『対談 文学の戦後』鮎川信夫・吉本隆明 講談社文芸文庫

文学にとっての戦後とは何か? を松原新一とか磯田光一とか秋山駿とか、をひとくくりに「ぼくらよりはずっと若い」とひとくくりにできる、戦中派の巨人、「荒地」の鮎川信夫と吉本隆明が、1979年に語った一冊。

鮎川が、敗戦直後のなまなましい実感は、野間や椎名、埴谷の近代文学派よりも、坂口安吾、織田作之助、田中英光、太宰治の無頼派にあるといえば、吉本隆明は、まず戦後を、

 

「戦争に負けたということで、短い期間ですけれども、出現した、妙な、どういったらいいのか、具体的にいうと、簡単にわかっちゃうんですけれども、ぼくは学生の途中でしたから、一瞬、あと卒業するまで一年とか一年半だけれども、学校というのはまだあるのかなとか、たとえばあした食糧がないということについて、政府は何も指示してくれないから、自分の家で工夫して買い出しに行って買ってきて、食べるよりしようがないとか、だれもあした何があるんだ、どうなるんだということはわからない、みたいな体験というのが、つかの間、厳密にいうと、きっと半年とか一年とか、短い期間だったと思うんですが、あったような気がするんです。(中略)いままでだったら、政府があって、官庁があって、隣組があって、指示してくれた、そういう系列が全部なくなった」

 

と定義してから、

 

「その初めての一種の閃光みたいな、きらめききらめきみたいなものの自由さというのか、心細さというのか、不安というのかわかりませんが、それを表現し得ているのは、やっぱり第一次戦後派の初期のような気がするんです。埴谷雄高さんの「死霊」の初めのところとか、野間宏の「暗い絵」「崩壊感覚」「顔の中の赤い月」、椎名麟三の「永遠なる序章」みたいな、下手くそなくせにわけのわからぬみたいな、いままでなかったみたいな、ああいうものはぼくはそのときだけのような気がするんです」

 

という。

鮎川が、村上龍や土居良一の作品を、風俗としての「言葉だけ」だといい、体験に裏打ちされたものがないと批判するあたりは、ご愛嬌として、吉本隆明が、現代の作家を批評した雑感は傾聴に値する。

 

「若い人の作品読んでいて、ぼくは詩の傾向と同じだなという感じをもちました。五味康祐の芥川賞もらった「喪神」という作品があります。あの剣術使いは、相手が打ち込んでくれば、必ず反射神経で勝つんだけれども、最後に間違えて、自分の方から打ち込んで斬られちゃう。いまの若い人の小説は、そういう気がして、何か受け身である限りは、文学として成立しているんだけれども、一たん自己主張みたいなふうに、これだよと主張したら一巻の終わり、どうにもならないよというふうな、そういう感じ受けますね。」

 

それだけではなく、自身で編集していた「試行」の20年をふりかえって、潜在的にかかえていた問題についても触れていて、

 

「多少でも反社会的な反時代的なとかんがえた雑誌とか文学運動みたいなものが初め、若いうちは一生懸命なんだけれども、そういう人が「群像」みたいなところの編集者から、これはいい小説書くとか、いい批評書くみたいなことで目をつけられて「『群像』に書け」といわれる。「群像」に書いているうちにそっちの方が忙しくなって、ひとりでにもとの雑誌ではやれなくなっちゃうということがありますね。

従来の形態ですと、そうなると今度はまたより若いのが出てきまして、あのやろうはけしからぬ、あれは思想的に堕落した。あいつは商業ジャーナリズムになっちゃったじゃないか、というふうになる」

 

しかし、それでも前にすすむしかないのである。

問題は、そこからいかに、かえってこれるかなのだが、この問題は未解決のまま、順繰り順繰り、繰り返され、「試行」は休刊した。