埼玉ワンダーランド 長瀞紀行篇

気分は、開高健

 

午前10時半、新宿でK先生と落ち合って、エルブレスで季節外れの海パンを買う。ベルクで麦酒を飲んで、いい心地になってから、西新宿で、伊藤夫妻の運転するバンを探す。ドアから手をだして大きく振る、二人をみつけて早速同乗する。

運転する二人には誠に申し訳ないけれど、後部座席に腰掛けた我々は、セブンイレブンで買い込んだ麦酒とあたりめで杯を重ねる。

中野坂上を右折して、山手通りを走ると、マンションの頭上をはるかに越える、高速道路の支柱が転々とそびえたっている。司馬遼太郎が『街道を行く』にかきつけたとおり、東京はいつも「工事中」である。

高速に乗り入れて、サービスエリアにはいると、早速空になった麦酒を求めて徘徊するも、やはり、売っていない。

「つまみコーナーがあって、本体がないというのは、おかしなことですよ」

というK先生の憤りは鋭い。商魂の裏側をついている。

麦酒がないとわめく我々に、旅なれた伊藤夫妻は車に積み込んだクーラーボックスから缶ビールをとりだして、思う存分呑ませてくれる。車に流れる「名残り雪」の歌詞が語ろうとしている意味を探る、三人の討論を尻目に、健やかな眠りの中に落ちる。

肩を揺らされて目をあけると、そこは虹鱒の釣堀で、餌代、貸し竿はすべてフリーだが、そのかわり入園料150円、に釣った魚はすべて買いとらないとイケナイという縛り(一匹500円也)がある。意気昂揚と、釣り糸をたらすといきなり、入れ食いで、もう気分は開高健である。愉しいことこの上ない。

釣った魚の釣り針を、伊藤氏に外してもらうという手のかかりかたはご愛嬌で、なかなか釣れないK先生を尻目に、釣った魚を焼いてもらう。ワタをぬいて、塩をまぶして焼いた虹鱒は、身がしまっていて、淡白な味わいの中に、甘みがある。

「鮎よりうまい」

麦酒と虹鱒に、舌鼓をうつ一行にうなづきながら、もう一眠りする。昼日中から酔っ払って、畳に寝転がる誘惑には勝てない。

でしょう?

 

河童の川流れ

 

岩だたみで知られる、埼玉の奥地、長瀞のコテージに車をとめると、荷物を放り出して、川遊びにいく。長瀞に流れる川は、松尾芭蕉が奥の細道へと旅立ったことで知られる荒川の上流で、一枚の貝殻の上の表面を歩いているような、断裂した地層の起伏が美しい、長瀞の岩だたみの中を静かに流れている。幻想的で、歩いているだけで、映画になりそうだった。

長瀞の語源は、瀞(トロ)すなわち、湖面の凪のような流れがおだやかな部分が長いレンジであるということに由来する。故に、水面がコバルトブルーみたいな穏やかな青をしていて、見飽きない。

早速、エルブレスでかった海パンにはきかえて、勇躍、川の中に飛び込むと、川の中腹には、活きのいい激流があって、ものの見事に流されてしまう。僕が泳げないことを知悉している伊藤先生は、僕が川の中ではしゃいでいるのではなく、溺れているのだと気がついて、岩の上に引き上げてくれる。

岩の上であえぐ僕を尻目に、伊藤は、少し泳いでくる、と対岸まで泳ぐと、万歳をして、大きく手を振っている。僕も手を挙げて、伊藤にこたえると、後ろで、PTAの団体旅行の一群のような、ちょっとみたところでは、一体何の集まりかわからない人たちに出くわす。

彼らは、岩の上から飛び込みの練習をしているらしく、ウェットスーツを着込んだ小学生低学年の長髪の少年がなかなか飛び込めないらしい。崖の下の川のなかには、ゴーグルをつけて、ウェットスーツを着た大人二人が立ち泳ぎをしながら、少年を励まし続けている。暇だったので、少年に話しかけると、こっちを向いて、ぎこちなく笑う。

ゴーグルをつけたおじさんに、川の底まで何メートルあるんですか、とたずねると、4メートルという。青くにごっていて、川底は見えない。

ざぶん、と音がして、伊藤が対岸から泳ぎ始める。一向に飛び込む気配のしない少年を尻目に、みな伊藤の泳ぎを見つめている。川の中腹まで勢いよく泳いできた伊藤は、一転して、そこからすすまなくなる。勢い良くクロールしているにもかかわらず、川の流れに押し戻されて、しまいにはどんどん流されていく。

「さようなら」

心の中で一瞬よぎった思いをよそに、少年用の救助用浮き輪が川の中腹に投げ込まれる。

「大丈夫か!」

ウェットスーツの二人が声をかける。伊藤は当然のごとく話せない。必死に泳いでいる。

「彼の名前は?」

ギャラリーからたずねられるままに、こたえると、みんなで大合唱がはじまる。

「伊藤くん、頑張って、もう少しだから。浮き輪をつかむんだ!」

伊藤がなんとか浮き輪をつかむと、屈強な男二人に引き寄せられて、あたしの隣に打ち上げられる。

「危なかったなあ」

「うん」

「すこし、歩くか」

「うん」

ギャラリーに三顧の礼をして、立ち去る。

K先生とアキコ氏は、川べりで麦酒をおいしそうに呑んでいて、僕達が頭の上までびしょびしょになっているのをみて、たのしそうに笑う。コートジボアールのような夕日が沈む。

クレイジーダック

 

クレイジーダックというのは、いまは無き、阪急資本のテーマパーク、宝塚ファミリーランドのアトラクションで、ウォータースライダーのごとき流れるプールのなかを大きなタイヤのような船に数人で乗って、波しぶきをかぶる乗り物であった。お金を払ってただ濡れるというのでは、割りにはあわないのだけれど、親にせがんで何度ものせてもらった。何度乗っても飽きない。いま思えば、これはラフティングのアトラクション版に違いない。実際に、荒川でラフティングをやってみて気がついた。

荒川のラフティングは初心者向けで、その上、その日の水量は6割程度。靴の中に川の砂は入るし、水は冷たいし、パドルは重い。全身は筋肉痛でしびれてうごかなければ、日焼けして赤くはれた皮膚が粟立つように熱い。

しかし、そのすべてがふしぎと心地よいのである。

川の中を不器用に漕ぎ出すパドルは不ぞろいで、回転しながら岩に激突し、わあわあきゃあきゃあいいながら、波をかぶる。流れが凪ぐと、長瀞の岩だたみの幻想的な景観がひろがり、雨の日は、岩の上を水が走り、虹がかかることもあるという。ガイドさんいわく、仮面ライダーからAVまで、撮影のロケ地として多用されており、今日もNHKの「坂本龍馬」の撮影をしているという。

「ここです」

ガイドさんが指差した場所は、まさしく我々が溺れた場所であった。すると、あたしが、PTAの集団だと思っていたギャラリーは、実はNHKのドラマ「坂本龍馬」の撮影スタッフで、昨日の少年は在りし日の坂本龍馬か。昨日のウェットスーツ姿とはうってかわってフンドシをしめた少年たちが、岩の上から手を振っている。ADに、「早く通過してください」とせきたてられるのを無視して、みんなで手を振る。 拙宅にはテレビがないから、確かめることはできないが、少年が無事、川の中に、飛び込めたことを祈る。

マジシャンの娘

 

ラフティングを終えて、やることもなくなったあとは、ガイドさんに教えてもらった、林家たい平のサインがある、蕎麦屋「もみの木」に行く。畑を買うことからはじめた自家製の蕎麦と、大皿に盛り上がった有機野菜の天ぷらをかきこむ。濃厚な蕎麦湯も美味しくて、思わずおかわりをしてしまう。

天ぷらを食べると、その足で、和菓子屋「ふくろや」にむかい、本当に隠れた名物(店頭には並んでいない。おばさんに頼んで店の奥から出してもらう)「すまんじゅう」を食べる。麹菌を発酵させた、ふかし饅頭で、一口目がすこしツンとして、生地があまい。餡もぎっしりつまっていて、食べでがある。車をパーキングにとめて、むしゃむしゃ食べていると、地元の人々がひっきりなしにやってきて、すまんじゅうを買っていく。これだけ売れている商品を何故、店頭に出さないのか理解に苦しむが、一日の買い手の数があらかじめ決められているのかもしれない。

今回のツアーの立役者でもあるアキコ氏は、実は、マジシャンの娘で、ヨパッラッタ我々にはもったいない、カードマジックを披露してくれた。ただ、我々が感動したのは、マジックも真っ青なぐらいの手際の良さとキャンプを楽しむための入念すぎる準備である。

バーベキューをするといえば、伊藤家の畑でとれた有機野菜のジャガイモをすりつぶしたマッシュポテト(これが実にうまい)をタッパにいれてもってきてくれるわ、つまみのナムルもつくってくれているわ、鶏肉のユズ胡椒づけをつくってきてくれるわ、あれが欲しいと思って、氏のクーラーボックスから出てこなかったものがない。こういうマジックは、マジシャンにはできない。アキコ氏ならではの、種と仕掛けのある一流のマジックである。こういう人をプロフェッショナルというのだろう。プロとは、お金を払って仕事をする人のことではない。お金を払いたくなる仕事をする人である。

もっとも、御代は受け取ってはもらえなかったが……。

旅のプロフェッショナルこと、伊藤夫妻は、来年だか、再来年から世界一周旅行の旅にでてしまう。

K先生もイギリスに行ってしまう。

僕は、多分、外よりも、「室内」のほうが好きだ。間違いなく彼らに誘われることがなければ、部屋の中にいる。外には出ない。

「室内」にはドラマはない。あるのは延々と続く時間で、それを眺めている自分がいる。

一人旅を別にすれば、旅行が面白いか、面白くないかの分水嶺は五十嵐氏には申し訳ないけれど、旅先にはない。「旅に出てもロバはロバ」(山本夏彦)で、旅の面白さは、ヤジキタならぬ、同行する人間によるものだろう。

願わくば、彼らがいなくなってしまう前に、もう一度、旅にでてみたい。

番外編 英国人ビルのnew proverb

 

マジシャンの娘ことアキコ氏は、司馬遼太郎の後輩にあたる大阪外大出の才媛で、イギリスに二年、ニュージーランドに一年間留学していた。要するに英語がペラペラの生粋の大阪人や、ということがいいたいのだが、その経験だけではあきたらず、いまだに向学心に燃えており、日に日に、語学力が落ちていくのが許せないという。レベルを落とさないように、仕事の合間をぬって、マンツーマンで英会話を磨いている。

長瀞からそのまま帰ってきて、そのまま解散というわけにもいかない我々は、当然のごとく、伊藤家の麦酒やら焼酎やら梅酒やら泡盛やらに手を出して、つまみはまだか、とテーブルを叩いている。生憎、その日は、アキコ氏のレッスン日で、これから授業がある。しかしながら、宴会はまだ始まったばかりである。不穏な空気を察したのか、アキコ氏は宴会を続けながら、授業を受けることにした。つまり、英会話の先生、ビルを呼ぶことにした。

宴会に。

ちなみに、ビルは、日本語が1パーセントしか話せない。僕の語学力は六歳児に満たない。その二人が出会ったらどうなるか、ということはここでは詳らかにしないが、僕はかねてから、英国人にあったら訊き続けていることがある。

それは、ユーモアとジョークとギャグの言葉の違いについてで、僕は和製英語に関しては、字引の言葉を信用していない。その言葉をどう思って、どう使っているのかは、母語にあてはめて考えて見ればおのずから明瞭で、何がしかの思い入れが言葉にはあるはずだから。

ビルに、その言葉の用例をたずねると、ユーモアとは、ユアフィーリングで、ジョークは、笑わせるためのあなたの方法(大意)。ギャグは、それほどいい言葉ではないという。訊きたいことをききおえると、あとは身の上話で、なぜ、日本に来たのか、とたずねると、妻を愛しているから。

日本語が話せなくて怖くないのか、ときくと、怖い。

特に、買い物をしようとしても、英語で話ができないから、思いつきで買うしかない。日本語は、語学学校に通って勉強しているが、難しくて覚えていることができない。しかしながら、

Love conquer all.

what?

Love conquer all.

愛はすべてに打ち克つ、とでもいえばいいのだろうか。愛こそすべてか。

ちなみに、折角日本語を勉強しているのであれば、我々も微力ながら、力になろうじゃないか、と身を乗り出して約半時。

ビルのメモ用紙には、「焼きうどん」「親鸞」「虹鱒」「おおきに(ありがとう)」なるローマ字が記されていた……。

Thank you!

My Pleasure!