『ポップ1280』ジム・トンプスン著・三川基好訳・扶桑社

評論家のジェフリー・オブライエンがジム・トンプスンのことを「安物雑貨店のドストエフスキー」と呼び一躍脚光を浴びるが、生前はほとんど評価されなかった。出身地のアメリカよりも、フランスやイギリスでの評価が高く、パルプ・フィクションを中心に、暗黒小説の巨匠といわれ、キューブリックやペキンパーの映画の脚本も手がけた。

何故、トンプスンの小説が生前に評価を得られなかったの理由の一つは、考えるに、ことごとく読者の期待を裏切った内容にあると思う。

主人公のニック・コーリーは、人口1280のポッツヴィル群の保安官。保安官しかやったことがなく、保安官の地位にとどまるために、ありとあらゆる厄介ごとに関らないことを固く決意した男。生まれてこのかた、他人にめいっぱい愛想よく礼儀正しくふるまえば、相手からも気持ちよくふるまってもらえるはずだと信じていたが、結果はその反対だった。あらゆる期待に裏切られ、流されるままに生きている。唯一の特技は、セックスで、女には不自由しないが、そのことで厄介な問題に巻き込まれていく。

果たして、こんな男が主人公になれるのか、と思って読んでいたら、途中で突然、豹変する。

 

「おれは多分、この家を百回は見ていただろう。この家と、これと同じような無数の家を見てきた。だが、このとき初めて、そのほんとうの姿に気づいたのだった。これは家ではない。人間が住む場所ではない。そんなものではない。松材の壁で囲まれた無だ。絵もない、本もない――見るものも、思いを致すものも何もない。ただ無がおれに迫ってきた。」

 

という具合に。

日常に見えていた姿の本質が、そのまま透けていく。

神の啓示に打たれたように、ニック・コーリーは本来の仕事に目覚める。その仕事の内容は、

 

「人間が人間として生きているという罪を徹底的に罰すること」

 

安物雑貨店のドストエフスキーというよりかは、安ワイン派のブコウスキーたちに連なる山脈という気がするが、とにかくすさまじい小説です。