book本の大交流会UNCLE HAT

2013年3月から、千三屋・あんみつやがそれぞれ担当した本の感想を書いています

『人生がときめく片づけの魔法』近藤麻理恵〈2013.9.8〉

〈あんみつや〉

 

この本のタイトルを言おうとすると、いつも間違えて

「人生が片づく ときめきの魔法」と口走ってしまいます。

 

さておき。

 

筆者は幼稚園から主婦雑誌を愛読、中学三年生でベストセラー『「捨てる!」技術』を読み片づけ研究を本格的に始め、いまは片づけコンサルタントとして活躍しているという。

自分が日々片づけにいそしみ、試行錯誤し、コンサルタントとして積んできた経験をもとに書かれている。

 

手順としては、まず、ときめかないすべてのものを捨てる

モノ別に片づける

モノにあった収納法でしまい、キープする

 

この大きなしくみのもと、ノウハウがひとつづつ、筆者の成功・失敗談をまじえつつ

書かれている。

親しみやすい本。

 

あんみつやも、幼少の頃より片づけ・整理・模様替えにいそしんできた一人なり。

毎週のように、一人でベッドや机を引きずり回し、

引き出しの中身をあけてひっくり返していたものです。

こんまりメソッドに納得できる部分あり、私もそういうことしてたなあと共感するところあり、自分には違う考え方があるしそのほうが自分には合ってるかな、と思った部分もあり。

 

私は、物を残すか決めるとき、「ときめくか」よりもうすこし具体的に、

「今、これに、今の財布の中からお金を払って手に入れたいか?」

を基準にしている。

どんなに思い出深い靴、気に入っていた鞄であっても、

靴底が変形して歩きづらくなっていて直すことももう困難だったり、

すり切れたり、手垢染みて、この状態で店に並んでいたら、

買おうとは思わない。

ましてや今のお財布の中から買った時のお金を出そうとは、到底思えない。

洋服であれば、古着屋さんに持ち込んでみる。

値段がつかないものもでてきて、それは、どんなに買った時に気に入った物であっても、

「ああ、もうこれはよそから見たら1円の価値もないとみなされる状態の物なんだ」ということがわかる。

もうその物は、お役目は終わっている。

そうしたら、ありがたく、その物に感謝して、さようならする。

本に関しても、もうこの本から必要なことは吸収できて、

自分の中にとどめられているな、と思ったら、手放す。

本棚にも新陳代謝が必要だと思う。

「あんみつや文庫」なんてものが作られるような、偉人でもなし。

 

手放すと、また何か新たな、自分にとって必要な物はきちんと入ってくる。

経験的にそうだったので、そう信じている。

もう同じ過去をもう一回やり直したり経験することはないのだから、

今とこれからの私にとって必要な物を迎える準備、

それが私にとっての片づけであるなあ。

 

Cha-La Head- Cha-La(ドラゴンボールの主題歌)をこの間聴いてたら、

「アタマ空っぽの方が夢詰め込める」

という歌詞があって、あー、部屋も本棚もそうだなあ・・・と拡大解釈し妙に共感。

 

この本は、この9月仲間由紀恵さん主演でテレビドラマ化して放映されるとか。

テレビがないので見られませんが、まだまだ人気が続きそうな本です。

 

●片づけしてみようかなという人に

 

カレン・キングストン『ガラクタ捨てれば自分が見える』(小学館文庫)

←服部みれいさんも著書で書いていますが、この本を読むと、不思議と、

そろそろちょっと身の回りを見直そうかしらんという気持ちになります。

定番にして名著、効果絶大(この言い回し千三屋ぽい・・・?)。

風水はじめスピリチュアルな部分は、そういうこともあるかもね、くらいの気持ちで読めば気にならないと思います。

定期的に、自分を見直すために、そのときそのとき必要なところを読みます。

 

他、門倉多仁亜さん、有元葉子さんの、物とのつきあい方、考え方にも共感する部分が多く、

ひととおり目を通しています。

他にもいろいろありますが、このへんで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『歴史のかげにグルメあり』黒岩比佐子著・文春新書

〈千三屋〉

冒頭に、ブリア・サヴァランの「人民の運命は宴会において決せられた」の名言を引き、近代日本の歴史的事件を、交渉のテーブルに出された料理のメニューからひもといた労作。

鎖国を終わらせたペリー提督への饗応を筆頭に、幕末から明治維新までを書き残した英国外交官、アーネスト・サトウが目撃した豪華な食事、日露戦争の殊勲、児玉源太郎が祝勝会で浴びたシャンパンシャワーなど、歴史が動いたその瞬間のテーブルに、スポットを当てている。

秀吉が禁止した河豚(フグ)禁食令を解禁した初代・内閣総理大臣、伊藤博文。

味の素や森永製菓の創業者、料亭「八百善」主人など食関係の錚々たる面々が蝟集した美食の殿堂をつくりあげた村井弦歳。

公卿の中でも家格が最も高い摂家に次ぐ、清華家出身の希代の食通、西園寺公望。

フランスのアナーキスト、エリゼ―・ルクリユスにならって菜食主義を提唱した幸徳秋水。

欧米の皇族との接待のために苦心した明治天皇や、ダンスと美食による鹿鳴館外交を実行して失敗した井上馨、一代で巨万の富を築き、自身が設立した帝国ホテルに伝説のパン職人、イワン・サゴヤンをスカウトした大倉喜八郎。

刺青を彫り、芸妓遊びを満喫した後、津田三蔵巡査に斬りつけられたロシア最後の皇帝ニコライ二世。

全部で、十二章、計十一人が登場し、それぞれが核となった事件を、フルコースのメニューのように読み解いていくだけでなく、ピエール・ロチを中心にした余談のスパイスも絶妙で、薄さの割に、中身がぎっしりと詰まっています。

中でも興味深く読んだのは、明治中期の新聞小説の第一人者、村井弦歳と、大逆事件の幸徳秋水の章。この二人に関しては、著者はまた別に本を書いており、それぞれ猛烈に面白いので、『「食道楽」の人 村井弦歳』、『パンとペン』あわせてお読みくださいまし。おすすめいたします。

 

『聖母の曲芸師』堀口大學訳・横田稔装画・書肆山田

<千三屋>

 

学生時代に堀口大學の詩を読みはじめて、一行の言葉の力強さにうたれました。堀口大學というと、『月下の一群』などの訳詩が有名ですが、自身の言葉で簡潔に綴られた詩のほうがしびれます。たとえば、「定義」という詩は、

 

「詩はそんなものではない」

 

というたった一行だけの言葉です。「自戒」に書かれているのは、

 

「詩人とは

 ひとりで

 ぢつと

 在ることだ」

 

という言葉。胸にまっすぐ突き刺さるような詩だけではなくて、

 

「こけしは

 なんで

 かわいいか

 

 思う

 おもいを

 言わぬから」

 

という、短く愛敬のある「こけし」という詩なんかもあって、読めば読むほど堀口大學の世界に引き込まれました。幸い、東京には古書店がたくさんあり、おそろしいことにお金さえあれば、ありとあらゆる本が手に入ってしまうので注意が必要ですが、本書は白い装丁で有名な書肆山田という出版社が、堀口大學訳の短編を全三冊で編集したうちの第三巻目です。

今まで、たくさんの本を手に取り、また読んできたはずですが、本の美しさだけで記憶しているのは、この一冊だけです。

既に絶版しておりますので、新しく手に入れることはできませんが、もし古本屋でみかけたら、必ず頁をめくってみてください。願わくば、復刊していただきたいと心から思っています。

 

『夏彦・七平の十八番づくし』山本夏彦・山本七平・中公文庫

<千三屋>

 

対談集です。

山本夏彦の『ダメの人』の中に、しゃれがわかる人としゃれを言う人は別人で、言う人が二人いないと応酬はできないから、しゃれは急速に滅びた、という文章があります。

これは、博覧強記の話を読むときも同じで、二人の話を読んでるだけで、

 

「なん十年来、棚に立ちつくしていた本たちは、いっせいに振りむいて、まだ死んでいない表情を示すのである。そして私を無縁の書生と知れば、再びもとに復するけれど、たまには互いに求めていたとわかって、百年の歳月をとびこえることもあるのである。」(『日常茶飯事』山本夏彦著)

 

という気持ちになります。

この対談集を読むたびに、読もうと思ってメモするのは、徳富蘆花の『富士』と、三好京三の『子育てごっこ』。『子育てごっこ』は、山本七平の遠縁にあたる、奇人、山田吉彦(ペンネームは、きだ・みのる)の晩年を描いた小説。きだ・みのるの『気違い部落周遊紀行』の読者としては、これは是非読まないといけない本だと思いつつ、いつもメモしたことを忘れてしまう。

残念な記憶力ですが、本書の中には活字にまつわる話だけではなく、下谷の広徳寺に、柳生飛騨守宗冬の入れ歯が残っているというような話や、徳川時代に開発されたタクアンをたたく道具(?)という、地味にすごい話が埋もれています。

話題も広く、新聞、広告、忠臣蔵、文学、女、言葉、賞、というように、読み応えがあり、さらにすごいのは、読者を笑わせてしまうこと。

山本夏彦は『笑わぬでもなし』に、

 

「読者は作者の遺体が、つめたくなると同時に去るから、蚤に似ている。」

 

と書いていますが、さて、本当のところはどうでしょう。お試しくださいまし。

 

『絶望名人 カフカの人生論』フランツ・カフカ著 頭木弘樹編訳・飛鳥新社<2013.08.08>

<千三屋>

 

今まで読んだカフカの本の中で、もっとも短く、かつ面白い一冊です。

一見、名言集ですが、内容はおそろしくネガティブ。

 

「将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。

 将来にむかってつまずくこと、これはできます。

 いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。」

 

を筆頭に、

 

「ちょっとした散歩をしただけで、

 ほとんど三日間というもの、

 疲れのために何もできませんでした。」

 

という虚弱ぶりや、

 

「ぼくはひとりで部屋にいなければならない。

 床の上に寝ていればベッドから落ちることがないのと同じように、

 ひとりでいれば何事も起こらない。」

 

などのひきこもり発言が、膨大な資料の中からピックアップされています。

カフカは、エリアス・カネッティやミラン・クンデラ、サルトルにナボコフ、そして、ウディ・アレンもが絶大な賛辞を贈る偉大な文学者ですが、そんなことを微塵も思わせないネガティブぶりが、一本の柱のように本書を貫いています。

編訳者の頭木弘樹は、

 

「彼は何事にも成功しません。失敗から何も学ばず、つねに失敗し続けます。

 彼は生きている間、作家としては認められず、普通のサラリーマンでした。

 (略)

 彼の書いた長編小説はすべて途中で行き詰まり、未完です。

 (略)

 そして、彼の日記やノートは、日常の愚痴で満ちています。

 それも、「世界が……」「国が……」「政治が……」というような大きな話ではありません。

 日常生活の愚痴ばかりです。「父が……」「仕事が……」「胃が……」「睡眠が……」。」

 

とカフカを描いています。途中割愛してしまいましたが、これは是非全文読んでみてください。カフカのイメージを一変させる、実に見事な紹介だと思います。私は、本書を読んで、カフカの全集に挑戦することを決意しました。名著だと思います。

『ときには好きなだけわがままになってみればいい。』アルファポリス編集部・編<2013.08.08>

<千三屋>

 

アルファポリス編集部は、ネットを中心にした出版社で、本書は名言集です。このタイトルも本書に収録されている、アメリカの事業経営者、ペギー・クラウスの言葉によります。

 

「人生ずっと羊でいるより、たった一日ライオンになるほうがいい。」

 

という、オーストラリアの看護師のやや過激な言葉もありますが、基本的には、

 

「もしあなたが泣いたことがないのなら、あなたの目は美しいはずがない。」(ソフィア・ローレン)

 

などの、落ち込んでいる人に前を向いて生きていけるような、言葉がセレクトされています。個人的には、出典が気になりますが、この欄でも紹介した『絶望名人 カフカの人生論』とあわせて読んでいただけたら、効果が倍増するかもしれません。

『イツモ。イツマデモ。』高橋歩著・A-Works

<千三屋>

 

恋人でもいいし、伴侶でもいいし、子供でも、家族でもいい。大切な人と、一緒に八十年の人生を生きていくための情熱の言葉が赤裸々につづられている一冊。

この本の魅力は、著者の魅力にあるといっても過言ではないと思います。

映画『カクテル』にあこがれて二十歳で、アメリカンバーを開店し、二十三歳のときに、自分の自伝を出版するために、出版社を設立。二十六歳で結婚し、その三日後に、二人で世界一周旅行に出かけてしまう行動力は半端ではない。

一年八か月かけて、世界中の路上をかけぬけた経験の結論は、

 

「俺にとっての旅は、どこに行くか、なにをするか、というよりも、誰と行くか。」

 

勉強になりました。

 

『クレーの絵本』パウル・クレー著・谷川俊太郎著・講談社

クレーの絵にうながされるように、詩を書いてきた谷川俊太郎が、改めてクレーの絵から引き出された詩と、そこに立ち戻らせるような詩を、クレーの絵画とともに一冊に編集したのが本書です。

クレーの絵を眺めていると、何か記憶の奥底で思い出すような、名付けたい何かを感じるのですが、谷川俊太郎は、「それは解くことの出来ない謎」と断言しています。

クレーの絵は抽象ではない、といい、その理由は抽象画には精神は住めても魂は住めないから、といいます。

お気に入りの詩は「死と炎」ですが、これは是非、クレーの絵と一緒に読める本書でご覧くださいまし。

 

『今夜、すべてのバーで』中島らも著・講談社<2013.08.08>

<千三屋>

 

中島らもの小説で、三作選べといわれたら、『ガダラの豚』『今夜、すべてのバーで』『バンド・オブ・ザ・ナイト』です。

本人が入院して死にかけたとき、「三つ書いてから死の」と構想していたのは、『ガダラの豚』『バンド・オブ・ザ・ナイト』、と『空のオルゴール』だった模様。

小説としての物語の面白さでは、『ガダラの豚』が断然突出していますが、とある文学賞の選考委員は、半分の分量で書けると豪語して、賞から落選させらりたりと、毀誉褒貶もあります。文庫だと三巻、単行本だと二段組みで分厚いのですが、これは中島らものエンターテイメントにおける最高傑作だと、私は信じています。

話がずれましたが、『今夜、すべてのバーで』は、らもさんがアル中で死にかけた自身の体験を作品に昇華した純文学。冒頭に掲げられた、

 

「なぜそんなに飲むのだ」

「忘れるためさ」

「なにを忘れたいのだ」

「……。忘れたよ。そんなことは」

 

というエジプトの小話も完璧で、実に読ませます。

私の分類では、中島らもの作品は図式が単純すぎますが、『ガダラの豚』=エンターテイメント、『今夜、すべてのバーで』=純文学、『バンド・オブ・ザ・ナイト』=実験小説、というのが実感です。良かったら、あわせてお読みください。

 

『ステップファザー・ステップ』宮部みゆき著・講談社<2013.08.07>

<千三屋>

 

中学生の双子の兄弟が住む家に、落雷とともにプロの泥棒が落っこちてきた。てっきり、警察に突き出されると思っていた泥棒に、双子が提案したのは、なんと父親の代役だった。半年前に、両親がそれぞれのパートナーとともに家出をしてしまい、貯金がつきはじめてしまった双子にとって、脛に傷のある泥棒という大人の存在は渡りに船だったが、二人の子供と共同生活を強いられる羽目になった泥棒は困惑の連続である。

元・弁護士で、今はいぶし銀の情報屋、柳瀬の親父など、宮部みゆきの真骨頂ともいえる下町の登場人物たちが、七つの事件を解決に導く。中でも、ひねりがきいているのは、「へルター・スケルター」。

 

「人生なんてものは、ドラマチックな恋愛や激情でできているものではないのだ。それは、期限の切れていない健康保険証や、住宅ローンの支払いが、今月もまた無事に銀行口座から落ちたことを報せる通知や、そんな細々としたものから成り立っているのである。」

 

実感のこもった名文だと思います。

 

『動物のお医者さん』佐々木倫子〈2013.07.21〉

〈千三屋〉

 

何度読み返したかわからないし、これから何回再読するかもわからない超名作漫画。一家
に一冊あるんじゃないかと思って、友人宅にいくたび本棚を眺めていましたが、そこまで
ではありませんでした。

鬼のような顔をしたシベリアン・ハスキーのチョビと関西弁の姉御三毛猫、ミケ、傍若無
人の鶏、ヒヨちゃん。そして、ただひたすらに何かを噛んでいるスナネズミ。この鉄壁の
布陣に、チョビの飼い主、ハムテルを中心に、親友でともに獣医師を目指すことにネズミ
恐怖症の二階堂、アフリカ狂のワイルド教授、漆原や、極度の変温低血圧人間、菱沼らが
からんでくる学園物語。超個性派の登場人物たちだが、身近にいそうな雰囲気を漂わせて
いるところが、とてもうまい、と思いました。


残念だったのは、実家で飼ってる犬が、この漫画に出てくるすべての動物たちとの共通点
がないところ。

ゆいちゃん、という実に愛らしい名前の雑種犬なのですが、幼児期に公園に捨、カラスにつつかれ過ぎたトラウマのせいで、知らない人がやってくると、吠えずに噛むというアサシン犬になってしまった。

私も帰省する度に、噛まれて血まみれになりましたが、父いわく、それでも甘噛みだとのこと。犬の咀嚼力は、骨まで砕くそうです。ご注意を。

 

『時代の風音』堀田善衛、宮崎駿、司馬遼太郎〈2013.07.21〉

〈千三屋〉

 

この本を読んだのは、三回目ですが、読み返すたびに新鮮さが増し、読後感が変わるのが
不思議でなりません。今回、一番心に突き刺さったのは、司馬さんが指摘されている日本の近
代文学について。

少し長いのですが、引用します。


「ヨーロッパのフィクションというのは、大文字にしたほうがわかりやすい。Godが大文
字であるように、ヨーロッパ人はゴッドの時代が終わると、それぞれの作家が神に関係な
くてめえで世界をFictionという大嘘、大文字のフィクションにした。
  一方、日本は明治、大正、昭和初年の文学は私小説が主流ですから、それは神々です
な。『暗夜行路』といっても、神さまの一人が放浪し、漂歴する小文字のgodなんです。
だから、ほんとのフィクションはない。東京の金持ちの息子が、何か父親に対して不満が
あるらしくて、うろうろと庭先か何かでいろいろしちゃうというのが、日本人にとったら
たまらなくいいんですよ(笑)。」
 
日本の近代文学の本質をたった一言、「庭先」と言い表してしまうくだりに感動しまし
た。個人的には、大文字と小文字のくだりをもう少し、詳しく教えていただきたいので
すが、三人のうちの二人はすでに故人。続きは自分で考えます。

 

 

『続・吉野弘詩集』〈2013.07.21〉

〈千三屋〉

 

なぜ、「続」を取り上げたかというと、この詩集のなかに、名作「祝婚歌」が収録されているからです。この本を推薦してくださったのは、歩行のロゴ・デザインを手掛けてくださったゴバンの小田島。なぜ、ここで紹介者の名を明かすかというと、本書は私が小田島夫妻の結婚式で朗読した詩集だったからです。 
 
「二人が睦まじくいるためには」


で始まる詩は、詩がもっているパワーと祝福に満ちていて、陽向の道をゆっくり歩いているような暖かさがあります。そう思って、この詩を読みました。ところが、この詩を朗読させていただいたときに、失敗を一つしました。それは詩集を、バッグにいれて持ち帰ろうとしたことです。
 会場にいらしたグラフィック・デザイナーの秋田寛さんが私の様子を見咎めたのか、呼び寄せられました。頭のまわらない私は、てっきり朗読をお褒めいただけるのかとノコノコ近づいていくと、「その本。あげないの?」と一言。  
「あっ」と思ったときには、既に別の登壇者が登場しており、どうしようか、と考えていたら、遅れてやっていらしたグラフィック・デザイナーの古平さんが大きな花束を新郎の小田島さんに差し上げていたので、何食わぬ顔で祝福の列に並び、ギリギリ、プレゼントに間に合いました。 
そのときに「ありがとう」と力強く手を差し出してくれた小田島さんとの硬い握手は今も続いています。 
一冊の、一篇の詩が、人生を祝福し、またその祝福を分かち合うことができる、ということを私は、この詩集で勉強させていただきました。忘れがたい一冊です。

 

『こどもの発想』天久聖一〈2013.07.21〉

〈千三屋〉

 

小学館のコロコロコミック(懐かしい!)の名物投稿コーナー「コロコロバカデミー」に寄せられた膨大な量の小学生のハガキを編集して、一冊にした本です。

著者の天久聖一さんがお書きになられているように、正解は一つしかないけれど、不正解は無限にある、ということを思い知らされました。  
名物企画は、「右の人物にあなたの考えたニックネームをつけなさい。」で、本書のトップバッタ ーを飾るのは、言わずと知れた織田信長。

が、知らない子が多かったのか、「しゃくれウマ!!」とか「おでこ  デカ・イプリオ」など歴史とまったく関係のないあだ名が頻出。やっと、織田信長を知っている子がでてきたと思っても、そのニックネームは「あけちみつひでに殺されたバカ」。
織田信長ほどの知名度のない「チンギス・ハン」に至っては、さらに悲惨で、「さばくのとんちんかん」や「テクニカル占い師」などの名解答が山のように寄せられ、破壊力があります。

絵が下手で、ひらがなが多い、という小学生の長所以上に、正解を超越した不正解が描き出した新世界は驚異です。 

 

『思うとおりに歩めばいいのよ』ターシャ・テューダー〈2013.07.21〉

〈千三屋〉

 

思うとおりに歩めばいい、と言ったってって思いませんか?

私は啓発関係の書籍とは距離をとってしまう傾向にあり、こういうことをすすめる本とは無縁だったのですが、やはり先入観はよくないですね。読んでよかった。 

本棚に一冊置いておいて、外出するのもおっくうな雨の日に、どうしようかなあ人生、と考えているときに、手に取ると語りかけてくる言葉が実に力強く感じられました。

 

 

『彼女のこんだて帖』角田光代〈2013.06.10〉

〈あんみつや〉

 

角田光代による、レシピつき連作短編小説集。

文庫で読みました。

カバー挿画は魚喃キリコ。

 

四年交際した彼氏と別れた「彼女」が、久しぶりのひとりの日曜、自分のために、ラムステーキを作る第一話から始まり、人物やストーリーがめぐりながら、十五の話が紡がれる。一話約八頁で、小さな、献立を描いたエピソード。それぞれの料理が、なにかの理由をもって、「献立」となり、それが集まって、この本は「こんだて帖」となっている。

 

「あとがきにかえて」として書かれた文章が巻末に差されていて、これが一番強く印象に残る。自分は「おふくろの味」というものの存在を信じていない、だからこそ、母の味、母の記憶を、自分で再現できると信じたい、という結びは、作者と同じく「娘」の立場でありつつも、母との記憶をまだまだ増やすことができる私にとっては、非常に重い。

「私」のこんだて帖は、どこまで増やすことができるだろう。

 

 

 

『ボクの音楽武者修行』小澤征爾〈2013.05.17〉

〈千三屋〉

 

予想外だったのは、あの、小澤征爾の文章が、べらんめえだったこと。これには驚きました。

 

「外国の音楽をやるためには、その音楽の生まれた土、そこに住んでいる人間、をじかに知りたい。」

 

とたった一人で、スクーターでヨーロッパ旅行を企画、決行し、フランスへと辿りつくと、言葉の通じない中、数多の指揮コンクールに挑戦し、孤軍奮闘、その全てに成功していくサクセス・ストーリー。

さすが、と思ったのは、皆がスキーの道具を買い揃えているのを横目に、

 

「スキーのうまい奴はワイシャツで滑るんだ」

 

とフイテみたり、フランスで車の運転免許を取得するために、日本の学生証をみせて、これが大日本国自動車免許証だとうそぶいて、見事に運転免許の実技試験にもぐりこんでは合格するタフネス。指揮のコンクールの願書提出日に間に合わなくても、智慧をしぼって、アタックし続ける。絶対にあきらめないという精神が、何より本書を輝かせている。

 

『花岡ちゃんの夏休み』清原なつの〈2013.05.06〉

〈あんみつや〉

 

表題作はりぼん1977年8月号掲載。

 

 

時として考えるのだが

私は

「いったい何のために生まれてきたのだろうか」

「どこへいくのか」

何度考えてみても

いくら本を読んでみてもわからん

 

 

という一こまめから始まる、おかっぱ眼鏡の女子大生、花岡数子の物語。

当時のりぼんってすごいなと感心しつつ、でもアンパンマンの主題歌も負けてないかと思い直します。ゴーギャンだわ。

そんな考える女子大生花岡ちゃんが、本屋さんで古典的ともいえる出会いかたで「蓑島さん」と知り合って、時間が流れていくさまが、時々ちりばめられるはっとする言葉とともに描かれていきます。

 

この本を持ってきてくれたのは大学時代からの友人で、

本をきっかけにして大事な人に出会った花岡ちゃんとわたくしめを重ね合わせてくれたそう。

その友人が、昨月結婚式に呼んでくれました。

大切な友人に、そして旦那様に、心から、おめでとうとこの場を借りて。

 

 

 

『涼宮ハルヒの憂鬱』谷川流〈2013.03.29〉

〈千三屋〉

 

私は兵庫県宝塚市の出身です。何が言いたいかといえば、この小説の舞台になった西宮市の近所だということです。土地勘はありますが、しかし、ほとんど関係ありませんでした。

角川のスニーカー大賞の受賞作、つまり著者のデビュー作なのですが、ライトノベルとは思わせない、闊達な言い回しや、流暢な文章、そしてニヒルな日常への視線というのが、実に小気味いいです。しかし、本書の最大のポイントは、そこではありません。そう、美少女軍団です。神秘的な無表情眼鏡娘・長門有希、ロリ顔で巨乳の朝比奈みくる、そして主人公の超越的美女・涼宮ハルヒが、コスプレに興ずるとあらば、これはもう、読むしかありません。お楽しみくださいまし。

 

 

『白銀ジャック』東野圭吾〈2013.02.26〉

〈あんみつや〉

 

あるスキー場に、ゲレンデ爆破の脅迫状が届く。一つ犯人の要求をのむたびまた一つ求められる身代金、過去のゲレンデ事故、閉鎖されたゲレンデ側の町の困窮・・・。

どこかでこんなことが起きているかもしれないなと思わずにはいられません。

スキー場を整備し客を守るスキー場の社員たちと、彼らをとりまく様々な思惑、それぞれの理由でスキーやスノーボードを楽しもうとする客らのゲレンデへの想い。その展開を追いながら、白銀での彼らの勇姿を頭に描いて楽しみましょう。

 

読み終えたら「私をスキーに連れてって」が観たくなりました。

ユーミンの「恋人はサンタクロース」が頭の中でエンドレスに響きます。

 

〈千三屋〉


折り紙みたいな小説です。折れ線があらゆるところについていて、読み進めるうちに、パタパタパタと畳みこまれて、一つの作品に仕上がってしまう。この技術の冴えには毎度のことながら感服いたします。


『風が強く吹いている』三浦しをん〈2013.02.23〉

〈あんみつや〉

 

「寛政大学」の学生を中心とした箱根駅伝小説。大学最後の春を前にしたかつての長距離ランナーハイジは、偶然出会った新一年生・走(カケル)の走りに一目惚れ、竹青荘に招き入れ、走をもって揃った住民十人で、陸上部として予選会突破、ついには箱根駅伝を目指す。

 

 運命の出会いとも言うべき、万引きした走を自転車で追いかけるハイジの「もしもこの世に、幸福や美や善なるものがあるとしたら。俺にとってそれは、この男の形をしているのだ。」を読めば、彼の駅伝と走に対する想いがわかるというもの。漫画部屋の住人で容姿端麗の王子、黒人留学生ムサ、双子のジョータとジョージ、故郷の期待をしょった神童、司法試験に合格済みのユキ、ヘビースモーカーのニコチャン先輩、クイズ王キングらとともに走る姿を見ていると、次の箱根駅伝が待ち遠しくなります。

 

 単行本は山口晃の超絶素敵カバーに挿画つき。表紙の、9区走「すぐに行きます 待ってて下さい」10区ハイジ「君たちに頂点をみせてやる」を見ただけで感動ものです。ぜひ手に取ってご覧ください。

 

 

〈千三屋〉

 

大好きなんです、箱根駅伝。この10年間、テレビを封印して、正月、帰省したときだけ、集中して箱根駅伝を読み、また見てきました。僕にとってテレビというのは箱根駅伝のことで、にもかかわらず、何も覚えていません。こんなに残念なことはないのですが、しかし、漠然と鑑賞していても、箱根駅伝は面白い。だから、箱根駅伝を描いた小説はさらに面白い。という勝手な論理を構築しているのですが、本書はそれを裏付ける大切な証明です。小説だけでなく、漫画も面白く、映画はやや残念でしたが、完璧です。

 

 

『トップ・レフト ウォール街の鷲を撃て』黒木亮〈2013.01.25〉

〈千三屋〉

 

タイトルのトップ・レフトは、金融用語で、国際協調融資の主幹事銀行に与えられる栄誉。最上段左端にその名前が記載されることから、この名前で呼ばれる。本書は、このトップレフトの座を巡って、争われる国際金融物語。

日本の富国銀行のロンドン支店次長・今西哲夫と、富国銀行から転身してモルガン・ドレクスラーで部長として活躍する龍花丈。二人の過去と確執をめぐって、物語は大きく国際金融の舞台をかけめぐる。

巻末に国際金融用語集が付いているように、なかなかハードな本格金融小説です。

 


〈あんみつや〉

 

一気に読みました!

この本が出版されてから10年以上経ちますが、今読んでもなお数々の示唆に富んでいます。

海外に行くと感じる、「日本ってなにやってるんだろう」感…ひとたび海の外に出れば、世の中がすごい勢いで、あらゆる方向に動いていて、ほんとうは日本って取り残されているんだなあとはっと気づく。なんて内向きなんだろうと。言語一つとっても、どう考えたって今道具として英語は必須であってそのうち英語を解さなくては何の仕事もできない時代になる、ほんとうは、会社で英語公用化にアレルギーを起こしひいひい文句を言っている場合でも、うちの会社は大丈夫とにやにやしている場合でもないのであって、国も人もみんなもっと真剣に世界で何が起こっているか、また起こっていることを自分に関係のあることとして考え、考え続けなければいけないのではないのかしら。世界とつながる道具はもちろん英語でなくてもいいけれど、今の時代に生きている、関わっている責任は、各個人にある、そのことを失念しっぱなしでは、きっと困ったことになるはず。

 一部の、状況がわかっているひとたちだけが、世界で活躍し、評価され、外を見ましょうよと言ってくれているのに、自分のことで頭がいっぱい…ではいけない、という気持ちを最近私はすっかり忘れていたなあと、とっぷり反省しながら読み終え、以前紹介したマルジの言葉を思い出し、新聞を読むのも、英語の勉強も、真剣になったのでした。

ネガティブな動機からではなく自分が必要だと思って楽しく勉強し始めたところへ、いい叱咤をいただいた感じであります。

 加えて、この本は金融業界を描いた小説で、読みながらそちらの知識もまったく不足していることを痛感したと同時に、こういう世界で生きている人がいて世界を動かしている一方で、この国際金融業界という自分(そしておそらくは多くの人)のよく知らない・身近にも感じられないこの世界の影響が、嫌でも自動的に生活に及び、生活が崩壊する危険すらあるその恐ろしさを感じざるを得ないのでした。

今年初めて読んだ本は、今の自分が読むべき本でした。

 

ちなみに、作者の黒木亮さんは、元箱根ランナーですね、千三屋さん!

 


※ちなみに文庫版は出版社によってサブタイトルが違いますが内容は同じです。初出は上記サブタイトルで、祥伝社文庫収録時「都銀vs.米国投資銀行」となり、角川文庫収録時原題に戻ったようです。お買い求めの際はお間違いなく・・・。

『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』岩崎夏海〈2012.11.27〉

〈あんみつや〉


「もしドラ」「もしドラ」とあまりに聞き慣れたせいで、正式名称を言えないことに気づく。

今覚えました。

「もしドラ」という文字づらをじっとみつめていたら、「もし高校野球の女子マネージャーがドラえもんを読んだら」などと想像が拡がる。検索すると同じ思考回路の人がスレッドを立ち上げていた。「もし高校野球の女子マネージャーがドラえもんだったら」なんてのもある。絵もついている。それは私は想像しないようにしていた。愛唱歌のひとつに「ハロー!ドラミちゃん」を数える私としてはマネージャーはドラミちゃんのほうがいい。

 

普段ベストセラーは買わない。買った本がベストセラーになることはあるが。書店でぱらりとめくるくらい。買いたかったら世間の熱が冷めた頃にひっそりもとめる。

もしドラはまだまだ売れつづけ、エグゼクティブビジネスマンの推薦書にも挙がる。

ブックオフでもまだ500円の高値。

人気のわけは何か。軽く読めて、でも自分の身に引き寄せて考えるきっかけになるから。自分もやってみよう、と思えるし、そう思ったら簡単に応用できるしくみになっているから。

主人公は、ドラッガーの『マネジメント』を自分の属する「野球部」にあてはめ、この「顧客」とは、野球部にとっての誰か?などと置き換えてゆく。それを読者はさらに自分の立場に変換する。シンプルである。だからきっと売れている。

職場ではなくて、家庭に当てはめてもよい。家庭もひとつの組織だもの。

表紙とタイトルを見ただけでなんとなくストーリーはわかってしまうけれど、読むことに意味がある。みんなが読める本。

 

〈千三屋〉

 

読みながら、色々な組み合わせを考えていました。マッチ売りの少女が、何を読んだら物語になるのか、とか本当に他愛のない話ですが、ジャンルを創れる力のある小説です。楽しかったのですが、野球部のマネジャーには渡したくない一冊だと思いました。

 

『西の魔女が死んだ』梨木香歩〈2012.11.16〉

〈あんみつや〉


西の魔女とは主人公の少女まいのおばあさんのこと。

中学校に行くのが苦痛になったまいは、母親のはからいで、祖母の家でひと月あまり暮らすことになる。その回想の物語。

 

もっと幼い頃に読んだら感情移入できたかなあ、と残念に思うけれど、私が『魔女図鑑』という本が好きだったことや、転校してきた髪の長い女の子が魔女みたいで、その子も『魔女図鑑』を知っていたことなんかを思い出した。

 

雨を降らせる、または止ませる呪文を唱えたり、紅茶占いをしたり。

今の小さな女の子たちも、魔女ごっことかするのかしら。

 

〈千三屋〉


窓ガラスをときどき、無駄に見つめています。それは、この小説の影響ですが、この小説の一番うまいところはタイトルだと思いました。ファンタジーを感じます。中身もいいのですが、本棚から抜き出したくなるタイトルです。

 

『博士の愛した数式』小川洋子〈2012.11.16〉

〈あんみつや〉


すばらしくいい話で、本については書くことが見当たらない。

本屋大賞の第一回受賞作だったのだね。

 

数学はほんとうに美しい。中学の数学の先生が、のっけからこの学問の美しさを教えてくださって、算数が大好きだった私はさらにその世界が好きになったのだが、あいにく美と厳しさは裏表であって、先生の鮮やかな数さばきに見とれていたら私の数学の成績は知らぬ間に高度を下げ、以後高校に至るまで低空飛行を続けることに。

そんな私の数学への思いにも似た、暖かく切ないお話です。

 

〈千三屋〉

 

はじめて読んだとき、この小説をニュートン算で頭が真空状態になっていた小学生か、もしくは二次関数を投げだした中学生のときに読んでいたら、確実に人生観が変わっていたと思いました。この数学の、数式の物語は、星座の物語と同じように美しくて、引力のように心がひきつけられます。驚いたのは、仕事先の老人ホームのヘルパーさんのニックネームが「ルート」だったこと。後頭部を検証してみたくなりましたが、なかなかお会いする機会に恵まれません。

 

 

『隠蔽捜査』今野敏〈2012.11.11〉

〈あんみつや〉


警察組織に題材をとったシリーズの一作目。

 

ある連続殺人事件の捜査をめぐり物語が展開するが、描かれているのは事件そのものよりむしろそれを取りまく人間模様。

なんといってもこの小説では、警察官僚である主人公・竜崎が魅力的。

一途に真面目に頑固に純粋に、エリートとしての考え、行動をつらぬく姿はあきれるほどまっすぐで、大マジメ。ここまでやられたら好感を持たざるを得ない。

真面目にやるほどおかしい、秀逸な笑いの世界を見るよう。

警察小説・連続殺人の文句にひるむことなく手に取れば、一気に引きこまれます。

 

はまりにはまった人が、隣に一人・・・

 

 

〈千三屋〉


全巻読んでます。ご紹介していただくまでは、不覚にも読んでいませんでした。誠にお恥ずかしい限り。キャラクター小説として抜群なだけでなく、本筋の構成も骨太という、まさに警察小説の白眉ですね。新刊は常にチェックしております。読んだことない方は是非。エンターテイメントの大傑作です。が、実はこれ、隠蔽捜査してるのって、実は1巻だけじゃありませんか?

 

 

『葉桜の季節に君を想うということ』 歌野晶午〈2012.11.11〉

〈あんみつや〉


歌野晶午の日本推理作家協会賞・本格ミステリ大賞受賞作。

 

自分で読む本を選ぶ時は書き出しの数頁を確かめてから決めるので・・・自分の基準では手にとることはなかった本だと思う。

しかしこの冒頭の印象の強さが、この小説には不可欠だということに読み終わると気づく。

人間の先入観というのは恐ろしいなあと、途中ではっとした次第。

 

ミステリを読む人は大きく2種類いて、仕掛けにいかにはやく気がつくか、勝負を挑みたい人と、だまされることを楽しんで最後にすかっとしたい人とがいるそうな。

どちらの人もきっと楽しめる一冊です。

葉桜が紅葉し、今年は見納めの今、是非。

 

〈千三屋〉


うまい小説です。「アクロイド殺し」の不誠実な語り手ではなく、誠実な語り手がいかに読者をあざむくのか、の絶好の見本。技巧的にうまいだけでなく、読ませる力も半端ではなくて、最後まで読ませます。どこで気が付きました? 私は、かなり最後のほうでした。今度、いつ物語の仕掛けに気が付いたのか、雑談したいです。

 

『手軽な釣りのはじめ方』〈2012.10.31〉

〈あんみつや〉

 

幼少時、夏の旅行先の定番に能登半島があった。 

ホテルを出ると目の前は砂浜。

貝を拾うのが好きで、標本を作った。

砂浜は好きだがしかし海は広く海岸は長い。

断崖絶壁、真っ黒な日本海。

海はこわい面も私に見せてくれた。

そのせいか否か、今や私は海及び水辺恐怖症である。

本や画像で海の写真を見ると、その写真の海の真上に自分が立っている心地がして、吸い込まれてしまう。

ので、この本もこわごわ開き、顔を知った魚とご挨拶をしてそそくさ閉じてしまった。

海は広く釣りは奥深い(川や池や湖での釣りも)。だろうな、と想像いたします。

その世界の扉を開きたい人にはぴったりの一冊でしょう。

 

〈千三屋〉


淡路島は、洲本でタコ釣りをはじめました。同僚が暇つぶしにはじめたのですが、まったく釣れず。何故か、という疑問に答えてくれたのが本書でした。ルアーをぴょんぴょんさせずに、海底をずるずる引くこと。タコが乗ると鈍い重みが伝わってくるので、そのときに引き上げる。簡単です。が、未だに釣れません。さすが釣り。海のように、奥が深いですね!

 

 

『スウィング』ルーファス・バトラー・セダー〈2012.09.29〉

〈千三屋〉

 

「しかけえほん」とひらがなで表紙に書いてあります。ページをひらくたび、少年がバットを振ったり、少女がリフティングをしたりします。実に単純な仕掛けの絵本なのですが、ページをたぐるのがたまらなく新鮮。友人が赤ちゃんを連れて遊びに来てくれたので、この本をめくって驚かせてやろうと思ったのですが、まさかの無反応。よくよく読むと、対象年齢は3歳から。贈り物に最適な一冊ですが、くれぐれも年齢にはご注意ください。

 

〈あんみつや〉

 

どこかの夫婦の話。

「お嬢さんと結婚させてください」の時、夫となる人は花束を持ってくると言ったが手にしていなかった。

妻となる人は、花が好きだということもあり、内心がっかりしていた。

無事結婚が認められ、夫となる人は紙包みを取り出して、妻となる人に渡した。

包装紙をあけると、中には一冊の本が入っていた。

花束でいっぱいの、しかけ絵本だった。

彼曰く、本の花なら、いつまでもきれいに咲いているから。

いい話。

 

そんな用途にも大活躍のしかけ絵本。

コレクターでもない限り、しかけ絵本は自分のために買うことはなかなかない。

小さい頃はもっぱら読むのみ、大きくなったら小さい子にあげることはあっても。

そういう意味の新鮮さと、この本のしかけは高度で、ほんとうになめらかに画が動くので楽しさ倍増。

上記千三屋のエピソードの後、生後12ヶ月のちいさな来客があり、見せてあげたらきゃーあと喜んでくれたので、いつかうちで必要になるまで、と貸し出し。

楽しんでくれますように。

 

『阪急電車』有川浩〈2012.09.04〉

〈あんみつや〉

 

少し前まで有川浩は男性だと思っていた。そしてそのもう少し前まで長嶋有は女性だと思っていた。よくある話であるらしい。

Wikipediaの有川浩の項には「女性小説家」とあり、長嶋有の項には「小説家」とある。これもよくある話であるらしい。


それはさておき。

この小説は阪急電車の今津線を舞台に繰り広げられる、ありそでなさそな物語である。

映画を先に観ていたので、読みながらあの俳優陣がおのずと頭の中でしゃべって動く。あまりにそのまんまであった。きっと原作の世界観を大事にして映画を作ったのであろう。多分そういうことだろう。・・・。


自分の事だが、私は中学校から電車通学をしていた。

よって、人生の半分以上電車で学校や会社に通ってきた。

そうして毎日電車に揺られていると、いろいろな事を考える。

電車はまるで人生のようだ。

始発からずっと一緒に乗っている人、途中から乗って来る人、途中で降りる人。

各駅停車でゆくか、快速でとばすか、乗り換えてみるか・・・。

昔から電車に乗っているとそうしたことを考えざるを得なくて、そして乗り合わせた時に見聞きする出来事から、「人生の機微」を味わったり感じたりもする。

 

そういう気持ちを共有できる人と乗り合わせたら、『阪急電車』のようなことが起こるのかもしれない。


今日は西宮に行ったので、帰りは『阪急電車』と同じ、今津線に乗った。

西宮北口から、宝塚まで。

座っていたので車窓からの風景は片側しか見ていない。

終着駅は始発駅、ということで、小説のように折り返して、今度は反対側の座席からの景色を楽しみながら阪急電車に乗ってみよう。

〈千三屋〉

 

地元のことが書いてある本を読むときは、大好きな漫画がアニメになったときのような違和感があるので、なかなか読めず。映画が合わなかったので、どうかなあと思っていたのですが、同じ物語でも文章で読むと全然違うあたりは、さすがは有川浩。読ませますなあ。
 

『はるかな国からやってきた』谷川俊太郎〈2012.06.03〉

〈あんみつや〉

 

谷川俊太郎の詩のアンソロジー。「全ての生は幸福である」というコンセプトで、谷川氏の詩802千編から選び、編まれたという一冊。

 

ことばあそびうたの、かっぱかっぱらった・・の「かっぱ」や「二十億光年の孤独」。谷川俊太郎の詩には小さいときから親しんでいる人が多いだろう。私もその一人といえる。

 

詩というものについて考えると、わけがわからなくなってくる。形式のあるもの、なきもの(形式がない、という形式の場合もある)なんでも「これが詩です」と示してあれば、ひとまず詩になってしまう。一方で詩と説明されなくてもぴんと屹立してゆらがないものもある。

 

その中で、谷川俊太郎の詩は親切だと思う。説明しなくてもわかるでしょ、と読む人を置き去りにしたり、解釈を読む人に投げたりしない。一篇のなかで詩の言葉で説明が行われている。だから、ときどき読んでいて「この2行だけで充分伝わります、谷川さん」と言いたくなることもあるけれど、特にこの一冊にあつめられた詩たちはやさしく強いまなざしがある。

 

一篇選ぶなら。「なんにもない」。 

ないないずくしということを強がっているようにも見せて、でもたぶんほんとうはうけとめて肯定している。なんでもある、が幸せかどうか。幸福とは自分で決めるものだ。

 

〈千三屋〉

 

この詩集から一篇の詩を選ぶとしたら、なんだろうと考えて、読みはじめました。

 

はじめは、「成人の日に」かなと思いましたが、二周目してみると、考えがかわって「アンパン」だとわかりました。詩集は不思議なもので、焦燥感にかられていたり、生活に負荷をかけられた状態で読むと、字が頭に入ってきません。でも、この「アンパン」はちょっと違うと思いました。是非一読をおすすめいたします。

T.G.用紙という、地球の未来を考えてつくられた紙を使った愛らしい一冊です。

 

『ペルセポリス』マルジャン・サトラピ〈2012.05.29〉

〈千三屋〉

 

イランの少女が大人になるまでを描いた自伝漫画。著者が1969年生まれだから、書かれていることを微妙に知っているつもりだったが、読んでみると、まったく知らなかったことがよくわかった。

 

 小学生のときにイスラム革命が起きて、いきなり学校が男女別々になったり、ヴェールをかぶらなければ街中で暴徒に殴られたり、罵倒されたりするようになってしまう。しばらくすると、イラン・イラク戦争がはじまり、爆撃で友人は死に、愛する叔父さんはロシアのスパイだとされ、拷問されて殺される。14歳で、逃げるように海外の学校に入学し、調子にのって羽目を外し、ドラッグに手をだし、失恋し、ホームレスになり、傷心して帰国……、まだまだ続くが、一向に共感できるところがないし、想像以上に簡単に人が死にすぎていて、ブラックユーモアにしては黒すぎて笑えない。この漫画のフレームの向こう側で何人の人間が殺されていったのかを数えようとして、やめた。この漫画は二巻で終わるが、現実はまだこの物語が終わっていないことを報道し続けている。

 

 

〈あんみつや〉


千三屋の本棚にあったので存在は知っていた。

この機会に読む。


曇りの、体がどうにも動かない日に手に取った。 

白と黒のバンド・デシネ。 

血なまぐさい深刻な時代背景をも、砂のようにからっと描く。魅力的な絵。 

マルジの、生きる事への正直さとかしこさにただ驚くばかり。

時に無邪気に、関係ない人をまきこんで、自分の身を守ったり。

読んでいると自分にはこんな生命力も機転もない!と愕然としてしまう。

そしてここに描かれた情勢は、私の今と平行に、なおここかしこで続いている。

 

一番印象に残った箇所。

1992年にマルジの実家でテレビが見られるようになり、朝から晩まで釘付けのマルジにパパがいったんどうしたんだい、と注意をする。

マルジは言う。

「今は人妻で、22歳。立派な大人よ!」

父親は

「誰だって22歳になれるし、結婚も出来る。特に頭を使わなくったってできることだ・・・」

マルジは怒って帰るものの、反省し、父に情勢を学ぶための本を借りて、生活をあらためる。昔のように勉強をする。議論をする。

そしていつもと同じ結論に。

「知識を身につけなければならない。」

 

そうだね、マルジ。背筋がしゃんとする本。

 

 

『新流行建具カード 變つたドアー』(建具工藝社)〈2012.05.23〉

〈あんみつや〉


建具工藝社から出た建具工藝の雛形本、「新流行建具カード」シリーズの第5巻。当時の定価350円也。 

カード一枚にドア一枚の写真が印刷されており、全部で50種のドアを見ることができる。 

 

カードをおさめた表紙の内側に『月刊建具工藝』の広告が印刷されており、そこにはこうある。

 

建具業を営業される上に於いて、建具工藝は一番必要であります、毎月の金物、木材建具、其他の資材の動きから、建具技術の講座まで、くわしく御知らせした其上に口絵の写真や図面が非常に参考になり、口絵写真だけ集めても立派な写真帳が出来ます。

一ヶ月にタバコ一個を倹約されたら建具工藝を毎月取っても余ります。(一部五十円也)

 

統計局のデータで調べたところ、東京都における昭和33年のたばこ小売価格は40円だった(ピース10本入りhttp://www.stat.go.jp/data/kouri/3.htm)。

年間購読すると一年で送料込み500円に割引され、月当り41円。とんとんのようです。

 

私は掃除しやすさそこのけで職人技ここにきわまれりといった風情のNo.38と迷った末、No.10に。模様ガラスをはめこんだドアーを選びました。こんなドアー今でも欲しいなあ。

 

額装してもたのしそうな楽しい本です。

 

 

No.10
No.10

〈千三屋〉

 

「變ったドアー」という本の内容よりも興味深いのは本の体裁であり、形式だ。なかなかアグレッシブな体裁をしていて実に小気味良い。

 

NO.33 

 

一見すると床にしか見えないが、ドアである。発売当時の昭和三十三年には、アヴァンギャルドな變ったドアーの雛形本として、建具業界を大いに揺さぶったのかもしれないが、平成育ちの私には今いち実感が湧かない。

 

私の曽祖父は大工の棟梁だったので、戦前のアヴァンギャルドには勿論通じていたはずだろうから、その時分のことを聞けばきっと、この雛形について快く教えてくれるはずだが、残念なことに私が無邪気に金槌を叩いている姿を見て「決して大工にだけはするな」との遺言をのこして泉下の人となってしまった。

 

 

 

 

 

No.33
No.33

『犬が星見た ロシア旅行』武田百合子(中公文庫)〈2012.05.22〉

〈千三屋〉

 

「竹内と百合子と俺で旅行しておきたいと思ってたんだ。それに三人で行けるなんてことは、これから先、まあないだろうからな」

  

竹内というのは、中国文学の泰斗、竹内好、百合子というのはこの本の著者である武田百合子、俺というのは武田百合子の夫であり、作家・武田泰淳。このロシア旅行は、旅行会社が企画した「六九年白夜祭とシルクロードの旅」で、この言葉通り、この三人での旅行は最後になったが、武田百合子が残してくれた文章のおかげで、いつでもどこでも、この旅行に触ることができる。

 

あの竹内好がデザートにヨーグルトを食べられなかったことに不機嫌だったり、武田泰淳がホテルの食堂の海老に大興奮し、「俺は夜もこれをとる。明日もこれをとる。気に入った。毎日これを食うぞ」と気勢を上げるものの海老を頼むとセットでついてきてしまう本命の肉料理のボリュームに心を折られ「もう海老はとらなくていい」と悄然としている様が、失礼かもしれないが、素晴らしく可愛らしい。

 

武田百合子は武田泰淳に<写真はメモ代りだからな。何でもかんでも写せ>と頼まれて、何でもかんでも写していた写真機にフィルムを入れ忘れており、竹内好は楽しみにしていたヤルタ会談の城に行き忘れ、武田泰淳はチェーホフの家に帽子を忘れてしまう、こういう失敗談には身に覚えがあるから、誠に勝手な親しみを感じてしまう。

 

このエッセイが卓抜なのは、単に面白いことが書かれている、というわけではない。武田百合子の視線である。例えば、天山山脈を見て、

 

「窓硝子に額をぴったりつけて、さえぎる雲一つない大快晴の天空から、天山山脈を見つづける。まばたき一つしても惜しい。息を大きくしてもソン。頂きに真白な雪をのせて、ゆっくりと少しずつ回りながら天山山脈は動き展がってゆく。大昔、煮えたぎっていた熱の玉が一個、まわりながら冷えていったとき、どうしたわけか、ここにばかり皺が偏って出来てしまったのだ。それからずっといままで、四季の移りかわりも人も獣も寄せつけず、死んだように眠っている。何の音もない世界。生きもののいない世界。ガランドウというかカラッポというか――そういう大交響楽がどろどろきわたっている。死後に私がゆくのは、こんなところだろうか。」

 

本書のタイトルは、生粋のニヒリストでもあった武田泰淳が、「百合子は犬だよ。どこへ行っても、臆面もなく、ワン、なんていってるんだ。何にもわからんくせにな」と犬に見立てていることに拠る。普通はそんなことを言われたって、そのまま書かないし、書けない。「ポチ」と呼ばれてうれしい人はいないはずだ。だが、武田百合子はそれを書く。単に書くだけでなく、肯定する。どんどん肯定していくから、不思議なぐらいに不快さがない。

もっとも、武田泰淳は文豪であるから、一読すると、我儘なおじいちゃんに読めないこともないが、そう単純な男ではないのである。

一見すると悪口にしか思えない言葉も、読み進めていくうちに、気が付くと愛情あふれる言葉に変容している。

武田百合子の文章の読者の特権である。

 

 

 

〈あんみつや〉

 

武田百合子には一目置きつつも、好きと言えないできた。それはなぜかをこの機会に考えた。 

 

嫉妬だ! 

 

単に文章がよいからではない、いかにも骨太の男性にもてそうなことをさらさらと書く。 

『富士日記』の料理のレパートリーを見てもそう思う。 

ねらっているわけではないのに、そうなっている。そういうパワーに溢れている。

うそだと思うならば武田百合子を評す男性の文章を読むといい。

まるで初恋の人相手に書いているようだ。

予感は文庫版のこの本の色川氏の解説で確信にかわった。

 

クラスで人気がある女子を、いい子なんだけどなんだか好きになれないし、好きだというのはいやだな、という心理。

いつかコダワリなく好きと言えるようになるのかしらん。

 

銭高老人のように「あーあっ、おもしろっ」と愉快な、愉快がる、老人にはなっていたいものです。

 

 

 

『文士料理入門』〈2012.05.22〉

〈あんみつや〉


狩野さんの料理が好きだ。


この本の、あるいはコクテイルのメニューはそもそも作家が書き残したから存在するわけだけれども、料理という翻訳をわれわれにしてくれるのは狩野さんだ。料理がそれぞれもっていた生活感がひとつひとつ立ちのぼってくる、そういう料理を供してくださる。 

 

本の帯に、「名作の傍らで息づくホックホクの料理を徹底再現!」とあるけれど、そうではないことは「はじめに」を読めばわかることであって、レシピは読者にゆだねられ、自分で翻訳することがゆるされている。しかし記されたレシピという翻訳はとても絶妙なので、まずはその名訳を味わうのがよろしかろうと思う。 

 

レシピをながめ、料理の写真をねめていると、文士がそれぞれふわりと姿をあらわす。 

どこまでもほれぼれするほどに徹底的にしゃれている宇野千代。武田百合子の作るものは文章と同じくに男性に好かれそう。向田邦子の料理は作ればわかる、これは長女のサービス精神がなす料理。幸田文の生き方に通じる歯切れ良さ。男性陣にはそれぞれにコダワリと美学がみてとれる。 

 

こう書いているとただただコクテイルに行きたくなる。