映画『Bukowski Old Punk』ジョン・ダラガン監督

映画『Bukowski Old Punk』ジョン・ダラガン監督

ジョン・マーティンという初版本の収集家がいて、彼は、本を集めることだけでなく、読むことができた。その作家がどれぐらいの力量があるかどうかの目利きをすることが。

あるとき彼は、一冊の薄汚れた、どこにでも転がっている安っぽい尻を拭くようなパルピマガジンに目をとめた。いつものようにざっと目を通すつもりが、つい読まされた。ひとつのコラムに目を奪われたのだ。作家の名前は、チャールズ・ブコウスキー。

チャールズ・ブコウスキーは、日本では、どうしようもないチナスキーものの自伝小説家ふうに思われているが、実は違う。二十代のころは、短編小説を書いて書き捨てていたようだが、三十代、四十代の間に書きついできたのは、詩なのである。あんまり、このひとの作風と詩が結びつかなくて、実際にNYの古本屋で手にとるまでは、正直性質の悪いジョークだと思っていた。出版人の悪乗りのたぐいの。

このドキュメンタリーで、思わず胸があつくなったのが、ジョン・マーティンの言葉だった。マーティンはブコウスキーの家にやってきて、ふたりで一ヶ月いくらあればブコウスキーが生活できるかを計算するくだりである。ものの五分で慰謝料もあわせて計100ドルあれば足りることがわかる。するとマーティンは、

「あんたが作品を書いても、書かなくても、月100ドル支払おう。あんたが生きている限り。だから仕事をやめて、書いてくれないか」という。

これはもうプロポーズである。

マーティンは自慢の初版本のコレクションを大学図書館に5万ドルで売り払うと、職を辞して、ブコウスキーの本を出版するためにブラック・スパロウという出版社をたちあげた。つまり、マーティンはロサンザルスの朗読会でせいぜい二、三十人の観客を集めるのが関の山であったブコウスキーにかけたのだ。

これで、書かない奴は作家じゃない。のでしょう。きっと。

もともと誰が読もうが読むまいが雑誌に載ろうが載るまいが書き続けていた人である。書いて書いて書きまくった。マーティンから可能なら書いてくれないかと頼まれていた小説も。

この二時間近くあるドキュメンタリーで、目が釘付けになったのは、このたった五分間だった。多分、作家が作家であるには、たった一言で足りるのだろう。

ブコウスキーの詩に、こんな一行がある。

As the spirit wanes the form appers

→魂がにぶると形式が現れる(でいいのかしら?)

臆病者の魂の咆哮である。