『パンとペン』黒岩比佐子著・講談社

社会主義者・堺利彦を中心に、一つの家族のようだった平民社が、時代とともに引き裂かれ、ズタズタにされながらも、暗黒の時代をただひたすらに耐抜き、売文社という燭をともし続けた一人の人間の後姿は、色あせることはありません。

 

大逆事件で死刑となった幸徳秋水や堺が自転車教習所に通い、得意げに乗りまわしていた姿を知るのは愉快ですし、また堺が『野生の呼び声』の最初の本格的な翻訳者であり、かつ有島武郎や辻潤、魯迅、など錚々たる面々が争って読み、連載が待ちきれずに原書にまで手を出したという当時の熱狂に触れることができたのも嬉しい発見です。

  

この時代に対する興味を一番はじめにかきたててくれたのは出久根達郎の『佃島ふたり書房』で、無類の面白さにふるえましたが、平民社に対する興味を抱かせるには至らず、さらに『人生劇場』の愛読者であったはずが、売文社と尾崎士郎の接点を見落とすようなうかつな読書であったことを本書に教えられました。 

 

本書を読んで、うすら寒い思いがしたのは、堺が衆議院議員選挙に出馬した際の「社会党宣言」の内容の大半がごく穏当なものであり、当時の危険思想が 現在の土台となっている事実です。

さらに当時の暴動の発端となった電車賃上げ反対市民大会や、日比谷焼打ち事件の背景を「思想ではなく、金銭が群集を動かした。」と喝破した一節は、今の日本の姿をも射抜いていると感じます 

特に興味深く感じたのは、大逆事件にいち早く反応し、無罪を確信して自筆本を作成していた石川啄木や、何も言はなかったことで良心の苦痛に苦しんだ永井荷風など、文学者たちが受けた衝撃です。

 

当時の社会主義者の素朴な日常を知るにつれ、何度も胸がふさがり、さらにあとがきを読むにいたっては、これを書き紡いだ著者へのあまりの運命の過酷さを思い、中々読みすすめることができませんでした。

『パンとペン』は洪水のような活字の海の中から堺利彦という宝石のような人間をすくいだした、まことに得難い一冊だと思います。