『自分の頭と身体で考える』養老孟司+甲野善紀著・PHP文庫

『自分の頭と身体で考える』養老孟司+甲野善紀著・PHP文庫

甲野善紀の本を読んでみたくなって、目についた本を一冊買う。

対談集の弱点は、内容ではなくて、まず話し方、スタイルで読まれてしまうところにある。実際に相当大変な境地に立たされているのであろうけれども、甲野はそのことを理解していないのか、常に他者、旧弊を批判しているだけで、読んでいて面白みなし。

面白いのは、養老孟司で、これは意表をつかれた。学生のころに『唯脳論』まで読み継ぎ、もう卒業かしら、と思って以降の著作は一切手を触れずに来ただけに、新鮮。事象の読み方、切り取り方が、独特なのか。

たとえば、自分でテレビゲームをやってみて、

 

「テレビゲームというと子どもの遊びと思う人も多いかもしれませんけれど、やってみて分かったのは、人の人生ってせいぜいテレビゲーム程度の複雑さだったんだなということですね。あれだけゲームに夢中になってのめり込めるということは、現実は確かにゲームより複雑かもしれないけれど、その複雑さをこちらはゲームと同程度にまで単純化して受け止めてるということなんでしょう」

 

ゲームはやらないけれども、かねてから、ゲームにのめり込んでしまうのは、何故かということを勝手に考えていたことがありました。

不思議じゃないですか? 

あんな単純なことを延々やっていて飽きないというのは。それどころか、日常生活を侵食して、廃人化し、韓国では社会問題にすらなっている。韓国はオンラインゲームですけれど、そんな面白いものだったら、何が面白いのか、その部分を抽出したいというか、理解したい。

柴田さんとも、なんなんでしょうね、みたいな話をしたことがあるのですが、まさか養老孟司に教えられるとは。

都市を歩けば、

 

「街というのは、人間の作ったものしかないから、何か悪いことが起こると、それは全て人間のせいなんです。(中略)マレーシアへ行って、トラに頭かじられたって、誰にも文句は言えない。(中略)でも、都会で、穴に落っこちたり、トラにかじられたら、すぐに分かるじゃないですか、「このトラは誰の飼っていたトラだ、誰が放した」って、管理責任になる」

 

と。

また、学歴の意味を考えて、

 

「僕は学校を卒業してないんだな、結局」ってある時、気づいたんです。学歴というのは、要するに卒業しないからあるんです。いったん入ったら、僕は死ぬまで「東大卒」です。もうそれを絶対に忘れてもらえない。(中略)いつも「何であんなに楽に卒業できたんだろう」って思っていたのですが、「なるほど、ずっと卒業していないんだから、楽だったんだ」と納得しました。(中略)いつまで経っても学歴が残っているということは、未だに東京大学を卒業していないということなんですよ。それが学歴の意味ですよ。それが共同体なんです。「俺は何とか会に属している」というヤクザと同じで、暗黙のうちにそこに属しているんです」

 

永遠に卒業できないなんて、ちょっとしたホラーみたいなことを言っているけれども、まったくその通りという気がする。

こういう視線を投げかける人を他に、ちょっと思いつかない。

本屋で買ったことのない著作をざっと買う。