『呪われた町』スティーブン・キング著・集英社文庫 上・下

『呪われた町』スティーブン・キング著・集英社文庫 上・下

アメリカのメイン州に、セイラムズ・ロットという田舎町があった。メイン州はキングがよく舞台にする州で、セイラムズ・ロットはエルサレムをかけた架空の町。架空ではあるが、田舎町の常のように、

 

「小さな町はどこでもそうだが、スキャンダルは常にバーナーの上で煮えたぎっている。」

 

このバーナーの上に新進作家、ベン・ミアーズがやってきた。

町がしずかにさざめきはじめる。

ミアーズはこの田舎町で、四年間過ごしたことがあり、この町で起きた呪われた事件を題材に小説を書くつもりだったのだ。

この町の丘の上に、そびえたつ十字架のように坐った、マーステン館という豪邸があった。ヒューバート・マーステンは、運送会社の社長だったが、株の暴落で財産の大部分を失い、この家で世捨て人のように暮していた。あるとき、マーステンは妻を散弾銃で頭を穴だらけにして、自分は二階の寝室で首をつって死んでいた。田舎町のスキャンダルとしては、これですでに充分だったのだが、奇妙なことにマーステンは家中に罠をしかけていた。何物かの襲撃を怖れるかのように。

実際、ミアーズが調べてみると、マーステンは運送会社の社長などではなく、ギャングの殺し屋だった。彼が手にかけた数は、両手の指の数では聞かず、それを何度か数えなおさなければならなかった。

このマーステン館を中心にした、四つの行方不明の事件が起こっていた。ミアーズはそれを取材しようと、この廃墟と化したマーステン館に近づこうとするのだが、既にマーステン館には新しい持ち主がいた。

カート・バーローとストレイカーという二人組みで、二人は骨董家具店を開業した。骨董家具屋が開業してから、町中に不可解な死者があふれはじめる。夜中に蘇り、生きている人間を襲って生き血をすする、死者が。 

 

一言でいえば、吸血鬼もの、である。

ひとつの町がじわじわと吸血鬼にのっとられていく。町の住人は一人減り、二人減り、しばらくすると何人減ったのかわからなくなってしまう。窓はカーテンでしかと覆われており、日の光は届かない。町は静かに崩壊し、吸血鬼退治に乗り出したのは、たったの六人。

 

ぐっと息をとめて拳をにぎりしめ、太腿と腕と首の筋肉をできるだけ大きく盛り上げ、ロープのたるみをつくりだしてロープから抜け出した奇術師フウディニのトリックをつかって危機を脱出したモンスターマニアの十二歳の少年、マーク・ペトリー。

ミアーズの恋人で、画家の卵でもあるスーザン・ノートン。

『ドラキュラ』『ドラキュラの客』『ドラキュラを求めて』『金枝篇』『吸血鬼の博物誌』『ハンガリー民話集』『闇の怪物たち』『現実生活の怪物たち』『ペーター・キュルテン、デュッセルドルフの殺人鬼』『吸血鬼ヴァーニー、または血の饗宴』を枕頭にならべる、ヴァン・ヘルシング教授も真っ青な高校教師マット・バーク。

マット・バークの教え子で、かかりつけの医者ジミー・コディ。

「ラブクラフトは無神論者でした。エドガー・アラン・ポーは中途半端な空想家だったし、ホーソンは陳腐な信心家にすぎませんでした。」と言い切るアル中の神父・キャラハン。

そして、ベン・ミアーズ。

 

六人対数百人の吸血鬼。

この絶望的な状況を悲観せず、敢然と立ち向かっていくカタルシスがたまらない。手に汗にぎるをはるかに越えている。

「人生いたるところにメロドラマありですよ」

と皮肉に笑う神父のキャラハンなど、キャラクターが立っているだけでなく、登場人物の死に方が圧倒的にうまく、不気味なリアリティを支え、読み始めると止らない。

 

また、キングは登場人物をかりて、

 

「コールリッジの『クリスタベル』やブラム・ストーカーの不気味な物語は、空想を織りなす縦糸と横糸にすぎないと。もちろん怪物は現実に存在する。熱核兵器の引金に指をかけた七つの国の人間たち、ハイジャッカーたち、大量殺人者たち、子供を襲う性犯罪者たちといった連中がそれだ。だがこれは実在しない。人はそんなものが実在しないことを知っている。女の乳房にできた悪魔の印はただの痣にすぎないし、一度死んでから生き返り、経帷子を着て妻の住む家の戸口に立つ男は、ただの運動失調にすぎない。子供の寝室の片隅でおしゃべりをしたり悪ふざけしたりする幽霊は、実は毛布のひだがそう見えるにすぎない。」

 

というように一度は連綿と続く幻想文学を否定しているように見せて、うまくキングの世界に導入する。

本書は、フィニイの『盗まれた町』に隠れたオマージュを捧げている。

あわせて読んでみてください。