2009年

7月

07日

『坂口安吾 百歳の異端児』出口裕弘著・新潮社

出口裕弘が書くように、「作家の最高の贅沢は卓越した作品を創ることだ。」

しかしながら、たとえば、坂口安吾以外の誰にも書けない作品をものして、それが誰の目にもとまらなかったら? その失意は想像を絶する。

昭和六年六月、二十五歳の安吾は「風博士」を発表し、牧野信一に激賞されて新進作家としてデビューする。順風満帆だったのは、この一時だけで、文名あがらぬままの空振りがつづき、矢田津世子との恋に破れ、起死回生のつもりで書き上げた長編『吹雪物語』も反響絶無。作家として半ば葬り去られた安吾は昭和十四年に「茶番に寄せて」という卓抜なエッセイを踏み切り板にして、前衛志向の「勉強記」「総理大臣が貰った手紙」を書き、ついで翌年、「盗まれた手紙の話」を発表した。命がけで書いた『吹雪物語』を自ら駄作として葬りさったあと、あえて新型ファルスに血道をそそぎ、失敗した。

文壇、世間を問わず、何人かの有力な具眼の士から、この作品群が高い評価を受けていたら、安吾の文学者としての生涯は別様のものになったのではないかと著者はいう。この人が、小説家として大成する道があったとすれば、それは新型ファルスを深化、拡大して行った場合だ、と。

昭和十五年六月、「盗まれた手紙の話」を発表したきり、ファルスの執筆を断念した安吾は、翌年ナンセンス譚の極北ショヴォーの『年を歴た鰐の話』(山本夏彦訳)を耽読するも、こうしたナンセンスの方向で、安吾の才能を全面開花させることもできなかった。

著者がいうように、「安吾とは、何をどう書けば自分の才能を百パーセント開花させることができるのか、その肝心かなめのところでいつも自分を見損なってしまった大器」ということになるのかもしれない。大きなことを書こうとして、失敗し、その失敗に終生気がつくことがなかった。

過激な誠実派、坂口安吾。

しかしながら、「不連続殺人事件」などの推理小説もいいが、自伝体的小説を含めた、「風と光と二十の私」など、理論を排した小説はいつ読んでもいい。やはり、私小説の強さ、というのは百千の理論にも勝るのだろうか。