『あなたの人生の物語』テッド・チャン著・早川書房

SF短編集です。

テッド・チャンは、いきなりあらわれてほとんど天才のSF作家。中でも「理解」は別格。

タイトルが凡庸に過ぎて、この短編のすごさを伝え切れていないきらいはあるが、ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』の読者なら説明は不要。そのまま書店に直行してください。あの話がアクションになったといったら、言いすぎだろうか。

 

レオン・グレコは、「グレコ・ホログラフィックス」というホログラムの修正を生業とする自由業者。事故で、水中に1時間近くいて、引き上げられたときは完全な植物状態だった。レオンの脳は回復不能なまでに損傷しており、病院は新薬を試すための同意を得る必要はなかった。

レオンは、ホルモンK療法によって、奇跡的に回復し、損傷を受けた神経が大量に再生する際、ある副作用をもたらした。それが、知能の、圧倒的な向上である。

ホルモンKは、中枢神経系のニューロン再生を促進する合成ホルモンを研究する企業、ソレンセン・ファーマスーティカルが開発した新薬。静脈注射では、ホルモンは、脳血液関門を通過できないから、骨髄から注射し代替ニューロンを成長させるとともに、多数の樹状突起を生じさせていく。損傷をこうむったニューロンのみを再生し、健康なニューロンには作用しない。

医師たちはレオンを「白痴の天才」のように扱い、自分では評価しきれない贈りものをもらったふつうの男と思っているが、レオンの知覚はすでに、天才の領域を凌駕していた。この極度に知能が発達した人間にCIAの研究開発部門が関心を示してのりこんでくるが、レオンは策を講じて行方をくらましてしまう。レオンを探すためのデータベースは二重三重のウィルスによって改変されており、政府はそう簡単に彼をさがしだすことはできない。

その間、レオンは手っ取り早くお金を稼ぐ。ハンディキャップの競馬でお金を稼ぎ、証券市場の投資で生計を維持し、現代の6種の言語と、古代の4種の言語と新造語を含む、パウンドの『詩篇』によって多重化された『フィネガンズ・ウェイク』とみなされるような、長大な詩を書いている。

CIAは、旧来の手法ではレオンを捕まえられないことを発見して、過激な策をとる。去年付き合っていた彼女を、でっちあげの嫌疑で逮捕すると、ニュースをながすが、レオンは、それに対抗して、CIA長官の秘密をネットの海から抽出して本人に送る。”そちらがじゃまをしなければ、こちらもじゃまをする気はない”との一文をそえて。

彼は完全に自由になったかに見えたが、平面ディスプレイが異常を告げている。端末が、五件の投資の損失を告げているのだ。ありえないことだが、株価が急落した企業のイニシャルのアルファベットを読みおろしていくと、C,E,G,O,R。ならべなおせば、GRECOとつづれる。

彼のほかに、もうひとり、極端に知能の高い人間が、臨界超越者にしかわからない方法で、メッセージをおくってきたのだ。

彼の名前は、レイノルズ、グレコに先立つ、15日前に、彼は臨界超越者になっていた。

所在地はフィラデルフィア。

グレコがやってくるのを待っていた。

ただし、二人の考え方には決定的な違いがある。

レイノルズは知能を手段とみなし、かたやレオンは、それ自体を目的だと確信しているのだ。二人は、たがいのもつ道徳観の懸隔の大きさを正確に測ることができ、その対立は、決定的だった。つまり、それぞれがそれぞれの目的を完遂しようとするならば、お互いが最大の敵になる。

ふたりは、対峙し、そして、攻撃のトリガーをひく。

天才と天才の未曾有の戦い。

にわかには信じられないのは、これが短編集である一事。

山々の影が夜のはじまりを告げるのを、はるか塔の上から見下ろし、ツルハシで空に穴を掘る、「バビロンの塔」。数学の大部分が誤謬であることを証明してしまった数学の教授の物語「ゼロで割る」など計八篇。

大傑作。