『告白』湊かなえ著・双葉社

『告白』は、市立S中学校1年B組を舞台にした、6つの告白から成り立っている。(桜宮正義の告白を含めれば七つになるが、あくまでそれは伝聞にすぎないので、ここには含めない。)

この小説の根幹をなしているのは、第一章の告白で、物語を最後まで読みきらせる呼び水として機能している。

学期の終業式の日、担任・森口悠子が教員を辞職すると告白する。それに先立つ、数ヶ月前に、自分の勤めている学校のプールで、彼女の一人娘が死んだのだ。それを含めて、最後に聞いてもらいたい話があるという。娘は事故死と警察に判断されたが、実はこのクラスの二人に殺されたのだという。少年「A」と「B」と、匿名ではあるがクラスメイトにはわかるような形で告発され、既に、彼らには罪をつぐなわせるために、「命の重さと大切さ」を実感できるような、恐ろしい復讐を仕掛けた、といって去っていく。それからたった4ヶ月の間に、少年「B」は発狂し、

 

「殺人が犯罪であることは理解できる。しかし、悪であることは理解できない」

 

と嘯く少年「A」は真正のマザコンで、「命は泡より軽くても、死体は鉄のかたまりより重く」と殺人を重ね、自身の犯罪のフィナーレとして考えていた自爆テロを、元・担任の森口の復讐で、最悪の形で阻止される。

 

嗜虐に満ちたこの小説が、文学として評価できるのはただ一点、「生きている実感」に対する記述である。少年「B」が、

 

「何かつらいことがあれば、お母さんはいつでも相談に乗るけど、そんな気分になれないときは、一番信頼できる人に語りかけるような気持ちでこれに書いていきなさい。人間の脳は何でもがんばって覚えておこうと努力するようにできているけれど、何かに書き残せば、もう覚える必要はないのだ、と安心して忘れることができるから。楽しいことは頭に残して、つらいことは書いて忘れなさい」

 

と母親から手渡された日記に記されている。

少年「B」は次第に発狂し、

 

「ああ、そうか、ゾンビになったんだ。殺されても殺されても死なないゾンビ。おまけに、僕の血は生物兵器だ。それなら、町中の人たちをゾンビにしていけば、おもしろいかな」

 

と異常な行動をとりはじめるのだが、その発狂するまでの過程に書かれた日記には、いびつな形ではあるが、生きている実感が記されている。

 

「果たして、僕はまだ生きているのだろうか。

 久しぶりに自分の姿を鏡に映してみる。みすぼらしく不潔な姿。しかし、そこには「生」があった。髪が伸びている。爪が伸びている。皮膚の表面には垢だって浮いている。僕はまだ生きている。涙が流れてきた。溢れて止まらない。」

 

漫画や映画、そして、文学は、宿命的に、「生」や「死」を記号としてしか描くことができない。

ゾンビであればいくら殺してもOKという倫理規定をもったゲームと違い、それを引き受けた上で、「生きている実感」をどこまで表現できるのか。

『告白』はいびつな形でその問題に応えようとしている。