2010年

5月

13日

books335『テストステロン 愛と暴力のホルモン』ジェイムズ・M・ダブス+メアリー・G・ダブス著・青土社・

テストステロンは簡単にいうと男性ホルモンである。ホルモン関係の本を書いている人が必ず参考文献の一冊にあげているのが本書。

 

テストステロンは、聖書の言葉でいうところの「物言わぬ獣」、つまり動物に少なからぬ影響を与えている。たとえば、マウスにテストステロンを注射すると見知らぬ場所におびえなくなり、牛に注射するとその牛は彼らの集団の中で指導者としてのポジションを獲得する。テストステロンを注射した雄鳥は、より多く歌い、より広い面積を飛びまわり、より多く戦い、最後にはより多くの傷をおっている。雄のトカゲも同様で、より多く、戦い、動き回り、すなわち、人目につくところにあらわれやすくなる。これらが指し示しているのは、高レベルのテストステロンを持つ個体は、子孫を持つ前に死ぬことになりやすい、ということである。

多くの動物で、去勢された雄はより長生きする。このことは人間にも当然あてはまる。正常レベルのテストステロンでも危険にさらされることになりやすいが、大部分の男は、長生きする手段として去勢されることはお断りだという著者の意見は間違っていない。

テストステロンは、ラジオイムノアッセイ(同位元素標識免疫定量法、通称RIA)で測定する。いままでは、血液中のテストステロンしか測定できなかったのだが、唾液で代用できることが判明し、研究が活発になった。

この研究で明らかになったことのひとつに、高テストステロン・レベルの人間と、低テストステロン・レベルの人間の趣向の違いがある。著者のとった統計によれば、裁判弁護士、ニューヨークのタクシー運転手、探検家、マサイ・マラの密猟者、旅行家、フットボール選手、セックス産業の経営者などは、高テストステロン保持者が多く、一方で、会社のおかかえ弁護士、会計士、コンピューター・プログラマー、聖職者、企業管理職、などは低い傾向がある。

テストステロンは人間に、エネルギーや、力や、セックスに対する関心、空間的・機械能力、単線的な精神集中力やパナシュ(威風)をもたらす。すなわち、高テストステロンレベルの持ち主は、忠実で献身的なパートナーというよりは、良い競争者、掠奪者になる。これらは、乱戦にたずさわる野生的な職業に有用で、一方の、堅実さ、信頼性、親身さ、友好性、誠実さ、思慮深さは、低テストステロンと結びつき、現代アメリカにおいて、地位の高い職業における成功と結びついている。

全体として、「ブルーカラー」は「ホワイトカラー」よりテストステロンが約8パーセント高く、中でも、予想外に失業者がもっとも数値が高い。(この理由のひとつに、長い期間同じ職業に留まることができなかったを挙げている)

職業でみると、聖職者がテストステロンがもっとも低く、フットボール選手よりも、俳優がもっとも高い。この理由は、聖職者が安定した組織のなかで継続した仕事が得られるのに対し、俳優は、長期にわたる安定した仕事を得ることがなく、彼らの名声が最近の舞台になることだという。俳優たちは、新しい仕事のたびに演出家を納得させなければならず、なおかつ観客の承認を得なければならない。俳優は自分の演技を誇りとするが、聖職者は神のおかげとする。俳優はスターになることを望み、聖職者は人を助けることを望む。

現代において、演技することと戦うことは密接に結びついている。フィリピンでダグラス・マッカーサーにつかえたアイゼンハワーは後日、「私は彼の下で、七年間演技術を学んだ」という。戦いは支配にいたる競争の核であり、この核を取りかこむものがパナシュである。パナシュとは、他人の注目と尊敬を得るのに役立つ外観と態度のことで、かいつまんでいうと、それらしく見えるようにすること、であろう。支配する人々は、支配的なように見え、聞こえるのだ。

虚栄心は高テストステロンを伴う。雄の動物は、毛を逆立て、闊歩し、尾羽根を広げるなどして、競争相手を威嚇し、通路を開かせ、異性に印象づける。ヘミングウェイは、勇気を定義して「圧力の下での気品」といったように、シラノ・ド・ベルジュラックは、気迫とサーベルと帽子の羽根飾りでパナシュを演出し、詩を唱えながら決闘した。

 

人類学者のヘレン・フィッシャーは、女性型の思考を「網目思考」、男性型の思考を「段階思考」と呼んで区分けした。「網目思考」とは、一時に多くの物事に注意を払う複雑な思考やいきいきした想像力をさし、「段階思考」は、視野の狭さに伴う強い集中力をさす。「段階思考」は迅速な行動を、「網目思考」は広い視野をもたらす。

単純な思考と行為は、貧弱な言語行為を伴い、語彙が豊かなほど迅速な行為ではなく、複雑な思考を可能にする。テストステロンには二つの特徴があり、一つは彼らの集中した注意力であり、もう一つは、彼らの迅速な行動である。テストステロンは集中力を増大させ、注意力が集中すると、人々は他の人々がしりごみしているのに気がつかず、危険をおかす。つまり、タフガイには複雑な思考は伴わず、哲学者の代表的な行動はサルトルの軟弱な投石に留まるのであろう。火事の中に救助のために飛び込むのは、複雑な思考ではなく、圧倒的な目の前への集中力である。

 

アトランタ消防局の第四消防署は、緊急事態用の特別な任務をまかされていた。改造中の古い綿糸工場で大火災が発生した。火の海の中に、クレーンの運転者がひとり取り残された。彼はクレーンの先端に難を逃れたが、いつ煙にまかれるかは神のみぞ知る、といった具合で、クレーンのタワーが熱にあとどれぐらい耐えられるかは何の保証もない。彼に残された選択肢は、ヘリコプターによる救助だった。

第四消防署では救助の志願者が殺到したが、マット・モーズレーが最初に身支度を整えたので、その資格を得た。ヘリコプターの操縦者は、気まぐれな乱気流をおかして、モーズレーをクレーンの先におろすまで、なんとか熱と煙に耐えていた。モーズレーは、救出すべき相手のもとに、なんとかたどり着くと、その男に言った。

「あんたのボスがおれをよこしたんだ。ボスがな、あんたは今日は早退けしていいとよ」。

ザ・タフガイである。

 

テストステロンの高い男性には、いささか悲しむべき見方がある。乱暴で、無慈悲で、セックスと支配に心を奪われ、強迫観念の域にも達するほど、ひたむきである。にもかかわらず、強い社会的な力があれば、ホルモンに関らず、思慮深くなることができる。そういう男性は、悪においてと同じように善においてぬきんでることができ、たいていの人は家族を養うために良く働き、モーズレーのように他人の命を救うために自分の命の危険をおかす。 

この逸話をどう感じるか、その視座が、あるいはあなたのテストステロンのリトマス試験紙なのかもしれない。