2009年

9月

15日

『必死のパッチ』桂雀々著・幻冬舎

以下、著者略歴より抜粋。

「桂雀々

 落語家

 1960年8月9日、大阪市住吉区に生まれる。

 11歳で母親が蒸発、その後、父親も家を出て行ったため、

 市営住宅に一人で暮らしながら、中学3年間を乗り切る」

本書は、桂雀々の自伝小説で、タイトルの「必死のパッチ」は大阪弁で、「必死のさらに上」を意味する言葉で、「必死」と「死に物狂い」を足して、「がむしゃら」をかけたようなもの、と著者はいう。

略歴が、この自伝小説の強烈さを充分に伝えているものの、その認識が不十分であったことは、読了するまではわからなかった。

帯に、『ホームレス中学生』の田村裕が「はっきり言ってホームレスの方が楽でした」というコメントを寄せているが、それはそのままの言葉の意味で、正しい。

家があることによってもたらされる恐怖は、サム・ライミや清水崇のようなホラー映画とは一線を画して、身近な恐怖として、目の前にせまってくる。

電気がとめられ、ガスがとめられ、蛇口をひねっても水はでない。

台所では、静かに食べ物が腐っていく。父親の借金を回収しに、巡回するヤクザをやりすごすために、蝋燭の明かりさえ、満足につけられない。

窓という窓は、ヤクザに割られ、足の踏み場もない。都会の夜とは思えない桎梏の暗闇。部屋のなかの物音は、大きなゴキブリが動く音であって、人ではない。

家族がいない、という重みを、この小説は明るく伝えているが、それが明るい話でないことは、おそらく誰の目にも明らかに違いない。

少年がまだ中学生であるという事実は、容易に自殺を想起させるファクターとして機能する。

桂雀々が桂雀々として、生きはじめてきっかけは、小さなラジオからこぼれる、落語という物語だった。それをひとり、暗闇にむかって、語りかける小学生というのは想像を絶している。

あんまり好きな言葉ではないけれど、立川談志が、あるとき、あなたにとって落語とはなにか、とたずねられていわく、「業の肯定」。

落語のすごいところは、文字通りどんな話でも落としてしまうところ(もっとも、落ちがないから落研(落語研究会の略)という妙なコピーで有名な落語集団もいたが……)。落語家の本領を如何なく発揮し、成熟した小説に仕上げている。