『開放系デザイン、技術ノートⅠ キルティプールの丘にて 我生きむ アニミズム周辺紀行5』石山修武著・絶版書房 

『開放系デザイン、技術ノートⅠ キルティプールの丘にて 我生きむ アニミズム周辺紀行5』石山修武著・絶版書房

建築家・石山修武の手作り雑誌、『アニミズム周辺紀行』の第五弾。

石山さんの創作の根源にある「アニミズム」という概念を精力的に、フィールドワークをまじえながら丹念に掘り下げていくシリーズ。毎号、スタイルが違い、雑誌というよりかは、もはや作品で、一冊一冊に石山さん直筆の絵が描いてある。

第五号が圧倒的に強烈なのは、読者の予想を完全に裏切って、この一冊が「文学」であることではないか。

まさか小説とは思いもよらなかった。

厳密には小説ではないのかもしれないけれど、描かれているのは、2025年のキルティプールで、キルティプールはネパールの古都である。81歳になった石山さんは、一人キルティプールの丘に終の棲家をかまえている。その経緯はまったく明らかにされていないのだが、

 

「終の棲家をここに決めようと考えたのは、四○年程昔に家族とカトマンドゥを訪ねた時にマナン族経営のゲストロッジで食べたホウレン草の実に香ばしい自然な香りと味に驚いたという事もあるのだろう」

 

あるときにふと思いたたれたのかもしれない。

東の窓を正方形にくりぬき、正確に三メートル×三メートルの寸法と形に固執した、真四角な部屋にひとりで住んでいるのだ。墓陵を思わせるような、この灰黒い家には、二本の風車塔がついていて、風力発電をしている。

寝台のヘッドボードには、計器がついていて、いまどれぐらいの電力が供給されているのかが一目でわかるようになっている。蓄積電力が六○キロワットをこえると、エネルギーを近所の小学校にまわしたりして、そのエネルギーを循環させることで、石山さんは生活の資をかせいでいるのだ。石山さんらしいと言ってしまえば軽く聞こえるのかもしれないが、長いものに巻かれない、石山さんの生き方、思索が、文章の隅々に貫徹されていて、読むのが愉しくて仕方ない。

 

「良い部品を素人みたいな技術で組み合わせ、器用仕事を続ければ、きっと人間の生きる総合的な道具としての生命力に溢れた物体ができる筈だ。そんな考え方は男がうーんと若い頃から追い掛け続けたものである」

 

など『「秋葉原」感覚で住宅を考える』(晶文社)や『笑う住宅』(筑摩書房)から延々と積み上げられてきた石山節も読者にはたまらない。

石山さんの魅力は数あれど、世界の物流を独特の視座から読み解き、自身の建築に組み込んでいる数少ない、グローバルな視点に立脚した建築家である、ということに異論はないはずだ。

1960年代のベトナム戦争を淵源とするヒッピー文化は、多くの若者を非アメリカ、非西欧文化、つまりアジアに運んだ。そして、ネパールのカトマンドゥは彼らの聖地の如くになる。

若者達の多くはドラッグを好んだが、それとともにエキゾチックな装飾を好んだ。

 

「数少ない目ざとい商才を持つカトマンドゥの商人はすぐにキルティプールの手織りの伝統に目をつけた。まとまった量が突然発注され仕入れられ、西欧人相手に人工的に作られたマーケット、タメールストリートを中心に地元の人間には眼を見張る位の高額な値段で売り続けられた。

(中略)

やがて大量消費の潮流に呑み込まれ、本来の独自性、それは実に現代では希有な可能性の種としてあったのだが・・・華を咲かせる事なく波間に沈んだ。女達は金を得たが、それは草創期の本来の楽しみとは程遠かったのだ」

 

一つのムーブメントが、国境をこえて、マーケットをつくり、そのマーケットが、清濁あわせ呑む形で、その土地の女性の自由、自立のムーブメントにつながっていく。こういう世界の動きを連動させて、いともたやすく語り続けてきたのが、他でもない石山修武なのである。

 

「七○年代前期を最盛期にヒッピー文化は潮のように引いていった。それは本格的な世界の消費社会化の前兆であった。」

 

こんな文章は石山さんにしか書けない。