書評書店books335

2014年

10月

22日

<新人賞を読む>第一回「暮らしの小説大賞」『ジャパン・ディグニティ』髙森美由紀著・産業編集センター

勇気がなくて臆病。

レジ打ちもできず、まともに人と話せない。

友達もいない。

弟はオカマで、父は売れない漆職人。

唯一まともだった母親は、うだつの上がらない父親に愛想が尽きて家を出ている。

頑張った分だけ追い詰められて、行き場のなくなった美也子は、ついに生きる為にしがみついていたスーパーのレジ係を辞める決意をし、今までは父親の手伝いとしてしか関わってこなかった漆塗りに人生を賭ける。

 

父親の漆塗りの工房に持ち込まれた、漆塗りのお椀、唐塗の万年筆、漆のふりをした化学塗料の杖を通して、美也子は物に血が通い、ともに生きている静物たちの声を聴き、持ち主たちとの人生と関わっていくことで、漆塗りの世界の扉を開く。


舞台は青森。

物語は愚直で地味。だが、誠実に書かれている。

最後の展開は、実際にありそうなぐらいに陳腐だが、それを補う言葉の魅力がある。

お金を「じぇんこ」。

励ますときは、「けっぱりあんせ」。

方言と標準語を織り交ぜる文章のリズムが実に気持ちいい。


本書のタイトルは、そのものずばり、漆の気品を表した英語。

オカマの弟が、人見知りの姉の為に開設したブログに、漆の紹介がある。

 

「漆は海外ではジャパンと呼ばれています。うるしの語源は『うるわし』です」

 

本書を読むまで、知らなかった。

漆はかぶれるし、においも強烈で、口にふくむとえぐみと苦さがたまらなくきつい。

でも、美しい。

ピアノブラックの原点は、漆の黒だという。

独特の輝きは漆にしか出せないのだ。

その輝きを出そうと、懸命に向き合っている著者の姿が小説の背後に透けて見える。

<千三屋>


0 コメント

2014年

7月

21日

『スイッチ! 「変われない」を変える方法[新版]』チップ・ハース&ダン・ハース著 千葉敏生訳 早川書房

後輩が不透明なビニール袋を持ってやってきて、僕の人生を変えた一冊です、といって去っていった。一瞥して自己啓発系の本ではないかとの危惧を覚えた。

この系統の本は、注意深く読まないように意識してきたので、正直に言って戸惑いしか感じなかったが、本気で薦められた本は真剣に読まなければならない。結論から先に書くと、実にいい本だった。

 

本書で取りあげられているのは、ベトナム政府から栄養不足の解決を依頼されたセーブ・ザ・チルドレンのジェリー・スターニンや、問題児を担当するスクール・カウンセラー、過疎化が進み死につつある町を復興に導いた高校生グループ、乳がん患者のニーズに応える為に立ち上がったカリフォルニア大学の外科准教授、クリントン政権時代に連邦調達政策局の運営を変革したスティーブ・ケルマン、カリブ海のセントルシア島で絶滅に瀕していたインコの運命を変えた大学生ポール・バトラー、イギリスの石油大手BPや米国の銀行シアーソン・リーマン、小売大手のターゲット社など文字通り多岐に渡る。

 

共通している問題はほとんどないが、登場人物たちが置かれている環境は、ほとんど似通っている。 

ベトナム政府から招聘されたセーブ・ザ・チルドレンのジェリー・スターニンは、出迎えられた外務大臣から政府の全員が歓迎している訳ではないと早々に釘を刺された上に、半年以内に結果を出すようにと脅されているし、乳がん患者の為に立ち上がったカリフォルニア大学の外科准教授ローラ・エッサーマンも意のままに使える予算や人材はほとんどなく仮に自身のクリニックを立ち上げたところで職員の雇用すらままならない困難な状況にあった。

彼らが抱えている問題はそれぞれ深刻で、幅広く、解決する為には絶対的困難が待ち構えていたが、それに立ち向かう登場人物たちには解決に導く為の権限や予算は与えられていなかった。

彼らが持っていたのは、ちょっとしたアイデアと情熱であり、変革を成し遂げる為に踏み出した一歩は、想像以上に小さく、驚くほど具体的だった。

 

健康的な食生活を推進させる為にウェストバージニア大学の二人の教授が、取り組んだことは、「もっと健康的に行動しよう」というような真実だが役に立たない提言ではなく、次にスーパーに立ち寄ったら、ホールミルクではなく「低脂肪乳」を買え、という具体的な指示だった。

ジョージア州のアトランタ小学校でクリスタル・ジョーンズが、9か月前までアルファベットの読み書きすらできず、鉛筆の持ち方さえ知らなかった小学一年生たちのやる気に火をつけたのは、「今年度の終わりまでに、3年生になりましょう」という一言だった。

学校なんて最悪だ、といってはばからない問題児を前にしたセラピストは、考古学的な一般的なカウンセリングには頼らず、たった二つの質問に答えさせることで、劇的に中学生を立ちなおらせてしまう。

 

それぞれの事例に共通しているのは、選択肢を極力簡潔にし、あいまいさをなくし、明確な「目的地の絵はがき」を提示しているということだ。大きな変化は、ほんの小さな一歩から始めることができるのだということを見事に解き明かしている。

 

 

著者が成功している事例から導き出した結論は、「変化が成功するときには、一定のパターンがある」ということだった。それは、「変化に成功する人は、明確な方向性を持ち、十分なやる気を持ち、それを支える環境がある」ということ。

更に著者はいう。「組織の変革を考えてくじけそうになっているなら、こう考えてみてほしい。子の親になるのに必要な変化と比べれば、組織の改革などどうってことはない」。

 

もしあなたが何かを変えようとした場合、著者が提示するフレームワークは、きっと何かの役に立つはずだ。詳しくは、本書をお読みいただくとして、その項目の一部をここに書き写す。

 

1 象使いに方向を教える

ここでいう象使いは、理性の象徴。うまくいってる部分を探し、まねをする。

 

2 象にやる気を与える

ここでいう象とは人間の欲望のこと。知識だけでは変化を引き起こせない。感情を芽生えさせよう。

 

3 道筋を定める

環境が変われば行動も変わる。したがって環境を変えよう。

 

先に結論ありきで、当たり障りのない答えだけを黒字でデカデカと印刷されるビジネス書が横行する中で、本書のように事実から結論を導き出すという至極まっとうな手順を踏み、手間のかかる作業をおしまずに創り出された本と出会えたのは、単純に驚きとしか思えない。 

面白い本が読みたければ、先入観は邪魔にしかならないことを痛切に教えられた。

0 コメント

2014年

7月

05日

books335『わたしは英国王に給仕した』フラバル著・安部賢一訳 河出書房新社

なんとも人をくったようなタイトルだと思って読みはじめたら、最後に嬉しい驚きがあった。

 

ボフミル・フラバルという作家を知ったのは、この本がはじめてだ。

だから、チェコの作家で、一九六三年に四九歳でデビューしたことすら知らなかった。

保険外交員や訪問販売など、さまざまな職を遍歴し、製鉄所で働き、負傷し、古紙回収所で働きながら書き続けた。その生活の一つ一つが作品に活かされており、出自であるビール醸造所が作品のなかで重要な部分を締め、さらに一九三九年ナチスドイツによるチェコの保護領化の時代に青春を過ごし、ソ連軍がプラハに侵攻した一九六八年以降、作家としての黄金時代に、作品を公刊する可能性が閉ざされてしまう苦難にもめげずにただひたすら書き続けた作家だということすら知らなかった。

 

まず本を読み、ただひたすら引き込まれた。

まるで起きながらにして見る夢のように、五感を刺激する言葉にあふれている。 

五章からなる小説は、「これからする話を聞いてほしいんだ」からはじまり、「満足してくれたかい? 今日はこのあたりでおしまいだよ」で終わる。構造としてはシンプルだが、中身はとてつもなく芳醇で濃厚だ。

 

「前線への出発を翌日に控えた日、その前夜、恋人たちは眠りにつくことはなかった。ベッドをともにしているということではなく、ベッドよりもはるかに大事なものがあったからだった。そう、ここには見つめ合う瞳があり、人間らしい関係があった。(中略)人と人とのあいだの最も人間らしい関係は静けさなのだということも知った。言葉を発しない一時間。それが十五分、そして最後の数分となり、乗物が――軍用の幌馬車だったり、軍用車だったりしたが――到着すると、静かな二人が立ち上がり、長いあいだお互いのことをじっと見つめ、息を吐き出して、最後のキスを交わす。」

 

フラバルが描く世界は、手の届く日常の世界からレンガをひとつづつ積むように、積み上げられている。一人の人間の生があり、唐突に訪れる死が待っている。

 

「人生の本質とは、死が訪れた時にどう振る舞うかという死への問いかけそのものだということを。死、いやこの自問こそが、無限と永遠という視点のもとで繰り広げられる対話にほかならないのだ。死にどう対処するかということが、美しさをめぐる考えの出発点となる。」

 

この透徹した死への一瞥は著者の実体験に基づいているのではないか、と考えたくなる。

本書は、一介の給仕の見習いからはじまった小さな男が、章をおうごとにプラハで一番の給仕長になり、百万長者となってホテルを一つ所有するまでになり、最後にその全てを失うというジェットコースターのような人生を歩む。

冒頭で主人公の上司となる支配人がいう。

「お前は何も見ないし、何も耳にしない、と! 繰り返し言ってみろ!」

といわれて繰り返すと、今度は、

「でも胸に刻んでおくんだ。お前はありとあらゆるものを見なきゃいけないし、ありとあらゆるものに耳を傾けなきゃならない。」という。

主人公は、駅で熱々のソーセージを売る給仕見習いとして出発し、お金をためて女を買い、運を掴んで都会に出ていく。大きな仕事をすればするほど、政治に人生を左右されることになり、その場その場の判断に人生を賭けて、生き残る。

政治、金、女、料理。

この四つの要素が、それぞれの章に、美しく、官能的に、とてつもないエネルギーで閉じ込められている。

この作品を著者がたった十八日で書き上げたということが信じられない。

この小説で描かれているのは、一人の人間の生涯ではない。

一人の人間の生涯を入口とした、世界であり、歴史なのだ。

本を閉じたとき、静かな興奮を抑えることができなかった。

0 コメント

2014年

7月

03日

books335『天才の栄光と挫折 数学者列伝』藤原正彦著・新潮選書

電車の中で眠るか本を読むか迷いながら、ぱらぱらと頁をめくりはじめると、目が冴え、身を乗り出し、興奮のあまり途中で読書を中座することが出来なくなった。読み終って、即座に誰かにこの感動を伝えたくなったのは、久しぶりだ。まぎれもない傑作列伝だと思う。

 

本書で取りあげられる数学者はアイザック・ニュートン、関孝和、エヴァリスト・ガロワ、ウィリアム・ハミルトン、ソーニャ・コワレフスカヤ、シュリニヴァーサ・ラマヌジャン、アラン・チューリング、ヘルマン・ワイル、アンドリュー・ワイルズの9人。

 

ライプニッツよりも時期的に早く、高度な行列式を発見し、またベルヌイ数をベルヌイよりも早く、さらにラグランジュの補間式や方程式の整数解の求め方も考案していた日本の誇る算聖・関孝和が薄幸であり、さらに冲方丁が『天地明察』で描いた渋川春海に、小説とは真逆に失意のどん底に突き落とされていたり、恋に破れ決闘で死んだという伝説だけが一人歩きしている二十歳で早逝した天才ガロワや、あぐらの上に石板を置き、白い石筆で数式を書いては肘で消すという作業を繰り返し、新しい公式を発見する度にノート・ブックに書きつけて文字通り数学の世界を塗り替えた、南インドの魔術師ラマヌジャンなど、逸話に事欠かない人物たちのドラマもさることながら、それを描く文章も並みではない。

 

「インドで発生し、イギリス人がヨーロッパにうつし、ドイツでヘーゲルを殺したコレラが、一八三二年の三月フランスにまで達した。」

 

時代をマクロで捉える視点と、数学史に燦然と輝く偉業を成し遂げた非凡な才能を持つ若者たちが天才に変貌する一瞬を一冊の本にまで遡る緻密な取材。

天才の絶頂を劇的に描くだけでなく、天才であるがゆえに、味わうことになった苦悩や絶望、圧倒的な孤独と向き合う本書は、天才論でもある。

著者はいう。

 

天才とは

「自ら進んで創造の苦しみを肉体にそして骨にくいこむほどに背負って歩いた人。たまたま運良く、あるいは運悪く選ばれたため、この世にいて天国と地獄を見た人といってもよい。」

 

いい本を読んだ。

0 コメント

2014年

3月

01日

books335『ウッツ男爵 ある蒐集家の物語』ブルース・チャトウィン著 池内紀訳 文藝春秋

パタゴニア』の印象が強すぎるせいなのか、本書を読み終わり、訳者あとがきを読むまで、この本が小説であることに気が付かなかった。

ウッツ男爵は確固とした存在であり、マイセン磁器のコレクションをめぐる謎も、やはり歴史の一ページの中に埋もれているのだ、と勘違いをしてしまった。チャトウィンの文章は、翻訳者は違っても、紀行文と小説の違いはあっても、不思議と読後感が変わらない。

 

「物品は――と私は考えた――人間よりもたくましい。それは変わることのない鏡であって、そのなかに人間は自分の消滅を見なくてはならない。美術品の蒐集ほど人を老いらせるものはないのである。」(p161)

 

「肉体労働は精神の良薬だ。」(P213)

 

みたいな警句や、

 

「ウッツはチェーホフの小説『犬をつれた奥さん』を読んだことがある。また両親はマリーエンバートで知り合って結婚した。そんなことから湯治町について、あるイメージがあった。そこでは予期しないことが起こる。」(P102)

 

才能があれば、いつか、こういう書き出しで、文章を書いてみたいと思わせる、きらびやかな宝石が散りばめられている。

チャトウィンの本を読んでいると、ときどき試されてるな、と思う文章に行きあたる。

それは、たとえば、こんなところ。

 

「世界の大陸を擬人化した像があった。アフリカは豹の毛皮に覆われ、アメリカは羽根をつけ、アジアは塔のような帽子をかぶり、いかがわしげな大きな尻をしたヨーロッパは、すっくと白馬にまたがっている。」(P73)

 

想像できそうで、できない。何を言っているのか、わからないが、たまらなく魅力的でもある。

 

0 コメント

2014年

2月

25日

books335『時代の風音』堀田善衛、宮崎駿、司馬遼太郎

この本を読んだのは、三回目ですが、読み返すたびに新鮮さが増し、読後感が変わるのが

不思議でなりません。今回、一番心に突き刺さったのは、司馬さんが指摘されている日本の近
代文学について。

少し長いのですが、引用します。


「ヨーロッパのフィクションというのは、大文字にしたほうがわかりやすい。Godが大文
字であるように、ヨーロッパ人はゴッドの時代が終わると、それぞれの作家が神に関係な
くてめえで世界をFictionという大嘘、大文字のフィクションにした。
  一方、日本は明治、大正、昭和初年の文学は私小説が主流ですから、それは神々です
な。『暗夜行路』といっても、神さまの一人が放浪し、漂歴する小文字のgodなんです。
だから、ほんとのフィクションはない。東京の金持ちの息子が、何か父親に対して不満が
あるらしくて、うろうろと庭先か何かでいろいろしちゃうというのが、日本人にとったら
たまらなくいいんですよ(笑)。」
 
日本の近代文学の本質をたった一言、「庭先」と言い表してしまうくだりに感動しまし
た。個人的には、大文字と小文字のくだりをもう少し、詳しく教えていただきたいので
すが、三人のうちの二人はすでに故人。続きは自分で考えます。

 

 

0 コメント

2014年

2月

25日

books335『掏摸』中村文則著 河出文庫

チャンドラーがミステリを文学にしたのなら、中村文則は文学でハードボイルドを超えたのかもしれない。ぶっとびました。一読巻おくあたわざる、hard to put down、とにかく何でもいいのですが、手が離せなかった。タイトルの掏摸は、そのままでは読めないが、そのものずばり、スリの物語。スリはしみったれたといったら、語弊があるかもしれませんが、主題になりにくそうな階層の犯罪にもかかわらず、中村文則の手にかかると、実にエレガントで、最高。

本書には姉妹編の『王国』があり、これまた読ませる小説ですが、この本の唯一の欠点をあげるとすれば、それは著者自身の解説。

 

「この小説を書く前、『旧約聖書』を読んでいた。偶然ではなく、もちろん意図的に。」

 

言いたいことはわかるし、ここまで広く読まれている本書だからこそ書いておきたかったという気持ちは理解できるが、編集者が止めるなり、なんとかこらえてほしかった。このあとがきは鑑賞の妨げにしかならんと思います。

0 コメント

2014年

2月

24日

books335『歩く』ヘンリー・ソロー著 山口晃編・訳 ポプラ社

ヘンリー・ソローは、『森の生活』の著者として有名だが、実は、ガンジーやキング牧師に深い影響を与える「市民的不服従」の講演を行っていたり、アメリカの思想家エマソンと何より感動的な、深い交流があった。知らなかったのだが、ウォールデン版の全14巻になるソローの日記は、1837年10月22日、

 

「あなたは今何をしていますか」と彼はたずねた。「日記はつけているのですか」。それなので、私はいま、最初の日記を記す。

 

ではじまっている。この「彼」が当時34歳のエマソンで、この日記を書き始めたときソローは20歳だった。ソローはエマソンの家に住み込んだり、エマソンは自分の本の校正をソローに任せたりと文字通り蜜月の間柄が続いたのだが、次第に冷えはじめ、と同時に、ソローは著作の中でエマソンに触れなくなっていく。だが、ソローに失望し、袂をわかったはずのエマソンは、日記の中で絶えずソローに触れつづけ、晩年、認知症に苦しみ、「傘」という単語すら思い出せなくなったとき、彼は妻にこうたずねたという。

 

「ぼくの一番の友達の名前は何といったかね?」

「ヘンリー・ソローでしょう」

「ああ、そうだ、ヘンリー・ソローだ」

 

ソローは、エマソンに先立つこと20年、1862年にこの世を去る。ソローの墓に土が入れられたとき、エマソンはただ、

 

彼は美しい魂をもっていた、本当に美しい魂をもっていた

 

と顔をそむけた。

すべての植物のなかで、地上のバラと、水上のスイレンを愛した孤高の散歩者の軌跡。

0 コメント

2014年

2月

20日

books335『流跡』朝吹真理子著 新潮社

「流跡」は、外郭をもてない自己と、よるべのない時間が交錯する、きわめて現代的な純文学。

主人公格たる意識には、生きている実感がなければ、自分の痕跡すら見つけられない。言葉に喚起されるままに自己は浮遊し、行止りまで流されたと思っても、そこは「奇妙に細長い鰻」の背中の上に過ぎない。自分の痕跡をさぐっても、

 

「どうしてこんな境遇に落ちているのか、よく覚えていない。前の労働は何だったか。傘でも張っていたか、薬でも売っていたか、よく覚えていない。あれこれと浮かんでくるのは、勤め先をクビになったこと、それで勤め先の金を盗んだこと、舅を殺したこと、女房も殺したこと、同僚もついでに殺したこと、やぶれかぶれになって若い女を殺したこと、雪片が降りおちるなかで虚空をキッとみつめている男は一体誰のことなんだろうか、……とんでもない、血みどろの、凄惨な場面ばかりがよぎる。自分の境遇なんだろうか。ほとんど何かの物語をパッチワークしているらしい。」

 

ということぐらいしかわからない。わたし、という意識は、あくまで実体のない現象に過ぎず、頁をめくるたびにとめどなくゆらぎながら形をかえてしまう。つまり、つかまえられない。

頼りの外部からの情報は、杜絶しており、唯一開かれた回路が読書なのだが、その読書からも確からしさは得られない。

頁を手繰っても、

 

「垂直につづくそれら一文字一文字を目は追っていながら、本のくりだすことばはまだら模様として目にうつるだけでいつまでも意味につながってゆかない。(中略)確かに本に触れているという感覚だけが神経を伝い、目は黒黒と流れる跡を追いつづける。追うばかりで一文字もみとめたという確かさがない。読むことがひとたびも終わらない。(中略)もう何日も何日も、同じ本を目が追う。追うばかりで一文字も読んでいない。」

 

本をひらいても、過ぎてゆくのはただ時間だけで、白い紙に繋留されていた活字は、溶解し、本からすりぬけて、どこかに消えてしまう。

生きている実感は加速度的に失われていき、

 

「死んでいないし生きていないし、このまま無になってゆくのではないかと、ふと思う。はじめはまっとうに生きているつもりだったが、人間的なところから脱落しているんではないかと、ふと思う。はじめはそんなふうに思い至ること自体が怖くて仕方がなかったが、いまや思ったところでどうもしない。どう逃げられないのだ。」

 

と、しまいには虚無にのみこまれてしまう。しかし、虚無にのみこまれたとはいえ、川の上をさすらう自意識は消えず、自己をたもちえないという意識からも解放されることはない。

 

「去ね、去ね、去ね。何度意識を失おうとしてもいっこうに明瞭なまま。いったいいつまでこうしているのか。この身体が、やっぱり死んでいるのか教えてほしい。しかし誰もいない。」

 

自分が今、生きているのか死んでいるのかも判然とせず、それゆえに、川から水死体が流れてくるたび、いちいち、「根腐れをおこした自分じゃないかと棹でひっくり返して確認する。」

それが「女のむくろ」であることを確認しても、確からしさは得られないのだが、確かめずにはいられないのだ。ここまでくると、もはや、わたしという意識が、人間なのかすら定かではない。

 

現実の肉体は、ただ牡蠣のように、起伏のない日常から、いっさいの移動をせず、単調に「このソファにへばりついたまま、この家で死んでゆく。(中略)少なくとも、この市にへばりついたまま死んでゆく」。

この存在の孤独から抜け出すべく、

 

「暇があれば本を読んできた。いまも子供が昼寝をしている間などに読む。むかしは、なるたけ幻想性の強いものを特に読んだ。自分は臆病でいかにもつまらないことしか考えつかないから、せめて本のなかでは強烈な体験をしたい、動揺したい、幻惑されたいとして読んでいたのだった。あるいはつまらない実人生というのを生きるうえで何かしらの解を得たいと殊勝にも思っているふしがあった。生きる、といったことに対しての注解を得られるんじゃないかというほのかな期待をよせて読んでいた。実人生、というのがそら言のように響く。習慣として読書をしているだけで、ほんとうの意味で読んでいるのではなかった。いまやほとんど何が書いてあるのか認めていないまま目が文字を追っている。」

 

これが永遠に続く。筆で書いたような瑞々しい文章が圧倒的に美しい。読むことの永遠を綴った一作。

 

 

 

0 コメント

2014年

2月

19日

books335『続・吉野弘詩集』

なぜ、「続」を取り上げたかというと、この詩集のなかに、名作「祝婚歌」が収録されているからです。この本を推薦してくださったのは、歩行のロゴ・デザインを手掛けてくださったゴバンの小田島。なぜ、ここで紹介者の名を明かすかというと、本書は私が小田島夫妻の結婚式で朗読した詩集だったからです。 

 
「二人が睦まじくいるためには」


で始まる詩は、詩がもっているパワーと祝福に満ちていて、陽向の道をゆっくり歩いているような暖かさがあります。そう思って、この詩を読みました。ところが、この詩を朗読させていただいたときに、失敗を一つしました。それは詩集を、バッグにいれて持ち帰ろうとしたことです。
 会場にいらしたグラフィック・デザイナーの秋田寛さんが私の様子を見咎めたのか、呼び寄せられました。頭のまわらない私は、てっきり朗読をお褒めいただけるのかとノコノコ近づいていくと、「その本。あげないの?」と一言。  
「あっ」と思ったときには、既に別の登壇者が登場しており、どうしようか、と考えていたら、遅れてやっていらしたグラフィック・デザイナーの古平さんが大きな花束を新郎の小田島さんに差し上げていたので、何食わぬ顔で祝福の列に並び、ギリギリ、プレゼントに間に合いました。 
そのときに「ありがとう」と力強く手を差し出してくれた小田島さんとの硬い握手は今も続いています。 
一冊の、一篇の詩が、人生を祝福し、またその祝福を分かち合うことができる、ということを私は、この詩集で勉強させていただきました。忘れがたい一冊です。

 

0 コメント

2014年

2月

17日

books335『マザーズ』金原ひとみ著・新潮社

子供ができて育児が大変なのに、旦那が一切家事を手伝わない。もちろん、子供がいない場合は家事だけでもいいのだが、自分だけが仕事から帰ってきた後に、御飯を作り、片づけをし、洗濯をしてさらにアイロンをかけている。その間、伴侶が何をしているのかといえば、テレビを見ている。もしくはオンラインゲームに熱中している。いびきをかいて寝ている。眠たいのは、こっちも同じだよ。思い切り蹴飛ばしてやりたくなるが、昭和な良妻賢母なイメージが邪魔して、胸のむかつきを飲みこみ、発狂しそうになりそうな気持を抑え込んで、皿洗いをしている。

少し長くなりましたが、そんなあなたに、ど真ん中の一冊です。

あるいは、一切の家事を放棄している旦那に、いい加減にしとかないと、こうなります、と、家事への発狂寸前の気持ちをシェアする為にも、またとない一冊だと思います。

本書に、

「育児の大敵は孤独だ。孤独な育児ほど人を追い詰めるものはない。」

とありますが、ここまでかくも執拗に、そのことを書き続けるモチベーションというか、執念が実に見事。小説は、実体験のみで紡がれるものではありませんが、この家事と育児に対する怨念には、感服致しました。

0 コメント

2014年

2月

14日

『パンとペン』黒岩比佐子著・講談社

社会主義者・堺利彦を中心に、一つの家族のようだった平民社が、時代とともに引き裂かれ、ズタズタにされながらも、暗黒の時代をただひたすらに耐抜き、売文社という燭をともし続けた一人の人間の後姿は、色あせることはありません。

 

大逆事件で死刑となった幸徳秋水や堺が自転車教習所に通い、得意げに乗りまわしていた姿を知るのは愉快ですし、また堺が『野生の呼び声』の最初の本格的な翻訳者であり、かつ有島武郎や辻潤、魯迅、など錚々たる面々が争って読み、連載が待ちきれずに原書にまで手を出したという当時の熱狂に触れることができたのも嬉しい発見です。

  

この時代に対する興味を一番はじめにかきたててくれたのは出久根達郎の『佃島ふたり書房』で、無類の面白さにふるえましたが、平民社に対する興味を抱かせるには至らず、さらに『人生劇場』の愛読者であったはずが、売文社と尾崎士郎の接点を見落とすようなうかつな読書であったことを本書に教えられました。 

 

本書を読んで、うすら寒い思いがしたのは、堺が衆議院議員選挙に出馬した際の「社会党宣言」の内容の大半がごく穏当なものであり、当時の危険思想が 現在の土台となっている事実です。

さらに当時の暴動の発端となった電車賃上げ反対市民大会や、日比谷焼打ち事件の背景を「思想ではなく、金銭が群集を動かした。」と喝破した一節は、今の日本の姿をも射抜いていると感じます 

特に興味深く感じたのは、大逆事件にいち早く反応し、無罪を確信して自筆本を作成していた石川啄木や、何も言はなかったことで良心の苦痛に苦しんだ永井荷風など、文学者たちが受けた衝撃です。

 

当時の社会主義者の素朴な日常を知るにつれ、何度も胸がふさがり、さらにあとがきを読むにいたっては、これを書き紡いだ著者へのあまりの運命の過酷さを思い、中々読みすすめることができませんでした。

『パンとペン』は洪水のような活字の海の中から堺利彦という宝石のような人間をすくいだした、まことに得難い一冊だと思います。 
0 コメント

2013年

12月

06日

『無想庵物語』

『無想庵物語』の魅力は「おわりに」に尽きると考えます この本の厚みは、時代の厚みと重なっているように感じます およそ天下に五枚で書けないことはない、と常々いっていた人に数万言を費やして書かせたのは、間違いなく失敗した芸術家、武林無想庵の魅力だと思います。

0 コメント

2013年

10月

17日

books335『博士の愛した数式』小川洋子著

〈あんみつや〉

 

すばらしくいい話で、本については書くことが見当たらない。

本屋大賞の第一回受賞作だったのだね。

 

数学はほんとうに美しい。中学の数学の先生が、のっけからこの学問の美しさを教えてくださって、算数が大好きだった私はさらにその世界が好きになったのだが、あいにく美と厳しさは裏表であって、先生の鮮やかな数さばきに見とれていたら私の数学の成績は知らぬ間に高度を下げ、以後高校に至るまで低空飛行を続けることに。

そんな私の数学への思いにも似た、暖かく切ないお話です。

 

〈千三屋〉

 

はじめて読んだとき、この小説をニュートン算で頭が真空状態になっていた小学生か、もしくは二次関数を投げだした中学生のときに読んでいたら、確実に人生観が変わっていたと思いました。この数学の、数式の物語は、星座の物語と同じように美しくて、引力のように心がひきつけられます。驚いたのは、仕事先の老人ホームのヘルパーさんのニックネームが「ルート」だったこと。後頭部を検証してみたくなりましたが、なかなかお会いする機会に恵まれません。

 

 

0 コメント

2013年

10月

14日

テレビのない風景、改め

今日の本、とします。

本日は、バレンタインデーです。

チョコレートといえば、ミステリでは、スタウトの『赤い箱』か、バークリーの『毒入りチョコレート事件』ですが、駅伝ファンにとって重要なのは、記念すべき東京箱根間往復大学駅伝競走の第一回が今日始まったということでしょう。

 

新聞の冬季五輪を背に、昨晩の続きで、荒俣宏『プロレタリア文学はものすごい』を読みながら、本棚を渉猟。矢野龍渓と平林たい子を探すも、すでに手放したのか見つからない。本書は、プロレタリア文学を猛烈に読んで、その埋もれた名作を一挙に紹介するのかと期待したが、そうではなかったのは残念。江戸川乱歩の読みかえや、志賀直哉、藤村なんかの新しい読み方が紹介されているのは、視点としては面白いが、ブックガイドには少しもの頼りない。葉山嘉樹のタフガイぶりに関心。アウトローな、プロ文関連の埋もれた作家たちの姿がいきいきと描かれているのは、さすが。

 

午後は、洗濯物と掃除を片付け、高林さわ『バイリンガル』を読む。日常の描き方のうまさはよし。アメリカと日本を舞台に、三十年前に起きた誘拐事件を、言語障害から読みほどいていく縦軸は見事。

 

うかつにも、マックブックエアを開き、HULUで『武士道シックスティーン』を見始めてしまう。映画監督は皆、トリュフォーの誘惑にあらがえないのか、延々と走るシーンを長回しで撮影したがる。その是非は別にしても、映画を見ながら簡単に泣いてしまうのは何故か。こんなに簡単に泣かされてしまうのは、社会人として不本意だが最近とみに涙もろくなっているのは事実。気をつけよう。老化はすでに始まっている。

0 コメント