映画『自虐の詩』堤幸彦監督

とにかく気にくわないことがあるとちゃぶ台をひっくり返す、元ヤクザの葉山イサオと不幸のどん底街道まっしぐらの森田幸江の物語。単なる喜劇映画ではない。原作は業田良家の四コマ漫画。愛憎版を読んだはずが、まったく思い出せない。

 

幸江は貧乏だった。学校に持っていくお弁当には、ご飯の他に梅干しかのっていない。唯一の友達は熊本さんで、熊本さんも幸江に負けないぐらいの貧乏で、学校からトイレットペーパーを束でもってかえったり、鶏や亀を捕まえて持ってかえって、おそらくは食べていた。

幸江が、新聞配達の仕事をおえて、新聞をめくっていると自分の父親が銀行強盗をしていた。

学校で幸江は孤立し、仕事も首になり、唯一の友人である熊本さんから上京をすすめられる。

上京した幸江は、シャブ中になっていて、「千匹屋」という立ちんぼになっていた。立ちはだかる現実と幻覚にさいなまされて、剃刀で首を切って死にかけているところを、葉山イサオにたすけられる。

「愛してるんです」

朴訥に何度も繰り返す、葉山イサオの言葉を、笑って、馬鹿にし、顔面をグーで殴って否定するも、葉山はやめない。

幸江が薬物療法の病院を退院すると、小指のない葉山が小さな軽トラと一緒に待っていて、一緒に海を見に行く。車の中で、幸江が「小指、どうしたの?」と聞くと、「きれいな身体で迎えにいきたかったんです」という。幸江は涙がとまらなくなって、泣き続ける。海はきれいで、葉山はただ、だまって隣に坐っていた。

ラストシーンが秀逸で、電話がかかってくる。

相手は、熊本さんで、夫の仕事で関西空港にきたので、久々に会えないか、というのだ。十年、下手をすれば二十年近く経っていても、熊本さんは熊本さんのままで、幸江は、ふと、上京したときにもらった弁当箱と「せんべつ」と書いた5円玉を数珠つなぎにした袋のことを思い出す。熊本さんの弁当はいつも白いご飯とめざしが一匹しか入っていないのだけれど、その弁当にはちくわや卵、そして、やっぱりめざしが入っていて、苦労がわかるだけに、幸江は泣きながら弁当をつついたのだ。

熊本さんは、幸江をみつけると、開口一番「ロングロングタイムぶり」といって、中学生のときのように手をつなぐ。

人情と喜劇ほど相性がいいものはない。

配給は、やはり松竹。

悔しいけど、泣けますな。