『キャッチャー・イン・ザ・ライ』J.D.サリンジャー著村上春樹訳・白水社

「けっきょく、世の中のすべてが気に入らない」16歳の頭の中を、まったく救いようのないぐらいに延々書きつづった小説。

「落ちていく人は、自分が底を打つのを感じることも、その音を聞くことも許されない。ただただ落ち続けるだけなんだ。そういう一連の状況は、人がその人生のある時期において何かを探し求めているにもかかわらず、まわりの環境が彼にそれを提供することができない場合にもたらされる」青春の通過儀礼としての絶望の独白。想定されている読者層はおそらく中・高生を出ていない。村上春樹の翻訳本『翻訳夜話2』で、本書の謎ときみたいなことをしているらしいが、目次以外に目を通す力湧かず。

主人公のコールフィールドは、生粋のニューヨーク生まれで、田舎ものを馬鹿にする天才。この点で、小林信彦の純文学小説を彷彿させるものがあるが、物語はすべて頭の中の話で、そこから出ることがない。

本書のタイトルは、愛する妹に

「気に入ったものをひとつでもあげてみなさいよ」

と問われて、自信満々に「ひとつでいいんだな」とこたえながら、ひとつとしてこたえられず、「それはもういいから、ほかのことをあげてみて。将来何になりたいかみたいなこと」ときかれて、逡巡したあげくに、「すごいへんてこなこと」を思いついたところに集約されている。

少しながいが、

「とにかくさ、だだっぴろいライ麦畑みたいなところで、小さな子どもたちがいっぱい集まって何かのゲームをしているところを僕はいつも思い浮かべちまうんだ。何千人もの子どもたちがいるんだけど、ほかには誰もいない。つまりちゃんとした大人みたいなのは一人もいないんだよ。僕のほかにはね。それで僕はそのへんのクレイジーな崖っぷちに立っているわけさ。で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。つまりさ、よく前を見ないで崖の方に走っていく子どもなんかがいたら、どっからともなく現れて、その子をさっとキャッチするんだ。そういうのを朝から晩までずっとやっている。ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ」

が、それ。