『夫婦善哉』織田作之助著・新潮文庫

『夫婦善哉』織田作之助著・新潮文庫

織田作之助は、坂口安吾、檀一雄、太宰治などと並んで、「無頼派(ぶらいは)」として名高い。今や古典と化した「夫婦善哉」は、なんと処女作で、2007年、没後60年目にしてはじめて別府温泉を舞台とした続編が存在していたことが判明した。続編を読む前に、この珠玉の短編集を読み直す。どの作品にも織田作之助の何度も繰り返されるモチーフ(兄が弟に「お前は継子だぞ」と告げることに快感をもつ、などの形影相憐れむ姿)、人生観が色濃くにじみでていて、たとえば「世相」には、

 

「僕はほら地名や職業の名や数字を夥しく作品の中にばらまくでしょう。これはね、曖昧な思想や信ずるに足りない体系に代るものとして、これだけは信ずるに足る具体性だと思ってやってるんですよ。人物を思想や心理で捉えるかわりに感覚で捉えようとする。左翼の思想よりも、腹をへらしている人間のペコペコの感覚の方が信ずるに足るというわけ。」

 

や、自戒を込めた

 

「ペンを取ると、何の渋滞もなく瞬く間に五枚進み、他愛もなく調子に乗っていたが、それがふと悲しかった。調子に乗っているのは、自家薬籠中の人物を処女作以来の書き馴れたスタイルで書いているからであろう。自身放浪的な境遇に育ってきた私は、処女作の昔より放浪のただ一色であらゆる作品を塗りつぶして来たが、思えば私にとって人生とは流転であり、淀の水車のくりかえす如くくり返される哀しさを人間の相(すがた)と見て、その相をくりかえしくりかえし書き続けて来た私もまた淀の水車の哀しさだった。」

 

がある。

また、短編の名手にふさわしく、

 

「楢雄は生れつき頭が悪く、近眼で、何をさせても鈍臭い子供だったが、ただ一つ蠅を獲るのが巧くて、心の寂しい時は蠅を獲った。」(「六白金星」)

 

などの書き出しや、

 

「路地の多い――というのはつまり貧乏人の多い町であった。」(「木の都」)

「リアリズムの極致はユーモアだよ。」(「世相」)

 

ときに切り立つ詩のような一文が散らばっている。

表題作の「夫婦善哉」は、「年中借金取が出はいりした。」という書き出しから、ぐいぐいと読者を大阪の、しもた屋に引きこむ。

一銭天婦羅をあげる種吉の娘、蝶子は、器量がよく、算盤ができた。

よくよく貧乏をしたから、「七厘の元を一銭に商って損するわけはない」という父の算盤に、炭代や醤油代が入っていないことも知っていた。

年をとるごとに、蝶子はむくむく女めいて、顔立ちも小ぢんまり整い、芸者になった。馴染みになった安化粧問屋の息子、維康柳吉には、女房もあり、子供もいたが、深くなり、勘当されて駆け落ちをする。柳吉は、何度も商売をかえるがうまくいくものはなく、爪に火をともす思いでためた蝶子の貯金をだまって持ち出して羽目を外して遊ぶ。蝶子に何度折檻されても、その癖はなおらず、なおらないままに二人はただ歳だけをとっていく。

夫婦善哉は、法善寺境内にある店の名前で、「ぜんざい」のお店である。ぜんざいを註文すると、女夫(めおと)の意味で一人に二杯ずつ持ってくる。

柳吉が、

 

「こ、こ、ここの善哉はなんで、ニ、ニ、ニ杯ずつ持って来よるか知ってるか、知らんやろ。こら昔何とか太夫ちゅう浄瑠璃のお師匠はんがひらいた店でな、一杯山盛にするより、ちょっとずつ二杯にする方が沢山(ぎょうさん)はいってるように見えるやろ、そこをうまいこと考えよったのや」

 

というと、蝶子は

 

「一人より女夫の方が良えいうことでっしゃろ」

 

と淡々として小気味良い。

短命だった織田作之助は、七年の作家生活を通して五十数編の作品を残した。