こんにちは土地                           五十嵐祭旅

こんにちは土地78「マインドフルネス皇居マラソン」

類い稀な会社に入ってしまった。

巷では「ブラック企業」という単語がはやっているが、自分の勤め先を例えるならアジア大陸の薫り漂うブラウン企業だろうか。

いわゆる福利厚生という言葉から縁遠い会社なのだが、11月から新たな福利厚生のイベント改め罰ゲーム「マインドフルネス皇居マラソン」が始まった。


2014年の現在、仏教瞑想をもとにした「マインドフルネス」という瞑想法が医療分野とIT分野で注目されている。そこに「皇居ジョギング」が合わさったのが今回の企画。


マラソンでなかったり、とてもマインドフルな状況でもなく、数多くの過ちをはらみながら、11月某日気温5℃、天候は雨という状況でスタートした。


コースは竹橋駅まで行って、そこから皇居を反時計回りに一周する。

走行距離は約5kmで30歳~60歳という中年世代が主な参加者である。

私は若い方だが、ハンデがある。寒くなると寒暖差喘息が発生し、幼少時から親を困らせていた。つまり寒くなると肺が苦しくなるのだ。

ただビリにはならないだろうと予感していた。

竹橋駅までは体操をしながら走るのだが、すぐに信号で止まるのでウォーミングアップ程度だ。しかしながら既に体が重くなっている。


なぜこんな企画が産まれたのか?

それは社員Oさんが2014年夏、約1年半ぶりに実家に帰省したところにさかのぼる。

母親から激太りを指摘され、ジョギングを始めたのが発端となったのだ。

Oは夏から急激にやせ続け、10kg以上ぜい肉をこそぎ落とすことに成功し、今なお減量中なのである。まるで別人とはこの人のためにある言葉かもしれない。


竹橋に着いたものの、雨の皇居に人影はない。

よーいスタートで国立近代美術館前の坂を上っていく。

序盤こそみな同時だったが、わが社の先頭集団は、あっという間に視界から消えてしまった。

坂を上りきったあたりの高速道路入口周辺で既に私の肺はエンストを起こし始めた。

先を走るランナーは見えないし、私の後ろに残る社員は1人だ。しんどいまま坂道を下る。

皇居の紅葉がこんなにも綺麗なことを私は今まで知らなかった。

そうこうしているうちにエンジンの調子が戻ってきた。足が軽い。肺も軽くなってきた。

しかし、平地になってからも長い。

たかが5kmされど5kmだと感じつつ、突然難題が目の前に現れた。

信号機だ。事前連絡に信号の存在はなかった。

つまり、この信号を渡らずに皇居の内側(内堀)を走れということなのだろうか、それとも直進(外堀を走る)するのか。私は悩んだ。

前にも後にも頼れる人は見えない。私は突き進んだ。何故なら信号の先にも皇居を囲む池は存在していたからである。


疲れてきた。

眼鏡を外しているためによく見えない。一周して戻るはずのスタート兼ゴールの竹橋駅がどこだかよくわからない。

道端の警備員に聞くと「左に曲がって右です」と言ってくるではないか。

なんかとても大回りしているんじゃないかと不安になる。

雨もしんどい中、なんとか竹橋駅周辺までたどり着くも、誰もいなかった。

うそ。みんな置いてったのか、ひどい、と思いながら、1人とぼとぼとジョギングで会社に戻る。

とても寒いし、やってらんないなとドアを開くと留守番役が「あれ、みんなは?」と言ってきた。

なんと私が1位だ。

どうも行方不明の私を捜索しているらしい。

携帯電話には何件もの着信履歴があった。

内堀を走るルートだったのだ。反省である。

その後、みなにあれこれ注意されたことは言うまでもない。

人生にはとても残念なことが時々ある。この日の私もそうだった。

とりあえず、残念なことは忘れて、銭湯で汗を流すことにした。

その後に行われた会議は、いつもよりすがすがしいものとなった。

<2014.12.31>


こんにちは土地77「西武ドームにて」

9月28日

福島から山内君が西武ライオンズの勇姿を観にやって来た。

彼はファンクラブに入っており、招待券をもらったそうだ。心憎いのは、わざわざ僕の分のチケットまでもらってくれたこと。ありがたや。

カモ君とハタノ君も誘って、西武ドームへ向かった。我が家から30分足らず。相手は楽天イーグルス。東北出身者としては複雑である。


西武ドームに着くと、縁日みたいに華やかだった。

カモ君と合流し、近くのコンビニでビールを購入し乾杯する。

ヤマウチ君は既に場内におり、ハタノ君は仕事で遅れている模様。

缶の持ち込みは禁止らしくビールを紙コップへ移し替えてゲートをくぐる。

移し替えたらいいのかい! と心の中で叫ぶ。


西武ドームは、ドームといいつつ天井と客席の間に大きな隙間があって風が通る。

べらぼうに気持ちいい。客の入り具合もちょうど良かった。

一塁側の席へ着くと、いきなり楽天に先頭打者ホームランを浴びる。

カモ君は楽天を応援しており、ポカスカ、楽天が得点をあげている。

僕が小学生の頃、西武はとても強かった記憶がある。どうしちまったんだ。西武。


山内君がバックネット裏にある、ふかふかソファーのVIP席からやってきた。

御満悦の様子だが、西武のピッチャーはポカスカよく打たれている。


ハタノ君が来た。

彼は熊本出身でありながらロッテファンだ。

僕はサッカーが好きだ。

真の西武ファンは山内君1人。

後ろの席は子連れのヤンママ達、少し離れたところに年老いたカップル。

山内君は嬉しそうだ。西武といえば彼だ。とてもビールがよく似合う。


西武が1点差に詰め寄るも、22時近くで試合が終わり、結局、負けた。

ファンサービスで終了後のグラウンドで記念撮影ができるらしく、われらは喜んで客席から降り、ポーズを決め撮影をした。

全然、上と景色が違う。

コロシアムに降り立ったような気になる。

視線を浴びている気がして、これはこれで心地よい。

知らないところというのは、楽しい。


後日談だが、僕は家の近所を夜ふらっと散歩する。その日はいつものコースに飽きたので未知の方角に向かった。迷うことが無いなんて、スマホは便利だ。次の角のコンビニを曲がって家に戻ろうとしたら、ふと見たことのある顔だ。

10年前は茶髪だったのが、目の前で熱心にパチンコ雑誌を読むおにいさんは黒髪だが、間違いなく、劇団員時代の音響さんだ。

ただ待てよ。話かけた後会話は続くのだろうかと一旦停止して考え、諦めて帰路についた。しかし200mくらい進んでから、これも縁だよなと考え直し挨拶をかわした。

最近、東京も寒くなってきました。

半袖短パンの散歩は気をつけて。

<2014.10.30>

こんにちは土地76「大宴会in南会津2014の広報と清掃係の手記」

例年、スタッフとして参加している野外音楽フェス『大宴会in南会津』の季節が今年もやってきた。

去年は大雨の予報だったが、次第に天候が回復し、お客さんもどんどん増えて500名を超える来場者となった。


8月下旬、今年は随分と苦戦して、会場スペースが半分に。


8月末日、ほぼ日刊糸井新聞の事務所に、音楽フェスの広報とお中元の配達を兼ねて、南会津の地酒と野菜を届けた。

言わずもがな、「どうやったら人集まりますかね?」という相談になった。

対応してくれた永田さんに「結局、出演者だと思いますよ」言ってもらった時、一瞬、はっとした。

私が働いている出版業における商品「本」についても、田舎の野外フェスも、何事も、「中身だよ」と言われた気がした。

「今は、面白いものを消費者が自分で見つけることができる時代だし、商品自体に広告的要素が入っている時代ですよね」

とも言っていて、ふむふむと相槌を打つものの、9月14日のフェスなので、肝心の「中身」は変えられない。草の根宣伝で観客を増やすしかない。

地道に友達を勧誘していると大学時代からの友達、カモ君、ヤマヤさん、ハタノ君、とその嫁、とその息子(2歳)が来てくれることになった。感謝。


9/13前夜祭で突然、司会をすることになった。

汗が噴き出る。


9/14私の仕事は清掃班。

①会場の中央にあるごみステーションのケア

②汲み取り式便所のケア。

非常に地味な作業だ。


①フェス前半は余裕だが、時間の経過と会場の盛り上がりと比例して、ごみのピッチも上がる。後半はごみ箱と収集場所の往復にテンテコマイだ。

ゴミの分け方で難しいのが「燃えるゴミ」と「紙、プラスチック」の2種類の箱の区別である。

確認すると、汚れているのは「燃えるゴミ」らしいのだが、正直、お客さんに聞かれても、汚れのボーダーラインがあいまいで、非常に悩む。

だってどっちもゴミじゃん。

食べカス、飲みカスついてるよ。

悶々としているうちに、2種類が混合されだし、最終的にチーフが「燃えるゴミ」箱を2つにした。


②鬼門はこちらである。

便所裏にある鉄製の重たい蓋をあけて、便槽にある糞尿の堆積量をチェックするのだ。

80%になったら業者を呼ぶのが使命だが、暗くてよく見えないない。洞穴の奥で滝が流れるような音がする。便槽の全体像を知らない私にはなかなかハードルの高い仕事である。

開演11時、開けてみると、既に80%を越えているような気もするし、まだ50%くらいな気もする。うーむ、よくわからない。

13時のチェック。蓋の入り口まで迫ってきている。手を伸ばしたら届きそう。これは呼ぶしかない。

危ないので業者を呼ぶも、なかなか来ない。約1時間後に来てくれた。夕方も、もう1回来てくれた。

けっこうギリギリの展開である。溢れそうになると、排水の水が自動的に停まるらしいので、溢れることはないらしいが、スリル満点だ。


そんなこんなしているうちにフェスは、いつの間にか夕闇でエンディング。

カモ君たちもかなり酔っているが、ヤマヤさんが泥酔の域に近い。

近くて遠いメインステージから、歌声が聞こえる。


19時半、今年の大宴会が終わった。今年の入場者は400人越え。

よかった。成功だ。

真っ暗闇の中、キャンドルの並べ光の帰り道をお客さんが帰っていく。

テント等を片付け、21時過ぎ、夜の大宴会が始まった。

バーベキューをしながら、アーティストと談笑し語り合う。

正直、この時が一番好きかもしれない。

演劇をしていた時も、舞台の上より、台本を作るときより、打ち上げに至福を感じたことを思い出した。

とても寒いが空の星がきれいで、きれいで仕方ない。

カモ、ヤマヤ、ハタノも一緒に打上げに参加する。

23時過ぎくらいには、みんなヘベレケで、そっから更に1時間くらい飲んで、ハタノ君のテントがあるキャンプサイトへ4人で送っていく。

街灯は無に等しく、肝試しのような状況で、闇中を歩くこと20分、森林の奥にテントはあった。

1人で帰れと言われたら、嫌だと言いたくなるような真っ暗な道。

ハタノ君が「少し待ってて」というので静寂を楽しんでいると珈琲をいれてくれた。

深夜、深い森の奥、べろべろの状態で飲む珈琲は、至福です。

ガスバーナーとランプが綺麗です。

みんなと別れ、再び打ち上げ会場へ行くと、2時なのだが、まだ飲んでいる。

「一緒に飲み直しましょう」

そう言われてコテージで一杯。日本酒を飲む。

そんなところで今年のフェスも終わりました。

<2014.10.10>


こんにちは土地75 「軽井沢へようこそ」

2014年8月24日、避暑地として有名な軽井沢へ初めていってみた。

6歳下の弟の結婚式である。

彼はいろいろな意味で僕の先をいっている。

僕が中学1年生のとある日。

手首から先をピンと伸ばし、指先でつついては一歩下がる「アチョアチョ拳法」という動きを繰り返し、弟の丸い腹を攻撃していた。

弟は、じゃれてくる赤子を諭すように

「もうこんなバカなことはやめようよ」とたしなめてきた。

我ながら残念な兄であり、聡明な小学校1年の弟に驚愕したものである。


昼に上野で友人たちと会って、軽く一杯飲んでから新幹線で東京を発つこと1時間、軽井沢だ。

これほど近いとは思わなかったし、ホームに降りた瞬間から涼しげな空気に包まれている。

北口を出ると洋風の土産屋、雑貨屋、レストラン等が並んでいた。

今までまわったどの観光地より入念に準備されている印象である。

緑と建物のバランス、そして気候。

これが若かりし日の、細野晴臣さんと高橋幸宏さんが出会った軽井沢か。

田舎というより、避暑地という言葉がぴったりだ。


旧軽井沢ホテルに宿をとってくれているということで歩いて向かう。

途中、道の反対側にいた弟夫婦から「兄ちゃん、宿はもうちょっと先だ」と指示がある。

宿に荷物を置いてからロビーへ向かう。

この日は親族だけの前夜祭。

祖父が来られなかったのが残念だが、老人介護の苦労は想像を超える世界なので、口出しはできない。

母方の祖母が腰を「く」の字に曲げてやってきた。考えてみれば、妹に娘ができた時点で曾祖母なので、当たり前か。

父の妹二名、父、母、祖母、妹夫婦、姪っ子、僕、弟で、イタリアンを食べる。

一次会を終えて、夜の旧軽井沢通りを歩いた。

最初で最後なので、母と弟ともう一軒寄る。

ポーランドのジンがとてもよく効く。ハッカの匂いがする。


翌朝、会場のホテルへバスで移動。

向こうの親族と顔合わせ。

花嫁は盛岡の方らしい。

出身をきくと、何故、会津と盛岡の中間で式を挙げないのかと突っ込みたくなるが、軽井沢は夫婦の思い出の地なのだそうだ。

石の教会に移動する。

有名な建築物らしく水が滴る岩の洞窟にでも入っていくようだ。

「弟よ。いつからクリスチャンになったのだ?」

大概の日本人は宗教に関心が薄く、雰囲気を重視するためよく教会で式を挙げる。弟も多分に漏れなかっただけだ。

牧師が祝福の言葉を話していると姪っ子が「腹減った」と騒ぎ出した。

熟練の牧師は妨害には負けず、最後まで式を遂行した。さすがである。


結婚パーティー会場へ場所を移すと、花嫁の父の挨拶で会食が始まった。

「今となってはいい思い出ですが、私は娘に自分の出た高校を受験してほしかったのですが、娘は違う高校を選びました。それから高校三年間、我々は一言も口をききませんでした。

娘は自分の意志で大学を受験し、今の旦那様と出会い、結婚することになりました。

何事も自分の意志で決める娘で、今となっては無言の三年間もいい思い出です」


我が家と弟の嫁の家は、ちょっと質が違う。

奥会津の百姓の血筋と、盛岡の豪族(父は医者、祖父は議員さん)の血筋。

だが、どこの家にも、家族の事情があるものだ。

退屈したのか、姪っ子が、盆に実家で披露した「尻穴星人」をせがんでくる。さすがにここでは封印だ。

ワインを注いで回る。

信州産だそうで、そういわれると美味そうに聞こえるから不思議だ。

信州産赤ワイン、信州産白ワイン、信州産ウィスキー。

飲んでいたら、寝てしまった。


最後。

弟にプレゼントの本を持っていったら、このまま成田に行ってハンガリーに新婚旅行だから、受け取れないという。

どこまでも生意気な弟である。

乾杯。

<2014.09.10>

こんにちは土地74 「エロおやじのテリトリー(領域)」

僕が勤める会社は7階建て雑居ビルの5階にあり、他の二つの会社とフロアを共有している。

各階に男女用トイレが設置されている。

男子トイレには小が2つと大が1つ。

大が使用中で入れないことはざらだ。

そんな時は4階のトイレへ向かう。そこも使用中なら、もう1階下へ向かう。

6階に上ることは、ない。

エレベーターが点検中の日は、1階から5階を上り下りして用を足している。

自分の行動を見直してみると、無意識に行動範囲が決まっていたことに気がついた。

試しに6階に上ってみると、アウェイ感が半端ない。

他人の家にこっそり侵入した気分になる。


住まい周辺の行動パターンもだいたい決まっている。

商店街もスーパーのところ迄。

そっから先へは行かず、買ったら引き返す。

つまり、商店街の奥は未知の世界。

すぐに行けるのに未知が存在する。

普段気にしてないから気にならない。

人間とは不思議なものだ。


スーパーを越えて、進むとその並びに出店風の焼き鳥屋があり、おばあちゃんがパタパタと扇いでいる。彼女と二人で中へ入ってみる。意外と広い。

昭和の薫り漂う居酒屋で、出店とは趣向が異なり、魚料理と野菜がウリの店だった。

外の焼き鳥も注文できるらしい。

落語家等も近くに来た際は立ち寄るようで、サインが飾ってある。


店主のおっちゃんは50年ここで居酒屋をしているそうだ。

バイトの女子大生もあくせく動き回っている。

「昔は小平学園駅があって、数十m国分寺寄りに一橋大学駅があって、近すぎるからまとめて今の一橋学園駅になったんだ」

とか

「モツなんて捨てる部分だったから、モツ煮込みを出す店はここぐらいだったんだよ」

と興味深い話をしてくれた。

上機嫌のおっちゃんは、カウンターからこちらにやってきて、座敷に座り込んで、次々にいろいろな昔話を教えてくれた。

夜も23時近くになりバイトの女子大生も時間が終了し、そそくさと帰って行く。

我々も楽しかったなあと思い帰路につくが、彼女と私では感じたことが全く違っていた。

私は「話し好きのおっちゃんだなあ」と感じていたのだが、彼女は

「すっごいバイトの子の二の腕触ってたよあのマスター。バイトの子もすっごい嫌そうだったし、良かったらあんな帰り方しないよ」という。


とてもよく見ているんだな。

男目線では気づかなかった。

固定観念をはがせば、もっと何事もはっきり見えるんじゃないか。

そう思った夏の終わりの夜。

<2014.8.30>

こんにちは土地73「青森・北海道日記2014 観察篇」

7月18日(金)

グラッパで気分がよくなりゲストハウスに戻る。

今回の「出張」改め「旅」は普通のビジネスホテルとゲストハウスを併用している。

この日はニュージーランド風ゲストハウス。

ニュージーランドに行ったことがないので、具体的な精度はわからないがエキゾチックだというのは理解できる。

海の日を挟む3連休で、札幌のホテル代が急騰している。

値段的には断然、ゲストハウスがお得である。

泊まる部屋は建物の2階で、時計回りに2段ベッドが5台並ぶ部屋の1番手前の下段だ。

白人の青年と、飛行機の撮影に来たという日本人の青年が相部屋。

もう一つのベッドは、はいつからいるんだという散らかり具合。

リビングは広く、DVDとマンガがある。そして大テーブルにはずっと地図を眺めている白人のおばあさん。

Wifi環境もばっちりだ。『ディープ・ブルー』を見ながら寝る。

プライベートな空間はないが、むしろこっちでいいかもしれない。

 

北海道特有のコンビニ(もしかして他の地域もあるのだろうか)にセイコーマートがある。

やたら酒の種類と量が多い。主にワイン。

寒いからだろうか。

 

7月19日(土)

札幌国際芸術祭のオープニングに行こうかと地下道を歩いているとカラフルなカバーの本が並んでいた。

祭の一環で、『BLIND BOOK MARKET』という企画、本の中身は見えないが、推薦文が書かれている。

持ってきた本と、好きな本とを交換する仕組みらしい。

リュックを探ると中には1冊、あるではないか。

とある僧侶の名言集だ。どれを選ぶか迷う。かなり大きいA4サイズくらいのは、写真集系だろう。重そうなので、控える。

できるだけ文庫サイズをめざそう。よしこれだ。

 

「単行本を持っていましたが、持ち歩き用に購入した。対象との距離感やまなざしが好きなノンフィクション(短編)を集めたものです」

 

ひらくと『紙のライオン』といったタイトル、いいではないか。うれしくなってフェイスブックにあげしまった。

そっから会場近くに行くと、演奏をしている。若者より年配の方が多い。

14時、モエレ沼公園への無料シャトルバスが出るというバス停へダッシュして向かう。

2分前に着いた。ぎりぎりセーフだが、待てど暮らせど来ない。

もういいやと思って、近くの雑居ビルにある展示会場に行く。

「フクシマ」や「原子力」をテーマにした展示だ。

会場のキュレーターの人に、「僕は福島出身なんです」と言おうかと思ったが、震災から今まで何回そんな話をしたかわからない。

福島出身ですと答えると繰り返しループする話の流れが甦る。

そう考えると面倒くさくなって、ただ見ていた。

雑居ビルの階段を下りているのと古本とビールの店『アダノンキ』があったので入って物色。

「えぞ豆本」がある。作る人はもういない。アイヌの民話が入っている。

ビールを飲んでいい気分になる。

あとで調べると、シャトルバスは復路用のバス停だった模様。

 

7月21日(海の日)

アイヌ資料館のある平取町二風谷へ向かう。千歳のあたりまでは混んでいたが、日高道へ入ると道が空いてくる。

札幌から1時間半。白老町にもアイヌ村はあり、観光地という印象が強かったが、二風谷は資料館の色合いが強い。

最初に入った民芸店の店主に「どこから来たの?」と聞かれ

「東京です」と答えると

「ああそう……」と何だか納得の言ってなさそうに店主は頷いた。

「でも生まれは福島です」と付け加えると、

「ああそうでしょう、やっぱりね」と満足そうに話し出した。

「腕の毛を見たとき、ウタリ(アイヌの言葉で同胞の意)だと思ったよ。関東くらいまでは住んでいたからね、混ざった感じだね」

昔から民俗学っぽいことには関心があったが、こんな形で認定されるとは予想外だ。

二風谷アイヌ文化博物館、沙流川歴史館、萱野茂二風谷アイヌ資料館と半径500メートル以内にぎゅっと固まっている。

近くにある二風谷ダムにも行ってみた。

ダムというのは迫力があり、格好いいが、必ず沈んだ集落があり、その地域と一悶着ある。

文化博物館はダム建設のおかげでできたそうだ。

原発とその周辺地域の関係に似ている。思えば郷里の田子倉ダムもそうだった。

今の時代、原発と水力発電を比較すれば、ダムは環境に優しそうな印象だが、当時はそんな風にはいかなかっただろう。

二風谷ダムが他のダムと違う点は「魚道」である。鮭の川昇り用の道だ。運がよければ見られるらしいが、そんなシーズンでもないようだ。

家系図を調べている親戚のおじがいるが、その人の調べでは、八代前くらいの話まで遡っていたが、どうも今回の話から考えるにサハリンと北海道が、ユーラシア大陸と繋がっていた頃にまで遡らないといけなそうだ。

以前からクジラ(イルカ)とフクロウとサケに好印象を持っていたが、アイヌの象徴的な動物である。

気のせいかもしれないが、点と線が繋がったような気分だ。

<2014.7.30>

こんにちは土地72「青森、北海道日記2014」

7月14日

ひさびさに出張で北へ向かった。青森空港に降りると予想以上に暑い。

ふと気づくとANAのカウンターがある。

あれ? 青森空港はJALだけではなかったっけかと記憶を巡らす。

どうも2014年春から青森もスタートしたらしい。

飛行機は運賃が高いイメージが昔からあったが、最近は新幹線より飛行機の方が安いケースが多い。

弘前の本屋を回って、青森に入る。

サンロードという青森市中心部にある大型スーパーに来ると旅の始まりという気分になる。

昨年、手足口病の診断を受けた皮膚科も入っている。

しんまちのアーケードには札幌―青森、大阪―青森とANAの広告が並んでいる。

青森と札幌は、たしか電車で半日はかかった記憶がある。それが50分でいけるのは大きい。

近くて遠いとはこのことだ。

青森ラストの店長は四国の出身らしいが、ANAの就航は知らなかったようで、棚にある時刻表を持ち出し半信半疑で確認し、そして驚いていた。

 

函館に移動してホテルに泊まる。

ホテル傍の居酒屋に入ると、独特の話し方が。北海道は方言が少ないと聞いていたが、どうも函館は津軽弁に近いらしい。

隣のおじさんが、「俺も東京にいたんだ」と一杯ごちそうしてくれた。

30年くらい前の話だそうだが

「武蔵小山のピンサロが凄いぞ。オーバー60のママが2,000円で抜いてくれるんだぞ」

 

7月15日

蔦屋代官山書店に次ぐラグジュアリーな蔦屋2号、函館店に行く。

TSUTAYAの戦略は星野リゾートみたいだ。

オシャレで高級感のある雰囲気。昔ながらの本屋もありだが、観光スポット要素が入っている。肝心の担当が不在で、記念の撮影だけでもと店内を撮影しようとすると止められる。

 

一路、高速道路で室蘭へ向かう途中、車にトラブル発生。

こすったり、スピード違反、オイルランプ点滅は経験済だが、新しいパターンに襲われる。『PGM-FI警告灯』が点滅。

心配になり、最寄りのパーキングエリアに入る。すると消えた。

「いけるんじゃね」と思い走り出すと、再点灯する。

説明書で調べるとエンジントラブルのようだ。エンジントラブルというと大層に聞こえるが、水漏れみたいなもんらしい。

レンタカー会社に電話すると、次の訪問店のある室蘭で合流し、車両交換してくれるとのこと。あと100kmくらいある。

 

室蘭で1時間近い休憩。

てっきり代車に乗ってくるかと思ったら、レッカー車でおじさんが現れた。

大事になっている。おじさん曰く、

「この車種のハイブリット版が先月リコールになってたんですけど、これもそうだったのかな」とのこと。

ガソリン代は満タン返しでなくて、良いですよと言ってくれる。これはありがたい。

7月16日

札幌市内をぐるぐると歩いたり、電車だったり、レンタサイクルを借りたりして回る。

どうも札幌国際芸術祭の時期と近いらしい。19日、開幕とのこと。

ゲストディレクターの坂本龍一さんが、病気治療に専念ということで、突然の穴ができた模様。実行委員の人は大変だろう。

 

7月17日

再び車で小樽、旭川、帯広の大移動。

小樽で起こった飲酒運転轢逃げ事故が世間を騒がせている。書店はいたって平穏だ。

小樽の海水浴はお盆までで、お盆を過ぎるとクラゲが大量発生するらしい。

冥福を祈る。

 

一旦、札幌に戻って郊外の大型書店、コーチャンフォーへ行く。

コーチャンフォーとは「四頭立ての馬車」の意味で、スーパーの1フロアがまるごと本屋。白い内装。全国いろいろな本屋を見たが、他に類がない。盛岡に系列店があるのみで、今度、東京に初出店するらしい。北海道を開拓地の意味で、アメリカに喩える人は多いが、その象徴のような書店かもしれない。

旭川に行き、そこから富良野を通り南下する途中、花畑に遭遇。良い季節だ。

一般道をずっと進むのだが、急に大雨が降ってきて、あたりも暗くなる。

占冠から再び高速道路に乗る。どうも帯広方面と反対の札幌方面は雨により一部区間で通行止めだそうだ。

ラジオからはクラフトワークが流れてきて、自分の中ではこの旅で一番の盛り上がりを見せる。

トンネルが多い。短いのは400mから長いのは4kmまで。ふと、出口が赤く点滅してる。

灯りにもいろいろあるんだなと思っていると、出ると脇にパトカーがいる。

じぇじぇじぇ。

危ない。怪しい光はパトカーだったか。危ない。

トンネルとクラフトワークに飲み込まれていたら、パトカーの餌食になっていたかもしれない。

サッカーワールドカップの日本とブラジルには絶望したが、冷静なやつが一番強い。

あっぱれゲルマンパワー、そしてクラフトワークだ。

帯広市内に入ると既に雨が止んでいる。1件だけ本屋に寄る。

 

7月18日

朝一件、帯広の書店を回りフェアの企画をいただく。札幌に戻ってレンタカーを返し、市内中心の書店で回れなかった店舗へ行く。

この日は、フェアが3件とれた。収穫。

一旦、週末滞在するゲストハウスに行き、それから中心部へと歩いて戻る。

ワイン1杯250円の立ち飲み屋さんで1人打上げをする。

「グラッパ」というイタリアの蒸留酒を、この日まで知らなかったが、これは良かった。

とにかく臭いのだ。

スピリッツならラムだと思っていたが、グラッパでいいではないか。

臭いと言うと失礼か、香草の匂いがして、度数も高い。

涼しい。数日前の札幌が東京並みの暑さだったのに急に涼しくなっている。

<2014.07.20>

こんにちは土地71「畑のある生活」

小平に引っ越して1年が経過した春先。

近所にある畑の学校に参加することにした。

期間は春から冬。

校長ではなく村長による授業と四畳くらいの敷地が参加者に与えられ、作物を作る。

校内には農具や農薬等の備品が一通り揃っている。

 

初年度は、えんどう豆、トマト、とうがらし、とうもろこし等を作る予定だ。

2年生以降は、茄子やカブ、ネギと育てる作物の種類も増えていく。

 

田舎生まれなので、畑も田んぼもある環境に育ったのだが、農業はからっきしで、農業体験はわずかだ。

思い出せるのは、大根を掘ったこと、稲刈りの際に丸太を組んだ物干し台に稲を掛けたこと、トマトを捥いだことぐらい。つまり収穫時期以外の作物の実情をほとんど知らない。

 

参加者は退職者や主婦などが中心。

大きなビニールハウスの中に机と椅子が並べた教室で研修を受けてから、畑での実地研修という流れ。

村長の授業ははリリーフランキーのようないい声で、高田純次のごとく雑談の多いスタイル。それゆえに大事なポイントを把握するのが困難である。

だが、そのゆるい授業に文句をつける者もおらず、東京のあくせくした空気とは違う時間が流れている。

 

トマトの場合、最初に出る葉、子葉は2枚の葉が対になってできる。

そこからは交互に並んで葉が出る。これを「互生」という。

そして子葉の次の葉から数えて8枚目の葉に果房ができる。

以降、果房は4つごとにできる。

その法則を利用して、常に通路側に果房を作る。だから収穫が楽だ。

雪の結晶の幾何学模様の美しさに驚いたような感動を覚えた。自然って数学だ。

しかし気づいてしまった。育てている苗の1本が、1個目の果房から8つ目に果房が出来ていた。

ルール違反だ。

村長に尋ねると例外も時々あるそうだ。

 

葉と茎の付け根から、更に葉が出ていることが多々ある。これを脇芽という。

脇芽というと、枝毛のようで小さそうだが、実際は大きなものが多い。

漫画『奇声獣』を思い出す。

本体そっくりなので気づかないでいると、しれっという間に大きく成長する。

また葉はソーラーパネルのようなものでエネルギーを生む装置なので、多少の傷があっても切らない。

葉と脇芽の違いは生えている位置。学校の戒律が、脇芽の切断を躊躇させる。

黒板の図ではわかるのだが、畑で見ているとまぎらわしい。

 

ただし脇芽は悪いことばかりではない。

10cmくらいに伸びたものは切断後、挿し木としてポットに植え替え、苗にすることができるのだ。

また主幹がポキッと強風等で折れてしまった時は、脇芽を中心に据えて育てるそうだ。

だから、あまり苗のてっぺんに近い脇芽はすぐに切らない方がよい。

 

いい脇芽があったのでカットした。家で育てよう。<2014.6.5>

こんにちは土地70「厄年みたいな4月」

 32歳。8度目のワールドカップ。だんだんおっさんになっていく。

 4月3日に献本作業で大量の本、厚いハードカバー50冊程度を配送業者まで届けると、腕がパンパンになった。翌日、パソコンに向かっていると、桜木花道のごとく背中と腰がピキッといった。歩くたびに腰が痛い。思い返せば、小学生時代に「じさま」というあだ名を頂戴した。
 週末4月5日。家の近所で畑の研修が始まり相方と参加する。朝十時から一時間、ビニールハウスでの講義だ。 痛む腰を持ち上げ、自転車に乗るとパンク。申し訳ないが相方にジョギングしていただき、私は相方のチャリで会場へ。なんだかんだで腰は少しずつ回復してきたので、午後、相方のチャリを借りて、小金井公園へ花見に行く。


 途中、歩道沿いにフクロウがたくさんいてびっくり。
都内でも唯一の猛禽類のペットショップ。フクロウは可愛いのだが、こわさもある。さすが森の賢者だ。

  予想以上に広く活気にみちた桜色の小金井公園に感嘆する。
 私がビールとから揚げとウィスキーを、カモ先生が日本酒を持ってきた。カモ君はつい半年前に引っ越したばかりなのだが、再度西武線の方へ引っ越すらしい。
 遅れること1時間、ハタノ君、ハタノ嫁のサユミちゃん、ハタノJrが着く。着いたといっても公園の端なので、そこから十五分くらいかかるという。
 1人でちょびりちょびり飲む。サユミちゃんの手作りちらし寿司を差し入れてくれた。錦糸卵はハタノ君が作ったそうで、Jrに続く夫婦の合作だ。

 食べていると落研の後輩・ミツハシとその嫁が来た。
 クーラーボックスに氷とウィスキーとビールと、アウトドアセットがそろっている。
 注がれるままに飲む。ヤマヤさんがそろそろ向かうとのこと連絡が入る。
 カモ君が持参したウノが始まる。そこで私の記憶は途絶える。酒を飲みすぎたのか。気づくと私は田無の病室にパジャマで点滴をしている。ウノを持ったまま次第に前傾姿勢になり、そのまま眠ってしまったらしい。起こそうとしても起きず、うつぶせになった私をひっくり返すと、口から泡も少し噴出していたようで、みんなが救急車を呼んでくれたらしい。

 ヤマヤさんと合流したのが花見会場でなく病室とは何とも奇怪。空白の5時間。大学一年生に戻ったようだ。意識がうすぼんやりとしている。みんなでタクシーに乗り、我が家に流れる。
 とりあえず着替えて洗濯をし、パジャマはベランダに干し、カーテンを閉める。私が救急車で運ばれたことを知らぬ、相方に何事もなかったかのように装うためである。


 その後、別の花見に行っていた相方が戻ってきて、みんなでカラオケに行って寝る。
 翌朝、相方がカーテンを開け「新しいシャツ買ったの?」と問われる。
 どうみてもシャツではない。パジャマだ。そこから芋づる式に、一部始終を白状する。
 やってしまった。
 お叱りを受けている時、私は「ありがたいこのボンクラ男を本当に心配してくれている」と感じた。こういう残念な時こそ、愛情がわかる気がする。
「かたじけないぜ」
 と思う。

「何事もなかったかのように装う」

 という姑息さが、火に油を注ぐ結果となった次第である。

 翌日、気持ち悪い体を起こし、病院へパジャマを返しに行った。
 その1週間後、12日。食べ物にあたる。何か飲むとそのまま下から出る。何か食べてもするっと液状になって出る。そして腹にガスが溜まり痛い。先週のブラックアウトとは違い、痛みがわかる。

 口からも吐瀉物が出る。うがいをし、布団に入るも一時間おきに上と下から吐瀉物が出る。
 朝まで眠れない。生卵かムール貝か黒鯛の刺身があたったのか。

 翌13日。病院に行ってから会社へ行き、夕方から花見の場所取りへ上野公園へ。もう葉桜の季節に必要の場所取りをしながらブルーシートで横になる。
『隅田川のエジソン』という発明家のホームレスが主人公の本を読んだばかりだったので、低い目線で歩き行く人々を見てると、登場人物になったような気分だ。最初は気分が悪かったのにブルーシートで寝そべってきたら、元気が戻って来た。上野公園は外国人観光客が多い。白人も多いが、東南アジア系も多い。

 翌4月20日。無事に週末を乗り切った。健康な時は健康に気づかない。体は気をつけよう。
祖父は御歳九十歳だが
「人間、八十五を越えると思うように体が動かなくなるから気をつけろ」と言う。
<2014.4.25>

 

こんにちは土地69「石山修武とタモリ」

2014年3月30日(日)、石山修武退官記念シンポジウム『これからのこと』に行った。
2014年3月31日(月)、『笑っていいとも』が終わった。

 

僕は演劇学科の学生だった頃、安藤忠雄さんを皮切りに、ル・コルビジェ、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエなど、建築家というものに関心が芽生えた。
とりわけトゥーゲンハット邸を放送したテレビ番組で、ミース・ファン・デル・ローエの「Less is more.」という言葉を知り共感した。またその一方でアントニオ・ガウディ―のごちゃごちゃして生命力のある作品も好きで、美術展などがあると足を運んだ。
にわか建築好きだったためか、石山修武氏を何故か素通りしてしまっていた。

 

大学を卒業した頃、建築雑誌の出版社に就職した友人から、石山さんの話をよく耳にするようになった。
破天荒な芸術家のような人だそうで、友人は彼の猛烈なファンになったようだった。
友人は仕事が高じて、早稲田の石山修武研究室に混じるようになり、カンボジアまで行って石山さんの建築を見に行ったりしていた。

 

2013年になって、僕は坂口恭平さんという作家の本を読むようになった。
閉塞感のある日本社会を、盲点からの発想で切り開く彼の本は、刺激的で、元気が出た。坂口さんは、石山さんの元で学ぶために早稲田の建築学科に入学したほどだった。

 

石山修武という人の妄想ばかりが膨らむ中、友人に退官記念シンポジウムの席を確保してもらい、早稲田大学に向かった。
大隈講堂前は雨だというのに長蛇の列。
まず安藤忠雄さんの講演が始まり、自身の建築家としての足跡をスライドショーとともに語っていく。安藤さんのエピソードは元々好きだが、当人が語ると、立体的になる。

 

第2部は、建築関連の専門家を石山さんが紹介し、それぞれが石山氏との思い出を語る。
ドイツ人建築家のヨルク・グライダーさんの話が印象的だった。
哲学者・ニーチェの家に石山さんが泊まった晩、ピアノの音がうるさくて眠れなかったそうだ。勿論、夜中にピアノを弾いた人などいない。どうもニーチェはピアノが得意だったらしい。

 

第3部は、ただの友人が集まってきた。

公務員からジャズ喫茶のマスター、プロレス会場で友達になった政治家志望の男性、世田谷区長もきた。各々が各々の石山さんとの思い出を語る。

そして花束贈呈で終わる。

 

パンフレットに「石山修武講演」とあるのに、当日にそれはなく、進行もどんどん即興で変化していく。僕はジャズをほとんど知らないが、ジャズみたいだと思う。
小説『桐島、部活やめるってよ』みたいに周囲の人間が物語を進行させる。
小説『横道世之助』の方が当人も出る分近いか。
第三者が語ることの方が真実味がある。
いろんな職種の人達が集まるボーダーレスな姿を見て、誰かっぽいと感じるも思い出せなかった。

翌日放送の『笑っていいとも』グランドフィナーレを見て、そうかタモさんだと気づいた。
「ダウンタウン」と「とんねるず」が、そろってテレビに出ることがあるとは。

タモリパワー恐るべし。
花見の後には葉桜がある。

<2014.4.1>

こんにちは土地68「国分寺の焼き鳥屋」

2014年、上京してから10年の間で1番の大雪が関東甲信越地方を襲った。

そんな雪がまだ残る金曜日、相方(♀)と国分寺の焼鳥屋に初めて入った。
1週間程前も寄ろうと思ったが、混んでいて入れなかった。今日も賑わっている。
国分寺の店は引っ越してきて大分回ったと思っていたのに、まだまだ知らない店がある。
隣のサラリーマン二人と店主が知りあいらしく、音楽の話やプレイステーション4の話題をしていた。
サラリーマンの一人に
「こんなかわいいコなかなかいないよ。おにいさん幸せだね」
と話しかけられた。
「いいよーいいねー青春だねー。20代? 俺、人なつっこいから話しかけちゃうんだ」
と言う。
この二人は、とある部品メーカーに勤めている同期入社の46歳(湘南出身)と47歳(岐阜出身)。今は部署も所属している支店も違うが、訪問先がたまたま国分寺で重なり、久々の再開を祝して飲んでいるらしい。
湘南「最近の音響機器は音が悪いんだよね。レコードの頃は人間の耳が聞こえない何Hz以上の音域の情報までしっかり入ったのよ。ギリギリCDまでは圧縮だけど、今のデータはもっとひどいからね」
店主「そうだよね。息子のiPodだかMP3借りたら、びっくりしたもの。聞こえない音域カットしてるからね」
湘南「ウォークマンの方が音質よかったもんね。ヘッドフォンがよくても元のデータがカットしてあったら意味ないもんね」

モスキート音の話を思い出す。
高周波数の音は、年齢が高くなると次第に聞こえにくくなるそうだ。
気づかないけど情報が存在することと、存在しないのでは、深みに差が出るのだろう。

湘南「おにいさんは何の仕事してるの?」
僕「出版です」
岐阜「本売れないでしょ。電子書籍に移行してるの?」
僕「徐々には。最近は、お子さんの小学校でもタブレットで授業とかあるんですか?」
岐阜「そういう質問をするということは、もうかなり電子書籍の比率が高い時代になったか」
僕は岐阜さんの意見をやんわりと訂正する。まだまだ紙の方が市場が大きいのである。
僕「音楽業界と似てますよね。レコードにはあった聴きとれない領域が、リアル本の質、装丁とか紙質で、電子だとテキストだけみたいな感じですよね」
湘南「でもどっちを売るの? 本か? コンテンツ(中身)?」
まぁコンテンツだろうと思いつつも酔って頭が回らない。
岐阜「ジャケ買いとかよくしたよね。レコード屋行ってさ」
ジャケ買いの一言で、話の流れが変わり、助かった。
 
その後、酒を一杯奢っていただき、礼を言って店を出た。
思えば、僕が生まれた時に携帯電話はなかったし、スマートフォンだってここ5年くらいである。
最近では、コンビニが淹れたてコーヒーを売り出した。
そう考えると戦争にも行った僕の祖父九十歳は、どんだけの変化をくぐり抜けてきたのだと思う。
楽しい夜だった。
<2014.3.12>

こんにちは土地67「東京」

都知事選の結果で葛西臨海公園がなくなるという噂を聴いた。

オリンピックのボート会場になって大部分を削られるそうだ。

葛西臨海公園には大学生の時、M美術大学の友人の作る映画の撮影で行った。
その後、撮った作品がどうなったかは覚えていない。
何故か、水族園で水槽の雲丹を触ったことだけが記憶にこびりついている。
 
水族園が無くなってしまう前にと、行ってみたのだが見覚えの無い建物が目の前にそびえたっている。平面に半球が突き出た形。
 
ふと脳神経科医のサックス博士が出会った奇妙でふしぎな症状を抱える患者たちの物語の『妻を帽子と間違えた男』を思い出した。
これ、みんなありえることなんだ。何かふとしたことで認識方法が変わり、仕組みが変わってしまう。
妻を帽子と間違ってしまうのは極端かもしれないが、大なり小なりある。
二度目の水族園探訪は雲丹を残して、まったく違う場所だった。
 
それから月日は流れ、都知事選の前夜。
雪のため中央線は三鷹でストップ。非常事態になると震災の日の記憶が頭をよぎる。
バスと西武線で家に帰り、白ワインを飲みながら『平成タヌキ合戦ぽんぽこ』を観た。
1980年代の多摩地区の再開発をテーマにした山に棲むタヌキの話。
タヌキの目線は人間にとっては盲点で気づきにくい世界だ。
 
翌朝、濡れた雪道をスニーカーで投票に行った。
ネットで目にするのは脱原発派。
しかし現実は違う。選挙の度、無限のようで狭いネット世界を痛感する。
投票率は50%に届かず、開票と同時に当選発表。
何かがおかしい。
妻が帽子に見えているのだろうか。
無関心が一番恐ろしい。
 
後に知ったが水族園は残るらしい。
ただそれでいいのか。
どうなる東京。
<2014.2.9>

こんにちは土地66「師走から睦月」

 秩父夜祭。

そんな祭りがあるなんて、西武線沿いに住むまで知らなかった。

春先に初めて行った秩父の芝桜が遠い昔のよう。

駅に貼ってあるポスターが目を引く。

 

12月2日

秩父夜祭の前夜祭、埼玉の書店回り後、会社には戻らず祭りへ参加することにした。

夕方17時でも暗い。川越から八高線に乗って、東飯能で、最後の書店営業をして、秩父へ向かう。

東飯能には最近、大型書店ができた。どんどこ書店が減っているこのご時世に、すごい。

行ったことのない地方都市は、田舎のイメージが強いのだが、実際は都会であることが多々あるし、逆に、故郷の奥会津は日本地図で見れば、かなり東京に近いはずだが、とても田舎だ。

 

秩父へ近づくにつれ花火の音が聞こえてくる。

途中、列車切り離しのために5分程度停車した。

ホームから花火が見える。冬の花火は、もしかするとはじめてかもしれない。

秩父についてたくさんの提灯が飾られた山車(だし)を見物しながら、日本酒を楽しむ。

花より団子で、どんどん屋台に曳かれていく。見れば見るほど豪華絢爛な山車だ。

隣のおじさんの話によると、

「山車の車輪を修理できる職人がほとんどおらず、直すのにうん百万円かかる」とか。

伝統も時代に合わせて修正していかないとなと感じた。

日本酒を飲むと気持ちが大きくなる。

翌日の大祭はごったがえす、ということを仄聞する。

 

12月30日

郷里・奥会津へ帰る。途中から満員電車状態で全く座ることができない。

ここ最近は大河ドラマの影響か、混雑している。

 

12月31日

スノーダンプにて家裏の雪片付けをすると、汗だくになる。

 

2014年1月1日

新年早々、地元のスキー場へ親類と滑りにいくも、貸し切り状態。

みぞれまじりでウェアーも手袋もぐっしょり。

 

どうも工夫する必要がありそうな2014年。

変化適応をテーマにしよう。

all being will be happy.

<2014.1.4>

 

こんにちは土地65「青い海」

札幌から車で30分強、北西に向かうと小樽。ここまでは高速道路が走っている。

修学旅行の学生や観光客でごったがえしの中心地を抜け、一般道をひたすらに北西へ進む。

正午を過ぎると道も腹が減ってくる。

腹が空くと、苛立つというのは不思議だ。

トンネルを幾つも超え、かの有名な積丹の雲丹丼を出すという寿司屋へ入る。

胸を躍らせメニューを開くと「積丹産雲丹(7月~9月)」

今の季節はどこかの雲丹らしい。

偽装はしていない模様。

神威岬(かむいみさき)へ着く。

「8月15日、熊が出没しました。ご注意ください。」

との看板。一瞬たじろいだが、そもそも私の生まれた実家周辺も熊は出る。

半世紀前まで女性は岬の入口までしか行けなかったそうだ。

そういえば熊野の火祭りも参加者は男に限られていた。

神道系の不思議なところだ。

  

岬の最北端までは駐車場から、岸壁を歩いて徒歩30分くらい。風が強い。

ところどころ道が細くて落ちそうになる。熊よけのラジオが流れているが、それより風音のノイズが激しい。

歩いても歩いても中々たどり着かない。途中、波で岬が削られた断層がある。

「毛深いからアイヌ系なんじゃないのか?」

等、よく言われているうちに自分はアイヌだと思っているふしがある。

神威岩を見ることができれば、精気が回復するんじゃないかという気持ちさえ芽生えた。

 

 

実際、写真の中央に観音像のように立っているのが「神威岩」。

青い海がきれいだったからかカムイパワーかは知らないが、そっから1週間は確かに調子がよかった。

<2013.12.19>

 

こんにちは土地64「札幌」

10月3日。朝起きると白いブリーフが一枚、逝ってしまった。

冷えてお腹が緩んだようだ。ゴミ箱へ供養する。

旭川へ向かい、書店を回って戻ってくると夕方だ。

一日が過ぎるのは早い。今回は無事故だ。レンタカーを返し、ほっとする。

 

翌10月4日は徒歩で札幌中心を回る。

札幌駅周辺の営業を終え、北海道に来ると必ず伺う老舗書店「くすみ書房」へと地下鉄で移動。くすみ書房は今年6月に閉店危機となり、ネットを通じて全国に呼びかけところ、たくさんの寄付が集まり、ピンチをしのいだという経緯がある。

詳細はこちら → http://kusumierika.com/shobouplus/

 

打開策をとらずに流されたままだと、そのまま海の藻くずになることもある。

店が今までやってきた功績や店長の人柄もあってのことだとは思うが、智慧の力だ。

店長は「まだ大変だけど、できるとこまでやりますよ」と仰っていた。

営業の旅は終了。

金曜日の夕方。ここでいつもなら東京に戻るのだが、 先日、誕生日を向かえた彼女が東京から合流。週末を自費で観光する。旅の様子もがらりと変わる。

 

10月5日。モエレ沼公園に着く。広い。自転車を借りて敷地を回る。

10年くらい埃をかぶっていた『イサムノグチ』を夏に読んでから気になり出した。

思い返せば大学3年、落語研究会の巡業で香川のイサムノグチ庭園美術館に行って以来、頭のスミにはあった。

読めば読む程、波瀾万丈な人生で、老いて尚、エロスに溢れた男といった印象。

イサム流の遊園地を作りたかったそうだが、それがこの公園という説もある。

マヤのピラミッドを想起させる丘、カラスがたくさん飛んでいる。近くで見ると糞だらけ、風が強い。頂上へ行くと風で吹き飛ばされそうになる。

 

これは透明なピラミッド。火星のような道だったり、宇宙船のようなモニュメント。

宇宙と繋がる古代文明がモチーフなのだろうか。

マヤのピラミッドより高い、公園で一番高い山へ移動。空が2種類あるかのような景色。

登るのは一苦労だったが、これならばいいか。

まだ午前十中、次の目的地へ向かう。

<2013.11.6>

 

こんにちは土地63「函館、室蘭」

10月1日、青森駅のあたりを営業し、函館へと連れてってくれる電車「スーパー白鳥」へ乗る。

昼を過ぎているのに注文はゼロ。こんな日もあるが、移動中の3時間は身動きがとれない。

携帯で今後のプランを立て直すつもりが、いつのまにか『パスル&ドラゴン』をしている。

駄目だ。だが青函トンネルに入ると電波は通じない。

トンネルを抜けても雪の季節には少し早く雨が降っている。建設途中の新幹線用の線路を支える台が連なっている。いつ完成するのか。果たして本当に需要はあるのか。

 

函館に着くとレンタカーで数軒、書店を回る。

冬になれば代官山蔦屋のようなラグジュアリーな書店が函館にもできるらしいが、まだオープンはしていない。残念。

中心と郊外で1件ずつフェアを貰った。少しは形になってほっとする。

 

夕方5時に函館を出て一路、室蘭へ。

着く頃には夜になっていて、室蘭大橋がまばゆい。

川崎と並び工場夜景が有名で観光船も出ているらしい。

工場萌にはたまらない景色だろう。

ホテルに着くと驚いた。これまた古い工場のようだ。

窓が無く空気清浄機が回っている部屋。何かいる、そんな感じだ。

写真を撮ると写りこみそうなで怖い。

こわくなって散策へ出る。人がいない。静かだ。

 

時代の移り変わりだろう。

旧市街と新市街があるなら、旧市街かな。

焼き鳥屋で一杯飲む。

店内は港のある町の賑わいがある。一歩外へ出ると再び静寂が包む。

ここが同年生まれの国民的アイドル、元モーニング娘の安倍なつみ、飯田圭織という巨星の地元かと思うと感慨深くなる。

東京も田舎者の集まりだとは言うものの、アイドルのプライベートを目撃したような気分だ。

ホテルのフロントのおばちゃん曰く「十年前はもっとひどかったよ」とのこと。

 

電気をつけたまま眠った。翌10月2日。郊外の大型書店へ、昨夜の室蘭は一体どこへ消えたのか。賑わっている。表と裏の顔を見たのかもしれぬ。フェアも貰えた。

千歳を経由し、札幌郊外を回り、小樽へ。

過去2回来ていつも大量の注文をくださる店舗へ期待していく。

「以前は御社の本よかったんですけど……」

親切な方なので遠回しに言ってくれているのがよくわかる。

それでも、注文をぽつぽついただく。感謝だ。

札幌へ戻りホテルへ。きれいなホテルでほっとする。

味噌ラーメンを食べて寝る。

<2013.11.5>

 

こんにちは土地62「秋田、青森」

9月30日、秋田空港へ着く。久しぶりの北東北。

8月は途中で手足口病にかかりリタイヤしてしまい、回りきれなかったエリアだ。今回は、北海道にも向かう計画。

まず秋田郊外のイオンでGAPに白いブリーフ、3枚組1,000円をゲットする。

白いブリーフなんか、小学校以来だ。

都会以上に、田舎では小さな本屋が減って、郊外の大型商業施設に書店が入るケースがどんどん増えている。半年前にあった店がないことはざらだ。

秋田では駅前を中心に数店舗を回る。注文は少ない。

車の駐車場のすぐそばにあった有名なたこ焼き屋に寄ってから、弘前へ行くことにする。タレは美味いが、タコが小さい。ちくしょう。

 

秋田と弘前の間は少し行きづらい。高速道→一般道→高速道のルートしかない。

それにしても眠い。

弘前で書店を回るも、今回はなかなかうまくいかない。

随分と歴史を感じさせる古本屋があったので入ってみると「阿部サダヲ」のサインが飾られている。映画『奇跡のリンゴ』の撮影が店で行われたらしい。丁度、最近、本を読んでいたので、思い出す。木村さんがバイトしていたというキャバクラはこのあたりなのか。

 

青森市へ着く頃には日が暮れていた。数件回ってショッピングモール「サンロード」へ。

手足口病の診察を受けた皮膚科も入っている。懐かしい。やっとスタート地点にたどり着いたという気持ちになる。

書店で仕事を終え、ホテルにチェックインし駅前のガード下を通る。

戸が開けっ放しの飲み屋で、いい歳のママが手招きをしてくる。

客は3名、こじんまりとしたところで、入ってみた。畳にあがった僕のテーブルの前にはママが座る。

「ただ座ってるだけだから、気にしないで」

変な店に入ってしまった。

ホタテを頼むとテーブル備え付けの網でママが焼いてくれた。

僕の背後の席には京都から来た夫婦。昨日から通っているのだといい、いっぺんにこの店が気に入ったらしい。

最後の一人は、ユキちゃんというママの友達、60歳。

ママも60歳らしい。

「田酒」という青森の地酒をすすめられ飲む。塩辛い焼きニシンにとても合う。

筋子を食べると東北を思い出すが、塩辛いニシンも、ザ・東北という気がする。

寒い地域は塩好きのために寿命が短いのかも。

 

しばらくするとかつての常連だった七十歳過ぎの老人の話題になった。

老人は普通の客だったが、ユキちゃんと出会ったその日から変わってしまった。

惚れてしまったのだ。

老人は青森の山奥でとれた見たこともない山菜を採ってきてユキちゃんにプレゼントし始めた。老人は中学生のようにぎこちなくユキちゃんにアプローチした。

「おいしい朝ラーメン屋があるから一緒に食べにいがねえが」

ユキちゃんが戸惑っていると、

「ママもいっしょに行くべ」

と誘って、3人でラーメン屋に行ったという。

自動券売機の前に立った、老人は三十分の熟考の末、百円の「一口ラーメン」を押した。

ママも老人に合わせて「一口ラーメン」を押した。

ユキちゃんが「天ぷらうどん」を押すと、老人は歌舞伎口調で声を出した「地獄の、沙汰も、金次第」。

それ以来、老人は姿を見せないという。

 

ユキちゃん「爺さまのくせに、がつがつしてんだもん」

ママ「ユキちゃんに会う前は地獄の沙汰も金次第なんて言う人じゃなかったのよね、ママ今日は2時間で帰るから11時になったら教えてっていうどっちかというと真面目な人だったんだけどね」

ユキちゃん「おらもっと紳士な人がいい」

ママ「そんなこと言って、ユキちゃん若い人だとすぐついてくでしょう」

 

ぽつりぽつりと訛って話す津軽弁が心地よい9月最期の日。

恋に還暦はないのだろう。

<2013.10.30>

 

こんにちは土地61「月夜の幻燈会」

縁もゆかりもない土地、小平に移り住んではや半年が過ぎようとしていた2013年9月21日。

この日が何の日かすぐわかる人はよほどの文学史好きだろう。

 

先日、仕事で『ここがすごいよ日本人の仏教観』というイベントに行った。

外国籍の僧侶がパネラーで、結局は日本人論の話になっていた。

日本を表すことに「あいまい」と「柔軟」2つの単語が出た。

違いは「意思を持って判断するかそうでないか」だと聞いて、頷いた。

 

僕が住みはじめた頃から小平では、「サーヴェラスによる西武グループ買収問題」そして「小平都道3・2・8号線問題」が巻き起こっていた。どこにいても問題はある。引っ越す前の世田谷区の近隣でも、「地下から放射性物質の反応がある」なんて話も出た。

結局、どこもそう。住めば都。

ちなみに、「小平都道3・2・8号線問題」とは、通称「どんぐりの森」と呼ばれる森林地域に国道を通す計画。

ざっくりとしたテーマは、何十年も前に持ち上がった計画で、今更どうなんだ? という声もあるのだが、決めたことはやる、という頭の固い人たちの支持によって、実行に移されようとしているのだが、これに待ったをかける集団がある。

それが、「どんぐりの会」。

そのイベントに行った。

 

月夜の幻燈会「注文の多い料理店」

 

雑木林の中、プロジェクターに絵を映し、演奏や朗読する企画。

場所は、西武線鷹の台駅そばの小平中央公園の雑木林。

会場の入口には「ご自由にどうぞ」というメモとハンドクリームが置いてある。

勿論、塗る。

そんなに人が来るのかと思っていたが、親子だらけのその空間に圧倒される。

ブルーシート、椅子席合わせて300人くらいいそうだ。

開演前のブザーの代わりに鈴虫の鳴き声が大きくなる。

 

林の中のスクリーンにぼわっと浮かび上がる絵は、話にマッチしている。

演奏、朗読、それに場面によってスクリーンを揺らすと言った演出が入りながら、話は進んでいく。

小学校の給食の時間、何度も校内放送で朗読を聴いた。

当時はただ面白いと思っていたが、今日はどの国でも通じる話だなと思いながら見ていた。

そして、やっぱり面白いなと感じた。

今日が宮沢賢治の命日。

ほぼ満月の空にうさぎがいる夜のこと。

<2013.09.26>

こんにちは土地60 「嵐の大宴会in南会​津2013当日 夕方から後」

「bonobos」が終わる頃、昨夜からずっと絶え間なく塩炊きに励んでいた富田さん筆頭の新潟チーム(犬もいる)と、「大宴会」会長がステージにあがり、海水から作った塩を披露する。

たかが塩されど塩。

前夜祭の時に覚えた違和感は見事に解消され、不思議と場を成立させ、塩の話は聴衆を惹き付けていた。

 

続いて17時。塩炊きチームと入れ替わるように5組目「七尾旅人」がステージへあがる。

しかし新潟チームの犬が降りない。七尾さん曰く、人生で3度目の犬とのセッション。

七尾さんが脅かすとビクリと顔を向ける犬の名前は「ひかり」(メス)。

ステージから離れて、 男子トイレやゴミ箱のチェック作業から戻ってきても、「ひかり」はまだステージの上にいる。

 

会場外の駐車場に何故か山内君が来た。

打ち上げの焼き肉用のマトンの配達だそうだ。

只見町の町民運動会は大雨で中止になり、時間が空いたので頼まれたとのこと。

ウィルキンソンの甘口で乾杯し、雑談をし、山内君は去っていった。

 

辺りが暗くなり始める頃、場内に蝋燭の道を作る。

泥の川もこの頃には粘土へと変化しはじめている。

 

18時、ラストを飾る6組目は昨年同様、吾妻光良バンド。

半分漫談だが、やたら格好いい。

蝋燭を立てるため、ステージ前を離れ、耳だけ傾ける。

「マジでよかった」と思う。いい音楽だ。

僕が「マジでよかった」と思うくらいだから、他の現地スタッフは、更に天候にも感謝しているだろう。ステージ前でみんなが踊る。

吾妻光良バンドは、中年の味がよく煮込んであるバンドだ。ユーモアがあり、大人さと子供さがいい塩梅に入り交じっている。

 

何故、雨が止んだのかは、よくわからない。よくわからないけど、願いが通じたと思うことにする。

ステージ前にはべろんべろんに酩酊した某出演者が楽しそうにしている。

ずっと吾妻さんの「福田元首相の歌」(正式タイトル知らず)を聴いていたいが、アンコールも終わり、舞台挨拶とともに、大宴会が終演する。

 

少しずつ、少しずつ、人の波が正門の方へ光の道を通って流れていく。

本部スタッフの早川さんに

「結局、お客さん、何人来たんですか?」と聴くと「600を越えました」とのこと。

去年の倍だ。

雨降ったのに、ありがたい。

と雨がぽつりぽつりと降ってくる。

お客さんが帰ると、後は撤収作業が待っている。

組み立ての数倍段取りが良く、スピードアップして、テキパキと進める。

雨がまた降ってくる。何なんだろうこれ。

きっと来年もやりなさいということか。 

テント、椅子、テーブルをトラックの荷台に載せて、だいたい夜21時前、作業は終了。

後は打ち上げを残すのみ。 

やっぱり大宴会の醍醐味は打上げだ。

演劇やってる時も思ったけど、打ち上げが面白いのはイイ。

今夜は某出演者が最高だ。

某出演者は側溝に倒れ込み顔だけ出して、司会の東海林さんのピンマイクを使って

「ロックンロール」と叫び、歌っている。

この4年間の出演者で酩酊度NO1。

素晴らしい。

出演者同士のセッションも打上げの名物になりつつある。

楽しい夜はすぐに終わる。 

そして朝が来る。

 

大雨だ。

台風が来た。

東海林さんの車で「会津山村道場」の待合室まで送ってもらうと一足先に、吾妻さんたちが心配そうに線路を眺めている。

待合室に入ると、糞が落ちている。

吾妻さん「僕らじゃないよ」(笑)

とんでもない匂いだ。ティッシュが被さっているが、室内を覆い尽くす匂い。

推測だが、飲み過ぎた方が堪えきれなくなったのだろう。

最近、本当に「うん」がある。

 

みなさまありがとうございました。それっきゃない。

<2012.9.23>

こんにちは土地59「​嵐の大宴会in南会津​2013当日 朝から夕方」

ぽつぽつぽつ。

目が覚めた。雨だ。朝だ。

 3年連続、ギリギリいけたからなんとかいけるんじゃねーか。台風も遅れてるっていうから、いけるかなと思ってた。

 

まだ強くない。このくらいなら軽いな。

そう思って、うまい朝飯をいただいていた午前8時。

どんどん雨は強くなる。準備が進むに連れて強くなる。

 

今年の集客目標は500人。

 

これを越えないと来年の開催は困難になるそうだ。

昨日までの集計は、予約含め480人。いいとこ来てる、いいとこ来てるのにこの雨。

はふー。

お客さんが雨から隠れるところがないということで急遽、テントを増やす。

傘しか無い僕はずぶ濡れ。それを見かねた、マトンケバブ代表目黒さんから雨合羽の支給。

 

雨はどんどんふる。

地面はぐっちゃぐっちゃ。

会場に小さな泥の川が発生し、木の板で橋を架ける。

大木に大きなブルーシートを吊って簡易、雨よけを制作。

音響さんから

「このままだと機材がショートする可能性もあるので、なんとかしてくれ」

といわれステージも補強。

 

やべーぞ。

内心、僕は思った。悪化すれば中止だ。予報は午後から雨ですけど、既に雨。

午後はどこまですごくなるのやら。 

「大宴会」の本部では「注意報はセーフだけど、警報はアウト」とかのボーダーラインを調整している。

昨日の不穏な予感はこれだったのか……。

 

午前11時、1組目の「おおはた雄一、栗コーダー3/4、湯川潮音」のライブが始まる。

 演奏が雨と重なる。これはこれでいいかもと思いつつ、音楽を聴きながら雨よけをスタッフ何名かと制作。雨が溜まったブルーシートの屋根は時々、滝のようにズバーと流れる。

お客さんはいる。

こんな中いる。

ありがたい。と思っていると、僕の彼女とその友達が会場に到着。

最初に言われたのが

「もう笑っちゃうしかないね」

 二言目は、「ビール奢ってよ。せっかく来たんだから」

 

確かに合点の行く話だ。

4時間かけて呼ばれて来た野外フェスが土砂降り。あまりにとんでもないと笑うしかないというのは人間のサガだ。

 

正午、2組目「奇妙礼太郎」が始まる。

最近、もっぱら音楽業界でキテると噂の奇妙さん。

Youtubeでは聴いたけど、生は初めて。確かにいい。そして天気も奇妙な動き。

歌っているうちに晴れてきた。ミラクルだ。

そこにもう一組の友達、Yさんとその友達も到着。

 

よく来てくれたっす。まじで。

そして3組目は、本日二度目の「おおはた雄一、栗コーダー3/4、湯川潮音」

 

この頃には、芝生は濡れているけど、雨はほとんど上がる。

 

そして15時に4組目「bonobos」

知ってる曲があってよかった。

音楽に詳しいYさん曰く、テッパンネタでの進行だったらしいが、1曲しか知らなかったが、それでも楽しい。

 

雨がやんだらスタッフの心にも余裕が出てきた。

続きます。

<2013.09.21>

こんにちは土地58「​嵐の大宴会in南会津​2013 前夜」

今年も「大宴会」の季節がやってきた。

「大宴会」というのはただの飲み会ではない。

郷里、南会津でひらかれる野外音楽フェスのことだ。

2010年からスタートし、今年で4年目。

 

物語は起承転結が基礎というが、大宴会は2010年にいい感じで起こり集客250人、そして2011に震災で大きく反転し、集客200人弱。

2012年は、何とか持ち直して集客300人。

「よくよくやった! こっからどんどん成長だ」

と胸を撫で下ろしたいところだがが、3年目で県からの支援がストップ。

深読みするまでもなく、要は3年間でこのプロジェクトで自力で運営する力をつけなさいということだ。

 

僕は地元の盟友、山内君に誘われて2010年から大宴会に関わっているが、地元に住んでいる人達と比べれば、貢献度は象とネズミくらいの差がある。というか、ほぼイベント当日しか関わっていない。

地元の人達は1年くらい前からコツコツ打合せを重ね、9月15日を迎えるのだ。

地道な活動に頭が下がるばかり。

 

9月14日(土)

朝5時半、家を出る。5時間後の10時半、会場最寄りの無人駅「会津山村道場」に到着。

盆と正月の実家への帰省を除けば、毎年、帰るのはこの時くらい。

どういうわけか毎年、9月のこの時期になると、精神的に追いつめられていることが多く、肉体的にもすごく疲れているのだが、この森に着くと精気が甦る。

駅から会場のある「うさぎの森キャンプ場」までの坂を登る間、二匹の蛇とすれ違った。

 

キャンプ場は「山村道場」という名が残る、元々は山の学校で、木造の旧校舎が入口となり、今では芝生しか残っていない元校庭が会場となる。

昨年、顔を合わせた連中も入れば新しい仲間もいる。

私を誘った張本人の山内君は同日に開催された只見町町民運動会のため、去年からスタッフから外れている。

とてもいい天気で台風が来るとは思えない。

徐々に2013年最大の台風が近づいているらしい。

出店用のテントをどんどこ建てる。

近くの保育所にテントセットを取りにいく。

またどんどこ建てる。

 

あらかた準備が終わった夕方。

塩炊きなる儀式が行われる。

例年までなかった突然の謎のイベントにびっくり。

塩は古来、海水を煮立てて作っていた。

新潟から持って来た海水200ℓを一晩と明日一日かけて塩にするらしい。

ステージ裏の小川で手を清め、槢木で火を起こし茹ではじめる。

 

前夜祭に来たお客さんは、この展開について来れるだろうか。少し心配になる。

講堂でDJが音楽をかけて皆が踊り、ライブ・ドローイングで、前夜祭が終わる。

合間を縫って僕は近くの温泉へ。

汗をかきまくったので気持ちいい。

今年の前夜祭は静かだ。この静けさが不気味だ。

明日は午後から雨マーク。何か起こるんじゃないかヒヤヒヤする。

スタッフ用コテージに空きがあり寝る。ラッキー。

<2013.09.20>

こんにちは土地57「​悪魔にとりつかれた東​北出張2」

8月21日(水)

眠りは浅いが目覚めは快調で、近くの港へ足を運ぶ。美しい。なんかいけそうな気がする。

編集を近くの高速バス停留所まで送り、僕は盛岡へ。思ったよりも遠く、2時間半かかった。

ドラッグストアへより、まず喉のケアに「のどスプレー」をゲット。そして、店員にてのひらの発疹を見せて、「これに効く薬はないか」と尋ねる。ステロイド系の塗り薬を貰う。それにしても暑い。

訪問予定の店舗を3分の1に絞り、がつがつ回る。不思議と秋のフェアが2件取れた。

東京でもそれほど取れないのに、僕の体調と営業の結果が反比例している。なぜだ?

盛岡から八戸に移動。八戸でも2件の訪問でフェアが1件取れた。いい調子だ。だが、状況とは裏腹に、てのひらの発疹は痒みから痛みに変わりはじめ、さらに足の裏にも斑点が拡大しつつあり、こちらは既にかなり痛い。

書店から十和田湖畔のゲストハウスに向かう。またしても遠い。一般道でジグザクが多く、田舎の夜道。化け物でも出てきそうな闇だ。カーナビだけが頼り。

やっと宿についた。看板を見上げると名前が違う。

慌てて携帯で電話をしようとするも、携帯がない。さっき暗闇を撮影したばかりだというのに、どこにも見当たらない。謎。手足は痛いし、宿はないし。そうだ目の前の宿の戸を叩こう「すいませーん誰かいませんか?」

どんどんどん。

「すいませーん」

2階から灯りが漏れているのに誰も出てこない。

「何だここは『注文の多い料理店』でも始まるのか?」

仕方が無いので車で十和田湖畔を回ってみるものの、車幅一台分くらいの道で、街灯もない。あまり奥に進むのは危険だ、と感じた。

元の場所へ戻り、丹念に車の中で携帯を探す。さっきみた椅子の下も再度確認するがない。次は助手席だ。

あった! 見つけた!

東京駅のトイレ・ガリレオ事件とはまた違う展開。携帯電話の安心感はすごい。

宿に電話すると迎えに来てくれた。よかった。

しかし手足が痛い。喉も痛くなってきた。大丈夫なのか?

宿はゲストハウスなので大学生とか外国人がいるのではないかとロビーへ降りるも、想像に反して宿の親戚達の飲み会と化していた。津軽弁と十和田弁と八戸弁のニュアンスの差を宿の主人が親戚一同に熱心に話しているのが、印象深い。結局、この日も喉が痛く、酒を飲めない。

8月22日(木)

良い朝だが、喉の痛みが成長している。手も足も前夜の倍の痛みである。ハンドルが痛くて握れない。ソフトタッチ。次の目的地、青森市で、病院へ行くことにする。

奥入瀬は美しい。もうこのままドロップアウトしたい。

夜と昼ではこんなに森が違って見えるのが信じられない。

青森市で大きな市立病院に入ると皮膚科は予約待ちでいっぱいとのことで近くのクリニックへ。診断が出た。

「手足口病」

おおー噂にきいた、かの面白そうな病気にまさかかかるとは。

会社に電話し自宅療養の申請をする。ノックアウト寸前である。

青森から仙台市までは車で300km離れている。運転しなければならない。

「手足口病」は子供の病気だが、大人がかかると重度になるらしい。実際、僕は重度だ。

原因は何だろう?

「感染者の鼻や喉からの分泌物、排泄物への接触感染」

とある。

やっちまった東京駅のあれだったか。でも、考えてみると、おかしいことに気が付く。なぜなら潜伏期間が3日くらいあるはずなのだ。とすると、お盆か。

実家に帰省しておりました。

親に連絡をしてみると、8月16日に、姪っ子が手足口病にかかっていたとのこと。そういえば、確かにその姪っ子の尿を踏んでしまった。

謎は全て解けた。

しかし仙台は遠い。

そして東京は更に遠い。病は続く。

<2013.8.27>

こんにちは土地56「​悪魔にとりつかれた東​北出張1」

8月19日(月)

午前7時、僕は東京駅の新幹線乗り場にいる。前日食べた辛いタイ料理が効いたのか腹が唸っている。和式トイレに駆け込むと、ケチャップのようにドバドバ出る。一度流したが、便器の縁に少し残っている。次の人のために拭いてから出ようとすると、胸ポケットからするりとiPhoneが便器の水たまりに落ちる。躊躇する間もなく、拾い上げる。

よく洗って仙台に出張。

 

朝から一悶着。運が着いたのか、運を流してしまったのか、この時点ではわからない。

 仙台に着くと、もわっとしている東京と変わらず35℃くらい。不快指数は高い。

本屋を1軒、2軒、3軒と回っているうちに、もともとの体調不良に発熱が重なり、倒れそうになる。

事務所で休む。

おそらく熱中症だろう。冷房がガンガンのところへ行くと体が楽になる。人生初の熱中症だ。

喉も少し痛いが大したことは無い。

 

8月20日(火)

朝、起きると喉が痛い。事務所近くの診療所へ行くとやはり熱が少しあった。

滑舌の悪い医師で、ほとんど聞き取れない。

夏風邪用のトローチ、うがい薬、抗生物質をもらい、一路、取材で気仙沼へ。

現地に着くと取材先のお医者さんが今日も田んぼに出ていた。

7月頭に行った際に見た合鴨が10羽から4羽に減っていた。

夜、居酒屋でお医者さんに話を伺っていると、田んぼを手伝っていた被災地ボランティアのOさんが合流。自治会長さんも合流し、途中から取材どころではなくなる。田んぼトークを中心に話が展開。

と思いきやOさんが畳の上で、苦悶しはじめた。

Oさんは震災後から2年間テント暮らしでボランティアをしている。

気仙沼の-10℃の冬もテント暮らし。阪神淡路大震災、雲仙普賢岳噴火の時もボランティアに行っている彼はボランティアのプロだ。

そんなOさんにも今日の田んぼでの作業はハードだったようで、病院に戻り点滴を打つことに。点滴中のOさんを脇に、取材を少し続けておひらきになる。正直、僕も点滴を打ってもらいたくなってきった。

困ったことに、何やら手の平に赤い斑点が浮き出してくる。ハンドルの握り過ぎか。虫かウィルスか。岩井崎の宿で眠るも手が痒くてよく眠れない。

<2013.08.25>

 

こんにちは土地55「2013年7月の旅」

世間はアベノミクスらしいが、その恩恵は未だ見当たらない今日この頃。

新しい本を作るため朝一番で新幹線で仙台に向かい、本屋を回りながら北西へ向かった。

石巻から一旦、大崎市へ行き、そこから一般道で登米市のイオンにある書店を回って今日の営業は終了。

登米の名物「油麩丼(あぶらふどん)」を求めるが見つからない。

遅めの昼食にインドカレーを食べる。

最近、地方出張がめっきり少なくなったが、九州へ行っても北海道へ行ってもイオンは一緒だったことを思い出した。

誰かが「東京にはローカルが残っている」と話していていたが、確かにと思う。

地元の名物がそこにはなくインド人の作るインドカレー屋がある。

田舎に行くと、どこも似てるなーって感じる。

 

久々の運転も慣れて来た。

 

気仙沼についた。

テレビで見た一風変わった医師への出版依頼をするためである。

病院に着いて待つこと数分、彼は出てきてこう言った。

「田んぼに水やる時間なんでちょっといいですか。病院の裏なんで一緒に来ます?」

関西人っぽいノリ。

僕は合鴨農法というのを初めて見た。

合鴨が牢屋のような田んぼにいる。鴨が外敵に襲われないためのバリヤーである。

「触ってみるとしびれますよ」

と言われて触ってみると、確かに電気ショックがくる。

 

そんな会話をしているうちに医師は会議へと戻り、会議の終わる19:30過ぎに近くの居酒屋で落ち合うこととなった。

時間が空いたので片道30分くらいある書店に営業に行って戻って来た。

 

飲みながらあれやこれやと話す。

僕はノンアルコール。

盛り上がってもノンアルコール。

正直、一番下っ端のつらいところである。

途中、昼のカレーのパンチが効いて、しばらくトイレにこもっていたが、話はうまくいき交渉成立。

 

店を出ると夜11時くらい。

眠くなったら、運転どうしようかと思ったが、不思議と仙台までの2時間はほとんど眠くならなかった。

1回側道にタイヤが乗りかけたぐらい。

 

深夜2時に布団に入った。

<2013.7.19>

こんにちは土地54「カンボジアのパーティーへ その4」

カンボジア4日目。

深酒の次の日はとても眠い。

起きた瞬間から足が痒いのは、ダニのせいか? 昨日、パーティーの最中にたっぷり吸われたようだ。

 

日本人のみんなとはここでお別れ。

今回初めて会った人がほとんどで、それほど多く会話したわけではないのに、旅先で知合うと親友になった気がする。それぞれの経由地、香港、タイ、シンガポールを経由して日本に帰る。

 

借りていた携帯電話を返すためソクビルさんと再会。旧正月の挨拶回りに、私達も同行することになった。

高級住宅地の一画。大きな扉が自動でひらく。

ヴィラが3棟もある。出て来たのはスチュワーデスのようなお姉さんで日本語も堪能で名古屋に留学していたそうだ。

ソクビルさんとお姉さんは何やら仕事の話をしている模様。

メイドがいる。

メイドの女の子がお茶を運んでくれる。

こんな世界があるのか。

 その後、ソクビルさんが経営する電子工学の専門学校に寄る。

すごいスピードでことが運んでいる。

 ソクビルさんとも別れて路上で散髪をする。

1ドルでガタガタの髪がみるみる整理されていく。

その後はシルバーパゴタという寺を見て、再び酒を飲み、土産を買って、カンボジアの旅は終わった。

 

日本に戻ったらアベノミクスで景気が回復していたらいいなという淡い期待も叶わず、再び働いている。

カンボジアのテーブルの床は日本の床よりも随分と汚れていた。

落とした食べ物は三秒以内なら食べられるというルールが通用しそうにない。

ただ不思議と開放感とゆるさがあった。 

<2013.4.8>

 

こんにちは土地53「カンボジアのパーティーへ その3」

カンボジア3日目。

いよいよパーティーに参加する。

朝一番のマイクロバスで、プノンペンから40km程度の田舎町・ウドンへ向かった。

1時間で着くはずが、道路工事のために3時間くらいかかってしまう。 ウドンに着くと、果樹園に案内されて、マンゴーとグアバに塩をふりかけたものと、酒をごちそうになった。

日本で、スイカに塩をかけるようなものかもしれない。

のどかだ。

大都会プノンペンとは違う。

 

パーティーまで時間があるので、近くにあるという寺に行く。

観光客に溢れている金の寺に圧倒された。

カラフルな仏像だ。顔に愛嬌がある。

仏像もカンボジア風だ。

下には七福神。

上座仏教とヒンズー文化が混ざっている。

 

カンボジアの僧侶は日本のそれとは随分と違いストイックなようである。

ただ昔と比べると修行時間は減っていると言う。

もっと見たかったけど、パーティーがそろそろ始まるので戻る。

 

屋台用のテントに、丸テーブルを幾つも並べて、飲む。

近所の女性達もきれいなドレスに着替えて華やかである。

最初はビールだったが、途中からウィスキーをもらう。

村祭りみたい。歌って踊るパーティーだ。ケーキカットもあった。

めでたいねえ、めでたいねえと言っているうちに僕の記憶は無くなってしまった。

目を覚ますと真っ暗闇。どうやら母屋の二階で眠ったらしい。

階段を下りると会場は閑散としている。近所の村人達はほとんど帰ったようだ。

クライマックスを見逃し、日付が変わった。

なんてこった。

近頃、酒を飲むとすぐ眠るようになってしまった。

<2013.03.26>

こんにちは土地52「カンボジアのパーティーへ その2」

カンボジア2日目。

昨日は随分と酔っぱらったらしいが快適な目覚めだ。

エアコンが効き過ぎていて寒いくらいだ。

浴槽はないがシャワーがあり、Wifiも繋がる。

 

1泊1部屋12ドル≒1200円。2人部屋なので600円。

その名も「ナイスゲストハウス」。

プノンペンに行く人はおすすめです

 

朝一、オルセーマーケットの市場の前で「クィティウ」を食べる。

サッパリしたラーメンのようだが、米麺なのだそうだ。

小皿にモヤシとライムがつくので、ぶっかけて食べる。

朝から3杯くらいいけそう。

1杯、4000リエル≒1ドル≒100円。

 

今更だが、カンボジアには貨幣が、ドルと現地通貨のリエルの2種類が存在する。

日本の感覚からすれば、2種類の通貨はとても不思議な気がする。 混乱しないのだろうか?

 

「トゥクトゥク」という三輪タクシーで郊外へ向かった。

風が心地よいのも束の間で、道路は凸凹と砂埃で、目口鼻尻が痛い。

「キリングフィールド」に着いた。その名の通り、死体の集積場である。

中央の塔には遺骨が納められている。

 

カンボジアの歴史に疎い僕でも、ポル・ポト政権時代の大量虐殺の話は聞いたことがある。

 

観光地に整備され、塔があるのはこの場所だが、 死体を埋めた壕はカンボジア全土に300ヵ所以上もあるらしい。

 

原爆ドームにしても、アウシュビッツにしても、

悲しい場所が、記念館になるようだ。

続いて世界遺産の「トゥール・スレン」に行った。

ここは処刑前の強制収容所。

 

ずらーっと囚人と写真が並んでいる。

老若男女いる。罪の定義も曖昧で、ほんとに些細な因縁で収容された。

 

眼鏡をかけていると知識人に見えるという理由で、収容された人も多いという。不合理な魔女裁判のようなものだ。

 

僕の好奇心は次第に上昇し、彼女のテンションはダウンして行き、 ケンカが勃発。

旅の疲れ、暑さ、好奇心、ウキウキ感、等がすれ違い、ケンカは起こる。

地場の影響も少しあるかもしれないが、険悪なのだ。

「僕はもっと見たい」

「私はもう帰りたい」

些細な要素があれば十分、爆発は起こる。  

無言でホテルに戻り、仮眠をとる。

 

夜は、日本人とカンボジア人混合のパーティー前夜祭である。

さきほどのケンカをネタにして酒を飲む。  

二次会は「リバーハウス」というクラブ。

江南スタイルが流れる。

いよいよ明日は、少し離れたウドンという街にパーティーへ。

<2013.3.3>

こんにちは土地51「カンボジアのパーティーへ その1」

2月8日の午前中、カンボジアの首都プノンペンに着いた。

カンボジア人の花婿と日本人の花嫁の結婚式アンド出産お披露目パーティーに参加するのが、旅の目的だ。

花嫁が、私の彼女の知り合いなので、私は付き人である。

 

トランジェットした台湾は寒かったが、カンボジアは違った。立っているだけで汗が出てくる。11月から4月までは乾季らしく、暑い。日陰に入ると涼しいのが不思議な気がする。

 

ゲストハウスに荷物を置き、近所を散策する。

車やバイクの交通量が多いが、車のスピードは日本より少し遅い気がする。

前に行ったインドは交通量も多かったし、スピードも速いので怖かったが、カンボジアは道路縦断が比較的楽だ。

 

寺院に立ち寄ると、境内でバレーボールをしているので、本堂から撮影。

野良犬が多い。鎖に繋がれていない犬に出会うと、やっと海外に来たなという気がする。

日本の犬がかわいそうだ。

 

ゲストハウスに戻ると一台の車が、我々を迎えにやってきた。

私の彼女は、早稲田にある社会人向けの語学学校でカンボジア語を勉強している。

今まで3人の先生に習ったが、いずれも名字が「ヘイン」さん。

最初がヘイン・ソクビルさん、次がヘイン・ソパーさん、現在がヘイン・ソピーさんという。

なんと! 兄妹でリレーしてカンボジア語の講師をしているのだ。

ヘイン兄妹の来日目的は留学なので勉強の合間に講師をしている。

ソピー先生が帰省中なので、合流する。

 

乙な感じだ。

 

更に乙なのは長兄のソクビルさんの運転での出迎え。

ソクビルさんは2011年3月に日本の大学院を卒業する予定で、日本かカンボジアのどちらかで就職するはずだった。しかし震災のため、卒業式にも出られずにカンボジアに帰国したそうだ。

 

ちなみにカンボジアでは、大きな地震はないという。

ソクビルさんに、高そうな料理店に連れて行ってもらった。

帰国日に返してくれればいいと、携帯電話も貸してくれた。

 

いろいろと、もてなしをうけた。

この日驚いたこと。

 

「カンボジアの携帯は、電話会社のスポンサーから自動音声の広告の電話が時折かかってくる」

こんにちは土地50「探検あたらしい町 3」

2013年1月26日、引越し屋が予定通り午前9時に来て、スムースにことが運び荷造りも完了した。引越し屋と別れ、僕は電車で新居へ向かう。

 

東急大井町線で尾山台からで溝ノ口へ行き、そこからJR南武線で立川へ、そして中央線で国分寺、それから西武線に乗換える。

 

多摩川を神奈川に渡って、再び東京に戻る。

携帯電話の乗換案内はとても便利だ。

先日、神田の小さな書店で

「昔は時刻表とか地図がよく売れたんだよねえ」

と言われたことを思い出した。

ネットのようなサービスは余計な手間を省き、消費者の出費を減らしてくれるようになった。その代わり、人間が手間をかけて稼いだお金の流通も減らしているかもしれない。

 

不動産屋で鍵を手に入れ、新居に着くと既に、引越し屋がスタンバイしていた。

せっせと運ぶ、彼らのたくましさを見て、根拠もなく、運送業はしばらく安泰だろうなと感じる。

段ボールはまだ未開封のものもあるが、午後3時にはだいたい完了したので、近所のホームセンターにスノコを買いに向かう。

 

途中、大学の同級生のS君らしき人とすれ違った。

まさかこんな場所で会うわけがないと思ったが、ふと考え直し、S君にメールしてみた。

 

「今、子供と一緒に一橋学園にいる?」

 

すぐに返信があり、S君、本人と判明した。

その前週は仕事先で旧友に再会し、さらにその前週も新宿三丁目で旧友と再会した。

世の中は広いようで狭い。狭いようで広い。

新しい街は一橋学園は、正確には小平市らしい。

街の雰囲気には昭和が漂っている。

<2013.2.5>

こんにちは土地49「探検あたらしい町 2」

引越し先が決まらないと、焦りが出て、不安になる。

10月から始めた物件探しも早2ヶ月が経ち、忘年会シーズンに突入してしまった。

不動産屋はいう。

「今だと安いんです。1月になると徐々に転勤や入学の準備が始まって、大家さんも強気になるんですよ。敷金1ヶ月・礼金1ヶ月が、2ヶ月になりますから」

 

早く決めて欲しいという、営業作戦は理解できる。

なるべく、じっくり、いいものを探そうと思いながらも、早く決定して物件探しを終わらせてしまいたいという気持ちもある。相反する感情に挟まれて、飽和しそうだ。

飽和が極点に達すると物件探しはフリーズし、別なことに夢中になる。

忘年会に出たりとかしているうちに、気が付けば、12月も半分が過ぎ去っていた。

 

ネットで良い物件が見つかる。

しかも近所の「等々力」だ。

広いし、さほど古くもない。これなら引越し代も安いし、言うことなしだ、と思ったが、そうは問屋が卸さない。

 契約期間は2013年4月まで。

大家が、家を立て替える間の仮住まいに提供している、らしい。

 

次は調布市、築5年程で4LDKのマンションタイプで破格の月1万円の物件が見つかる。

確実に、重大な事件があった部屋だろう。

僕はゴーサインを出したが、速攻で彼女は拒否をする。

再びパソコンをひらくと情報は消えていた。

わずか数時間の都市伝説か。

 

気になる物件はすぐ消えるのに、NGの烙印を押した物件は何度も検索でヒットする。

世の中うまい話は少ない。

 

次に見つかったのが、国分寺周辺。

正確には隣の駅。

古いが、綺麗そうで、ルーフバルコニーが広い。

西武多摩湖線や西武国分寺線も近い。

 学生時代によく行った武蔵野美術大学の印象が強く、あの辺は遠くて、森が多いイメージだ。

今の家からだと1時間かかるので、途中、三軒茶屋の不動産屋に寄る。

珍しくポジティブな言葉を聞いた。

「その辺で探しているのでしたら、京王線や小田急、田園都市線も神奈川を越えればありますよ」

条件を伝えたところ、ぼかぼか出てくる。

今までの物件探しは何だったのだろう……。

 

選択肢が増えていく。

選択肢が増え、希望が増えることは、迷いが生じ、またしても結論がでにくくなる。

矛盾している。

これもある、あれもあると思っているうちに終わる、人生の縮図みたい。

 

国分寺に着いて、大戸屋で飯を食べ、不動産屋の車に乗って、部屋に入る。

幾度となく繰り返した作業だ。

一見したところ、古いがリフォームされていて、中は綺麗だった。 

「隣とか下の部屋はもう決まっているんですか?」

と尋ねたら

「下は人形劇団の稽古場です」

という。

僕の心は傾いたが、きっと彼女は駄目だろうと思っていた。

「ここにしようか」

と彼女がいう。

嘘かと思ったが、本当だった。

12月24日、引越し先が決まりました。

<2013.1.23>

こんにちは土地48「探検あたらしい町」

僕は、去年くらいから彼女の住む1Kのアパートに転がりこんだ。

「転がりこむ」というとヒモみたいに聞こえるが、しっかりとお金は払っている。

 

世田谷区尾山台。

 

 

駅前から南に向かって商店街が伸び、環状八号線を超えて、坂を下りきると多摩川がある。

多摩川土手はランニングやサッカー、野球、釣りをする人々で休日は賑わい、僕の行きつけの美容室もある。

「バリカンde坊主頭」だ。

 

家は川から徒歩1分、駅から徒歩20分。

役所広司を近所で見かけ、RIKACOや哀川翔の大きな家も近くにある町、尾山台。

住むには金のかかる街だ。

しかし、すぐに引っ越すお金もないので、こつこつと貯めて1年。

ようやく時がきた。

 

交通の便がいい赤羽に狙いを定めた。

カフェに、本屋に、総菜屋と駅ナカが充実している。

 町中も楽しそうな居酒屋が並ぶ。

が、肝心な家賃が想定より高い。

そのまま高架線沿いを東十条に南下する。

植木鉢に緑が多く、古い建物や工場が目立つ。

十条銀座を歩いていると、旅一座が公演してそうな「篠原演芸場」があった。

家賃はまたしても高い。

 

後日、浮間舟渡、戸田公園と埼京線を北上した後、三鷹、国分寺と、西へ主戦場を移したが物件は見つからない。

  原因は、大雑把に

「これでいいんんじゃない」

という僕と、細かな希望を出す彼女、その差だろう。

国分寺の不動産屋に

「まずエリアをしぼった方がいいですよ」

と言われるが、

こちらにも条件がある。

それぞれの勤務先まで1時間以内、広さ、家賃、ユニットバスNG、和室NG、海沿いは津波が怖い等、条件は次第に増え、時間は減っていく。

  だんだん僕は

「どうでもいいよ」

となり、その態度が彼女を怒らせ、ケンカになる。

 

次の候補地は、西武池袋線保谷。

街の雰囲気はとてもよかったが、条件が合わず、三田線の板橋方面を探る。

いい物件が見つかった。

案内してくれた不動産屋は物件情報以外にも、自殺現場や収賄事件のあった病院等、地域情報も事細かに教えてくれた。

死者のいない街は存在しないだろうが、その街に住みたくなくなってしまった。

 

その後、埼京線の戸田に向かったが、決まらない。

物件は決まらなかったが、やっと自分の好みの物件がわかってきた。

『探偵物語』とか『私立探偵 濱マイク』の事務所のような味のあるところ。

つまり蔦が絡まってそうなマンションだ。

ますます二人の意見が別れてきたかに見えたが、そうでもなかった!

彼女は外装が古くても内装が綺麗であれば問題ない

……らしい。

 

物件よ出て来てください。

<2013.1.15>