『弟の戦争』ロバート・ウェストール著・原田勝訳・徳間書店

『弟の戦争』ロバート・ウェストール著・原田勝訳・徳間書店

ロバート・ウェストールはイギリスの児童文学を代表する作家のひとり。

弟のアンディがうまれるまで、トムには目に見えない「フィギス」という友達がいた。アンディが生まれてから、二人の間で、「フィギス」はアンディのあだ名になった。「フィギス」は、たよれる奴という程度の意味で、トムはアンディが、「フィギス」が大好きだった。

「フィギス」にはすこし変わったところがあって、それはたとえば、自分が世話をしたリスが、どれだけ多くのリスに囲まれていても一目でわかったり、新聞の写真をみただけで、その人の名前をいいあてたりした。「フィギス」には、どれだけ遠く離れたところにある人や物とでも心を通わすことができた。それはとても素晴しいことではあったけれど、いいことばかりではなかった。なぜなら、世界の半分は狂っているから。

湾岸戦争がはじまると泥沼の戦争に引きずり込まれるように、「フィギス」はイラクとつながったまま、壊れたテレビのように、アンディに帰ってこられなくなってしまう。かわりに「フィギス」を通じて現実に帰ってきたのは、「ラティーフ」というイラクの少年兵で、精神科医のラシードは、どうしてアンディがアラビア語を流暢に話せるのかが不思議でならない。アラビア語に堪能な元イラク軍の軍医と話をさせてみると、「ラティーフ」は実在し、バクダートにいるのではないかという。

アメリカはイラクに空爆をはじめ、アンディを通して実在する「ラティーフ」に、螺旋を描くよう、日に日に空爆が近づいていく。トムとラシード先生が見守る中、ついに「ラティーフ」に最後の瞬間が訪れる。

戦争の裏側を、少年兵と、純粋無垢な存在の象徴「フィギス」で描いた問題作。死と再生といういささか通俗化したテーマを鮮やかに描きだしている。

原題は"Gulf"。

「湾」や、象徴的に、「へだたり」や「断絶」といった意味がある。

湾岸戦争に対するウェストールの怒りが込められている。

 

ところで、ここでウェストールが分類されている児童文学とは一体なんなのか。

子供や動物を主人公にすえれば、それは児童文学なのか?

『弟の戦争』は文学である。ウェストールはそういわれることを望まないだろうが、湾岸戦争という主題からいっても、英文学といって間違いない。

おそらく、一般の成人男性は、書店にある児童文学をみない。子供によませるとか、仕事(教育系)で使うとか、知名度が全国区になった『獣の奏者』みたいなものであれば、手にとって読まれることもあるだろう。児童文学と銘打たれたものは、ただ版元が児童文学専門だったり、子供向けに書かれた意図はあるにせよ、『ゲド戦記』しかり、『くまのプーさん』しかり、文学そのものの内容から分類されているわけではない。

何がいいたいかといえば、書店にしても、図書館にしても、児童文学という分類は読者を選ぶということで、すなわち、僕の読書の邪魔をするなといいたいのである。

コメントをお書きください

コメント: 1
  • #1

    Lavenia Aguinaga (木曜日, 02 2月 2017 16:10)


    What a data of un-ambiguity and preserveness of precious knowledge regarding unpredicted emotions.