『悪魔に魅入られた本の城』オリヴィエーロ・ディリベルト著・望月紀子訳・晶文社

19世紀末、とある有名な温泉地から一通の手紙が投函された。

 

「ペーター・ガストへ

 マリーエンバート、一八八〇年七月十八日

(……)

 モムゼンの家の火災のニュースは読みましたか? 彼のメモ類が焼けてしまったのだ。それらは、おそらく現存するもっとも博学な学者が著作としてまとめるために準備した、最大の知的成果ではないだろうか? モムゼンは何度も炎のなかに飛びこみ、ついには火傷だらけになったその不幸な男をみなで力づくで阻止しなければならなかったそうだ。モムゼンのはたした仕事はじつに貴重なものだと私は思う。なぜならば、ひとりの人間のなかで、並はずれた記憶力と、かくも膨大な資料を篩いにかけて整理しうる緻密な判断とが調和することはまれであり、そのふたつの長所はふつうはむしろ相反するものだから。この事件を知らされたとき、私は動転し、いまでも、思いかえすたびに肉体的な苦痛をおぼえる。同情ゆえか? しかし、結局のところ、モムゼンは私には関係ないし、彼には何の共感もおぼえないのだが。

(……)

きみの忠実な

F.N.」

 

F.N.とは、フリードリヒ・ニーチェその人で、ペーター・ガストは、ニーチェの弟子。

1880年7月12日の夜、当のモムゼンが、不用意にも、蝋燭の明かりを使ったばっかりに、四万冊とも呼ばれた蔵書に火がついてしまった。火災は、蔵書の大半を焼き払い、修復不可能にした。ニーチェが「現存するもっとも博学な学者」と呼んだ、このモムゼン家の火災のニュースは、愛書家の間を瞬く間に駆け巡った。

ジョルジュ・パスクァーリは「このうえもなく快活で冷静な性格の人間をも動揺させるに充分の災害だった」と真摯な共感を語り、研究者らは、『ローマ史』の功績でノーベル文学賞を受賞した偉大なドイツの歴史学者、テオドール・モムゼンが、仕事をつづける意欲を失ってしまうのではないか、とあやぶんだ。

愛書家にとって自分が自分の蔵書の火災の原因であるということは、おのれに課されるもっとも厳しい試練であることは否めない。

早速、同僚、弟子、友人、文化機関が、モムゼン蔵書の再建に向けて動き出した。

研究者たちの連帯感、火災の悲劇にたいする反響と驚愕、数十年にわたる旅行と研究の間に築き上げた広範なアカデミズムの人脈、それらがすべて異例の一大事業のために参集した。かいつまんでいうと、「彼の家に無数の贈呈本が送りこまれた」のだ。

こうして、モムゼンは研究を再開し、古代学研究に決定的な進歩をうながす、数多の著作を執筆した。

ところが、ここで話は終らない。

本書の題を見かえしていただきたい、「悪魔」である。「悪魔」というのは一度で帰宅しない。再三再四おそってくるから悪魔というのだ。

23年後の1903年1月、モムゼンは、書庫にはいるときに、好んで長々と伸ばしていた頭髪に、なんと気づかずに火をつけていた。

「火をつけることは喜びだ」

というブラッドベリの『華氏四五一度』を彷彿とさせる事件である。蔵書は壊滅的な打撃をうけずにすんだが、当のモムゼンは重度の火傷をおい、同年11月、不帰の人となる。

本書の物語はここからはじまる。

周知のように、遺族は蔵書を好まない。かくて蔵書は、散逸し、老練な書店主の手におちる。

当事、イタリアの古書店主であったドイツ人のプラーガは、モムゼンの蔵書印のあるものを6400リラで売り、ないものを4400リラで売っている。古書店のプレミアである。

また、研究機関に寄贈された蔵書も、「不用品」の手続きをへて、なぜか赤十字に払い下げられたりする。理由は、「スペースの問題のため」である。

図書館司書は専門職である。毎年、どの図書館でも、よくわからない、という理由で、数知れぬ蔵書印の押してある本が手放されていくが、その本に対する愛着、もしくは勉強をおこなったとき、怠慢という名前の悪魔がやってくる。