books335『わたしは英国王に給仕した』フラバル著・安部賢一訳 河出書房新社

なんとも人をくったようなタイトルだと思って読みはじめたら、最後に嬉しい驚きがあった。

 

ボフミル・フラバルという作家を知ったのは、この本がはじめてだ。

だから、チェコの作家で、一九六三年に四九歳でデビューしたことすら知らなかった。

保険外交員や訪問販売など、さまざまな職を遍歴し、製鉄所で働き、負傷し、古紙回収所で働きながら書き続けた。その生活の一つ一つが作品に活かされており、出自であるビール醸造所が作品のなかで重要な部分を締め、さらに一九三九年ナチスドイツによるチェコの保護領化の時代に青春を過ごし、ソ連軍がプラハに侵攻した一九六八年以降、作家としての黄金時代に、作品を公刊する可能性が閉ざされてしまう苦難にもめげずにただひたすら書き続けた作家だということすら知らなかった。

 

まず本を読み、ただひたすら引き込まれた。

まるで起きながらにして見る夢のように、五感を刺激する言葉にあふれている。 

五章からなる小説は、「これからする話を聞いてほしいんだ」からはじまり、「満足してくれたかい? 今日はこのあたりでおしまいだよ」で終わる。構造としてはシンプルだが、中身はとてつもなく芳醇で濃厚だ。

 

「前線への出発を翌日に控えた日、その前夜、恋人たちは眠りにつくことはなかった。ベッドをともにしているということではなく、ベッドよりもはるかに大事なものがあったからだった。そう、ここには見つめ合う瞳があり、人間らしい関係があった。(中略)人と人とのあいだの最も人間らしい関係は静けさなのだということも知った。言葉を発しない一時間。それが十五分、そして最後の数分となり、乗物が――軍用の幌馬車だったり、軍用車だったりしたが――到着すると、静かな二人が立ち上がり、長いあいだお互いのことをじっと見つめ、息を吐き出して、最後のキスを交わす。」

 

フラバルが描く世界は、手の届く日常の世界からレンガをひとつづつ積むように、積み上げられている。一人の人間の生があり、唐突に訪れる死が待っている。

 

「人生の本質とは、死が訪れた時にどう振る舞うかという死への問いかけそのものだということを。死、いやこの自問こそが、無限と永遠という視点のもとで繰り広げられる対話にほかならないのだ。死にどう対処するかということが、美しさをめぐる考えの出発点となる。」

 

この透徹した死への一瞥は著者の実体験に基づいているのではないか、と考えたくなる。

本書は、一介の給仕の見習いからはじまった小さな男が、章をおうごとにプラハで一番の給仕長になり、百万長者となってホテルを一つ所有するまでになり、最後にその全てを失うというジェットコースターのような人生を歩む。

冒頭で主人公の上司となる支配人がいう。

「お前は何も見ないし、何も耳にしない、と! 繰り返し言ってみろ!」

といわれて繰り返すと、今度は、

「でも胸に刻んでおくんだ。お前はありとあらゆるものを見なきゃいけないし、ありとあらゆるものに耳を傾けなきゃならない。」という。

主人公は、駅で熱々のソーセージを売る給仕見習いとして出発し、お金をためて女を買い、運を掴んで都会に出ていく。大きな仕事をすればするほど、政治に人生を左右されることになり、その場その場の判断に人生を賭けて、生き残る。

政治、金、女、料理。

この四つの要素が、それぞれの章に、美しく、官能的に、とてつもないエネルギーで閉じ込められている。

この作品を著者がたった十八日で書き上げたということが信じられない。

この小説で描かれているのは、一人の人間の生涯ではない。

一人の人間の生涯を入口とした、世界であり、歴史なのだ。

本を閉じたとき、静かな興奮を抑えることができなかった。