。そしてポイントまでつく。

大井さんはイタリアにも一時期いたらしく「日本はこの十年で大きく変わった。イタリアはあんまり変わらないですよね」とも言っていた。

それは本屋業界のことなのか国全体のことをさすのかはわからない。本屋の価値は、行きたくなるかどうかのような気がする。

<2011.5.22>

こんにちは土地24「地震直後の東北へ」

11日に東日本大震災が起こった。

それから何度か株式会社サンガの本社、仙台へ向おうという話が出た。

行く行かない、危ない、我々が行ってどうなる、ガソリンはあるのか、という不安を抱え、「携行缶」というガソリンを入れる道具探しに奔走した。

13日に一度出発を断念し、14日も諦め、15日には神奈川、少し遠くの静岡の方のオートバックス、イエローハット等ホームセンターに電話をかけても品切れで見つからず、意外な盲点、お台場のバイク用品店で携行缶を手に入れた。

 

夜21時過ぎに東京を出発し、運転手のKがしょっぱな高速道路の壁をこすった。「運転が得意」といっていた彼に同行メンバーは驚かされた。

15日、都内もそして福島仙台いたる地域でガソリン不足の赤信号が点灯していた。満タンでスタートしても、いつガソリンが切れるのか、仙台に辿りつけるかどうかもわからない。情報が錯綜していて、どのルートを選べばよいのかもわからない。福島の方を通ると原発が怖いのとガソリンがないということで新潟を経由することにした。

「せっかくだから福島原発、見ていくか」なんて意見も出たが僕は怖くて仕方なかった。

雪がちらつき、冬用チェーンをゲットしようとガソリン品切と書いてあるスタンドに入った。チェーンは2万円近くした。するとスタンドの人間がハイオクは売切れだがレギュラーならある、という。これが現実だ。正直、むちゃくちゃ嬉しかった。

ないと言う建前とあるところにはあるという現実をインプットした。

新潟を村上まで北上し、それから一般道で山形近くまで移動し、そこから再び高速道路に乗った。山形までは冬の温泉宿を彷彿とさせる何事もない風景なのに、少しずつ現実から乖離した風景、閉まったコンビニ、行列のできた車の群れと陥没した道路が現れ出した。

 

16日10時仙台本社に着き仮眠をとった。

それから若林区荒浜地区へ向かった。若林区を海岸部と内陸に分ける高速道路で風景が二分されていた。 海岸部を猿の惑星、被爆地と色んな呼び方をした。

今回は代表S、編集K、カメラマンFと私の4人。Sの地元だから彼だけが原風景を知っている。

知らない人間にとっては、映画のセットだよと言われても違和感がない。

ポーランドのテレビ局に取材されて、僕は信じられないと答えた。

T字路で右に向かおうとしたところで警官が立ち入りを禁じていた。

S曰く「あっちが死者200~300名のあたりだ」

踏みつぶされた缶のようになったローソン傍で泥だらけの家族アルバムを拾った。喜ばれるだろうということで届けることにした。 瓦礫の道を我々が歩きながら、この地域の人間は全滅だろうと直感的に思った。そこへもう一台の赤いワンボックスカーに乗った家族が来た。

親戚がいるあたりだと言う。勝手に死んだと思いこみ話していると、この集落の人間の大半は近くの小学校に避難して生きていると教えてくれ、安堵した。ただ瞬間的に安堵したが、それが持続する安堵では無論ない。

 

 

17日、Sの親戚の家に、石巻市雄勝地区、最も被害が大きいと言われる地域から避難してきた2人に話を聞いた。

十勝大地震も経験した80歳くらいのおばあさんとそこに嫁いだお嫁さん50歳。2人とも雄勝で生まれ雄勝で一生を終えるつもりだった。

2人の話はどんな小説も勝てない程、心を揺さぶられた。

冗談半分の避難訓練が1年くらい前にあった。3mの波が来たらここへ避難、7mが来たらここへ避難、10mが来たら笑うしかないね、というのが来たそうだ。

 

   

18日、僕は1人仙台市内を回った。今回の状況で何か違った視点を見つけられないかと探っていたのだが、何も見つからずに諦めかけていた時、若いボランティア団体がギターと風船細工、無料ドリンクを配っていた。普段ならボランティアに対し、少し懐疑的なはずが、元気をもらった。平和な状況時にボランティアの存在を多少なりとも偽善臭く思っていたのかもしれない。今は何でもいいから元気をくれればいいと思った。希望があれば最高だ。暗い空気を打破するものであれば何でもいい。イエローモンキーの歌「JAM」の一節「乗客に日本人はいませんでした」をバカなニュースキャスターを鋭いアイロニーで歌っていると高校生当時に共感した。ただ今回の状況で変った。順々に人は心配の範囲を広げる生物、仕組みになっていると痛感した。まず自分、次に身内、そして親戚、仲間の安否だし、被災地と関係のない地域の人が切に地震のリアリティーを憶えるのは難しいだろうと思った。

S、K、Fの3人は北へ向かった。塩釜、石巻。ツイッターで物資を届けてくれる人募集というツイートを見かけ、取材と一緒に避難所に物資輸送もした。事務所で炊いた米をおにぎりに変え持って行った。途中、人為的に破壊されたコンビニとATMがあった。仙台市内にこういった風景はない。環境が人を変える。日本人は災害時も秩序を守る人種だという海外メディアの話があったが、それが一面に過ぎないことを知る。このことに関しては村上龍が少し触れていた。http://www.timeout.jp/ja/tokyo/feature/2581

切羽詰まると誰もが息苦しい。人間も野生の動物が変化しただけ。環境一つで欲望が見え隠れする。その欲望は自分にもそして誰にでも存在する。

S、K、Fが面白い売場を見た。金網で遮られたリカーショップ。商品を選ぶのは金網の外からしかできない。どちらが動物園の動物か。不安と疑心に駆られた状態はどちらなのだろうか。自ら檻に籠る動物が他にいるのか。

物資とともに弊社の石巻在住のデザイナーにも会う。彼は淡々と生きていた。

 

19日、幾つかの宗教、仏教、キリスト教のボランティア活動の話を聞く。

20日、石巻雄勝町へ物資輸送をしつつ向かう。夜になり水没した道に遭遇する。目の前に某テレビ局のワゴンが道を眺めて止まっている。 「お先にどうぞ」と言われ、先に進んだ。我々は小型車だ。少しおかしくないかと思いつつ進むもあまりに水が深くなり過ぎたので引き返す。近くの対策本部にオムツやミルクを届ける。

21日、消防士とイスラム教のボランティア活動を聞く。

22日、土葬の取材、医師の話、そして福島へ向かう。原発から45km三春町に住む玄侑先生に話を聞く。

23日、午前3時帰京。

 

 

岩手宮城と福島。地震津波と原子力。

問題は二分する。長期化する。同時多発的にどこかで新しい問題が起こる。

避難所、避難者を受け入れる町。

詳細は会社で本にいたします。

箇条書きにつけ忘れていたが、自衛隊が瓦礫から遺体を掘り当てる現場を心配げに覗く家族を覗いた。

そして祖母の死体が発見され、我々の視線を遮るようにブルーシートの幕がかかり、父親が幕の内側へ行き「ばあちゃんだ」と確認した。その時、涙が出た。

いろんな生物が安穏であるように。負けないぞ東北。

<2011.3.24>

こんにちは土地23「日本一のアドベンチャー@九州」

こんにちは土地について。

大学の同窓生S君からリクエストをもらった。彼の故郷、九州の話をもっとと。

 

八月終わり残暑の厳しい季節だった。仕事で博多から山口方面へと、書店を回った。その日は博多、黒崎と移動。束の間の電車から見える田園風景は故郷の福島を思い出す。遠くに遊園地が見えた。そして小倉で仕事が終わった。

朝九時から動きだし、気づけば夕方十八時半。

「Sさんお疲れさまです。飲み行きますか」

「いや、さっきの遊園地行こう」

「でも遊園地って夕方までですよ、多分」

「わかんないべ、電話してみ」

Sさんと言うのは常々、僕が期待することと逆の行動をする。

電話で遊園地へ確認をとるとやっている。我々は最寄り駅へ向かった。車窓からは近いのに実際は遠い。よくあることだ。歩きながら、ふとある小説を思い出した。

『8月の博物館』瀬名秀明 著だ。

あんまり面白くなかったなぁ。

『パラサイトイブ』と『ブレインバレー』はまぁまぁ楽しかったのに。恐らく自分の中で、きっとつまらないだろうと想定したのが無意識的に現れたのだと思う。

Sさんは元気だ。まずお化け屋敷に入ろうとすると行列が出てきている。一組入ると次の組は2分くらい待たなければならない。だから列ができるのか。ようやく我々が入ろうとすると、前組の家族が戻って来た。

よほど怖かったようだ。しかし幼稚園の年長組くらいの長男は挑戦したがっている。

Sさんが言った。

「いっしょにおいちゃん達と入ろうぜ」

一見すると男気があるように見えるのだが、僕は真実を知っている。彼は幽霊が苦手なのだ。

人間とは不思議だ。表と裏で印象がこうも違うとは。

何事もなくお化け屋敷を終え、銀河鉄道999の短編映画を観て、そして小さい筆記体のL型コースター(細くしたO型)に乗った。発車後すぐに加速する。こんなの初めて。一瞬で終わる。

擬音語で言えば、グインギュリュパッだ。それから僕らはウォータースライダーみたいなのにも乗った。これも行列ができていた。

ふと気づいたが、傍からはどう見えるのだろうか。我々はお互いの顔を見て周囲を眺めた。暑苦しいスーツを着た人間等他にいない。ましてや男二人などいない。

ゲイのカップルだろうか、謎の監視員だろうか。世間は誰も僕らに気づかない。疲れている中、「遊園地で汗だくになっているのに、何故に心の奥でちょっと楽しんでるのだろう僕って」と思った。

それから僕らは水しぶきを被り、グシャグシャのスーツと靴下で電車に乗り帰路についた。

名前だけでも憶えてって下さい。『SPACE WORLD』と言います。宇宙がそこにあります。

山口や北九州の人間が一度は通る道です。コースター系が5本くらいあり、どれもクオリティーが高いのにけっこう空いている(少し並びます)。素晴らしい遊園地です。こんなの東北にはなかとです。

<2010.2.6>

 

こんにちは土地22「冬の九州」

九州は暖かい。

そんなイメージは打ち壊された。

みぞれまじりの福岡空港におり立つ。

小倉、熊本、大分、宮崎、鹿児島、佐賀、長崎と様々な土地の本屋を回った。

全ての行程を上司が運転をした。1700kmほど走った計算になる。上司に感謝。仮免から早く本免許にならなければと思う。移動は時折電車を使いつつ車で回った。他の出版社はどのようにしているのかは知らないが、約1週間をこのような距離を回るところは他にないだろう。

何故なら、日本は書籍の流通システムが整っているから。しかしながら、それがどうやら不景気のせいか何のせいか滞りつつある。実際に目で見ないとわからないことが世の中、多々ある。

小さな町の本屋さんに行った後、郊外のショッピングセンターにある大型店に寄った。そこにはどうしようもない顧客数と品揃えの差がある。

地方を営業し効率の良さばかり求めると何かを失う。目の前のことばかり優先しても何かを失う。その奥深いところへ立入るのは危険な世界でもある。頭と体、両方使わないといけないなと思った。

 

旅の終盤、長崎で僕は上司を傷つけた。

そして猛烈な説教を喰らった。理由は舐めくさったことを吐いたからである。調子にのってしゃべっているといつか本質を失う。言葉に本質はない。言いたいことと違ったことを発言後、訂正すると更に悪意が回転する。

コトバムズイ。

説教を聞いているうちに彼の言いたいことがわかってきた。理解したような気になっている人間が上司は嫌いなのである。上司の意図は大体わかっている。こんなものだろうと。しかし、えてしてそんな時、悲惨なことになる。

理解したような状態と言うのは、周期的にやってくる。常に謙虚なチャレンジャーでなくてはならない。

 

亀山社中に最後立ち寄った。なんともかわいらしい猫なので龍馬のブーツ像とともに撮影した。

<2011.01.21>

 

 

こんにちは土地21「雪国」

雪を見ると僕はほっとした。

はたして本当にそうだろうか。

あけましておめでとうございます。

 

 

会津市街で高校時代の同級生と再会して飲んだくれ、翌朝、みな寝ているので一人、城の散策に行く。

城の上から、今年はどうだったのかな? 来年はどうかな? この国治めちゃおうかななんて考える。それから実家に戻り、年を越す。

 

元日からスノーボードをする。例年なら寝正月なのだが、親戚とスキー場へ行った。

5年ぶりくらいのスノーボードで感覚がつかめない。それを尻目に上達する従兄弟、ハルキ(10歳)。

地元のスキー場は駐車場が満杯だったのに、毎年減っている。みんな財布の紐が固くなりつつある。僕が小学校の頃、TRFの曲とバブル客で、ゲレンデが溢れていたっけ。

家に帰る頃には全身が激痛に襲われる。しかし少しずつ感覚をとり戻した。久々に乗る自転車のようだ。

へっぴり腰が情けない。急斜面をスムースに降りることができず、発車と停止を繰り返す。

そういえば今通う自動車教習所の教官が「スキーと自動車は似ているよ」と教えてくれたことを思い出す。

「そうだ! ブレーキはカーブの前でかけるんだ! 曲がっている最中じゃないんだ! ありがとう教官」

基本は前足に重心を置いて、後ろ足でコントロール。

スピードが出ると後ろ足に体重がいく。勇気をふりしぼることが肝心だ。ワタナベという同級生に偶然再会した。

 

二日もスノーボードを随分と楽しむ。客は昨日より増えたがやはり少ない。

お前が心配してどうするという話だが、帰省した友人の電気屋だとか個人経営の人々の生活は大丈夫なんだろうか? どれくらい物が売れるんだろうかと思った。どこもかしこもナショナルチェーンが他県からやってくる。最近は公共事業の数も減っている。そもそも日本が世界のトップクラスから外れつつある皺寄せが最初に地方は来る。

ただ、そうは言っても、貧困と言うのは個人の中に存在する。心の汚れが一番悲しいんじゃけ。都会が素晴らしいなんて話もない。この世は地獄。地獄をどう楽しく生きるか。ボロは着てても心は錦。そんなことわざがあった。ネガをポジに変える力が必要なんさー。

そういう意味で「こんにちは土地18『森の音楽祭@南会津』」のような企画はいいことさ。ないものはない、でどう智慧をだすか。智慧もきっと利他的な時にいいことが閃く。きっとそんな風にできている。

まず楽しく暮らすこった。

今年の目標は、「喜ばす」だ。

<2010.01.04>

 

こんにちは土地20「あの世から帰ってきた男との再会@浅草」

室野井師匠に浅草で寿司をごちそうになった。師匠は落語研究会時代の先輩で30歳フリーターである。

師匠はタイトル通りあの世から帰ってきた。学生時代、右脳と左脳を繋ぐ脳梁という器官に障害を負って昏睡状態になった。

当時、落研内に衝撃が走った。僕は一世一代のオオボケだと思い笑った。ひどいやつだとも思うが、笑いと悲しみは半々がいいのだ。

事故後、彼は外科医の手術により一命をとりとめた。復帰した彼は前のように酒とタバコをかっくらった。

するとどうだ裂け目が深くなり「もう助からないだろう」そう言われた。呼吸器がはずせなくなった。

誰もが諦めた時、たまたまドイツからヨーロッパで5本の指に入る脳外科の権威が学会のため来日していた。

家族サービスのために当てていた一日をこんなに珍しい手術はないということで、手術に立ち会った。

奇跡的に彼は助かった。

 

彼はリハビリを繰り返し、今では健康に暮らしている。しかし、利き腕は右から左へと変わった。

右脳は左半身を司り、左脳は右半身を司る。

彼は真ん中を損傷したから、右左のところどころに不思議な点がみられる。

しかし、一番の不思議は彼の危機感の欠如だ。

将来への不安、死への不安というのがまるでない。棺桶に胸まで入りかけたのにもかかわらずだ。

僕は全ての人が「死」をこわがると思っていたが、そうではないようだ。

<2010.11.18> 

こんにちは土地19「御茶ノ水の母校」

先日、編集長に誘われ母校の研究棟へ行った。行くか一瞬迷ったが前日「挨拶するたび人の関係性は更新される」という言葉をツイッターで見つけ、その通りだなと思った僕は付いて行った。

仕事場も大学も御茶ノ水。つくづく御茶ノ水と縁がある生活をしている。

当時の担任の研究室に行ってきた。編集長は担任と連絡を取り合うので話すことがあるが、僕は探さないとない。それは授業をまともに聞いたのは最初の数回だけだったからだ。

大学は授業と言わず講義か。それくらいな感覚で大学に通った。

元々僕は理系で文系に興味はまるでなかった。忙しくないという理由で文系にうつった。

日本では大学生が一番お気楽だなどと言われたりもするが、そうでなく将来の理想を描き通う者も勿論いる。しかし僕はお気楽組だった。

大学は何か学ぶ目的があって行くところだ。

何しに大学に行ったのだろうかとふと思った。落語研究会や友人との出会いくらいしか浮かばない。

スキルを学んだかと言えば、何も学んでいない。親に対し申し訳なく思った。

いつだか父からこんなことを言われた。

「お前は親が何も言っても、自分のやりたいように生きてきたからな」

僕から言わせると逆だった。一応、何かに従って生きているつもりだった。傍から見るとそう見えるのかと思った。

父でさえそうなのだから、赤の他人からすると、自由人のように見えるのかもしれない。これはやっかいだ。しかし、これが自己認識と他者の視線の差だ。

患者と精神科医の関係は仲良くなる程、誤診が出やすくなると聞いた。近すぎて見えないとはこのことだが、はたして父との距離は近いのか謎だ。

僕の目で研究棟の窓から下を覗いてみた。小学校が見える。研究棟の廊下を歩いていて田口ランディ作『コンセント』の映画版で主人公♀が教授とセックスするシーンを思い出した。

いいなぁ教授って。本がぎっしりあって、静かな部屋で。僕の夢想が終わると編集長と担任は浅草かどっかへ消えた。

担任とはあたりさわりのない会話をした。一応これで関係性は更新された。

<2010.11.3>

 

こんにちは土地18「森の音楽祭@南会津」

9月18日。朝、洗濯をして東武線に乗る。約4時間、会津山村道場へ着く。郷里への道は遠い。

郷里の音楽祭『大宴会』の準備だ。心配で仕方が無い。山奥、そして広大な敷地、地元の青年達数名で発起、人が本当に来るのか? ポッと出の手伝いの僕も不安になる。

山内君が田舎に戻ったために舞い込んで来た手伝いだ。準備は、舞台の設営、看板立て、掃除いろいろある。

準備の最中、東京から南会津に移り住んだ大西さんと話をした。

大西さんはTVチャンピョン「野人王選手権」の初代王者。そして山のワークショップ等を開いて生活している。今回のフェスも大西さんのコーナーがたくさんある。

「何でここに住んだのですか?」

「色々住みましたが、南会津みたいに自然と文化が共生して残っている地域はありませんよ。もう屋久島にもそれはありません」

生活の知恵が今生きている世代に割と良い保存状態で残っているのだそうだ。はぁーすごいんだ地元。他の人の言葉を通してそんなことを思った。

準備はドタバタと進み前夜祭へ移行する。前夜祭で落語をすることになっていて、落語が終わると全てが解放されたようになった。

毎度のことながら、練習をせずに上がって泥だらけの沼を泳ぐような出来映えだったが、汗が驚く程溢れた。

体にも心は存在すること、頭でっかちになってはいけないこと、全身を使うことを改めて痛感した。

中々現代生活をおくっていると鈍くなって、溜まった汚れが少し落ちた。前日のパパタラフマラのミニワークショップでも少し落ちたし、2日連続垢が落ちて体は敏感になった。

 

 

19日当日、朝から準備して地元の幼稚園児達の和太鼓演奏とともに11時開場する。地元の老人達が押し寄せてくる。一般の人が来るのか不安になる。

僕はCDの物販係。地元のおじさん達がブースを覗いた。

「中学と高校の校歌のCDも一緒に売ってけろ。都会に出ると若者、地元忘れて戻ってこないから」

無理矢理だが面白い。そして理にかなっている。

TOMI&TAMIO、川窪裕子、コトリンゴ、高田漣、高野寛、中山うりと6名のアーティストの演奏がゆっくりと続く。

時間とともに客が増えだすがそれにしても風がよい。

高野寛「ここはフェスっていうかフェスティバルというか祭りみたいですよね。そして道歩いてるとスタッフの人とか一般の人が挨拶して来たり、緩いというかナチュラルですよね」

またも外からの声が僕の中を抜けて行く。自分を自覚するのは他者を通じて、なんだなやっぱり。自分ではないけれど、俗世にいる限り、人は関係性の生き物と感じる。

それから夜が来て打ち上げが始まる。ジンギスカンのバーベキューでアーティスト、スタッフ、一般が少しずつ入り乱れ、素人が始めた演奏にアーティストがコラボったりする。

目が覚めて思うにあのグルーヴ感は絶妙だったし、心地がとてもよかった。それは僕以外もよく同じことを言っていた。アーティスト自身もツイッターに書いていた。

商業の匂いのしない、そしてヒッピーの香りもしない、この雰囲気をどう言葉にすればよいのか難しい。

「村まつり型野外フェス」かなぁ。「森の音楽祭」かなぁ。ただ今年のは最高だけど終わり、来年はまた別だ。さてどうなることやら。

<2010.9.25>

 

こんにちは土地17「マヨネーズとドレッシングの喩え@松島」

出版業界の会合に出席するため松島に行った。

仙台はよく行くものの、松島は小学校以来だ。会津地方の小学校の修学旅行は松島が多く、仙台方面の小学校は会津へ行くのが通例だそうだ。小学6年生以来17年ぶりだ。陰毛が生えたかどうかという話をした記憶しか残っておらず、迎えのバスが来るまで駅周辺をしばし散策した。するとそこにきれいな白人の女性が立っていた。チェコから来ているらしい。

わたしは日本人と言葉を交わすのすらままならないのだが、外人をみると頑張って話しかけようという気になるから不思議だ。

 

東北各地から多くの書店員の方がきていた。

その中に「ブックスなにわ」という会津が本部の書店さんもきていた。

取締役の猪俣さんと出会った。猪俣さんは同級生のお兄さんだった。つまりは高校の先輩だ。

猪俣さんが1年の頃の応援団長がサンボマスターのボーカルだったらしい。何とも不思議なものだ。東京に来てから福島出身者にはよく会うが会津となると滅多に出会うことはない。

松島からの帰り道、書店を案内していただきながら、いい話を聞いた。

「本のジャンルにも、マヨネーズみたいなものとドレッシングみたいなものがあるんだ。昔、スーパーで働いていたんだけれど、マヨネーズは、ある特定の銘柄しか、なかなか選んでもらえないんだよ。自分の家の冷蔵庫を想像するといい。キューピーとか○○(メーカー)とか、付け加えるならサイズ違いのものくらい。でもね、ドレッシングはゴマ、中華、フレンチ、和風といろいろあり、更に細分化されて、ノーマルとか脂分0タイプがあったりする。つまりマヨネーズはこれだっていうものを買う。それがあればよくて、ドレッシングは種類が多いほど売れる可能性が広がる。そして売上につながるんだよね」

 

30歳前後までで生き方が大きく変わるという話をよく聞く。

結局、それ以降はそれまでの経験を応用して生きてくしかないのだろう。

今までと全く違うことにチャレンジするのは大いにありだが、過去の経験で使えるところは使った方がいい、とも思える。

 

2002年末の日記らしきものが出てきた。

 

「PM3:10 実家への帰路。実は一昨日ゲロまみれになった服を着ている。そのままじゃないよ!

2回洗った。2回!でも臭い。臭さとの格闘の3時間。つらかった。僕頑張ったよ。しっかしすごいよ雪だよ。やっぱりうまいことが浮かばない。

I am アルツハイマー.」

 

どう応用すればいいのだ。

元気にたくましくありなさいという訓示だろうか。

とほほ。

<2010.9.17>

 

こんにちは土地16 「妖怪と出会う@大分」

九州をぐるぐる回った。博多、小倉、久留米、佐賀、長崎、熊本、鹿児島、大分。移動しすぎて光陰矢のごとしみたいな旅の中の一瞬のスナップショット。島原から熊本へのフェリーより。

大分で私はこの世のものとは思えない妖怪と出会った。名前はシュポシュポ。Hなお姉さんのことではない。

焼き肉屋で私は妖怪を見た。

焼酎を飲めば飲むむほど妖怪は陽気さを増し、店の前にある、焼き鳥屋の旗を上下に揺すり始めた。店員がやってきて「迷惑になりますのでおやめ下さい」と注意すると妖怪は

「シュポシュポしてるだけだ! 抜いてねんだ!! 店長呼べ」

と激怒した。

「何で人が気分よくシュポシュポしてるのに関係ないだろ!」

店長は困り、ひたすらに謝っている。

妖怪「それは旗抜いてどっか持ってったら困るよ。でもシュポシュポでしょう。何が悪いの?」

店長「はい」

妖怪「お前、帰るな(隙を見て逃げ出そうとした店員に向かって)」

店員「すいません」

妖怪「どういう教育してるの?」

店長「すいません」

妖怪「シュポシュポの何が悪い?言ってみ?」

店長「いえ、何も悪くありません」

妖怪「気分悪いでしょ。シュポシュポ邪魔されたら」

店長「はい」

私の頭の声「すごい。妖怪すごい」

妖怪「こいつ(店員)何て言ったかわかる?」

店長「……」

妖怪「シュポシュポはおやめ下さい、だよ」

私の頭の声「言ってない」

店長「……」

妖怪「わかる?シュポシュポとめられた人の気持ち? 気分悪いでしょう」

店長「確かに」

20分ほど続く。

 

私は大分で妖怪をみた。

擬音語の面白さ。

声質は猛烈な邪悪さに充ちた怒りなのに「シュポシュポ」という音の間抜けさ。

水木先生の世界を九州で垣間見た。大分の人はいい人が多かったとです。

<2010.9.8>

 

こんにちは土地15 「蕪島」

本州最北端の地、青森に行った。

盛岡を抜け八戸に泊まる。翌日、数件の仕事を済ませ蕪島へ行った。そこは人の立入ってはいけない場所かもしれない。

海猫の生殖地として知られる小さな島で、階段を上ると神社があった。

階段も境内も鳥だらけで、夜一人で歩いたら襲われて肉片になっていることもありそうだ。

臆病さが写真に出てしまった。

目をつぶって歩けば海猫を踏むという状態で、神経症気味に歩いた。

高台が見える近隣の小島も海猫だらけだ。雛に近づくと凄い勢いで足をつつかれた。

東京に暮らしていると自然の驚異、動物の恐ろしさを感じずにいられる。

 

先日、文学部出身のエコノミストのセミナーに行った。

エコノミストと言ったら、普通は経済学部出身が多いそうだ。しかしながら、その人は歴史等から読み解かれることが多い。

経済と言っても金と言っても人の欲が作り出す。

お金のうみ方は需要と供給の差を使う。

人間のよくが集まるところは何か。

これは比較的物語にも通じるのではないか。感情がずれるところに話が発生する。

最近、世の中の根本をざっくりと出すのは、

「速さ×時間=道のり」

という方程式ではないかと思う。

いろんなものに応用が効くのではないか。

例えば、高校の時分には、微分積分の意味自体を考えたことが無かったが、微分は傾き、つまり流れる方向を導き、積分はエネルギーを計るもの。

人も動物の一部であり、世界の一部だ。

テレビや戯画化された動物ばかりを観ていると世界はやさしいが、実物は、防衛本能もや警戒心に溢れている。 

<2010.7.4>

こんにちは土地14「金と野フェスと郷里」

「部屋とワイシャツと私」という曲名をパロってみたが、原型が無い。2週連続で野外フェスティバルに行ってきた。

「Sense of Wonder 」茨城県笠間市。

「TAICOCLUB」長野県。

センスオブワンダーは、以前出演させてもらった短編映像のスタッフと観に行った。その時音楽を担当した「ar」を応援した。

タイコクラブは、同居人に同行し参加。

こちらはピコピコジャガジャガ系で踊る感じ中心。

しかし野外フェスってすごいよなと思う。タイコクラブの入場者は大体7000人。入場料約1万円として、7000万円の事業だ。おそらくタイコクラブは中規模。

ってことはフジロックって、一体何億のお金が動くのだろう。

十億超えるのかな? 

そんなことを考えてしまった。昨今の不況で入場者が伸び悩む巨大野外音楽イベントの記事をネットでみたけれども、それでもすごい額だろう。

こんなことを何故考えたかというと、郷里で9月に野外フェスが開催される。

それには山内君も実行委員として関わっている。何はともあれ動き出したようだ。物事は最初が一番大変なのだと最近よく思う。そして不安定と未確定なことが多く、更には周囲に賛同者もいないというのが最初というものだ。

ほとんどビジネス書は読まないのだが、流行にのってiアプリ版『もしドラ』こと、『もし高校野球の女子マネージャーが『ドラッカーのマネジメント』を読んだら』を読んでしまった。

要約すると、物語に経営哲学が入っている。

いい経営とは効率化より重要視される真摯な姿勢についての記述は何事にも通じる。

「もし村役場の係長が『ドラッカーのマネジメント』を読んだら」

みたいなことになれば、ダジャレになっていないけれど、ドラマチックだよな。

そして結果としては野外フェスを通じて町おこしが成功する。

仕事をしながら有志で集まり開催にまでこぎつけたらしい。僕もできることを協力しよう。

僕は公務員の子供として温々と育った。しかし大人になってからわかるのは、地方自治体だけではまかないきれない多くの資金が国から援助されていたということ。

そして、そんな地方は日本には五万とあり、その日本自体が緩い下り坂を降りつづけていて、世界のトップからも少しずつ下りていること。

そうは言ってもワールドカップ直前、信じられないほどの貧富の差がある南アフリカという国。世の中はマントルのようにゆっくりとダイナミズムを描きながら変化している。

ワールドカップも見方を変えれば世界一の野外フェスか。

欲望が渦を巻いているなぁ。

 

ミクロとマクロ、ループする世界、崩れるメディア、甦る太古、溢れる人口、減る自然、生きる悲しみ、死ぬ喜び。ああ人間て悲しい。ああ人間て楽しい。

最近、ペンギンカフェオーケストラの野外演奏を聴きながら、ペンギン村に移住したいなと思います。

鳥山明の才能に脱帽。

アップルのマークって旧約聖書からきてるのかな?

だれかわる人いない?

 

と思いのたけを綴ってみた。明日も無事でありますように。世界の皆様、郷里の皆様ごきげんよう。

<2010.6.9>

 

こんにちは土地13 「九州を吸収ツアー終わり 豚を食べる」

熊本で終わるはずの九州ツアーも鹿児島までノリで行くことにした。鹿児島は天文館という南九州の中心の商業地区で降りた。異国情緒が漂っている。太陽が暑い。
チケットの関係上、夕方には福岡に戻らないとならない。
鹿児島名物の黒豚のトンカツを食べて帰路につく。うちの地元は焼き肉というと豚や牛の肉ではなく、羊の肉でジンギスカンをする。
高校に入り下宿生活を始め友人にその話をすると驚かれた。
小学校五年生の半年間僕は「にわかベジタリアン」となったことがある。
理由は想像してしまったからである。メェメェと鳴く羊を食っていると考えると、ほ乳類同士で共食いをしているような気になって気持ちが悪かったのだ。
そして僕が次に考えたのが羊がよくて豚や牛はOKなのか。そんなことあるわけないと思い肉をやめた。
しかしながら「にわかベジタリアン」は、やはりにわかで、ある日、チキンナゲットは普通に食っていることに気づいた。むしろ好きだった。
鳥と魚には同情しないなんてひどい。家族間の焼き肉の際、ホットプレートで魚を焼いていた記憶もある。
食うとは残虐であり尊い行為というか、食わないと死んじゃうからというのをアホなりに考えなおした。
というより、次第に頑張って想像しないとかわいそうという感情が長続きしないことがわかり、やめた。
その問題は今日のイルカの問題にも繋がっていて、イルカがかわいそうだから食べている人の邪魔をするというのは小学五年生の僕レベルの自己中心的な見解に思う。
かわいそうだけど、ありがたく食う。もしくは何も思わずただ食うでいいのではなかろうか。
自分が食わないのはいいが、それを他者に強要するのはよくないことに思う。
かわいい豚のマスコットを撮影した。人間てのは残酷ですなと思う。それはイメージを持つからである。
食欲も性欲も睡眠欲も大半の生物が持っている機能で、それプラスアルファがあるのだもの。
九州から戻ると「口蹄疫」という耳慣れない言葉がニュースを占拠していた。
殺される豚や牛もかわいそうだが、畜産農家の人々もかわいそうである。
「不思議の国のナディア」のナディアもそうなのだが、ベジタリアン風の人というのは地球に優しいように見えてある種、エゴイストなのではなかろうかと思う。

がんばれ東国原知事。

<2010.05.23>

こんにちは土地12「九州を吸収ツアー・中編『城at熊本』」

Kは仕事で九州に来ていた。福岡を周り終えると熊本へと移動した。

昼の2時頃突然、上役員から電話がかかってきた。
「城はせめたか」
「はっ何のことですか」
「城あるべ城」
「ああそういえば」
Kは書店を回り、自社の書籍を紹介することが仕事かと思っていた。はてこの上役員は何のことを言い出すのかと思い尋ねた。
「本屋はまわらなくていいですか」
「いや駄目だ」
ひどく難題を言ってくるものだ。まだ幾つも本屋はある。
iPhoneとは便利だが厄介でもある。mapをひらいて、検索キーワードを入れると赤い杭が地図に降りそそぐ。例えば「書店」等。
1本の杭がバイパス沿いにある大型書店を刺した。とりあえず最寄りの駅まで向かった。市電からJRに乗り換えて、最寄り駅へついた。
もう一度検索すると市電駅からバスが出ていることがわかった。引き返そうか迷ったが、とりあえず駅員に尋ねた。
「最寄りはここですよ。歩いて30分足らずです」
Kはバイパスまで歩き10分かかった。それからしばらくしてバス停を見つけた。バスが来るには20分ある。先ほどの助言どおりならばバスに乗らずとも着くはずだ。
歩くことにした。5分で次のバス停に着いた。次のバス時刻までは残り10分だ。次のバス停で乗ろうかと頭をよぎったが、いまさら車はつかわないことにした。
ランナーズハイならぬウォーカーズハイとでも言ったらよいだろう。通り過ぎるバスをみながら書店へ向かった。そして帰り道はバスを使った。
そのときKは片意地を張るという言葉を思い出し、正直者であろうと思った。
すると上役員から電話が再びかかってきた。
「どうだ調子は」
「今日は移動が多くて少し回れてないですかね」
「どうだ城はせめたか」
「いえまだです」
電話を切るとKはイヨイヨ城を責めることが大事な気がしてきた。また城というのはその土地の異性だとか書店の暗喩なのかとも考えた。
しかし城は城だろう。夜7時、Kはその日予定されてた最後の店を回り城へ向かった。長い坂道である。
上役員から電話がかかってきた。
「おまえが言ってた本の帯のことなんだけどさ」
「はい」
「タレントと評論家とどっちがいい」
電話の向こうで誰かと話をしている。編集だろうか。Kがふと我に返ると昼の暑さは消えていた。気づくと電話も切れていた。
受付で入場料の確認をすると夜間料金で200円と昼より安い。しかしながら天守閣への入場は閉園の30分前。もうじき終わってしまう。
「どうだ結局、今日の総括は」
「さきほどと何ら変化はありません」
「で帯なんだけれども……」
電話を切ると城は閉まろうとしていた。

<2010.5.14>

こんにちは土地11 「九州を吸収ツアー前半・門司港でモジモジ」

仕事で九州に来た。

九州の女の子はかわいいばい以上。
それでは何も伝わらない。いやこれで十分のような気もする。博多に着いてから天神に行って地下鉄に乗って様々な店を営業すると一日目が終わった。二日目はローカルやJRを使い途中下車しながら小倉まで。
博多の人は基本的におしゃれだなと思う。様々な知人からいいとこよと聞かされていたが、来てみると、丁度よい人や緑の量で博多に住みたくなった。
福岡市街の地下鉄を抜け私鉄に乗り、それからJRへ。北へ向かうに連れ生活感が溢れてくる。工場萌えの人にはたまらない風景が流れる。工場に萌えるというのも廃墟に萌えるというのもわからなくはない。

以前萌えていたから。

はて僕は何に萌えていたのだろうか。工場は人工物の格好よさの前に、みなぎる生命エネルギーの美しさだろうか。
では廃墟はと問うと……ニヒリズムだろうか。でも最近、ニヒリズムは辞めたのだ。それでも廃墟は少し憧れる。幽霊がいるとか残念という名の執着の痕跡、残像に感情移入しているのだろう。
人は本当にやることやった人は輪廻しないらしい。不思議だ。永遠の生命、永遠の自分に憧れる人がいるが、それは逆説的にできている……らしい。
神道、キリスト教(プロテスタント、カソリック)、ヒンドゥー、仏教、イスラーム、それぞれをモチーフに生まれた新宗教、ゾロアスター。
名前の響きが格好いいのはゾロアスターだ。中島らもの創作落語で知った。ゾンビが出てくるのが愉快だ。

日本にも色んな人がいる。しかしながら民族の違いは、やはり宗教を中心とした文化や星座や血液等の占いが規定する。そういうのはクソッタレで身体に還元しないと、と思う。
しょうがないというか歴とした生物なのだ、人間は。

♂と♀。それに抗いえない。
「れっきとした」を漢字にしようと思ったら、列記と歴が出たのでwikipediaを調べて歴が正しいと出た。そらそうです。

列記って羅列を記すみたいなニュアンスだもの。
いつになっても日本語は外国語です。

Japanese is foreign language for me.
「いつになっても」もわからないし、前置詞もわかりません。「て」「に」「は」「を」も難しいとです。
普段通り話すなら→ordinary speaking か normal speaking か I don't knowだけど、わからにゃいは楽しい。
基本的に繰り返しても、わかるわからないは各人違うし、思い込みもあるのだろう。
小倉はやたらと人間臭い。予行演習で『東京タワー』を観て行った。小倉に行ったら浮かれて門司港に行って下関に船で渡っちゃった。
そして戊辰戦争を何も知らずに生まれたのだが、最近話に聞いたので港の目の前を上ってった、丘にある墓地で、霊の鎮魂を祈った。
よくわかんないけど猫についてったら墓についた。不思議だな。
戻る。戻らない。放棄。仕事。ループしたけど基本真面目だから九州に戻った。
本州から九州を撮影した。

<2010.05.12>

こんにちは土地10 「仙台風お好み焼き」

君は仙台風お好み焼きを食べたことあるか。恐らく日本の99%は知らないだろうし、仙台市民の中でも知っているのは少数派だろう。
ゴールデンウィークを営業活動と著者講演会で仙台で過ごし、上司宅で寝泊まりをすることになった。
仙台の前日、歩行編集長と山谷という大学の同級生3人で高円寺で飲んだ。
さらにその前、出版社交流飲み会があった。
そこで持ち上がったのが、上司が唐突に「仙台風お好み焼き」の話をし始めた。勿論、本人以外誰も知らない料理だ。
「みんなお好み焼きって言ったら、大阪か広島だべ? 全然違うからな」
しばらく黙って聞いているが誰の賛同も得られない。

 

それから数日後、上司宅にて食べることとなるとは。

 

①まず小麦粉な、お好み焼き用のじゃだめだかんな。それに水適量と卵一個入れてしゃかしゃか混ぜるんだ。
②紫の海藻、青のり、それから天かす。だめだぞ市販のじゃ、天ぷら揚げてボコボコがでっかがったり小さがったりってこだわりな。それを混ぜる。
③で焼く。固まってきたら刷毛で醤油を塗りひっくり返す。
④それを4、5回。水分が無くなってくるまで塗っては返す。
⑤七味をかけて、ブロック上に切る。
⑥箸は使わずに楊枝で刺して食う。

 

これが50過ぎの仙台人なら誰もが食べたという仙台風お好み焼き。上司はお好み焼きのスタンダードを仙台風だと思っていて、大阪風が世間一般的お好み焼きであるという事実を知った時、悔しさでヘラを折ったという。
塩分過多で質素、東北の香りがするジャンクフードにも似た料理だ。従来のお好み焼きと違い山芋成分がない分、ふわふわとしている。そして塩気と辛さに包まれた味、ビールのつまみにはちょうどいい。現在も仙台や山形のお祭りでは食べられるらしい。しかし屋台のは桜えびが入っているタイプで、上司はそれを邪道という。元々は山形が発祥らしく、山形風とあらためなくていいのかと思う。
しかし、こういう地元民だけが知る家庭料理を食べないと地方都市はどれも似ているような気がしてならない。それだけ仙台が都会だということだろうか。
その翌日、上司夫婦と私を含む部下2人でミルキーウェイというローカルファミレスに行く。高校時代以来のミルキーウェイが何より自分の郷愁を誘った。

不思議だが合点はいく。

思えば超ド田舎に住んでいたためファミレスは勿論コンビニもおらの村にはない。ときたま家族で会津市街に買い物に行った帰りにバイパス沿いのファミレスなのだ。

上司は50歳、親だったとしてもおかしくない。自分が小学生に戻ったような錯覚に陥った。同世代と行くファミレスと親世代と行くファミレスは印象がまるで違う。

そうは言っても28歳。大人です。そんなこんなで大人のお店へ向かう途中の写真をぱしゃり。

<2010.5.3>

 

こんにちは土地9 「花見と時代」

東京は桜が葉桜になりだしました。
それを悲しむのは花見をする人間側のエゴであり、木々はこれから頻繁に光合成を始める季節なのです。
今年は3度、花見をした。
初回4月4日。寒さと雨により荒川の我が家で花見という名の飲み会。
2回目4月7日。雨の中、飯田橋と市ヶ谷駅の間の法政大学前の桜並木にて。

3回目4月10日。快晴の空、春風の中、多摩川の傍の坂にて。
よく3度も花見をしたなと思う。最初に書き出した通り、花見は人間以外には関係のないものなのです。
井上ひさしの訃報をきき、演劇もそうだよなと思う。人間て何だろう。
そして先ほどユーストリームで岸田戯曲賞授賞式を見た。何となく泣きそうになった。
そして今日、財布を落としたがすぐに見つかった。
いろいろと今の時代って、と考えてしまう。

半仕事半趣味で青山ブックセンターに夕方よった。
人間は、大事でないものにお金をかけ、本当は大切にしなければならないものをないがしろにする。

今日のイベントは、呼吸のイベントだ。

呼吸はタダだがないがしろにするとこわいのだ。大して長い時間を生きたわけではないが呼吸も音楽も演劇も小説も、作者独特のそれぞれのリズムがある。
おそらく今日の僕の文章は穏やかだろう。何せあんまり考えていないのだから。
思考は人間の純粋な思考を鈍らす。なんのこっちゃいな的な話だとは思うが、きっとそうだ。

花見の話に戻すと、何はともあれ2回目、4月10日の花見がひどかった。職場の花見だったが寒いし雨も強い。
弊社のボスが変わり者で、

「学生には絶対に負けない」

といって雨が激しさを増し、周囲の学生達が避難するのを待って撤収作業に入った。
勝った後、こそこそと移動する。
どれも思い出深いが、どれを来年まで記憶しているかと考えると一番ひどいものだろう。

よく今の時代は激流でものや価値観が変化する過渡期だと言う説を聞く。

気候にしてもユーストリームにしても、電子書籍にしてもそうだ。自分も時々、流れに乗ってしまっている気がする。
しかし、狂気と温厚さとを並列さすボスは

「人間も気候も実際そんなかわってねーし」

と説く。

花が咲いて散るという循環は、どこまで崩れてきているのだろうか。

大きな宇宙の流れの中では人間達のゴチャゴチャ言うのなんて大したことないのかもしれない。ただそれでも今というちっぽけな観測点からしか見られないのが不自由な僕だ。

寒い雨の夜だこりゃ。

<2010.4.13>

 

4/1 こんにちは土地8 「エイプリルフールな六本木」

今日は自転車で都心部をぐるぐると回った。神田、日本橋、銀座、六本木。六本木にて緊急電話があり赤坂方面から事務所に戻ることになった夕方5時。4月1日、本当に陽が延びた。
六本木から下っていく坂道で2人の少年とすれ違った。小学校2、3年生ぐらい。
すれ違ったというより、ギリギリで避けたという感じだろう。ぶつかりはしなかったが、片方の少年が下ってくる大人に驚き急にハンドルをきったためにくるぶし付近をケガしたらしい。
「ごめん。大丈夫?君」
そう話しかけるとこっちを透明な目で睨んでいる。そして泣くのを我慢して坂を上っていく。
強いなと思った。僕が小学生の頃はよくビエビエー泣いていた。先ほどの少年にも小学生の自分にも負けてはいられないと思った。
それから2時間後、再び六本木に戻り友人の撮影した映画をみた。
ピンクな映画の音楽さんと知り合う。しかも近所ラッキー。
田舎にいた頃、大都会六本木にまさか自分が行くことあるとはと思っていなかったが、今ではわりと行くことが多い。
会津地方は旧北会津村に三本松という地区がある。
サンボマスターの由来の地だそうだ。
似たようなものだ。
六本木、三本松、二軒在家。二軒在家は故郷の隣村の地区である。
昔、二軒しか家が無かったからという由来らしい。
土地の名前って不思議だ。
『アースダイバー』を読んでみようかと思った。
思いかえすと小笠原も地名が面白かったけ。

3/30 こんにちは土地7 『さよならアメリカさよならニッポン』

これは僕の大好きな曲のタイトルである。
友人の伊藤君の結婚式へ大阪へ行ってきた。そしてその数日後、伊藤君夫婦は成田空港にほど近い我が家に一泊し日本をサヨナラしてアメリカもさよならして南米一周の旅に出かけた。
今頃はきっとアルゼンチンだろう。
思えば伊藤君との出会いも不思議なもので編集長の幼なじみということで大学2年だか3年の時に出会った。
初対面の印象はぼんやりと風通しの良さそうな人だった気がする。
彼は本当に風通しがよく、僕は彼に一度恋愛の悩みを相談した事がある。
ただウンウンと彼は頷き、相槌を打っていただけのような気もする。

それに対してうっすらと推測したことがある。
本当はあまり人の話を聞いていないのではないか。ただその後、同じ疑問を自分に投げかけると、あれこれ言われるよりただ聞いてもらうので十分かもしれないという答えが出た。
世の中には親身になって人の話を聞く人がいて、相談する側より不安定になる相談相手もいる。
伊藤君は肯定も否定もさほどせず安心感だけを与えるそんな人だ。
伊藤君の結婚式は大阪城の敷地内の神社で行われた。
『葬式は、要らない』という新書が2010年3月現在ベストセラーになっている。これを言い換えると冠婚葬祭は要らないとなると思う。あえて意味を問うなら周囲の人間のためだろう。
今回の式も当人よりも周囲の人間が喜んでいたようにも思う。結婚する二人、送られる故人。それらに対し周囲が祝いや祈りを捧げているようで逆説的に安心感を与えるのではないかと思う。
僕は式の最中に彼らの幸福を祈った。
と書いたが、やっぱり当人達も幸せそうだ。
結婚式をして披露宴をして二次会をして三次会をして四次会が伊藤君の実家であった。
そこに何故か編集長もいたし僕もいた。そしてはやさんという理系の友人もいて『共有結合』のいい話をしたらしい。
共有結合、原子だかイオンだかがお互いの電子を出して強力に結びつくという。

ざっくりとしかわからない。
僕は理系をとうに捨てたのだ。ただキーワードでうっすらと夫婦の話なのだろうという推測はつく。
次の日というか、その数時間後、僕は宝塚の駅まで送ってもらい関西営業の仕事を始めた。
その日の仕事がはかどらなかったことは言うまでもない。

3/8 こんにちは土地6 「夏に近い春よこんにちは 原宿と下北沢にて」

原宿に劇を観に行った。faifaiというユニット。出演者の天野君から案内が届いた。

着いたころには汗だくになるほどあつい。

 

『Y時のはなし』

 

ざっくりいって学童保育の話。

学童保育にかかわる子供だったり、小学校の教師だったり、学童のアルバイトお兄さんあたりが主な登場人物。

人形が登場人物だったり、操っている役者さんだったりする。
2つのレール(人形と人形使い)をいったりきたりする。

舞台設定も夏だったが、客席も夏だった。

舞台装置や小道具の遊び心と台本の遊び心と音楽と映像を楽しむ。
終わりが切ない。


学童保育とか転校とか、みんなそばにあったのだろうか?
僕は経験しなかった。祖母がいたから。

家に帰ると祖母がいておやつを食った。小学二年生のある日、帰宅すると祖母の代わりに母がいた。それがとてもうれしかった記憶がある。母は基本的にパートに行っているから、どうして母がいるのかわからなかったが、うれしかったのだ。

祖母は入院しており、それから半年くらいで祖母はなくなった。

末の弟が小学校に上がる頃、母は我が家で学童保育のようなことを始めた。転勤でやってきた共働きの教員の子を預かる学童保育のような施設が山奥過ぎてないのだ。だから我が家が簡易学童保育のようなことをしていた。つまり僕は中学生ながら学童保育のおにいさんをしていたのか。


上の数行は本編と関係ない。演劇や本の物語を人はいつの間にか自分の経験と照らし合わせることがある。それは何でだろうか。結局、自動で連想ゲームするみたいなシステムが人には備わっているんだろう。学童保育の体験はないと思っていたが、書いているうちに出てきた。

しかしもう少し前に下北沢で観た、パパタラフマラというグループのは、すぐに経験というか言葉に置き換えることができない。それはよい意味でだ。
出てくるものを追っかけて行くのがやっとだ。

タイトルが『Nobody NOBODY』でどうやら、「ゴドーを待ちながら」の人が来ないって設定だけといったようなことも書いてあった。
最近、台詞が演劇の醍醐味の95%をしめるようなものでなく、色んな要素が入ってきたのが増えてきた気もする。
昔からそうだったのだろうか。

数年前に青山のクラブでfaifai(旧・小指値)のイベントにパパタラの松島さんが出ておられてた。小指値の身体のぎこちなさと松島さんのなめらかさの差が印象的だった。しかしそれからfaifaiさんはすごくなめらかになったように思う。流れる方法はそれぞれだが訓練や余計なものを落とすことによって滞りが減り滑らかになるように思う。

 

3/3 こんにちは土地5 「こんばんは荒川」

27日(土)か28日(日)でもどちらでも良いニュアンスで色んな人に荒川ホームパーティー招待メールを出したのが木曜日とか金曜日。しかし人の集まりが悪い。

おそ過ぎの案内か。


27日がプレイベントのつもりだったが、27日に人は集まった。
集まったといいつつ、元・住人の編集長とK先生、青木さん(演劇仲間)と鈴木君(演劇仲間兼落語研究会)。家で少し飲んで、何故か中華料理やへ移動。

鈴木君はすぐに酔いだし、次第に周囲に絡むようになる。鈴木君は信用金庫で働いている。銀行と消費者金融の中間に位置している職種。金の問題は大変そうだ。金を貸せる人と貸せない人の境界線、預金をしていただいている顧客だが金は貸せないとか。

狭いコミュニティーの中での人間の欲とか情とかを絡まった金銭借用の決断。鈴木君が人生の大先輩に見える。
真面目な話をしていて、彼の鉄板ネタであるマイケルジャクソン『ビリージーン』がなかなか始まらない。そこで、彼のマイケルを見るために皆が扇動作戦を始めるが「女がいない」ということで調子が出ない。
中華屋のおばちゃんを

「メイレイメイレイ(きれいだねきれいだね)」

とほめるも、

「あれじゃ駄目です」。
彼はキッパリと言っているうちにつぶれた。
それから舞台を家に戻して人生ゲームをする。
人生はゲームだという使い古された言葉を実感する。言葉は新鮮でもすぐ地層深部に沈み、たまに表面に出てくる。
それぞれ不動産屋、サラリーマン、教師、フリーター等の職業につく。
途中パラレルに並ぶコースのどりたを選ぶかが人生ゲームの醍醐味なのだが、頷ける。今回の人生ゲーム終盤にあるストレス道と幸福道。勿論、ストレスが少ない人間が幸福道を歩めるわけだが、人生28年目にしてなんだかなぁこれはと思う。
こわい。

小学校の時やった人生ゲームより身近に感じる。寝ておきて翌日、人の来る気配がない。

始発で帰った者、仕事へ行く者、友人の結婚式に行く者、パチンコに行く者。人がほとんどいない。
これはまずい。

2日という含みを持たせなきゃ良かった自身の体力も減ってきた。ここに人が来たらどうする。パーティーのふれこみで呼んだ人はどうなる。誰もいないぞ。いや俺がいるか。ホームパー
ティーっていうか、マンツーマンだ。困った。閃いた。

「人が集まりませんので今度いっぱい集まる時にやります」

と数名にメール。
もしかしたらそのメールをした数人は来たかもしれないのに。ここで進路を1つ僕は変えた。安心ながらつまらない人生へ進路変更。

 

昨日、日中のサッカーの筋肉痛、寒さによる風邪も眠って元気に復活の道筋ができた。

がしかし、夜10時くらいに一人来て、夜11時半にもう一人来た。
思わぬ方向に進路は再び変更された。平井さん(演劇の音響)、吉田(落語研究会)だ。
吉田はミクシーで落語研究会の人間がこのイベントの記事を書き込んだことで知ったらしい。
何故なら静岡で仕事をしているはずの彼を誘おうとは思っていなかったからだ。
話してみると静岡での仕事を辞めたみたいだ。

どひぇー。

そんな時に来るかとも、そんな時だから来たのかとも思う。
実家の新潟に戻る途中に酔った勢いでやってきた。
落語研究会といいつつ寡黙な彼だったが、ことの他よくしゃべる。
人生は思わぬところで路線変更が起こる。

 

そして月が変わって3月2日、池袋のベローチェで阿部さんに会う。演劇仲間の阿部さんだ。実は阿部さんにも今回のパーティー案内をメールしていて、仕事でいけませんと連絡を貰っていた。そしたら会えた。
不思議だ。
阿部さんはベローチェで丁度1時間程前に僕の話をしていたらしい。
「1時間程前に五十嵐さんの話をしていたら、五十嵐さん来ました」

別に異常な出来事では決してないが、不思議に思える。

カルマか。

2/25 こんにちは土地4 『こんにちは荒川』

荒川の家でホームパーティーをするので来てみてください。

僕が今住んでいる家です。

2010年2月28日(日)13時から夜まで。
前日27日の夜でもいいよ。

なんだかな人生って川の流れみたいだよな。うまくいくとかいかないとかってあるけど、本当に大事なことは第三者によって決まる。本人の意思がどうしてもこうしたいあーしたい、あーなりたくないとか嫌だとか思ってもうまく行く時ってのは行くし行かないときは行かないのかもしれない。
大学卒業してからよく思います。連絡続く人ととらなくなる人。うすうすは予想していたけど、連絡取り合うって自然淘汰されていくなぁ。


小学生の頃、地元の川を下校中に橋の上から見ていた。しばらくすると船に乗ってるように感じる。多分、視覚から脳がマヒしだすのだと思う。船に乗ったことなどないが仮想の船にはしばしば乗って遊んだものだ。そして唾を垂らし、雨粒を作り出す雲の上の神様の真似もした。下品だ。だいたい神話って下ネタばかりだ。だって神様だもの。

 

とまあ書いたものの、今年は交流しようということで家でパーティーをすることにしました。
先日、同居人と何しようかと話して3人でマジカルバナナをしてみました。
なかなかリズムにのってポンポン単語が出てこないです。

荒川まで誰か遊びにきてくれたらうれしいです。

dekobokobuta@gmail.com

ちなみに『歩行』編集長は27日夜のプレパーティーに来ます。
詩を朗読してくださるそうです。 

2/23  こんにちは土地3 『こんにちは2丁目』

先日、初めてオカマバーに行った。店名は『黒髭』。

場所は新宿2丁目でなく仙台。
なんとなく2を連発しようと思ってこんなタイトルになった。

2010年の岸田戯曲賞候補に、若干面識のある2人が選ばれた。

柴幸男 『わが星』 と野木萌葱 『五人の執事』 だ。

柴君はとても現代的な作家だと思うし、野木さんは物語の創造主という印象。

おそらく審査員が読んだことのない新しいものを欲すれば柴君が受賞するだろう。何せストーリーというか構造をぶっこわしながら再構築して舞台を作るから。音楽のサンプリングとかループとかって手法が入っている。ラップが好きで思いついたのかもしれないが、僕の印象はスティーブライヒとかのミニマル音楽だ。スティーブライヒの音楽って、久石譲の師匠みたいでとにかく気持ちいいのだ。波が干渉したり回折したりみたいな。柴君は頭がもともとすごくいい人なんだと思う。ただ一番すごいのはその思いついた手法を実行にうつすセンスなのだと思う。ラーメンズの小林賢太郎を彷彿させる。

野木さんの作品は大きく分けて2つパターンがある。歴史上の出来事を資料を参考に再構成する場合とそれがない場合オリジナル戯曲調の場合。代名詞といえば歴史上の出来事をモチーフにした戯曲なのだが、今回はオリジナル調の作品が候補になった。
野木さんの物語を作る力は岸田戯曲賞受賞者の中でも10年に1度くらいの才能だと思う。作るときは脳裏にうつる映画みたいな映像を浮かんでくるものをそのまま書きうつすらしい。なんか野木さんの物語はメキメキ生えてきて絡まりあう大自然みたいな印象もある。


で柴君が受賞したようだ。
すごいな。

おめでとうございます。

柴君の作品を初めてみたのが新宿2丁目だった気がしてネットで調べるも、検索にかからない。それはよくできたウェルメイドで幾つも伏線がはられた物語だった気がする。
それからしばらくして明大前のキッドアイラックホールに観に行った。それは小説や童話などに出てくる言葉が随所にちりばめられた作品だった……と思ったら、小説や童話に掲載された台詞で物語を作ると言う縛りを決めて作っていたみたい。その作品はみている分には退屈を覚えたが発想と実行した能力がすごい。

それから目白でどこか芸能事務所に書き下ろした作品。

そして駒場アゴラ劇場での『あゆみ』。
気づくと柴君の作品はけっこう見ていた。

制約というか、1つの観測点を持つとそこから柔軟性と流れを作るのが容易なのかもしれない。
その観測点を意識的に見つけられるのが柴君で、自然とそうなっているのが野木さんという印象。でもそれは僕の印象。

どちらにも無意識が潜んでるし、意識的なところもあるもの。
最近『フリー』なんて本が売れているみたいだけど、先にみんなが共有できるシステムを考えたら有名になるのではないだろうか。柴君はもしかしたら世界中で有名になるかもしれない。
2人ともでもピュアだよな現時点では。
ピュア度って売れれば売れるほど、自分以上に周囲が変化し、濁りだすと思う。

先日、仕事で60歳の健康なじいさんにあった。

彼は気功の達人なのだが、ピュアでハイテクなパソコンが使えない。

電磁波が強いのだ。彼はブログを更新しようとパソコン机に向かうと萎えるという。

2/9 こんにちは土地2『大塚公園』

同居人の友達が昨年、大勢して家に鍋をしにきた。その時、1人と連絡先を交換した。
公園でサッカーをしているので一緒にやりましょうという誘いだ。何度か来たが、なかなか行けず年をこして2010年2月になった。
実は「行けず」か「行かず」かどちらが本意かと言えば、「行かず」が大きかったような気がした。
2010年2月6日朝も「行かず」の方向が大きくなってきた。いかんせん寒いのだ。
荒川区から文京区大塚までの自転車距離はさほど遠くないので自転車を漕ぐ。
思えば最近、寒さに負けて電車ばかり使っている。
電車で思い出したが私の郷里には電車が走っていない。
最寄り駅から山を越えて45分車にのらなければらならない。
幼少時。「ほら電車だよ」と親にそそのかされ電車に向かって手を振った記憶がある。
ウルトラマンとか仮面ライダーとかヒーローにあこがれるふしはあったが、乗り物に対する関心が極めて薄い少年だったのにと思う。

ジャージにネパール系パーカーに髭モジャ、軍手にママチャリ。その姿はホームレスを彷彿とさせるらしい。

いつもは10人前後集まるメンバーもその日は集まりが悪くわずか5名。その人数でするミニゲームはきつい。息がはぁはぁときれる。年齢は少し上の30代前半の方々が多い。それにしても動けない自分。休憩の時はみなさんタバコを吸う。ここ10数年タバコに対する弾圧が激しすぎやしないだろうか。喘息が最近発症しないことをいいことに私も最近吸っている。これで死んだらそれこそ自業自得だ。
曾祖父は96歳で死ぬまでタバコを吸っていて健康だった。

そうそう私の6代前の弥太郎という東京に行って何やら活発な活動をして遺骨になってかえってきた先祖の命日は大正7年6月5日。曾祖父の省一じさまは平成7年6月5日に死んだ。そうそう母の誕生日は1月25日。私の誕生日も1月25日。

世の中、何かと意味を持たせたがる習性が私の中にあるようです。

サッカーチームの人はデザイナーと広告代理店とDNAの研究している人といろいろおった。大塚公園近くに住んでいるというのが接点のようです。

このサッカーチームは夜間部もあるそうで楽しみです。

2/3 こんにちは土地1 「こんにちは人生」

最初から場所の話ではないがまあいいか。
土地の力ってあるんだろうけど、人とコミュニケーションをしていると、それは二の次なんだと思う。

友人の誕生日が2月1日にあった。カラオケをしているうちに2月2日になった。

1月19日

前週会うことができなかった映像作家、三旅さんに会うためにゴールデン街「ソワレ」に再び行く。
そしたらト-スティーさん(お店のママ)とDJカッパのミニライブに出ることになった。タイトルは、
『トースティー新ユニット「エロ河童 & ザ・黄桜~ズ」』

なんというかカッパに対するト-スティーさんのあたたかさと、カッパの魅力をひしひしと感じながら何度か打合せをする。

僕はパーキーソン病の人と初めてあった。どういうものかイメージがなかった。


wikipediaによれば
「パーキンソン病は、脳内のドーパミン不足とアセチルコリンの相対的増加とを病態とし、錐体外路系徴候を示す疾患である。神経変性疾患の一つである。日本では難病(特定疾患)に指定されている。本疾患と二次性にパーキンソン病と似た症状を来たすものを総称してパーキンソン症候群と言い、本症はパーキンソン症候群を示す病気の一つである。」


まぁとにかくカッパは難病なのだ。
ト-スティーさんは三宿だか、どっかのクラブでノートパソコンを広げてDJしているカッパさんにほれたらしい。
僕はうまく人と話すことができずに感情を伝えることを怠る癖があるし、実際、うまく伝えることが下手な感じがあると多々言われる。
普通に敬語を使わずに相手を気遣ってフランクに話せるト-スティーさんに憧れを感じる。

舞台は四苦八苦するも「ひどすぎてひどい」というある種のほめ言葉をいただいて終わる。他の出演者のロベルトさんは南米でタンゴ歌手をしていて、現地のテレビ局にも出演、けっこうな有名人らしい。

SOMEONE'S GARDENの西村さんもカッパコスプレに身を包むとやたらにあっている。ロベルトさんの歌唱力は他を圧倒し、西村さんのピアニカも冴える。巨乳のカッパ女房役のキーボード役の方の名前を忘れてしまった。何と言ったのだろうか。

「ト-スティーじゃなきゃ、ああいう感じでうまくショーにならなかったよ多分」と西村さんが終演後言う。それはその通りでト-スティーさんの温かさが、ぐだぐだでありつつよい感じでグルーヴィーなショーに仕上げたのではないかと思う。
何はともあれ僕自身とても楽しかったのだ。

それから1週間程して現在だ。
なんとなくだが技術は後からついてくる。それは言葉は基本的に間違いをはらんでいるということだろう。
そしてこれもまた言葉だ。生きていくということはディスコミュニケーションの連続かつ反復で、さびしい人生に前を向いて楽しく生きていこうと思う。

ツイッタ-を始めました。

少し中毒性を感じだしたがうまくなじめていない。
@matsuritabi
で検索すると、それが僕です。出会いましょう。

1/1 雑記

あけましておめでとうございます。

2009年が終わり2010年が始まりました。
世界というものは相対的で、その人が死ぬまでその人の世界が続くのでしょう。結局、それでしかないのです。
2009年は熊野、静岡、インドと行ったことのない場所に行かせていただきました。

しかし働くというのも、時によりますが、楽しいものだと思います。人によっては仕事と趣味が別物という方も多いのでしょうが、自分の場合どちらも本気でなければ楽しくないというのが結論でございます。理由は一方で手を抜くともう一方でも手を抜いてしまうという何とも不器用なもんでございます。


2009年に入りできるだけ否定するのをやめてみました。するとそれなりに人生がうまく転がりだした気がいたします。


冷たい人間には冷たいなりの、暑苦しい人間には暑苦しいなりの良いところがあるのでしょう。彼ら彼女らを否定しないでいると自分では規定できない自分と自らという存在に対し、彼ら彼女らが少し寛容になって下さるのです。
過去に縛られるのが生物の規定ではございますが、今に存在していれば随分と楽に生きられることでしょう。
他の動物と比べ人間のメンタルは幾層にもなっているようにも感じますが、そんな大したものでもないのでしょう。自らを格好つけず素直に生きられるよう本年も精進したいと思います。


人は関係性の中でしか成長できないと友人は言っておりました。今年は更に多様な出来事(人を含めた)と出会いたいと思います。


この世の中のくそったれども(自ら含む)に平穏が訪れますように。