2009年

7月

19日

『ハイスクール1968』四方田犬彦著・新潮社

四方田剛己が評論家・四方田犬彦になる過程を、1968年という時代を通じて描いたオートフィクション。

ウィキペディアが好んで、拾いそうな、筆名の由来、

 

「わたしは自分の感想を八百字ほどの文章に纏めると、あるファン雑誌に投稿した。このとき筆名を気取って「丈彦」としたつもりが、誤植で「犬彦」と打たれてしまったのが、今日にまで続くわたしの筆名の由来である(41頁)」

 

が書いてあるが、ウィキには、

 

「本来は「四方田 丈彦」との筆名を用いるつもりだったが、出版社に「四方田 "犬"彦」と誤植され、そのまま筆名にしたという説があるが、『待つことの悦び』(青玄社、1992年)所収「ぼくの本当の名前」ではこの説は間違いであると述べ、カール・パーキンスの「マッチボックス」の一節"I'll be a little dog till your big dog comes"に由来すると説明している。」2009年7月19日現在

 

とあり、既に著者自身、筆名の由来がわからなくなってしまっている模様。

この当時の体験談は、矢作俊彦を筆頭に、当時の同級生であった舞踊研究家、翻訳家の鈴木晶からは「四方田が大法螺吹きであることは、業界では知らぬ者はない。私も慣れている」「同級生に取材して書いたにもかかわらず、その同級生たちのことをわるく書き、自分だけは憂いを帯びた哲学的な高校生として描いている」「小説なら許せるが、あたかも実録のように書いているから、たちがわるい。ほとんど嘘なのに。しかし、もし小説家だったら、自分がいかにカッコイイ高校生だったかを世間にアピールしたくて、こんなものを書いたりはしない。そんな小説家は見たことがない。こういうものを書く神経が、私には理解できない」と猛烈に批判されている。

しかしながら、オートフィクションとして読めば、四方田犬彦の切れ味は抜群で、この時代に難解とされた芸術、すなわち、フェリーニの『8 1/2』、コルトレンのジャズ、谷川雁の現代詩、土方巽の暗黒舞踏などを一挙に読み解いて、

 

「コルトレンの長々としたソロの理念は、60年代に端を発した北インド音楽の全世界的流行と無関係ではないし、フェリーニによる物語の解体はバフチンが理論化した多元論理的なテクスト構造にみごとに照応している。谷川雁の詩は、たとえばエドマンド・ウィルソンが『フィンランド駅へ』で活写したマルクス主義とロマン派的主張の関係を知ってしまうと、お茶碗のなかの嵐といった印象を否めないし、土方巽の舞踊のグロテスクはブニュエルの『ビリディアナ』に登場する、花嫁衣装を着た乞食の舞から直接に霊感を受けたものだと判明すると、ただちに興ざめがしてしまう。こうした現象は、それらの芸術作品が前後の美学的文脈のなかで充分に相対化され、すでに歴史的役割を終えたことを、如実に物語っている。」

 

など、博覧強記の知識を浴びるように楽しむことができる。