2010年

4月

29日

『パタゴニア 』ブルース・チャトウィン著・芹沢真理子訳・世界文学全集Ⅱ-08 河出書房新社

『パタゴニア』を読んで気がつくのは、まずもってその、読みにくさ、である。

編者である池澤夏樹も「書きかたの奔放さ」を指摘しているように、チャトウィンが実際に旅をし歩いたパタゴニアと、場所や地名、人物、墓地、遺跡、牧場、写真、電話帳などその場にあったモノから喚起される洪水のようなイメージを横糸として編み合わされた布が、『パタゴニア』といえるのかもしれない。

チャトウィンの資質のひとつとして、モノへの視線がある。

チャトウィンは、18歳の時に、オークション・ハウス(競売会社)サザビーズの運搬係として入社し、絵や彫刻、工芸品などを運んでいるうちに、自分が美を見分ける力があることに気がつき、周囲もそれを認めた。実際に、絵画の真贋を鑑定する能力があり、あっという間に印象派の絵画の専門家になった。

画家のジョルジュ・ブラックが存命時に、チャトウィンは、ジョルジュ本人が書いたとされる絵の鑑定を依頼するために、写真をもって訪ねると、

「私はもう目が弱っているのだが、これは偽物だときみは思うかね?」

「そう思います」とチャトウィンが答えると、ブラックは写真の裏に

「それなら偽物だ」とその旨を書いたという。

四十年間行方不明になっていたゴーギャンの「タヒチの女と少年」を見つけたこともあった。

一種の神童だったのだろう。

チャトウィンの興味は、まずモノへの視線からはじまる。

 

「祖母の家の食堂にガラス張りの飾り棚があった。飾り棚の中には一片の皮があった。それはほんの小さな切れ端で、ぶ厚くごわごわしており、赤茶色の固い毛がくっついていた。皮には錆びたピンでカードが留めてあった。カードには色あせた黒インクで何か書いてあったが、それを読むには私は幼なすぎた。

「あれなあに?」

「プロントサウルスの皮よ」

 母は先史時代の動物の名前をふたつ知っていた。プロントサウルスとマンモスだ。それがマンモスでないことを彼女は知っていた。マンモスはシベリアにいたのだから。」

 

『パタゴニア』の書き出しであるが、このプロントサウルスは、世界の果て、南米の一地方のパタゴニアに棲んでいた。プロントサウルス(やがてこれはミロドン、すなわちオオナマケモノであることがわかる)は、チャトウィンの祖母のいとこ、船乗りのチャーリー・ミルワードに発見される。

チャトウィンの興味は、まずモノからはじまり、モノが土地に、土地が人を喚起させる。一つのエピソードの中に、時空をこえた大量のエピソードが大量に象嵌されているため、その想像力の展開の速度に、ついていけなくなってしまうのだろう。

この紀行文学と呼ぶには、いささか親しみにくい文章が、イギリスの紀行文学の中でも賞揚されるのは、それは想像力の展開がもたらす、圧倒的な美しさ、である。

 

「ブエノスアイレスの歴史は電話帳を見ればわかる。ポンペイ・ロマノフ、エミリオ・ロンメル、クレスピナ・D・Z・デ・ロセ、ラディスラオ・ラディヴィル、そしてエリザベータ・マルタ・カルマン・ド・ロートシルト――Rの項から無作為に選んだ五つの名前が、レースのカーテン越しに、国外追放や幻滅、見果てぬ夢を物語っている。」

 

幻の共和国、アラウカニアの王になろうとした男、無法者ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドの後日談や、ヤガン語の辞書をつくったトーマス・ブリッジズ、チャールズ・ダーウィン、果ては、コールリッジの『老水夫行』の元になった難破の記録、マゼランの航海から、シェイクスピアの戯曲の検証、南極探検家のサー・アーネスト・シャクルトンの無頼な姿まで、縦横無尽に描かれる。

池澤夏樹が書いているように、ブルース・チャトウィンは、作品を通じて「人はなぜ移動するか、ある種の人々はなぜ異境にある時にもっとも家(自分の国、土地)にいるという安心感を得られるのか」という問いを生涯をかけて考え続けた。 

アリという名のペルシャ人に「君の宗教は何ですか」と訪ねられると、こう答えた。

 

「今朝は、とくに宗教を持っていません。僕の神様は歩く人の神様なんです。たっぷりと歩いたら、たぶんほかの神様は必要ないでしょう」

 

『パタゴニア』に登場するのは、すべて移動した人々である。