荒川に惚れた1 リミットはあと半年

荒川区町屋に住んで1年と半年を過ぎた。
男3人でホームシェアをしている。ここは入れ替わり立ち替わり人が変わり、更新を重ね自分が第3期(借りて5年目から)のメンバーである。
もともとおばあちゃんの1人暮らしだったらしく何故かトイレが1F2Fにある。しかも2Fはウォシュレット。家賃10万円。


ぼんやりと話をした。何となく次の更新はないだろうってこと。
その話をした先週、ただそんなものかと思った。
「早くて12月に出るかも。恐らく埼玉の行田かな」とそれから1週間後ソデタニ君の口から出ると、いよいよか寂しさが沸き上がる。

 

今日は某テレビ局に就職した後輩(高座名・大学1年時ニクグソ)を連れ「モツ焼き小林」という町屋駅傍の名店に行った。
ニクグソの局でも取材したしく、是非ともということで入店。
ハタボーに初めて連れられて行ったのを思い出す。
「あれっオヤジさんかわったんだ」
彼の一言に前店主は恐らく生き字引のようないい感じの爺だったであろう推測と時代の移り変わりを感じた。
今日のニクグソに驚いた。随分とストレスが溜まっているようで、彼の愚痴は自分の脳ミソにも侵食してきた。
思い返すと大学を出て数年は自分も苦しんで、そういったオーラを出していた気がする。そんな時期も必要だろう。
しかし周囲を見渡してみると同様の悩みを抱えていても聞き手にまわる人間がたまにいる。そういう人はわりと皆から好まれる。
できればそういう人間になりたいと思う今日この頃。

荒川の風が心地好い。


そう言えば住み始めた頃、前の住人が酔っ払って深夜3時に部屋にきたことがあった。
「あ間違えた」
「間違えるかこのアホンダラ! 貴様の脳ミソが烏賊のゲソなんじゃ!」
というのを通り越し怖かった。

その人も多忙を極める人間だった。
「忙」とは文字通り心を亡くすことである。
多忙をアピールせず申し訳なさげに謝罪する人、これもまた好感の持てる人だ。
そうなりたい。

 

Viva la Arakawa!
綴りあってるんだろうか。
始めてきた日の夕日を載せる。2年前。

荒川にほれた2 『荒川のKyoto』

あそうだ電車に乗って谷中に行こう。

そんな時代が来ているのかもしれない。最近、外人さんがやたらと多い。
2002、3年頃、前の劇団の音響のFちゃんと割と仲が良かった。付き合っていたというわけではないが割といろんなところに一緒に行った。
Fは音大でピアノか何かを専攻していてゼミの打上げを教授行きつけの店で来てから谷中にはまったそうなで連れてってもらった。
「東京にも京都みたいなとこあんだよ」
今考えてもその時考えてもいい奴だった。

確かにいざ連れられて行くと三崎坂、団子坂に入り組んだ横道、寺、俺が好きそうなところだ。楽しい。
歩いていて猫の店を発見した。靴を脱いで店に入ると猫、猫、ネコ、ニャー、ねこと5、6匹はいた。その時はとても楽しく谷中銀座のビールも記憶に深くというか喉に深く刻まれている。

Fは宗教と音楽について教えてくれた。

それから数年後の2005年の夏にもやっぱり谷中に行った。そこで圓朝祭の落語会に行ったら、クジがあたった。浅草から出ている東京湾クルーズのペアチケットがあたった。
「イガチョ行く?」
「うーんわかんね」
みたいな返事をして、それから猫の店を探すも見つからず、最後に世界のビール置いてますみたいな飲み屋で、へべれけに酔っぱらい帰ろうとしたが池袋で終電が終わった。
当時朝6時から夜23時という絶望的労働時間の職場が東池袋の風俗街エリアの片隅にあったので、そこに忍び込んだ。何故かアルバイトなのに鍵を開けるのも閉めるのも俺だった。アイスとコーヒーをカートを引いて女の子が売るという仕事で、コーヒーを作って売り子に配給するのが俺の仕事だった。
Fは上福岡に住んでいたのでもしかしたら終電間に合ったかもしれないのに。
Fが携帯で真っ白の自分の手と真っ赤な俺の手を比較した写真を撮ってくれ貰ったが、しばらくして携帯が車に轢かれデータは消えた。
その年の終わりくらいにFは疲れたらしく鳥取に帰った。
「帰らないでよ」とも「好きだ」とも言わなかった。
Fは結婚して子供もできたようだ。
ちゃんとしないといけないことが世の中にはいろいろあるのだ。

書いていて泣きそうである。
幸せは己の手でつかまなければいけないことをいろいろ含め最近実感する。
とりあえず3歳児の頃の俺に戻ることを決意する。
破壊と全能の神へタイムトラベル。

荒川にほれた3 秋と冬の間の荒川

今日、友人数名が出演している舞台があり日暮里へ行く。地元の同級生の結婚祝いをする予定だったが順延になったためだ。
雨が降っていたので電車で行こうかと思ったが、乗り換えるくらいなら自転車の方が早い。ということで右手に傘、左手にハンドルも握り向かった。いつも職場へ通う慣れた道であるのに、一本道を隣にするだけで違う世界に迷いこんだ感覚に陥る。
町屋から日暮里へ向かうには三河島を通過する。昼間にテレビで製造の町として栄えた荒川の話が流れていた。これから製造はどこへ行くのだろうか。
産業革命、インターネット、そして最近のtwitter、cloudと時代とともにモノは流れゆくのだろう。2009年の夏くらいまで文化的に価値のあるものは残すべきだと思っていた。今も多少はそう思うが、仕方ないという言葉が喉まで出かかっている。
しかし出版業界で働く身分としては、キンドル(電子書籍)の波はどうなるものか。メールは手紙より思っていることが伝わりにくいという話も昔あったが今そのことを言う人間はほぼいない。痕跡や物質に固執する時代から離れつつあるのだろうか。そんなのが今年の夏まで嫌だった。何故なら寂しい時代への過渡期かと思っていたから、では寂しかった理由は何かと探ると古いものへの憧れに過ぎなかったことが発覚す。
古い町並みをわざわざ保存する必要も無理矢理に壊す必要もないように思う。
先日、朝6時に目が覚めると空が青かったので河川敷沿いをサイクリングした。その際、釣り竿を垂らす老人がいた。その視線の先には濁った水面から時折、ジャンプする魚が見えた。初めは錯覚かと思ったが、確かに魚だ。そうでなければ老人は痴呆ということになるだろう。濁り水に棲む魚、すごいな生命って。


と淡々と書きつつ己の心を探ってみた。
「荒川好きかのか自分よ」


「好きだけど、どってことねー」
それが今の回答だ。
好きや嫌いは執着という観点で似たものだ。ただ透明度は周期的に変化する。
今はちょぴっとLike荒川だ。


P.Sそういえば同居人のS谷君が清掃アルバイトをしていていろんなものを拾ってくる。
「すごいよ滅多に食べられないよ」
と先日も様々な地方特産お菓子を拾ってきた。
馬刺の煎餅を食った。少し高級な物乞いみたいなで気分で楽しい。

11/9 荒川に惚れた4 『荒川不倫日記』 

男性諸君。君達は母親の浮気をみたことがあるか?

まーこれはショックなわけです。父親ならば、同じ男だもの仕方なしというものがある。
エディプスコンプレックスなんてー嫉妬心とでもいいましょうか。

同居人とたまに飲み食いに行くことがあります。それは近所の定食屋であったり、居酒屋であったり、時には駅周辺まで足を延ばしたりします。

だいたい深夜0時くらいに家を出るので入れる店は限られ、全国どこでもあるようなチェーン居酒屋に入るのです。
ちょうどあれは夏の日で駅前のチェーン店に3人で入りました。
テーブル席3人で座り、私の背にカウンターがあり熟女50代と30前後の兄さんが良い感じで座っております。
袖谷君「何かめっちゃ男の方、手-さすってるね」
幡野君「うん。でもあの女の人どっかで見たことない?」
私「どれ?」
私、振り返る。
幡野君「しっ!」
私「見たことあるわ」
幡野君「あーれー?どっかで。どこだ?」
私、頭をフル回転。
私「あ!」
幡野君「し!」
私「○○軒のおかみだ」
幡野君「あそうだ」
袖谷君「みてみて。ほらすごい触ってるよ」
幡野君「うおー」
袖谷君「仲がいいだけだよ」
幡野君「いやいやいや」

うちの近所にある定食屋○○軒。
幡野君は不味いといい、袖谷君はうまいという。味はどっちでもいんだけど雰囲気が良いので、さびしい時に私1人でも行くのです。
なかむつまじいおしどり夫婦なんて昭和テイストな風景も、その一夜から別な解釈が加わるわけです。
こういうのを別な言い方をすると情報量の多い風景というわけです。
同じ絵なのに違って見えるとはこのことです。

11/16 荒川に惚れた5 『ともだち』

日曜日、目が覚めると隣の部屋が騒がしい。同居人幡野君の職場友達が来ているようだ。ちょうどプールに行こうと思っていたので家からいったん出る。
戻ってくると鍋が始まっている。人がうじゃうじゃいる。恥ずかしいので軽く挨拶して自分の部屋に戻って眠りこけると真っ赤な顔の幡野君がやってきた。
「もうしないから」
何を言っているのだと思った。人が多いのと恥ずかしいので自分の部屋に行ったのだが、どうやら迷惑をかけていると思ったようだ。1階の住人の袖谷君も相当な人見知りで耐えきれなかったのかどこかへ行ってしまった。
しかし迷惑かと問われれば、そんなことはないので最初は廊下に立ち中を覗く。
やはりうじゃうじゃいる。
「入りなよ」
と言われると入りたくなくなる。人間てみんな天邪鬼だ。
1人去り2人去り、4人くらい去ると部屋にスペースができはじめた。
入室するも職場トークが弾んでいるのでほぼ無言で眺めている。
こんなに仲の良い職場も珍しいのではないかと思うが、今日のこの部屋にいるのは大半が辞めた人。
幡野君が時々「もう辞める」というのはこういうわけかと1人納得する。
それにしても女が多い。うらやましい。
幡野君は言った。
「ホットパンツがたまらない」
「職場の女の子全員ホットパンツになったらどうするの?」
「いいじゃん」
「変態!」
幡野君は微笑んだ。
「変態!」
幡野君は喜んだ。
みんなが帰ると幡野君は言った。
「さびしいよー」

11/23 荒川に惚れた6 『グレープジュースちょうだい』

あなたは同棲をしたことがありますか?


距離が近いひと程、気を使い合うことが大事かもしれません。
何せ距離が近い人間程、ルーズになりやすく、傲慢に人はなりやすいのだから。

 


僕は一軒家をシェアしていて3人暮らし中だ。
先頃、1ℓの紙パックのグレープジュースを買ってテーブルに置いておいた。
気づくと次の日、冷蔵庫に入って開け口と反対部分が、封切られて飲んだ形跡がある。
ま誰か飲んだんだろうと思う。
自分は反対側というのが気にかかり、開け口と書かれた部分を広げる。
すると屋根が全壊の紙パックが完成。
それから数日間、私は我が者顔でグレープジュースを飲んでいた。
そして昨日もグレープジュースを飲んでいるところに袖谷君が帰宅。
袖「うわぁぁー」
五「何どうしたの?」
袖「それ俺買ったんだよ」
何を馬鹿なこと言い出すんだこいつはと思う。
五「うそ! 俺買ったよ」
どちらも確かに買った記憶がある。
袖「レシートだ。レシートをみてみよう」
2人とも持っていない。
袖「いや、俺は買ったよ」
五「嘘だぁー俺も買ったんだよ。本当に?」
袖「気持ち悪いよー」
気持ち悪いのはお前だタコとかちょっと思う。
袖「やこういう時はたいてい俺間違ってることが多いから、自信なくなってきた」
五「待って。でも買った記憶あるんでしょ?」
袖「たしかに滅多にグレープジュース飲まないんだけど、その日はグレープジュースが目に入ってね……」

 


たかが180円くらいのグレープジュースにむきになる2人。
しかも半額セールで買った記憶がある2人。
怒りというのは自分が正しいと思わなければ基本、発生しないらしい。
「俺が買ったという俺」
「俺が確実に買ったのに、またボケているのではないか彼は、という俺」
我が強くなる時に怒りは発生する。
なさけないので次の日の今日、新しいグレープジュースを買ってきて献上する。


傍観者でいれば発生しないのだ。自分なんてあった方がいいようでなくていいのだ。


高校時代、『聖闘士星矢』の作者と『花の慶次』の作者が同じだと言い張った友人に対して覚えた怒りに似ていた。
「絶対に自分は間違っていない」
それを繰り返す度、人は苦しみの渦へ飲み込まれていく。
渦は連鎖する。時々、物語の理想型をテトリスの連鎖に思いをはせる今日この頃。
さてそろそろ千駄木に行こう。