『荻窪風土記』井伏鱒二著・新潮文庫

井伏鱒二の魅力ってなんだろうか?

「人間は大なり小なり群れをつくる習性を持っている。馬もこの通りであるという。(中略)この習性を利用して考え出した遊びが競馬であるそうだ。同人誌がちょうどそんなもので」

という具合に、人間→馬→競馬→同人誌みたいな、一見ナチュラルに接続してみえる文章が実は、てんで脈絡のないべらんめえだったりするところか。

はたまた、上林暁と文学をかたらって、

「文学青年窶れの生活はつらい。それは身をもってわかっている。お互にいい作品を書くのが念願だが、どんなに力を入れた作品でも百点満点の作品というのはあり得ない。しかも、いつだって間に合わせのものしか書いていない。先ず、今後何年か生きるとして、短編何十篇かのうち一篇でもいいから、「ああ書いた」と、しみじみ思うことの出来るものが書ければいい。お互にそれが出来ないから、毎年のように翌年廻しの順に任している。」

と、力作を書きながら、力作を書きたいと思っている気持ちが伝わって来るところか。

井伏鱒二という人は、軍隊に徴用されても、将棋や釣りをしている時分と、さほど気分がかわらないのか超然としている。

当然、後年ふりかえって書いたということもあるのだろうけれど、小栗虫太郎が「必ず軍刀を持参のこと」という命令に違反して、手に何も持たないで入隊した、とか、ユーモア作家の北町一郎は腰に差すのでなく吊るすのでもなく、いつも左手にもっていた、とか、海音寺潮五郎が、映画で見る甲賀流の忍者のような格好(風紀違反)で、入隊して、少尉中尉らから一目おかれていた、とか、間のぬけたことを書いている。

もう少し大事な、というか大事ではないにしても、目の前にある危機というのを度外視している。死ぬときは死ぬという以上の開き直りというのか、がこのひとの視線には歴然としてあるようにみえる。ふつうはこういうことは書けない(あるいは書かない)。

軍隊の宣誓式で、ヒゲの隊長が怒鳴るような大声で、

『「今から、俺がお前たちの指揮官になった。お前たちの生命は、俺が預かった。ぐずぐず言う者は、ぶった斬るぞ」

 一同の間に動揺の気配があって、いきなり「ぶった斬って見ろ」と叫ぶ者があった。(後でわかったが、これは海音寺潮五郎であった)すると後ろの方の列で卒倒する者がでて』

といった具合に、戦時下にあっても観察することをやめない。海音寺潮五郎の豪傑ぶりはこの後、ますます磨きがかかり、頁をたぐる手が止まらない。よく、人生は些事からなる、といわれるが、こんなに些事を面白くみつめるひとはいない。

『荻窪風土記』は、タイトルどおり、荻窪あたりのことが書いてある。荻窪あたりのことというのは、荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺のことで、たとえば、現在の阿佐ヶ谷南口のパール商店街通りが、阿佐ヶ谷駅の開業に尽力をつくした古谷久綱代議士へのお礼として、駅からお宅の玄関までお抱え人力車が通れるように整備された道だ、とか、太宰治を筆頭に当時、活躍した文士たちが、荻窪駅前の弁天通り(現在の教会通り)というせまい横丁に偶然、あつまっていた、とか。この界隈に住んでいる人には、散歩の風景が違ってみえるようなことが、さらっと書いてある。

井伏鱒二の魅力は、語られる言葉というのが、ひとつの芸になっているところだろうか。おそらくは、酒場や蕎麦屋で、あるいは将棋や釣りをしながら、落語を高座にかけるように、反芻し、語りあううちに、とぎすまされていったのではないだろうか。落語みたいに、何回読んでも味のある不思議な一冊である。