12/31 インドへ10「ゴーゴーインド」 

12/20 インドへ9「ゆるくて嘘くさくて正直な感じがする」

朝起きると早く帰って安心したいという気持ちともっとここにいたいという気持ちがあった。そこにグプタ氏が来て土産屋に行った。再三訪問する政府公認の土産屋。大理石の店、シルクの店、香辛料、お香、お茶、これで何件目かと思うと金がなくなっていてATMで金をおろす。何でこんなに高級な感じのする土産屋に行くのか不思議だったが、ガイドのマージンになることを後で知った。なるほどそういうことか。
勝利の塔へ行った。デリーの旧市街を歩いて最後にガンジーの墓に行ってほぼ日程が終了した。ガンジーの墓のあたりであることに気づいた。
カラスが日本より小さい。空高く飛んでいる鳥は鷹かと思ったが鳩だ。
日本の都心部のカラスよりも凶暴でなく、鳩も自由な印象だ。人間に好かれもしない代わりに必要以上に敵対視もされない。ただ飛んでいる。これは人間も同様だ。
カースト制度を中学時代に習った。バラモン、貴族、庶民、奴隷、不可触賤民という士農工商みたいな階級制度だ。見るまでのイメージは日本の差別感をターバンの国に投影したものだった。つまりけっこうどぎついのものではないかとか大変なんだろうと思っていたが印象が違う。日本のじめじめとしたものがこの国にはない。食う寝るやるといった根本的欲求には忠実な国なのだろうが、それ以上のものをあまり感じない。
1.ごちゃごちゃした思惑や雑念
2.純粋な欲求
この2つの混合物をうまく濾過することはできないだろうな。でも日本は1が濃くてインドは薄い。だから楽なのだろうと思う。


帰りの空港にて日本に仕事で行くインド人を紹介される。IT系でなく宝石系、勤務地御徒町の家族経営の末っ子。しかし税関で引っかかって金を貸してと言われる。くそったれ。仕方ないが金がないしATMはセキュリティーチェックの先だ。最後にインドに嫌気が指し、何かがこみ上げてきた僕はでかい旅行者の白人に話しかける。
「どうしたの?」と聞かれるが隣のインド人にむかむかしたから話しかけたとは言う事もできないし語彙力もない。
飛行機の出航時間が迫ると焦る。インド人、税関に連れて行かれる。めんどうくせぇ。待っている間にどんどん目の前を通り過ぎる。これで乗り過ごしたらまたネタが増える。次第に考え事が増えていく。結局、別の宝石売りのインド人が助けてくれる。
インドの入り口はやはり日本へ戻る準備をしてくれるのだろうか。くそったれ。飛行機にも間に合ったし。くそったれ日本にいた時に空港時点で戻っちまった。それでも彼のママが作った弁当のカレーをもらったが、それが最後で最初のインドのカレーっぽいものを食う。
終わりインドならだいたいインド。

コブラ使いのおじさんを撮影。

12/14 インドへ8 「短い旅」

寝台車で3度くらい夜中に目が覚めた。僕の眠った上段は窓がない。
アグラ到着は2時間遅れの午前7時半につく。寒い。
噂の名所、タージマハルへ行く。誰が見ても誰が撮影してもタージマハルは美しいとはこのことかと実感する。イスラーム建築は幾何学模様で、生物は植物までで人物は描かれていない。それに対しヒンズーは生命力あふれて様々な動植物が色鮮やかに描かれてている。横尾忠則さんの絵を想起させる。
宗教は生活を覆っている。美しい文化を形成するのかと思うととても素晴らしく感じる。時々、文化人類学とか民俗学のある学部にすすめばよかったなと思う。幼少の頃、寝る前に親にグリムやらアンデルセンやら日本の昔話を聴かせてもらった。そして小学生の頃にインディージョーンズを観て考古学に憧れを抱いた。そういった意味でインドは研究対象の宝庫だ。
行く前にパラパラ読みしていった『悲しき熱帯夜・レヴィストロース』に少しだけビルマ周辺の仏教徒の村とインドの喧騒についての対比的な記述がある。それは僕の誤読かもしれないし、生意気な意見かもしれないがレヴィストロースも神はいないこと、絶望的にも聞こえるが無常な世の中をあるがままに受け入れるというのに共感したのだろうと思う。しかしながら仏教はインドの生命力の前に飲み込まれてしまったのではないだろうか。
タージマハルは王妃が死んだ際に作った王の愛の証のお墓だ。愛の力はすごいなとも、何万人が過酷な労働を強いられたのだろうとも思う。ガイドのグプタさんを撮影。
その後、アグラ城へ行く。
インドは世界遺産がたくさんある。学生時代に自分で作った世界遺産研究会という名の飲み会サークルがフラッシュバックする。僕は上っ面人間だ。とほほ。
車でデリーに移動する際にジャイナ教の僧を見た。ジャイナ教の僧は全裸なのだ。笑った。ターバンを巻いている代表的インド人のイメージはシーク教徒限定らしい。なるほどね。
そういえばヴァラナシで三島由紀夫は牛の火葬をみたらしい。三島さんは最後、唯識や阿頼耶識といった考えに傾倒していったらしい。三島さんはインドに飲み込まれてしまったのではないか。
魅力はわかる。飲み込まれそうだ。でも飲み込まれたら帰って来れない。あと気づいた。他の国にも路地はあるのだろうが、インドはお香の匂いと音楽が湧くように溢れ怪しげな雰囲気に包まれているのだ。
あと1日で終わりか。

12/13 インドへ7 「はじめての寝台列車」

ガンジス河はとにかく僕を魅了した。とけそうになった。そして50人とはここでお別れだ。バス3台が次の遺跡へ出発する。楽になったが寂しい。
別に誰と親しい訳でもないツアー、それでも寂しさは感じるとは不思議だ。

インド人ガイドのグプタさんが来てヒンズーの寺に行く。入り口で木製のコップに入ったミルクを購入する。
奥へ進むと柵の中にシヴァ神の像がある。ミルクと賽銭を柵の中の人に渡すと、シヴァ神の頭からミルクを流してくれる。グプタは言う。
「それ飲んで下さい」
郷に入れば郷に従えとは言ったもので、シヴァ神の像の台座から流れるミルクを柵から手を伸ばして飲む。
シヴァ、ブラフマー、ビシュヌ。

創造と破壊の神、世界創造の神、維持の上、そして3億3千万の神様。日本の八百万信仰と似てそうだ。
それから町を少し歩いて駅に行く。こんなに人の多い列車に乗るのは、はじめてだ。列車は夕方16時45分発のアグラ行きの予定だが、列車が遅れている。待っている間、赤くないグァバを食べる。写真をたくさん撮る。カメラが珍しいのかこっちを見ている。
何枚か撮影する。
「音楽は聴けないの?」
と聞かれるが、i phoneの使い方がまだよくわからない。十人くらいの家族のお兄ちゃんらしき若者が僕に何かを言っている。
「一生かけて買うよ」
って聞こえた。
19時を過ぎてやっと列車が来て乗る。昼のミルクの影響か腹が緩くなる。軽い下痢になる。そして初めて左手で尻を拭く。最初慣れないが手動のウォシュレットみたいなものだ。
フランス人旅行者のカップルが、チュウをしている。
そういえばインド人はペットを飼わない。犬や猿や牛がそこら中にいる。ペットを愛玩動物とも言うが、時々、代替動物のように思う。何かの代わり。インド人は日本人が代替してしまっている大事なものを持っている気がした。
『人間失格』を読みながら眠る。ほんと恥の多い人生だ。

12/10 インドへ6 「インドだ」

いよいよインドだ。飛行機に乗る。人生2度目の海外旅行。飛行機に乗ってもまだ不安だ。本当に行ける身分の人間なのだろうか。親や友人達に感謝だ。とてもありがたい気分になるのと同時に右の肺が痛みだす。気圧の変化に右の肺は弱いのだ。


前半は会社主催の、50人規模の仏教遺跡を回るツアーで、旅行半ばで1人帰国というのが今回の日程だ。
インディラ・ガンディー国際空港へ着く。虫が思ったより少ない。カメラマンのAさんから「まだ中心だからね」と教えられ赤面する。夜8時、バス3台でホテルへ移動。地面がゴツゴツしているが、アスファルトのようだ。そうかまだ中心だからか。砂埃が多い。
ホテルへ行ってビュッフェスタイルのうまいものを食って、いい部屋で寝る。これがインドなの? こんなの俺の思い描いていたインドじゃねー。喧噪と雑音、雑踏、人種のサラダボウル、そんなインドがみたいのだ! と思いつつ就寝し1日目が終わる。
翌朝、ホテルの前に「マネー」といって手を差し伸べてくる女の子が立っている。ツアー客の1人がお金をあげると移動した。所謂、物乞いにも本物と職業の2パターンがあるらしい。


すぐに国内線でヴァラナシへ移動、そしてサルナートというお釈迦様が初めて説法を説いた場所にて、50人でお経を唱える。タイのお坊さん、中国のお坊さんの集団もいる。ここはヒンズーの国だけど、やっぱり仏教にとって聖地なのだ。
何度も思った。これがインドか。1人で回りたい。脱線したい。脱獄したい。飛び出したい。そんな欲求が高まる。でもツアー50人の顧客の安全が第一か。五感どころかゴチャゴチャゴチャゴチャ考えてばっかりだ。そんなこと言いつつもバスの窓から見える風景が時々、異世界のように見えてこわい。
2日目が終わる。このままでよいのだろうか。朝、ガンジス河へ行く。噂で聞いた汚さは感じない。沐浴したくなる感じもわかる。緩くて暖かくて落ち着いて心地いい。

あー僕はインドに来たのだ。やっと旅が始まった気がした。

12/1 山内君にほれた人々のために8 「注文の多い料理店」

村役場の地域振興課の同僚達と社内旅行で東京に行くことが決まり、その手続きを山内が担当することになった。
山内は2ヶ月に1度は東京へ来ているので東京に詳しいだろうというのがその理由だ。川嶋あいかチャットモンチーか吉井和哉のライブ、もしくは西武ライオンズ試合観戦に彼は足繁く通った。川嶋あいのライブが午後3時に終わった日、ついでに山内は浅草の観光地を散策して戻ることにした。
「僕はどこへ行けばいいのだろう」
山内は「ライブ」は好きだったが「観光」はあまり好きではなかった。光を観ると書いて「観光」、何が光だと山内は思いながら地図を片手に名所を探した。
浅草寺に参拝して浅草花月で吉本を観て戻ることにした。
山内が20分程歩いて来た道を戻ることにした。
しかしなぜだか駅でなく看板にピンク色の文字で『注文の多い料理店 』と書かれた店の前に山内は立っていた。玄関は白い瀬戸の煉瓦で組んで、実に立派で硝子の開き戸に金文字でこう書いてありました。
「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はいりません」
山内はそこで、ひどく喜んで言いました。
「こいつはどうだ、やっぱり世の中はうまくできてるねえ、今日一日難儀をしたけれど、今度はこんないいこともある。このうちは料理店だけれども、ただでご馳走するんだ。決してご遠慮はありませんというのはその意味か、なるほど」
山内は戸を押して、なかへ入りました。そこはすぐ、廊下になっていました。その硝子戸の裏側には、金文字でこうなっていました。

「ことに欲求不満を抱えるお方や若いお方は、大歓迎いたします」
山内は自分のことだと直感し、先を急ぐ事にした。建物の中は石鹸の香りがした。
廊下を進むと扉に張り紙がしてある。
「60分1万7千8百円」
山内は先ほどと言っている事が違うなと思いつつ、財布から金を取り出し籠に入れた。そして扉を開くとまた廊下が続いているではないか、山内は先へ進むことにした。すると両脇の壁から時折、うめき声にも似た男女の声がする。山内は怖くなり奥へと続く廊下を急いだ。次の扉にまたしても張り紙がある。
「衣服は全てお脱ぎください」
山内は、これはいよいよ怪しいと思ったが、早く食べたいという欲に勝てず服を脱いで扉を開いた。扉の後ろに紫色の字で書かれた文章が添えられていた。
「時計や眼 鏡、金属類は外しましたか? もし外していなければ、ココで外して下さい」
山内はしぶしぶ従い、眼鏡と時計を外した。
山内はずんずん歩いた。すると今度の扉の張り紙にはこう書かれていた。
「この小びんの中身をよくすりこんでください」
山内は小びんの中のヌルヌルの液体を頭から被って、体の隅々まで揉みこんだ。
「ウィッシュ」
山内は呟いた。
「ウィッシュ」「ウィッシュ」「ウィッシュ」
いつのまにか「ウィッシュ」は、呟きから掛け声へと変化し、山内は猛ダッシュしていた。
気づくと廊下はバスルームに変わり、湯気で山内の視界は完全に遮られた。
「はうっ」
山内は声を漏らした。何か山内にかぶりつたのである。
「あっあっあっ」
山内は精気を吸い取られていくのがよくわかった。
「逃げちゃだめだ」
山内は心の中で叫んだ。
必死でこらえる山内の踏ん張りも、5分を超えたあたりで潰えた。
山内が目を覚ますと財布からは3万円程消えていたとかいう。

11/28 インドへ5 「出発」

ちょうどこの話がUPされる頃は飛行機でしょうか。

遺書のつもりで書いてくれと編集長に言われたものの、わずか一週間弱の旅で死んでたまるかと思う。
もうすぐ28歳が近づく。最近「変わった」とか「変わらない」とかの話題が持ち上がる。しかしながら少しずつ変化していっている。みんな死が近づいているのだ。
昔からよく思っていたことがある。それは死を意識した方が頑張れるというか、やる気が出るのだ。テストがあれば制限時間くらいは必死で問題を解くものだが、やたらと長く思える寿命とかになると、死をそれほど意識しない生き方をする。
死ぬ側から見ると人生は生き生きと思える。
でも思考の罠にかかると生きてるのか死んでるのかわからなくなるから、五感を使ってみて来よう思います。
それでは。

11/26 山内君に惚れた人々のために9 「短編小説・我が輩は山内である」

我が輩は山内である。名前は色々ある。山内とかヤマショーとか変態とか。メスに言われるなら変態が一番かもしれぬ。父も母も我が輩によく似ている。なんと妹までもがそっくりに生まれてしまった。それ故に他人が「山内」と声をかければ、家族全員で振り返るのである。区別はない。ある日、我が輩が息子と部屋で戯れていると妹がやってきた。
「お兄ちゃん何をして遊んでるの?」
「あぁー何でもないさ」
妹はしばらく我が輩の顔をじっと見た後で
「晩ご飯だからすぐに下りてきてね」
と言って階段を降りて行った。我が輩も慌てて降りて行くと父も母も、これはどうしたという顔でこちらを伺っている。何か不味いことでもあったのかと思い、あたりを見回すも、これといって変わった様子はない。しかしみんな山内というのは不思議な気がする。そもそも山内に生まれたのだから山内でしかないのだ。
「いただきます」

と言って飯を食おうとするも何かおかしい。椅子の温度が低いのだ。そうか服を着るのを忘れていた。我が輩は部屋に戻った。部屋に戻ると服がない。これはどうしたのかと思いタンス上段の引き出しをあけると毛糸でできた筒がある。途中でカーブした毛糸の筒とは滑稽である。しばらく眺めるも何に使っていいのか見当もつかない。
我が輩は閃いた。息子の頭に被せてやれば温かいだろうと思い、被せてやった。息子はペコリとお辞儀をすると急に倒れた。心配になってさすっていると妹が再びやってきた。
「お兄ちゃん何をしているの? ご飯が冷めちゃうよ」
「あー何でもないさ」
妹は不服そうに階段を下りていった。我が輩がしばらく息子とあれやこれやと遊んでいるとサイレンの音がする。何かと思って窓を開けると、隣家が燃えているのではないか。我が輩は美しい炎をもっと近くで見たいと思い、家を飛び出した。寒い。周囲に住む佐藤だとか鈴木だとか森田だとか言う生き物が我が輩を抱きしめはじめた。これでもかというほど抱きしめるので我が輩は苦しくて緑の液を吐いてしまった。それまで抱きしめていた手足が離れると寒さが戻ってきた。我が輩は燃えさかる家に近づいた。美しい。
そして暖かい。そこで我が輩は閃いた。入って暖まればよいのだ。
つくづく我が輩は美しいもの目がないのだ。

11/23 荒川に惚れた6 『グレープジュースちょうだい』

あなたは同棲をしたことがありますか?


距離が近いひと程、気を使い合うことが大事かもしれません。
何せ距離が近い人間程、ルーズになりやすく、傲慢に人はなりやすいのだから。


僕は一軒家をシェアしていて3人暮らし中だ。
先頃、1ℓの紙パックのグレープジュースを買ってテーブルに置いておいた。
気づくと次の日、冷蔵庫に入って開け口と反対部分が、封切られて飲んだ形跡がある。
ま誰か飲んだんだろうと思う。
自分は反対側というのが気にかかり、開け口と書かれた部分を広げる。
すると屋根が全壊の紙パックが完成。
それから数日間、私は我が者顔でグレープジュースを飲んでいた。
そして昨日もグレープジュースを飲んでいるところに袖谷君が帰宅。
袖「うわぁぁー」
五「何どうしたの?」
袖「それ俺買ったんだよ」
何を馬鹿なこと言い出すんだこいつはと思う。
五「うそ! 俺買ったよ」
どちらも確かに買った記憶がある。
袖「レシートだ。レシートをみてみよう」
2人とも持っていない。
袖「いや、俺は買ったよ」
五「嘘だぁー俺も買ったんだよ。本当に?」
袖「気持ち悪いよー」
気持ち悪いのはお前だタコとかちょっと思う。
袖「やこういう時はたいてい俺間違ってることが多いから、自信なくなってきた」
五「待って。でも買った記憶あるんでしょ?」
袖「たしかに滅多にグレープジュース飲まないんだけど、その日はグレープジュースが目に入ってね……」


たかが180円くらいのグレープジュースにむきになる2人。
しかも半額セールで買った記憶がある2人。
怒りというのは自分が正しいと思わなければ基本、発生しないらしい。
「俺が買ったという俺」
「俺が確実に買ったのに、またボケているのではないか彼は、という俺」
我が強くなる時に怒りは発生する。
なさけないので次の日の今日、新しいグレープジュースを買ってきて献上する。


傍観者でいれば発生しないのだ。自分なんてあった方がいいようでなくていいのだ。


高校時代、『聖闘士星矢』の作者と『花の慶次』の作者が同じだと言い張った友人に対して覚えた怒りに似ていた。
「絶対に自分は間違っていない」
それを繰り返す度、人は苦しみの渦へ飲み込まれていく。
渦は連鎖する。時々、物語の理想型をテトリスの連鎖に思いをはせる今日この頃。
さてそろそろ千駄木に行こう。

11/16 荒川に惚れた5 『ともだち』

日曜日、目が覚めると隣の部屋が騒がしい。同居人幡野君の職場友達が来ているようだ。ちょうどプールに行こうと思っていたので家からいったん出る。
戻ってくると鍋が始まっている。人がうじゃうじゃいる。恥ずかしいので軽く挨拶して自分の部屋に戻って眠りこけると真っ赤な顔の幡野君がやってきた。
「もうしないから」
何を言っているのだと思った。人が多いのと恥ずかしいので自分の部屋に行ったのだが、どうやら迷惑をかけていると思ったようだ。1階の住人の袖谷君も相当な人見知りで耐えきれなかったのかどこかへ行ってしまった。
しかし迷惑かと問われれば、そんなことはないので最初は廊下に立ち中を覗く。
やはりうじゃうじゃいる。
「入りなよ」
と言われると入りたくなくなる。人間てみんな天邪鬼だ。
1人去り2人去り、4人くらい去ると部屋にスペースができはじめた。
入室するも職場トークが弾んでいるのでほぼ無言で眺めている。
こんなに仲の良い職場も珍しいのではないかと思うが、今日のこの部屋にいるのは大半が辞めた人。
幡野君が時々「もう辞める」というのはこういうわけかと1人納得する。
それにしても女が多い。うらやましい。
幡野君は言った。
「ホットパンツがたまらない」
「職場の女の子全員ホットパンツになったらどうするの?」
「いいじゃん」
「変態!」
幡野君は微笑んだ。
「変態!」
幡野君は喜んだ。
みんなが帰ると幡野君は言った。
「さびしいよー」

11/11 山内君にほれた人々のために7『げーはー』

昨日、げーはーになる夢をみた。恐ろしい話だ。起きて髪を確かめた。あった。夢の中でのリアリティー溢れる恐怖感は起きて時間が経つとどんなに恐ろしい夢でも、文字に通り夢の世界に消えていく。

以前、山内君に役作りのためジダンヘアにカットを要求したことを思い出した。役とはいえども、髪をジダンヘアにされるのは嫌だと思う。
それを観劇に来た後輩は
「ヤマショ先輩ほんとにストレスか何かでやられてしまったのかと思いました。いやリアルでした」
役者冥利とはこのことだろうと思うが、それは当人が言って初めて意味をなす言葉である。
その公演は役者の方からノルマをもらって、僕は舞台を主宰した。僕は役者の方々からノルマを頂かずして舞台を主宰したことはないし、ノルマのない舞台に出演した経験ほとんどない。

金を払って風俗に行くものはいるが、金を払ってビデオに出るAV女優はいないだろう。
それがその当時、主宰した僕がとったスタイルだったし、今も幾つかの自主企画スタイルの劇団がしているやりかただと思う。好きなものに金は出してもよいが、これはけっこー大変だ。このシステムはよくも悪くも友情や信頼や繋がりなどが絡まり合い、甘えも生まれやすいと思う。しかもプロ意識も持つのが望ましい。
役者とは何たるかは人によって違うのだろうが、どのような仕事も、はじまってしまえば自己より仕事が優先されると思う。
その意味で山内君はプロだったのだろう。
彼は無理難題をふっかけても「おう」の一言で答える。
それは格好いいことですね。


頼ることと甘えることは違う。そのニュアンスは更に人によって細分化される。頼ることと甘えることを同じ意味として使う人もいるでしょう。もともと自分が異邦人かのような錯覚に陥ることがあったが、とみに最近、それぞれの人間がそれぞれの言葉を持っているのだと感じる。

国語が難しくて困る。今日の文章に幾つ間違った表記があるのだろう。
こわいこわい。
言葉が怖い。

 

11/9 荒川に惚れた4 『荒川不倫日記』 

男性諸君。君達は母親の浮気をみたことがあるか?

まーこれはショックなわけです。父親ならば、同じ男だもの仕方なしというものがある。
エディプスコンプレックスなんてー嫉妬心とでもいいましょうか。

同居人とたまに飲み食いに行くことがあります。それは近所の定食屋であったり、居酒屋であったり、時には駅周辺まで足を延ばしたりします。

だいたい深夜0時くらいに家を出るので入れる店は限られ、全国どこでもあるようなチェーン居酒屋に入るのです。
ちょうどあれは夏の日で駅前のチェーン店に3人で入りました。
テーブル席3人で座り、私の背にカウンターがあり熟女50代と30前後の兄さんが良い感じで座っております。
袖谷君「何かめっちゃ男の方、手-さすってるね」
幡野君「うん。でもあの女の人どっかで見たことない?」
私「どれ?」
私、振り返る。
幡野君「しっ!」
私「見たことあるわ」
幡野君「あーれー?どっかで。どこだ?」
私、頭をフル回転。
私「あ!」
幡野君「し!」
私「○○軒のおかみだ」
幡野君「あそうだ」
袖谷君「みてみて。ほらすごい触ってるよ」
幡野君「うおー」
袖谷君「仲がいいだけだよ」
幡野君「いやいやいや」

うちの近所にある定食屋○○軒。
幡野君は不味いといい、袖谷君はうまいという。味はどっちでもいんだけど雰囲気が良いので、さびしい時に私1人でも行くのです。
なかむつまじいおしどり夫婦なんて昭和テイストな風景も、その一夜から別な解釈が加わるわけです。
こういうのを別な言い方をすると情報量の多い風景というわけです。
同じ絵なのに違って見えるとはこのことです。

11/4 インドへ4 『壁』

1『言葉の壁』
昔、小笠原諸島は父島にあるユースホステルに泊まった際、4人の若者と知り合いになった。植物の研究をしてるガール、地磁気の観測に来ていた気象庁のボーイ、福生のろくろ回しガール、海洋生物の研究してる青年、どの人も個性的な方だった。
記憶に濃いのは気象庁のボーイ、アジア系民族衣装に包まれ容姿はどうみてもヒッピーだった。
「ボディーランゲージさえあればどこでも行けますよ」
当時は何か格好いいことを言うあんちゃんだなと思っていた。

それから1年後、精神科医のF先生がおフランスにいた時の話。
「八百屋で頑張ってフランス語をしゃべろうとするより、日本語でトマトちょうだいって言う方がね通じるんだよね」

つまりは言葉の壁は自分で作った壁だってのと、思考と気持ちは別で後者を使った方がよいうことだ。
僕は記憶力が悪く、演劇の台本を憶えるのが苦手であった。憶えようとすればするほど、悪循環に陥り覚えられず、結局だいたいこんな感じでしゃべるという風に舞台に立っていた。
徐々に経験を重ねて幾つかの例が法則に変りつつある。


でつい先日、ベストセラーの作家先生の話。やっぱりコミュニケーション(関係)で覚えるのが一番よいという話だった。それは矛盾が少なくて、口語と文語どちらが先にできたかとう話に通じた。つまりは話すがあって後から文字、そしてグラマーができるって話。妙に納得いったのであーる。
つまり解釈を別角度から観ると、文法知らずにやりとりで覚えた日本語(母語)よりか頑張って覚えようとした異国語の方が苦戦する確率が高いのだもの。

つまりは綴りレベルで考えなければどってことねーってことだ。

2『辛さの壁』
最近、インドの辛さにおびえつつある。だから日本で辛いもので鍛えるのだ。
カレー屋『エチオピア』70倍、次の日に腹部と肛門に激痛走る。
しかしながら『CoCo壱番屋』の5辛は多少お腹に来るが次の日、歩行できる範囲。
両店とも店側の初回臨界点である。単位が違うのは気にかかるが行くまでに試さねばと思う。


3『現実という壁』
何か会社の都合上、行けるのかどうかという問題が浮上した。インドなんて誰でも行ける時代になったかと思ったら2週間前にきてそんな問題でてくるのかと驚いた。世の中、常に変化しっ放しなんだ。うわー三島さんの言葉が効いてくるよ。


あべこーぼー読んでる場合じゃないわよ。

11/1 インドへ3 『パスポート』

そういえばパスポート切れていたらどうしようかと思い探すと2005年7月に取得したものがでてきた。懐かしいし、もう切れそうだし。友人のレナ嬢が先月1人インド旅に行ってきた。1年前もマサエ嬢が女2人で行った後、海外青年協力隊でザンビアに巣立って行った。ようするに俺、びびりすぎってことで、女の子に負けてられないわよ。


のほほんと楽しんでくるかと思い始めた。


こわいとは何か。不安とは何かという問題はどこへ行っても付きまとうのだろうが、NG行為をしないようにすればよいと思う。
地雷という単語について。
1.カンボジアにある踏むと火が出る爆弾。
2.他人が怒りだすような禁句。


まどっちにしろ踏まない方がいいのが地雷だ。そして踏んでしまうのが僕である。話していると突然、不機嫌になる人がいる。けっこうそばにもいるものだ。
また書くと鎮火したはずの休火山が活火山に戻るので要注意だ。
また地雷を踏むにはどうすればよいか書いてみる。


1.相手にとってネガティブな本当のことを言う。


地雷を踏むならこれに尽きます。気づいていないようだけど実は当人が無理矢理に無意識下に押し込めていることですから劇薬です。


2.相手の近しい人(懇意な人)を中傷する。


2番を言うと、名台詞「俺(あたし)はいいけど、この人のことは許せない」が聞ける可能性がUPします。2番は面白くてA君がBさんを好きだと知らずに、「Bさんてブスだよねー」等言うと顔の表情が曇りだします。


3.トンチンカンなことを言う。


これは私に多いのですが、これがなくなると意気消沈してしまうのですが減らしたいと思います。
つまりパスポートも地雷もどこにも落ちているわけで、注意して人生を歩いて行こうと思います。これで親戚にも友人にもけっこう嫌われてしまいました。
書いて行けば切りがないですが、地雷をふまずに色んな国を駆け巡りたいと思う今日この頃。


しかしながら地雷があるとわかっていてその道を進む人には敬意を払いたいと思います。
格好いいんだよな格好が。
そう言う人はたいてい優しい人です。