9/9 インドへ 序

世の中には2種類の人間がいる。
インドに行ける人間とインドに行けない人間である。
                           三島由紀夫

冬にインドへ行くことが決定した(仮)。

会社より、ボーナスかインド旅行かの2択を迫られる。勿論、インドを選ぶ。
その方が会社で時間を過ごすより、刺激が多いであろう予測が立つ。人ごとに日常は違う。
患者を診る医者の日常、毎日忙しく現場を駆け巡る新聞記者、プロスポーツ選手、映画俳優。どのような職種にも惰性の影は忍び寄るように思う。
また職人と呼ばれる人がルーティンで働いているのかというと、そうではないだろう。同じことをしても瞬間ごとに細かな観察を求めれば、繰り返しの道程も必ず別物になるであろう。
と言いつつ、てっとり早いのは旅に出ることだ。緊張感を保つことで惰性は免れるだろうがしかし、2009年8月度、五十嵐本屋大賞『OUT・桐野夏生』に出てくる主婦たちのように深夜の工場で埋没しないのはしんどい話だ。迫りくる退屈を打破するには勇気がいる。勝手に打破されるときもあるけれど、簡単なのは旅だ。
Road to India.
そして今日の昼時、近くのフットサルコートの脇で弁当を食す。すると雀が飛べずにいる。飛ぶでもなく、ただ体を震わせている。大丈夫かなと思い、近づいても逃げる気配がない。触っても逃げない。米粒、シャケの切り身を嘴に近づけても食べようとしない。全力疾走した後みたいに体全身で呼吸している。目に小さな蟻が入ったのをどけるのがやっとだ。目を閉じてもうすぐ眠りそうだ。
会社に持って行っていいものか迷い、「大丈夫でありますように」と祈り去る。
数時間後の夕方、煎餅を入れるカゴに包装紙をクシャクシャに入れミニ巣箱を作る。猫に食べられていないか心配である。郵便物を出すついでにコートへ戻り回収を試みようとすると、横向きに倒れ、足がピンと伸び目が少しくぼみ無数の蟻が山を作っていた。米もシャケも蟻がほとんど食べつくして塊しか残っておらず、その小さな塊もほとんど蟻で覆われていた。縦横20センチ程のエリアに雀の糞が3、4つ点在している。下痢つまり病死だろう。
何だか見殺しにした気分だ。インドには一体どれだけの死体があるのだろうか。冥福を祈る。しかし怖くなってきたインド。


あとがき・・・・・・

本当はプラスチックの弁当箱に入れて連れて帰ろうと思った。最初は本体部分に入れようと試みたがベトベトのソースまみれになるのも嫌だろうと思いやめ、次に蓋に載せると足がスケートリンクみたいに滑りすぐ転倒するのでやめた。コートの目の前にメンタルクリニックがある。動物は救ってくれないだろう。さすがに今日の気温で蠅はいなかったものの、蟻があれだけ集まる時点で薄々もう駄目だろうとも思っていた。このことを人間(つまり自分と同じ種)に置き換えるモノは少ないだろうが、置き換えると苦しい。

これからは『山内君に惚れた人々へ』『荒川に惚れた』『インドへ』のローテーションで回す予定でございます。惚れた人を読み返すと中身がない回、笑いの回、哀しい話の3種類くらいに大きく分けられることに気づいた。

9/22 インドへ1 インドへの案内人 「ミツハシ」

落語研究会時代の後輩にいきなり連絡をしてみたらアポがとれた。

名前は「ミツハシ」、詩人の子供である。

3人兄妹の末っ子の彼は父が詩を作っていたことを知らない。知らないと言えば嘘になるが、厳密にはサラリーマン時代の父しか彼はみたことがなかった。彼が大学1年の時、父は亡くなり葬儀に集まった昔の仲間がうちあける父のエピソードから彼は父を知った。
すげーいい話で、大学4年だった俺は泣きそうになった。
そんな彼は今首都大の院に通っているそうで「在日インド社会」の研究をたまたましていた。
ラッキー。
彼から東京にもインド人街のようなものが西葛西にあることを教えてもらった。
よし今度行こう。

 


その前に落語研究会1個下の後輩・晴子(♀)からケンジ(こいつも1個下の後輩)に会いに行きませんかという連絡が来たのでシルバーウィーク最中に水戸へ向う。
ケンジは常に精神安定剤を携帯し、彼は会社へ通う。
再会してその足で1件目の居酒屋、そして2軒目にキャバクラへ行く。
「あたしだけ帰るなんてそんなんつまんないじゃないですか!」
パンクな男疑惑女・晴子と3人で水戸の歌舞伎町と呼ばれる大工町へ向う。
しかしまだ21時前で早すぎる。
驚くほどかわいい水戸の女の子。
俺はチャーリーに連れて行かれた小岩のクソスナックしか知らない。はしゃいでしまう。
横を見るとすぐに電話番号交換を始める晴子。
女の子が席につくと
「何でも好きなの飲みなよ。何がいい?」と気遣いを見せる晴子。
「お前ほんとは南アフリカの選手やろ」
と突っ込みを入れる。
すごいぜ晴子。
それを凌駕するケンジのカラオケ。
聞き慣れたメロディーが鳴り響く。

『スリラー』(Thriller)

ゆっくりと席を立ちあがり踊り出す。姿勢を整えるケンジ。
「でーでーでー♪ ポー」
残像が残るような踊りと「ポー」としか歌わない。
ユッキーナ(ケンジの指名)が別の客前で踊る彼を引き戻す。何度も立ち上がり
「ポー」を連呼しまくる水戸のマイケル。
水戸のマイケルの踊りは何かを思い起こさせる。
寿町フリーコンサートに集う人々の踊りだ。
友人のエハラが世界で1番のコンサートと称していた。
この日のケンジの踊りはキャバクラ嬢の一部(ユッキーナ)に失笑を、他の客に爆笑を巻き起こしていた。

日ごろの鬱憤が汗腺から蒸発し、生命力があふれ出る。
水戸のマイケル恐るべし。
何度か警告をしたがマイケルの勢いとまらず、数回の延長を繰り返し料金6万8千円にいたる。
翌日、マイケルはケンジに戻り記憶がない。
ケンジ家は非常に良い雰囲気に包まれいた。
家族構成は両親と犬クロと本人。そして横浜で働く妹。彼の母は縫物のスペシャリストで『サボテン』というバンドをしている話をしたらぬいぐるみのサボテンをくれた。
昨夜の嵐が嘘のようだ。サボテンかわいい。
インド最初だけやないか。

11/1 インドへ3 『パスポート』

そういえばパスポート切れていたらどうしようかと思い探すと2005年7月に取得したものがでてきた。懐かしいし、もう切れそうだし。友人のレナ嬢が先月1人インド旅に行ってきた。1年前もマサエ嬢が女2人で行った後、海外青年協力隊でザンビアに巣立って行った。ようするに俺、びびりすぎってことで、女の子に負けてられないわよ。


のほほんと楽しんでくるかと思い始めた。


こわいとは何か。不安とは何かという問題はどこへ行っても付きまとうのだろうが、NG行為をしないようにすればよいと思う。
地雷という単語について。
1.カンボジアにある踏むと火が出る爆弾。
2.他人が怒りだすような禁句。


まどっちにしろ踏まない方がいいのが地雷だ。そして踏んでしまうのが僕である。話していると突然、不機嫌になる人がいる。けっこうそばにもいるものだ。
また書くと鎮火したはずの休火山が活火山に戻るので要注意だ。
また地雷を踏むにはどうすればよいか書いてみる。


1.相手にとってネガティブな本当のことを言う。


地雷を踏むならこれに尽きます。気づいていないようだけど実は当人が無理矢理に無意識下に押し込めていることですから劇薬です。


2.相手の近しい人(懇意な人)を中傷する。


2番を言うと、名台詞「俺(あたし)はいいけど、この人のことは許せない」が聞ける可能性がUPします。2番は面白くてA君がBさんを好きだと知らずに、「Bさんてブスだよねー」等言うと顔の表情が曇りだします。


3.トンチンカンなことを言う。


これは私に多いのですが、これがなくなると意気消沈してしまうのですが減らしたいと思います。
つまりパスポートも地雷もどこにも落ちているわけで、注意して人生を歩いて行こうと思います。これで親戚にも友人にもけっこう嫌われてしまいました。
書いて行けば切りがないですが、地雷をふまずに色んな国を駆け巡りたいと思う今日この頃。


しかしながら地雷があるとわかっていてその道を進む人には敬意を払いたいと思います。
格好いいんだよな格好が。
そう言う人はたいてい優しい人です。

11/4 インドへ4 『壁』

1『言葉の壁』
昔、小笠原諸島は父島にあるユースホステルに泊まった際、4人の若者と知り合いになった。都立大(現・首都大学東京)で植物の研究をしてるガール、地磁気の観測に来ていた気象庁のボーイ、福生のろくろ回しガール、海洋生物の研究してる青年、どの人も個性的な方だった。
記憶に濃いのは気象庁のボーイ、アジア系民族衣装に包まれ容姿はどうみてもヒッピーだった。
「ボディーランゲージさえあればどこでも行けますよ」
当時は何か格好いいことを言うあんちゃんだなと思っていた。

それから1年後、精神科医のF先生がおフランスにいた時の話。
「八百屋で頑張ってフランス語をしゃべろうとするより、日本語でトマトちょうだいって言う方がね通じるんだよね」

つまりは言葉の壁は自分で作った壁だってのと、思考と気持ちは別で後者を使った方がよいうことだ。
僕は記憶力が悪く、演劇の台本を憶えるのが苦手であった。憶えようとすればするほど、悪循環に陥り覚えられず、結局だいたいこんな感じでしゃべるという風に舞台に立っていた。
徐々に経験を重ねて幾つかの例が法則に変りつつある。


でつい先日、ベストセラーの作家先生の話。やっぱりコミュニケーション(関係)で覚えるのが一番よいという話だった。それは矛盾が少なくて、口語と文語どちらが先にできたかとう話に通じた。つまりは話すがあって後から文字、そしてグラマーができるって話。妙に納得いったのであーる。
つまり解釈を別角度から観ると、文法知らずにやりとりで覚えた日本語(母語)よりか頑張って覚えようとした異国語の方が苦戦する確率が高いのだもの。

つまりは綴りレベルで考えなければどってことねーってことだ。

2『辛さの壁』
最近、インドの辛さにおびえつつある。だから日本で辛いもので鍛えるのだ。
カレー屋『エチオピア』70倍、次の日に腹部と肛門に激痛走る。
しかしながら『CoCo壱番屋』の5辛は多少お腹に来るが次の日、歩行できる範囲。
両店とも店側の初回臨界点である。単位が違うのは気にかかるが行くまでに試さねばと思う。


3『現実という壁』
何か会社の都合上、行けるのかどうかという問題が浮上した。インドなんて誰でも行ける時代になったかと思ったら2週間前にきてそんな問題でてくるのかと驚いた。世の中、常に変化しっ放しなんだ。うわー三島さんの言葉が効いてくるよ。


あべこーぼー読んでる場合じゃないわよ。

11/28 インドへ5 「出発」

ちょうどこの話がUPされる頃は飛行機でしょうか。

遺書のつもりで書いてくれと編集長に言われたものの、わずか一週間弱の旅で死んでたまるかと思う。
もうすぐ28歳が近づく。最近「変わった」とか「変わらない」とかの話題が持ち上がる。しかしながら少しずつ変化していっている。みんな死が近づいているのだ。
昔からよく思っていたことがある。それは死を意識した方が頑張れるというか、やる気が出るのだ。テストがあれば制限時間くらいは必死で問題を解くものだが、やたらと長く思える寿命とかになると、死をそれほど意識しない生き方をする。
死ぬ側から見ると人生は生き生きと思える。
でも思考の罠にかかると生きてるのか死んでるのかわからなくなるから、五感を使ってみて来よう思います。
それでは。

12/10 インドへ6 「インドだ」

いよいよインドだ。飛行機に乗る。人生2度目の海外旅行。飛行機に乗ってもまだ不安だ。本当に行ける身分の人間なのだろうか。親や友人達に感謝だ。とてもありがたい気分になるのと同時に右の肺が痛みだす。気圧の変化に右の肺は弱いのだ。


前半は会社主催の、50人規模の仏教遺跡を回るツアーで、旅行半ばで1人帰国というのが今回の日程だ。
インディラ・ガンディー国際空港へ着く。虫が思ったより少ない。カメラマンのAさんから「まだ中心だからね」と教えられ赤面する。夜8時、バス3台でホテルへ移動。地面がゴツゴツしているが、アスファルトのようだ。そうかまだ中心だからか。砂埃が多い。
ホテルへ行ってビュッフェスタイルのうまいものを食って、いい部屋で寝る。これがインドなの? こんなの俺の思い描いていたインドじゃねー。喧噪と雑音、雑踏、人種のサラダボウル、そんなインドがみたいのだ! と思いつつ就寝し1日目が終わる。
翌朝、ホテルの前に「マネー」といって手を差し伸べてくる女の子が立っている。ツアー客の1人がお金をあげると移動した。所謂、物乞いにも本物と職業の2パターンがあるらしい。


すぐに国内線でヴァラナシへ移動、そしてサルナートというお釈迦様が初めて説法を説いた場所にて、50人でお経を唱える。タイのお坊さん、中国のお坊さんの集団もいる。ここはヒンズーの国だけど、やっぱり仏教にとって聖地なのだ。
何度も思った。これがインドか。1人で回りたい。脱線したい。脱獄したい。飛び出したい。そんな欲求が高まる。でもツアー50人の顧客の安全が第一か。五感どころかゴチャゴチャゴチャゴチャ考えてばっかりだ。そんなこと言いつつもバスの窓から見える風景が時々、異世界のように見えてこわい。
2日目が終わる。このままでよいのだろうか。朝、ガンジス河へ行く。噂で聞いた汚さは感じない。沐浴したくなる感じもわかる。緩くて暖かくて落ち着いて心地いい。

あー僕はインドに来たのだ。やっと旅が始まった気がした。

12/13 インドへ7 「はじめての寝台列車」

ガンジス河はとにかく僕を魅了した。とけそうになった。そして50人とはここでお別れだ。バス3台が次の遺跡へ出発する。楽になったが寂しい。
別に誰と親しい訳でもないツアー、それでも寂しさは感じるとは不思議だ。

インド人ガイドのグプタさんが来てヒンズーの寺に行く。入り口で木製のコップに入ったミルクを購入する。
奥へ進むと柵の中にシヴァ神の像がある。ミルクと賽銭を柵の中の人に渡すと、シヴァ神の頭からミルクを流してくれる。グプタは言う。
「それ飲んで下さい」
郷に入れば郷に従えとは言ったもので、シヴァ神の像の台座から流れるミルクを柵から手を伸ばして飲む。
シヴァ、ブラフマー、ビシュヌ。

創造と破壊の神、世界創造の神、維持の上、そして3億3千万の神様。日本の八百万信仰と似てそうだ。
それから町を少し歩いて駅に行く。こんなに人の多い列車に乗るのは、はじめてだ。列車は夕方16時45分発のアグラ行きの予定だが、列車が遅れている。待っている間、赤くないグァバを食べる。写真をたくさん撮る。カメラが珍しいのかこっちを見ている。
何枚か撮影する。
「音楽は聴けないの?」
と聞かれるが、i phoneの使い方がまだよくわからない。十人くらいの家族のお兄ちゃんらしき若者が僕に何かを言っている。
「一生かけて買うよ」
って聞こえた。
19時を過ぎてやっと列車が来て乗る。昼のミルクの影響か腹が緩くなる。軽い下痢になる。そして初めて左手で尻を拭く。最初慣れないが手動のウォシュレットみたいなものだ。
フランス人旅行者のカップルが、チュウをしている。
そういえばインド人はペットを飼わない。犬や猿や牛がそこら中にいる。ペットを愛玩動物とも言うが、時々、代替動物のように思う。何かの代わり。インド人は日本人が代替してしまっている大事なものを持っている気がした。
『人間失格』を読みながら眠る。ほんと恥の多い人生だ。

 

12/14 インドへ8 「短い旅」

寝台車で3度くらい夜中に目が覚めた。僕の眠った上段は窓がない。
アグラ到着は2時間遅れの午前7時半につく。寒い。
噂の名所、タージマハルへ行く。誰が見ても誰が撮影してもタージマハルは美しいとはこのことかと実感する。イスラーム建築は幾何学模様で、生物は植物までで人物は描かれていない。それに対しヒンズーは生命力あふれて様々な動植物が色鮮やかに描かれてている。横尾忠則さんの絵を想起させる。
宗教は生活を覆っている。美しい文化を形成するのかと思うととても素晴らしく感じる。時々、文化人類学とか民俗学のある学部にすすめばよかったなと思う。幼少の頃、寝る前に親にグリムやらアンデルセンやら日本の昔話を聴かせてもらった。そして小学生の頃にインディージョーンズを観て考古学に憧れを抱いた。そういった意味でインドは研究対象の宝庫だ。
行く前にパラパラ読みしていった『悲しき熱帯夜・レヴィストロース』に少しだけビルマ周辺の仏教徒の村とインドの喧騒についての対比的な記述がある。それは僕の誤読かもしれないし、生意気な意見かもしれないがレヴィストロースも神はいないこと、絶望的にも聞こえるが無常な世の中をあるがままに受け入れるというのに共感したのだろうと思う。しかしながら仏教はインドの生命力の前に飲み込まれてしまったのではないだろうか。
タージマハルは王妃が死んだ際に作った王の愛の証のお墓だ。愛の力はすごいなとも、何万人が過酷な労働を強いられたのだろうとも思う。ガイドのグプタさんを撮影。
その後、アグラ城へ行く。
インドは世界遺産がたくさんある。学生時代に自分で作った世界遺産研究会という名の飲み会サークルがフラッシュバックする。僕は上っ面人間だ。とほほ。
車でデリーに移動する際にジャイナ教の僧を見た。ジャイナ教の僧は全裸なのだ。笑った。ターバンを巻いている代表的インド人のイメージはシーク教徒限定らしい。なるほどね。
そういえばヴァラナシで三島由紀夫は牛の火葬をみたらしい。三島さんは最後、唯識や阿頼耶識といった考えに傾倒していったらしい。三島さんはインドに飲み込まれてしまったのではないか。
魅力はわかる。飲み込まれそうだ。でも飲み込まれたら帰って来れない。あと気づいた。他の国にも路地はあるのだろうが、インドはお香の匂いと音楽が湧くように溢れ怪しげな雰囲気に包まれているのだ。
あと1日で終わりか。

12/20 インドへ9「ゆるくて嘘くさくて正直な感じがする」

朝起きると早く帰って安心したいという気持ちともっとここにいたいという気持ちがあった。そこにグプタ氏が来て土産屋に行った。再三訪問する政府公認の土産屋。大理石の店、シルクの店、香辛料、お香、お茶、これで何件目かと思うと金がなくなっていてATMで金をおろす。何でこんなに高級な感じのする土産屋に行くのか不思議だったが、ガイドのマージンになることを後で知った。なるほどそういうことか。
勝利の塔へ行った。デリーの旧市街を歩いて最後にガンジーの墓に行ってほぼ日程が終了した。ガンジーの墓のあたりであることに気づいた。
カラスが日本より小さい。空高く飛んでいる鳥は鷹かと思ったが鳩だ。
日本の都心部のカラスよりも凶暴でなく、鳩も自由な印象だ。人間に好かれもしない代わりに必要以上に敵対視もされない。ただ飛んでいる。これは人間も同様だ。
カースト制度を中学時代に習った。バラモン、貴族、庶民、奴隷、不可触賤民という士農工商みたいな階級制度だ。見るまでのイメージは日本の差別感をターバンの国に投影したものだった。つまりけっこうどぎついのものではないかとか大変なんだろうと思っていたが印象が違う。日本のじめじめとしたものがこの国にはない。食う寝るやるといった根本的欲求には忠実な国なのだろうが、それ以上のものをあまり感じない。
1.ごちゃごちゃした思惑や雑念
2.純粋な欲求
この2つの混合物をうまく濾過することはできないだろうな。でも日本は1が濃くてインドは薄い。だから楽なのだろうと思う。


帰りの空港にて日本に仕事で行くインド人を紹介される。IT系でなく宝石系、勤務地御徒町の家族経営の末っ子。しかし税関で引っかかって金を貸してと言われる。くそったれ。仕方ないが金がないしATMはセキュリティーチェックの先だ。最後にインドに嫌気が指し、何かがこみ上げてきた僕はでかい旅行者の白人に話しかける。
「どうしたの?」と聞かれるが隣のインド人にむかむかしたから話しかけたとは言う事もできないし語彙力もない。
飛行機の出航時間が迫ると焦る。インド人、税関に連れて行かれる。めんどうくせぇ。待っている間にどんどん目の前を通り過ぎる。これで乗り過ごしたらまたネタが増える。次第に考え事が増えていく。結局、別の宝石売りのインド人が助けてくれる。
インドの入り口はやはり日本へ戻る準備をしてくれるのだろうか。くそったれ。飛行機にも間に合ったし。くそったれ日本にいた時に空港時点で戻っちまった。それでも彼のママが作った弁当のカレーをもらったが、それが最後で最初のインドのカレーっぽいものを食う。
終わりインドならだいたいインド。

コブラ使いのおじさんを撮影。

1/16 インドへ11 「終わり そしてこれから」

中々治らなかったダラダラ病。インド病とでも言おうか。別にインドに責任があるわけではないけれど、戻ってきてもしっくりこなかったまま正月へ突入し、少し経って回復の兆しが見えてきた。

そのきっかけは1月10日、上野鈴本演芸場に行ったからのように思う。落語研究会にいたにもかかわらず、編集長の方がずっと落語に詳しい。友人の結婚式で落語を披露することになった。落研の後輩に『初天神』を薦められ、初席期間中ならめでたい落語をやるのではと思い最終日に駆け込んだ。
小山治師匠がやってくれた。Youtubeで長瀬智也の『初天神』も鑑賞。
それとも夫婦の話で下ネタの話で面白いのがあったのでそれもいいなと思う。

11日インド土産を学生時代の相方に渡しに行ったらsomeone's gardenさんの事務所に連れてってもらった。

someone's gardenは書籍編集、映像制作、音楽もいろいろ作る西村さんと津留崎さんのユニットである。アートスペース兼事務所はとてもセンスのよさを感じる。入ると白く塗られた壁、壁に掛けられた牛の頭、マック三台、と青い拾い猫、天井に吊られた椅子。入口にsomeone's gardenが制作したり、関係者のチラシが置いてある。
目にとまったのが『犬式』というバンドのチラシ。犬式は解散直前のライブに幡野君と行って、とても衝撃を受けたバンドだ。犬式のPVも作ったらしい。西村さんは『TOKION』という雑誌のアートディレクターをしていたらしい。しゃべり方がアスペルガーチックだ。音楽レーベルを今度作るらしい。
突然「インドで聖人」というキーワードが出てくる。

あっもしかして佐々井秀嶺さんのことではと思うと、やっぱりそうで友人に佐々井さんのドキュメンタリーを作った方がいたらしい。佐々井さんは私が働く出版社でオファーをしようと思っていた要チェケラ人物だ。撮影された方の名は小林三旅さんとのこと。

それから『WE LOVE ARTISTS』(監修:サムワンズガーデン)という書籍を購入させてもらった。
これは世界中のアーティスとアーティストをはぐくむ場所アーティスト・イン・レジデンス(AIR)を、エリア別に紹介している。520もの場所と人とどうやってアポをとってコネを作って本にしたのだろうと感心する。世界どこでも売れるようバイリンガルに英語と日本語で表記。一冊購入して家へ持ち帰る。

12日22時、花園神社前交番に待ち合わせしてゴールデン街へ三旅さんがよく行く店へ連れてってもらう。幡野君も呼ぶ。三旅さん原稿か編集に追われ会えず次週に持ち越す。

時は遡り同日19時、青山ブックセンターにてCOYOTE No.40『谷川俊太郎、アラスカを行く』刊行イベントに参加する。トーテムポールの話が気にかかる。
谷川「トーテムポールってのは日本の仏像とかと違って土に還るからいいよね」
それはいいことだなと思う。 アニミズムはいろんな宗教、風俗の発端だもの。

隣村に100歳を超えて奥会津の民話を語るお婆さんがいた。遠野でも境港でもないのですが、どうやら自分の生まれた周辺は水や木やモノノケや精霊の類の話が多かったみたいです。同じ過疎化の村のクラスメートでも、好きなやつと関心のないやつがいたけれど、何故自分は好きになったのでしょうともの思いに耽るのでした。

時間は戻って12日22時。店には「河童」と呼ばれるほぼ全身麻痺のため左足の指を使うDJがおりました。彼は言葉は話せませんが、カップルに子供ができたことがわかると曲目を『こんにちは赤ちゃん』にしてくれるのです。素敵だ。

今年はより多くの人に会おう。刺激的な人に会おう。

さよならインド。
そしてさよなら今日の僕。

「インドへ」が終わりまして、今年はいろんな場所へ行こうと思うので「こんにちは土地」を不定期更新したいと思います。