『自然主義文学盛衰史』正宗白鳥著・講談社文芸文庫

『自然主義文学盛衰史』正宗白鳥著・講談社文芸文庫

かつて自然主義文学作家の一群がいた。

尾崎紅葉を喪った硯友社が文壇の、主の座から転落すると、瞬く間に日本の文壇を席捲し、消えた。

日本の文壇は、内容ではなくて、交友範囲、師弟関係から分類されることがほとんどだから、実際に自然主義文学派に自然主義文学でない作家はたくさんいたし、夏目漱石門下に、自然主義作家もいれば、硯友社にもいた。わかりにくいことこの上ない。

自然主義文学作家の代表的人物を列挙すると、藤村、秋声、秋江、花袋、青華、風葉、天外、そして、本書の著者である白鳥。

福田和也なんかにいわせると、日本の自然主義文学というのは、フランスの作家ゾラなどの誤読から始まった、ということになるのだろうけれど、これは読み方が浅い。確かに出発点としては、そういうことを挙げることもできるのだろうけれど、フランスの自然主義文学と、日本の自然主義文学が同じものであるわけがない。そういう前提をなくして、批評を下すのは、思考停止状態だといわれても仕方がない。

正宗白鳥が自然主義文学を、世界の古今の文学史に例のない文学として、挙げている理由が二つある。ひとつはモデル問題である。

田山花袋の『蒲団』を嚆矢とするこの問題は、自然主義勃興以来、日本の文学に取り入れられたスタイルだが、西洋と違って、

 

「こまこまと知人日常の言語行動を作中に取り入れて、これを小説作法の常例として、作家も読者も評家も怪しまないのは珍しい。(中略)はじめから悪意をもってモデルを取り扱っている作品もあるのだが、文壇的にはそれが不徳行為のように見做されていない」

 

こと。

そして、本書の白眉である、自然主義文学を喝破した一節、

 

「日本の自然主義作家と作品の一むれは、世界文学史に類例のない一種特別のものと云うべく、稚拙な筆、雑駁な文章で、凡庸人の艱難苦悶を直写したのが、この派の作品なのだ。人に面白く読ませようと心掛けないのも、この派の特色であった。(中略)同じ自然主義文学作品にしても西洋のそれ等は面白いのに、日本のは面白味が乏しい。それは才能の相違に依るのだが、態度の相違にも依るのだ。誇張して云うと、自然主義の功績と弊害はこんなところにあるのだ。「自然主義が小説を面白くなくした。」と、よく云われていたが、面白くなくしたところに、この派の特色があったと云ってもいい」

 

また、当時の読売新聞の馬場恒吾の短い記事を紹介して、

 

「ユーゴーの小説、ハーディの小説、或いはトルストイの戦争と平和などを読むと、はじめから面白ずくめのものではない。随分読みづらい。しかし、それを我慢して読むと、深く心が惹き入れられて、忘れ難い思いがされる。面白く読んで、読んでしまうとそれっきりの小説とは異なっている。日本にもそういう面白くない小説が出なければ、文学も詰まらない。」

 

という。

もちろん、これを文字通りに受け入れるべきものではないことは言をまたないけれど、ただし、自然主義作家らに影響されて、夏目漱石が『道草』を書いたこと、森鴎外が『ヰタ・セクスアリス』を書いたことは看過すべきことではないように思う。

本書は、明治末期から大正初期にかけての、薄汚く、いやらしくて、醜体をさらし、ときには紳士的にとりすましながら、紙の上に、自己を抛りだした一群の自然主義作家らの群像劇。読み応え抜群。

是非ご一読を。