こんにちは土地                           五十嵐祭旅

87回「音楽フェス巡礼その3-朝霧JAMへ」

大宴会が終わって、東京へ戻ると、本作りが佳境に差しかかっていた。

当たり前だが、著者の修正&確認がないと、出版できない。

著者は、海外を巡りながら瞑想指導をしている。

瞑想合宿期間中は音信不通で、その合間且つ電波状況の良い場所にいるときだけ返信される。

こちらからできる唯一の催促手段であるメールを送ると、大概

「今はすぐメール返信できる状況におりません。しばらくお待ちください」

と英語で自動返信される。だから、基本は、ただ待つ。


そんなある晩、友人2人の送別会に参加した。

元々は、私ではなく彼女(相方)つながりで、カンボジア好きの仲間たちだ。

1人はタンザニア、1人は九州と行き先も理由もバラバラだが、カンボジアを通じて、縁ができた。

九州へ帰るAさんはキャンプ好きで、朝霧JAMの駐車場付きチケットをとっていた。

友人カップル、新潟ちゃん(♀)と山口さん(♂)も参加するそうだ。

激レアな朝霧JAMの駐車場付きチケットを手に入れる――。

こんなチャンスはそうそうないだろう。

一般入場券は、今からでも入手できるらしく、

「一緒行こうよ」というありがたきお誘いを受ける。


イベント開催日は3連休前半の10月10日(土)11日(日)だが、懸念材料が1つ。


「本が校了(完成)しているのか?」


10月7日が校了予定日だ。

イベントまで3日も余裕があるではないか。

とりあえずチケットを購入した。


著者からいつ返事が来るのかドキドキしていると、期限ぎりぎりにどかっと修正が届いた。

校了予定の2日前、大量の修正を、チェックし反映する。

……終わった。

コンプリートだ。


念のため、完成データを返送する。

追加修正がまたどかっと届く。

期日になっても届く。


「修正が多いので、この期限は元々無理があったのでは? 発売日を少しずらしてはどうですか?」

と著者からの提案が届くと、今度は上司との交渉が始まる。

事情はみんなそれぞれだが、心理的にどんどん苦しくなってくる。

結果的に、校了日を少し伸ばすことができ、10月8日に。


今度こそ、コンプリート、入稿だ。

翌9日は電話が通じるらしく、「これで出版します」と一報入れると、再び「待った」が入り、修正する。……もう行けない。

「私は、朝霧JAMには行けないのだ」という再々入稿で本作りが一段落した。


10月9日深夜の10月10日午前3時半、Aさんたちがレンタカーで家前まで迎えにきてくれた。

ありがたし。

国分寺の西友で、飲食料アイテムを購入し、いざ朝霧JAMへ向かう。

富士山麓、会場へ着くと朝日が昇る。

ああ無常。

<2015.12.13>

86回「音楽フェス巡礼その2-大宴会in南会津2015-後夜祭」

フェスが終わると、出展者用テントの片付けが始まる。

鉄製のテントはずしりと重く、錆ていて、手を挟んだりしたら、皮膚がめくりあがって血がでたり、なんてこともあった。

それが去年あたりから簡易的なテントに変わった。

軽いし、端にある六本の足を持ちみんなで中心部に集まれば、折りたためば完了するので、とても簡単だ。

それまでの半分の時間で撤去が進む。

主催本部、アーティスト、来賓が先に乾杯するのを撤去班が遠くで眺め、後から遅れて合流するのが常だったが、今年はスムースだ。

しかし思った以上に冷える。

観客のいなくなった会場はがらんとして、闇に覆われている。会場隅のスペースに明かりを灯し、打ち上げだ。五右衛門風呂体験のワーショップでドラム缶を乗せていた小さなかまどに、炭を焼べて鉄板を乗せバーベキューが始まる。

何故だか打ち上げ開始とともに、焼肉用のお肉がソールドアウト、肉の味が染みている茄子やもやし、キャベツを食べる。

焼き肉を食べることのできた人間はわずか数名だそうだ。

それ以外の料理も充実していて、基本スタッフ用のまかないなのだが、郷土料理が中心でとてもおいしい。

ある意味、実家を越えて郷里の良さを体感させてくれるのが、この料理だ。

吾妻光良さんや蔡忠浩(bonobos)さん、アンサリーさんや打ち上げに参加されたアーティストがキャンプファイヤーのそばで弾き語りをする。

交渉役のTさんがアーティストにこそこそと近づき耳打ちすると、そのアーティストは数分後に腰をあげて歌う。

打ち上げは、イベントと違って延長時間に制限はなくアンコールが続く。


来賓(スタッフの友達の一人)が「朝霧みたいだよ。いや朝霧越えてるよ」と呟いた。

朝霧とは正式名称「朝霧JAM」というイベントで富士山麓で開催される。野外音楽フェス好きのなかでは、熱狂的なファンが多いことで知られ、駐車場付き入場チケットは、発売開始とともに売り切れるほどの人気だ。

楽天スーパーセールなどで、素人がどうあがいても良いアイテムが発売開始とともに売れきれるのに似ている。発売同時とともに購入ボタンを押すプログラミングが出来る人に頼むしか無い状況だそうだ。


そんなイベントと比較されるなんて、大宴会もすごくなったもんだ。

そして翌朝9月21日、H君K君の車に便乗し東京へ戻る。

束の間のリトリートが終わり、またも終わりの見えない本作りが始まる。

<2015.11.23>

85回「音楽フェス巡礼その1-大宴会in南会津2015-」

今年の9月~10月はとてもドタバタしていた。

9月14日~18日、北海道で書店営業をしながら、本の編集チェックをすることとなった。

デザイン担当は出発直前にこんなことを言ってきた。


「本当にこの状況(を投げ出して)で北海道に行くのか?」


確かに、その通り。


なんとなく観光の匂いが漂う北海道に行っている場合ではないのだが、仕事だから仕方ない。

職場は人数が少ないため、1人が複数のタスクを抱えることが多い。

かつてインドにパソコンのディスプレイを風呂敷に包んで持ち歩きながら、ツアーガイドを務めた先輩を思い出した。

現地で必要となるはずのディスプレイは、旅の邪魔にはなるが役に立つことは一度もなかったそうだ。

「二兎を追う者は一兎をも得ず」を痛感しながら、兎の耳ぐらい得たのではという北海道営業だった。


帰京する飛行機が遅れに遅れ、東京に着いたのは夜遅く、帰宅したのは深夜2時。

その翌朝、9月19日(土)5時に起きて、ゆっくりと進む中央線で東京駅に行き、乗合いの車で福島県南会津郡へ向かった。


何で「暇」と「多忙」がバランスよくやってこないのだろうかと思う。


今年で6年目の野外音楽フェス『大宴会in南会津』にスタッフとして参加するためだ。

シルバーウィーク初日ながらも目立った渋滞のない東北道、そして晴天の空に心も晴れやかになる。


仕事から一旦離れ、リトリート(小休憩)だ。

毎年、作業が遅れ気味で慌ただしいのが大宴会前日なのだが、着いた頃には、あらかた作業が終了している。

今年の出演者は、


アンサリー、bonobos 、おおはた雄一、DJみそしるとMCごはん、吾妻光良トリオ+早﨑 、cluè、トーテムロック


という面々、例年の中では豪華な布陣だ。

「豪華だから人が集まるだろう」と胡坐をかいた部分が多少あったせいか、広報活動がやや遅れ気味となった。6年やって、評判も良いが、知る人ぞ知るイベント感から脱却できずにいて、なかなか今年も人が集まらない。うーむと思っていたら、イベント1週間前から急激にチケットが売れ出したそうだ。


参加者の心理状態を読み解くならば「穴場のフェスならば1週間前でチケット購入は十分だから天気予報を見てから決めよう」そんなところではなかろうか。


夕方。もう大丈夫だろうとほっとしながら会場(ただの野っ原)を散策し、装飾用の旗を木につるそうとすると、幹に開いた大きな穴を発見する。

その穴からスズメバチが何十匹と出たり入ったりしている。夏場の生ごみに蠅が集るがごとく、ハチがぶんぶん飛び回る。

この木の下でシートを敷き寝そべって音楽を聴くお客さんも毎年いるのだが、完全防備したMさんがダイナマイトみたいなものを持ってきた。

これを投げ込むのだそうだが、一言二言の話し合いののち業者に頼むこととなった。

あっという間に前夜祭の時間が来て、よく酒を飲み、スタッフのIさんに気がつけば部屋に運ばれていた。


イベント当日9月20日、晴れているが、ピーカンという程でなく、少し雲がかかっている。

暑過ぎず寒すぎずだ。


今年も担当は「衛生班」で、ゴミ箱の交換とトイレ清掃が役目だ。

例年ならば排水タンクが臨界に達すると、バキュームカーを呼ぶのだが、今回そのトイレは使わず、少し離れた水洗トイレを使用いただく作戦のようだ。

オープニングアクトのcluèこと藤本君は、数年前からの友達だ。

私が出演した短編映像の音楽を担当してくれ、歳も一緒だ。

cluèの登場に合わせ、その界隈の仲間たち5、6名でやってきた。

会うなり

「イガチョ(私のあだ名)の兄ちゃんが立ち上げたフェスなんだって?」

と言われ、戸惑う。どこでそう湾曲したのか。

確かに実行委員長の苗字は五十嵐、私も五十嵐だ。

スタッフに五十嵐も複数いる。まあ仕方ないか。


今回は、ゴミ当番以外にネット記事の取材も兼ねているので、合間を縫って、出店やワークショップを巡る。

2年連続でH君家族とK君カップルも参加してくれた。

ありがたい。

H君とその息子を記念撮影。

遠くでbonobosが聴こえてくる。

ここ数年、私はかなりbonobosが好きだ。

そして「DJみそしるとMCごはん」が二人ではなくソロだと初めて知った。

音楽ライブをしながら、実際にアイスクリームを作るパフォーマンスに、客が大いに盛り上がる。

毎年の定番になりつつある吾妻光良トリオで夜になって終演。

毎年、客として来ていて、今年はボランティアスタッフで参加した方がこう呟いた。

「やっぱ音楽聞きながら、広場で寝そべって、そして、酒が飲めないのがスタッフのつらいとこっすね」

確かに、その通り。

終演後、スタッフの祭りが始まる。

<2015.11.18>

84回「演劇から遠く離れて(王子へ)」

 最後に演劇の舞台に立ったのはいつだろうか。

 友人の結婚式で落語をしたのは2013年だから、震災前に遡る、いやそれどころか8年くらい経つ。

 出版社で働き出すうちに遠ざかっていった。演劇を続けている人に賛辞を送りつつ、自身からなにか情熱、のようなものが欠落したのだ。境界線もないまま、ゆっくりと演劇との距離は遠ざかっていった。

 最近は観劇すらほとんどなく、友人からの誘いに対し、どうお茶を濁そうか、もしくは返信しないか考えることも少なくない。

 今村君という近からず遠からざる友人から舞台の案内をいただき、何となく見に行くことにした。

 本当は何となくではない。僕には下心があった。真の目的は「伊藤」というラーメン屋。

 かつて赤羽で入った煮干し系の店で、シンプルな中に深みのある味で、食べた直後は気にもならなかったが、しばらく経ってもう一度食べたいと思うようになった。

 赤羽はラーメン一杯のために向かうほど近くはなく、行く機会もそうそうない。そんな折、気づいたのが赤羽「伊藤」店主の父が作っている元祖「伊藤」が王子にあるらしい。

 伊藤が先か、今村君が先かわからぬが、土曜の昼十四時の回を予約させていただいた。

 中央線で神田、それから京浜東北線で王子へ向かう。

 グーグルマップで「伊藤」を調べると、駅からえらく遠く、気温もえらく暑い。バスに乗り換え、三つ目の停留所で降り、路地を歩いて数分、注意していないと見過ごしそうな、ごく普通の店構えの「伊藤」があった。

 行列もなく、注文もスムースだ。肉ソバを注文し、つるっと一杯あっという間に食べてしまった。

「あれっこんなに美味しかったっけ?」と記憶を疑うほどだ。

 そこからゆっくりと歩いて演劇へ向かった。

 目当ての今村君の主宰団体「Mrs.ficitons」は、6つの団体が15分ずつの短編作品を一度に上演する『15 Minutes Made(フィフティーンミニッツメイド)』

という公演スタイルで続けている。

 今村君は主宰なので途中のアナウンスなどをする。

 隣の席の演劇関係者らしい女性が「あの司会してる人、何かバランスがおかしくない?」「どこかおかしいよね」とささやき合っている。

 本編には全く関与しない司会の今村君を、よく見ると確かに細く鼻も英国人男性のようであり、非常に足も細く、不思議なバランスをしている。さくらももこの漫画『COJICOJI』の登場人物にいそうだ。

 四本目の作品が、一番洗練されていた。劇団員時代は終演後に知合いに会うのが、苦手だったせいか、この日も今村君に挨拶もせずに劇場を後にした。

 足早に退場しながら、周囲を眺めたが知合いらしき人は、一人もいなかった。

 時は流れるものだ。

<2015.8.31>

83回「秘密の花園」

電車の連結部分、ここが一番居心地がよい。

電車もない田舎に生まれたものの、寿司詰め状態での通勤生活。

これはなかなかしんどい。

そんなとき、気づいたのが連結部は空いているということで、いささか気分が良い。

イヤホンをしなくとも、音楽も動画も大きな音で聴ける。

何でみんな連結部に乗らないのだろうか。


他人から聞いた話では、事故があった場合、最もクシャッとなりやすいらしい。

ただそんな確率、日本では極めて低いだろう。列があれば列に並ぶ、マジョリティーに弱い。そんな理由ではなかろうか。


坂口恭平さんのモバイルハウスに深い感銘を覚えた(借家に膨大な金を払い続けるシステムに疑問をもった)人でも、実行に移せる人は少ないはず。


ただ、満員電車で死にそうな人には連結部をオススメしたい。

サーフィンやスノーボードの練習にもなります。

<2015.07.09>

82回「千葉のとあるイケメンの悩み 2」

仲間数名で「モラハラを訴えた嫁が悪い」か「浮気されたイケメンが悪いか」と議論してみた。

8対2で嫁側が悪いだろうという結果だった。

が浮気8段は、「イケメンに非がある」と説く。

「携帯を見て、気づいてしまったその時、盗聴器を仕掛け時点で関係は終わっている」

端的に言えば、「旦那が自分でピリオドを打った」のだそうだ。


なるほど。

誰でも恋愛に限らず誰でも少しは欲があって悪さをする。

それがどの程度まで許容できるかは、その人の匙加減だ。

イケメンが「浮気してんじゃないの?」くらいだったら、修復できたかもしれないが、盗聴は、終わりのはじまりなのだ。

ある線を越えたら、崩壊するものがある。


ここからは私の見解だが、その線引きが年輩の方が上手い気がする。

キレやすい若者なんて言葉がブームを過ぎて久しいが、即時性を求める今は、見えない線を気にしない人も多い。イケメンは正論で走ったのだ。

正論は悪縁を絶ったのかもしれないが、結婚の終焉を生んだ。

人生は難しい。

<20150605>


こんにちは土地81「千葉のとあるイケメンの悩み」

とある千葉に住むイケメン(30歳くらい)の話です。

小さい子供が3人(5歳、3歳、1歳)いる家庭のイケメン夫が、奥さんからモラスハラスメント(精神的虐待)で離婚要求を受けました。

本人は何故だかわからない。子供の世話もするし浮気もしていない。

なぜだろう?

友人たちの推理が始まった。

「本当浮気しているんじゃないか」

「奥さんでなく子供を溺愛してしまった」

有力な説が二つ浮上。

あなたはどう思いますか?


確認の結果は、、一つ目の答えは×で二つ目は△。

奥さんに「愛してるよ」というLINEメッセージが他の男から届いたのをイケメン夫が見たらしい。

奥さんは浮気を否定した。

イケメン夫は不審に思い、車に盗聴器を置いた。

そこで判明したのは、奥さんがお金を払い昼間託児所に子供を預けてラブホテルに行っていた、知りたくない真実。

奥さんは夫のモラルハラスメントが原因だという。

あなたはどう思いますか?


続きます。

<2015.3.15>

こんにちは土地80「2015年、冬の風物詩『高校サッカー決勝』は国立競技場から埼玉スタジアム2002へ」

昨今、海外サッカーがすぐ視聴できるようになって、日本のサッカーレベルが上がったような気がしていたが、勿論そんなことは幻想だったとブラジルワールドカップで露呈された。

現実を知るというのは大事なことだが、とても辛い。
個人的にもサッカー熱が幾分か冷めた。

1月12日(3連休の最終日)
所属するフットサルチームのキャプテンKと男2人で、高校サッカー決勝を観に行った。
Kももうすぐ40歳、去年のフットサル活動は新年会と忘年会と練習が各1回と残念な状況だ。
フレッシュな若者を見て、おじさんフットサルも奮起せねば。
最寄りの浦和美園駅は、人また人という混雑ぶりで、3年前に国立競技場で観た時の倍ぐらいに感じる。
駅からスタジアムの1.2kmの道は、高校生、中学生で溢れ、時折大人が混じる。
高校生にとっては、同世代でもっともレベルの高いサッカーを見れるチャンスだもの、そりゃ集まるか。それにしても多い。

面白い試合を期待する。
星稜(石川)と前橋育英(群馬)の対決。
Kは埼玉出身なので同じ関東の前橋を応援した。
私は家を出る前になんとなく「星稜」と決めたが、つまりは面白いシーソーゲームが見れればそれでよい。逆転につぐ逆転、2対3とかがいいな。

両校入場の時の一場面。
前橋の選手は普通にグラウンドに入るが、星稜の選手は一旦立ち止まりピッチに向かって深々とお辞儀をしている。
それから星稜応援席の前に移動し「よろしくおねがいいします」という風にまたもお辞儀をしている。そんなことをしているうちにウォーミングアップの時間が終わった。結局、強いのが勝つのがサッカーという弱肉強食の世界だとは思うのだが、その些細な礼節を重んじる星稜に私は肩入れし始めた。
キャプテンは
「星稜の9番ムチムチしてるね、いやそうでもないか、でもやっぱりムチっとしてるかな」
と1人の選手に注目したようだ。
始まってすぐ星稜がPKで先制、守備も安定している。
群馬も我が故郷福島の隣県だ。もっと頑張れ。
俊敏性のある左利きのFWが惜しいシュートを放つが、星稜DFは固い。でかく見える。

前半が終わる頃には、私の足先の感覚がなくなりつつあった。
日陰の観客席はとてつもなく寒く、元旦にスキー場で味わった感覚をまさか埼玉で味わうことになるとは思わなかった。尿意までもよおしてきてトイレに並ぶも、長蛇の列、用を済ませ客席に戻ると後半が始まる。
驚く程、客席が埋まっている。電光掲示板には入場者数4万6千の表記、そりゃあ混むはずだ。
そういえばビールを飲んでいる人を見かけない。飲酒は20歳からだものな。

前橋の動きだしが早くなった。
あれよあれよという間に2点を叩き込み、逆転だ。
星稜の監督が大会前に交通事故に遭い入院中で、監督代行が大会を通じて指揮をとっている。
ここで星稜が勝ったらドラマみたいな話だと思っていたが、そうは問屋が卸さない。
我がキャプテンも応援するチームが逆転したので
これでチケット代2,000円しないのは、素晴らしいね」
と喜んでいる。前橋強し。
星稜もゴール前までは行くんだけどなかまか難しい、こりゃ奇跡はないかなと思っていると、右サイドで星稜10番が切り返し、左足でファーに上げたクロスを3番がヘディングでゴール。同点だ。3番はDFのはずであり、何で最前線にいるのか謎だがすごい。
興奮と反比例して手の指先の感覚もなくなってくる。カオスだ。地味だけど客席も寒さと戦っている。
Kは「延長だったらどうする? 帰る?」と言ってくる完全に寒さに負けている。
「いや、一応、最後まで見ましょうか」
「しかし寒いね」
「やばいっす」
ピッチの選手の10分の1でも、我々に情熱があればフットサルチームは強くなるだろう。

案の定、延長に入った。
そして9番がゴール。Kが推薦するムチっとした選手がゴール。
「あの尻はやると思った」と言っている。さすが、我らがキャプテンだ。視点が違う。
私の希望スコア2対3だ。星稜が高校生にして既に狡賢く相手陣地のコーナー近くで、時間稼ぎのボールキープに入った。周囲の中高生から文句が聞こえ出してきた。
ああいう姑息な手はやりたくない」
「卑怯だ」とか。
それはちょっと違うんじゃないか。確かに面白くはないと思うけど、ここで勝つことを優先しないと」と思って静かに聞いていた。
そうかと思うと、キープから一瞬の隙をついて星稜9番がミドルを決めた。勝負あった。Kも誇らしげだ。
終了のホイッスルと同時に席を立って素早くスタジアムを後にした。現金な人間は他にも大勢いて、帰宅する人の波に帰りも飲み込まれた。
いいものをみた。
<2015.1.14>

こんにちは土地79「2014東京↔2015福島」

2014年12月30日、もうすぐ豊洲へ移転するという築地へ行ってみた。
早起きし、凍える寒さのなか、眠い目を擦りながら、築地市場へやってきた。
両手にカニ、イクラ、シャケと正月用食材を持って既に帰宅しようとする人とすれ違う。早い。
改札を出てわずか数百メートルで人の波に飲み込まれるが、新宿等の混雑と比べると気分は悪くない。縁日の賑わいのようだ。
円安の影響か、やたらと外国人観光客が目立つ。
テレビで見慣れた市場の風景も、実際に場の雰囲気を体験すると別物である。活気を肌で感じる。
塊りから花弁の形状に削られゆく鰹節作りの実演の前を通ると、匂いが飛んできてお腹を刺激する。

築地場外は小売り店が中心で、その名の通り場内には市場があり、卸しの店が並ぶ、ディープな世界だ。
蟹もイクラもマグロも溢れださんばかり。

操縦席と荷台だけの乗り物「ターレットトラック」は、スターウォーズやドラゴンボールに出てきそう。見とれていると、後方から飛び出してきたチャリンコにひかれそうになる。荷台の大きい古いタイプで、これがまた格好よい。

最も短い列の寿司屋の列(そうは言っても6、7組待ち)に並ぶ。
いよいよあと1組で店内に入れると思ったら、横からスッと東南アジア風のカップルが割り込んできたので「先に並んでいましたよ」と伝えると立ち去った。


年末に怒らずに済んでよかったと思っていると、隣の親子丼の店に並ぶ列が、ずずっと動く。
列を間違えていたのは自分たちだったかも。平行に2列があったので、誤ったのかもしれないが定かではない。
そこへ先ほどの東南アジアカップルが、「やっぱり私たちは最初から並んでいました」と言って、私の前に再び入った。
「わかりました」と答えた。

定かではないが、あそこで怒らなくてよかった。


店内はカウンターのみ、そのカップルは私の隣で写真を撮ったりはしゃいでいる。メモを出して次に向かう築地の店を確認している。
彼らは築地をとても楽しみに来日していたようで、いよいよ怒らなくてよかった。勘違いはおそろしい。

31日、神奈川の叔父(母の末弟)が福島に帰るので相乗りさせてもらう。

年の離れた中2と小6のいとこは深い眠りについたままだ。
10年くらい前、叔父は勤めていた焼肉屋が「BSE(牛海綿状脳症)」の煽りで、甚大な被害を受けたことをキッカケに、独立して居酒屋を始めた。
店舗選びが難航したようで、賃料も安く場所的にも悪くないが、所謂いわくつきの物件を選んだらしい。
店をかまえても3ヶ月くらいで潰れる例が続いていたが、背に腹はかえられずチャレンジをした。
するととんとん拍子に客もついてきて、ずっと好調だったが、震災で客が激減、ようやく2014年に入り安定してきたという。
いとこが眠ったままのおかげで、面白い話を聞くことができた。
家に着くと弟夫婦も合流し、年越しの宴会だ。


我が家では「ほとけさま」と「かみさま」を拝んで宴会が始まるのだが、実家における「ほとけさま」とは先祖のことで、どうも「ブッダ」のことではないようだ。
仏壇のわきにある神棚は何を指すのか。八百万の神様、自然崇拝なのか、どうなのかよくわからない。
曽祖父が作った2体の牛の置物があり、掛け軸もあるしダルマも飾ってある。

我が家の祈りはどこへ向かうのか。観察した方がようさそうだ。

1月1日

叔父といとこ達とスキーにゆく。ここ数年は貸切状態だ。

正月でこの状況だとすれば、平日は、どうなっていまうのかと心配になる。
1人ぐらい同級生に遭遇しそうなものだが、誰にも合わず。

1月2日

この日もスキー。

スキー場でもっとも高い位置にあり、急斜面の「伝上コース」を3年ぶりくらいに滑る。
急斜面は圧雪車が通ることができないので、雪深く整備されていないところが点在する。
よく未整地のふかふか雪を「ボホ」と方言で呼ぶ。そしてその雪の中を歩くことを「ボホを漕ぐ」という。
別のスキーヤーによって圧雪された部分とボホが混在する難コースだ。
右足は整備されていて、左足だけボホなんてことになると足がどんどん離れ出すので、足腰の強さがとても大切だ。
叔父はスキー検定1級を持っていて、なんなく降りていたその瞬間、ピキっと肉離れを起こした。
ロッジで救急隊員をしている叔父の同級生に応急処置を受けて、右足1本でゲレンデを滑っておりた。スノージェット(電動のソリ)は恥ずかしいそうで、さすがは1級保持者。

夜は祖母宅(母の実家)でジンギスカン。

飲んだり食べたりしていると便意を催しトイレで用を足す。
トイレットペーパー受けの上に無造作に赤ペンが置かれていることに気づいた。
いとこがゲームに使ったのだろうか、はて。
居間に戻り「赤ペン、トイレに忘れた人」と尋ねると、祖母が「ハイ」と答える。
どうやら忘れたわけではなく、常備していたらしい。
大便が出た日に〇をつけて、カレンダーにチェックを入れるそうだ。
とりたてて変なことではないが、笑った。
赤ちゃんと老人ってなんだか似ている。

1月3日

東京に戻る。 

本年もよろしくお願いいたします。

<2015.1.5>