『ニート フリーターでも失業者でもなく』玄田有史・他著・幻冬舎

厚生労働省の定義によれば、社会的ひきこもりとは、自宅にひきこもって学校や会社に行かず、家族以外と親密な対人関係がない状態が六ヶ月以上続いているひとたちのことをいう(ただし、うつなど精神障害の場合はその中には含まれない)。

ニートとは、「就職活動の前段階で立ち止まってしまった」人たちで、玄田さんによれば、この社会的ひきもりの中にすら認識されていない。この水面下で急増し、日本の労働市場の鳥瞰図に、巨大な塊として姿をあらわしつつあるニートとは何か? それを問うたのが本書。

ひとつの分水嶺として上げられているのが、14歳までの教育で、自分の存在意義に過大な不安を感じなくてすむような体験があったかどうか、ということ。その成功例として、兵庫と富山の教育行政の「トライやる・ウィーク」(職場体験学習)が紹介されている。

自分が何より切実だと思ったのは、ニートに取材したインタビューで、

「勘違いして欲しくないんです。きちんと働く気がないわけでもないし、世の中甘くみているわけでもないし、将来に対する不安がないわけでもないんです。でも、就職、就職って、そんなに焦っていたら、みつかるものもみつからないじゃないですか」とか、「いざとなったら働きます。そのときは仕事は選ばないですよ」とか、「お金はいらないんです。そんなに物欲がないんです。それよりも精神的に満たされたい」とか。『ゴトーを待ちながら』を想起させるような、留保と喜劇的な言葉。

この舞台が笑えないのは、留保をとかぬ限り終わることがないにもかかわらず、舞台に上がった以上、外部からの指示なく、その留保が終わることがないところである。僕は運良くニートから脱したが、それは自分の力ではなくて、心ある友人の痛切な一言があったからだ。「ニート」という言葉が一時的な現象として、専門用語の中に消えることを願ってやまない。